官僚志望から実業団ランナーへ。世界陸上7位・小林香菜が「走る道」を選んだ理由
小林香菜は、早稲田大学法学部で学びながらマラソンサークルで走りを磨いた “サークル出身”の長距離ランナーだ。2025年の大阪国際女子マラソンで日本人トップ、同年9月の世界陸上では日本人女子として3大会ぶりとなる7位入賞を果たした。一方で、大学時代は総務省志望。インターンを機に「両立」ではなく走ることに専念する道を選び、実業団入りへと舵を切った。高校時代のケガ、サークルでの100キロマラソン完走、そして進路変更に至るまでの経緯を語ってもらった。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=ロイター/アフロ)
走れなかった高校時代が、今の原動力に
――小林選手は中学時代に女子3000メートルで群馬県記録を樹立し、早稲田大学本庄高等学院では文武両道を実践されていました。これまでのキャリアを振り返って、今につながる原点はどの時期にありますか?
小林:高校時代に交通事故で大きなケガをしてしまい、しばらく走れなかった時期がありました。陸上のケガではないのに走れないという経験が心に残っていました。陸上は学生時代に一生懸命やりすぎて燃え尽きてしまう選手も多い中で、私は逆に“走れなかったこと”が原動力になっていると感じています。もともと長距離を走ることが好きだったので、当時は走れないのがただ悔しかったのですが、今となっては、無理をしなかったからこそ楽しく走り続けることができているのだと思います。
また、高校の部活のコーチやチームメートが、ケガをした私に「治ったらまた走ればいいじゃん」と温かく接してくれたことも大きかったです。そうした環境や人に恵まれたことが、今も走ることが好きでいられる理由だと思います。
――性格的には、どんな物事でもポジティブに変換して前に進めるタイプですか?
小林:失敗した直後は気にしたり落ち込んで考えてしまうこともありますが、少し時間が経つと自然に切り替えられるタイプだと思います。
――今の小林選手にとって、走っていて充実感を感じる瞬間や、喜びを感じる瞬間はどんな時ですか?
小林:走り切った時の達成感が一番だと思います。私はもともと球技など他の運動がまったくできない運動音痴で、唯一できるのが走ることでした。中学の時は最初、水泳部に所属していたのですが、夏休みに全運動部が駅伝練習に参加するという慣習があり、そこで初めて「自分は人より速く走れる」と感じました。スポーツで初めて「他の人よりもできる」経験をして、“努力が結果につながる”ことを実感できたので、走ることがさらに楽しくなったのを覚えています。駅伝でチームとして関東大会に出場し、アンカーを任されて走り切った時の達成感は今も印象に残っています。マラソンは距離が長いぶん、さらに大きな達成感を味わえますし、それが原動力になっています。
体育会ではなく“サークル”で磨いた走る力
――高校時代は記録が伸びない時期もあったそうですが、これまでに、大きなスランプは経験していないのでしょうか?
小林:そうですね。ケガの影響で走れない時期はありましたが、タイムが出ないからといって責められるような雰囲気の部活ではなかったので、「仕方ないか」と気持ちを切り替えていました。
――大学進学後、体育会ではなくランニングサークル「早稲田ホノルルマラソン完走会」に所属されたのはなぜだったのですか?
小林:高校時代の先輩がサークルに多く在籍していたことが大きな理由です。知り合いがいる方が入りやすかったですし、競走部や陸上同好会など、陸上のコミュニティの選択肢をいくつか見た中で、私は「マラソンをやりたい」という思いが強くありました。競走部は厳しい環境でしたし、そこに入る覚悟も当時はなかったんです。駅伝ができるなら頑張ろうかなと思っていたのですが、人数が足りず、チームが組めなかったこともあって、サークルの方が自分には合っていると感じました。
「100キロマラソン」で得た走りの原点
――サークルではどんな活動をされていたのですか?
小林:週に1回の練習が中心でしたが、その活動の一環で100キロマラソンを走ったことがあります。その距離を完走できた経験は大きかったです。最初の60キロまでは初めて会った方とおしゃべりしながら楽しく走っていたのですが、さすがに70キロを過ぎたあたりからはきつくて(笑)。それでも最後まで走り切ったら、まさかの優勝でした。初心者向けの大会ではありましたが、とてもうれしかったですね。フルマラソンは半分以下の距離なので、その経験以降、42キロに対する抵抗感がなくなりました。マラソンサークル出身ならではの経験だと思います。
――体育会ではなかなかできない経験ですね。
小林:そうですね。大会スケジュールが決まっている体育会では、100キロのようなチャレンジはダメージが大きくてできません。私たちは“走れなくなっても自己責任”という感覚でした。
――その経験が、今の「走る楽しさ」につながっているのですね。
小林:はい。90キロを過ぎてからは本当にきつくて、95キロの地点で「もうやめたい」と思ったくらいですが(苦笑)、思い返してみると、楽しい記憶の方が強く残っています。
――登山サークル「山小屋研究会」にも所属されていたとか。登山もお好きだったんですか?
小林:はい。小さい頃からキャンプなどに憧れていたんですが、家族がみんなインドア派で、連れて行ってもらえなかったんです。周りのメンバーは小さい頃からアウトドア経験のある人が多かったのですが、私はむしろ“できなかった反動でやってみた”という感じです。
――本格的にマラソンに取り組むようになった時、ご家族も驚かれたのでは?
小林:そうですね。運動などに取り組むタイプの家族ではないので、「何がそんなに楽しいの?」と聞かれることもありました。
官僚志望から実業団選手へ。「コツコツ」の強みと決断
――早稲田大学では総務省を志望して法学部で行政の講座を受け、国家公務員試験の塾にも通っていたそうですね。勉強はもともと得意だったのですか?
小林:勉強が特別好きというわけではなかったのですが、走ることと同じで、何事もコツコツ続けることが苦にならないタイプです。宿題をためてしまうと一気にはできなくなるので、少しずつ積み重ねていく方が向いています。勉強も運動も、大きいことをこなすのは苦手なのですが、小さな負荷で長く続けるのが得意なので、そういうスタイルで続けていました。
――官僚志望となると、授業も多く忙しいと思いますが、マラソンとの両立では、勉強に充てる時間の方がやはり多かったのですか?
小林:大学3年の夏に総務省のインターンをきっかけに実業団への道を決めるまでは、勉強とランニングを半々くらいで両立していました。進路を決めてからは、走ることがメインになりました。
――官僚志望から実業団ランナーへと進路を変更した決定打は何だったのですか?
小林:インターンで配属された課の課長さんの同期で、市民ランナーとしてフルマラソンにも挑戦されている方がいらっしゃって、その方とお話しする機会をいただいたんです。総務省で働きながら高いレベルで走っている方だったのですが、「仕事が優先なので、残業があると走れない」「繁忙期はまったく走れないので練習にムラが出る」と話されていました。異動も多く、生活リズムを安定させるのが難しいと聞いて、自分には両立は難しいだろうと感じました。体が資本の競技なので、やるなら若いうちしかないと考えて、実業団で競技に専念することを目指す決断をしました。
――その決断をするにあたって、誰かに相談しましたか?
小林:はい。両親に相談しましたし、100キロマラソンで出会った市民ランナーのサークルの方々にもお話を聞いてもらいました。普段は大きな決断が得意なタイプではないのですが、あの時は自分でも「よく決めたな」と思うくらいの大きな決断でした。
【連載前編】マラソンサークル出身ランナーの快挙。小林香菜が掴んだ「世界陸上7位」と“走る楽しさ”
【連載後編】異色のランナー小林香菜が直談判で掴んだ未来。実業団で進化遂げ、目指すロス五輪の舞台
<了>
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[PROFILE]
小林香菜(こばやし・かな)
2001年4月4日生まれ、群馬県出身。陸上長距離選手。大塚製薬陸上競技部所属。中学時代は水泳部から陸上部に転部し、3年時に女子3000メートルでジュニア五輪出場。早稲田大学本庄高等学院を経て、早稲田大学法学部に進学。大学では体育会陸上部ではなく、ランニングサークル「早稲田ホノルルマラソン完走会」と登山サークル「山小屋研究会」に所属し、日常的に走ることを楽しみながら競技力を磨いた。マラソン初挑戦となった2021年の富士山マラソンで3時間29分12秒。そこから着実に成長を重ね、2025年1月の大阪国際女子マラソンで自己ベストの2時間21分19秒を記録して日本人トップの2位となった。9月の世界陸上東京大会では女子マラソンで2時間28分50秒をマークし7位入賞。日本勢としては2019年ドーハ大会以来3大会ぶりの入賞を果たした。10月19日のプリンセス駅伝ではチームの5区(10.4キロメートル)を担当し、区間2位の34分28秒を記録。6人抜きでチームのクイーンズ駅伝出場権獲得に大きく貢献した。11月23日に開催される女子駅伝日本一決定戦「クイーンズ駅伝」に出場予定。
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