
本場欧州では観客10万人も…日本スキージャンプに必要な改革。史上2人目のプロ転向・竹内択の決意
2年前に日本では異例となるプロのスキージャンパーへと転向した男には、本場欧州で見た忘れられない情景がある。人々が気軽に会場に訪れ、エンターテインメントとして楽しみ、子どもたちがジャンパーに憧れを抱き、未来への懸け橋となる、あの“至高の空間”。残念ながらこの国のスキージャンプはまだそうした環境にない。
“120万人に1人”という難病を患いながらソチ五輪団体で銅メダル。今も北京五輪出場を目指して競技を続ける竹内択が常々口にする、「日本のスキージャンプ界を変えたい」という想い。日本であの光景を創り出すには、何が必要になるのか。そして、自分には何ができるのか。その誓いを明かした――。
(インタビュー・構成=折山淑美、撮影=高須力)
日本で遅れるスキージャンプの“エンタメ化”。障害はどこにある?
競技としてのジャンプをみんなに知ってもらうためにも、ジャンプを“エンタメ化”したいという思いを持つ竹内択。その第一歩として、昨年8月にはソチ五輪後から考えていたという子どもたちのジャンプ大会を開催した。
――新たな活動の第一歩だとも思いますが、どんなジャンプ大会だったのですか?
竹内:子どもの大会というか、お祭りですよね。不純な動機でもいいから、ジャンプ台が面白そうだなと思って足を運んでもらうというのが目的です。全日本選手権やTVh杯でもDJとかダンサーがいたりして、大会を盛り上げようとすることはちょこちょことやっていますが、根本となる部分を一気に変えることは大きな組織だから難しいと思うんです。それが変わるのを待ってたら僕が40~50歳になってしまうから、ジャンプ界に貢献するためにも今行動を起こさなければいけないと思いました。
去年の夏はちょうど、新型コロナ感染拡大で試合がなくなっていた時期だったし、僕自身が企業に所属しているわけではなく、プロとして活動している今のこの立場ならできるなと思って、子どもたちの試合をやろうと企画しました。子どもたちも80人くらい来てくれたので、何か幸福な空気になりました(笑)。
――ドイツや北欧などはスキーが文化になっていて、普段の生活の中にもスキーがあります。田舎の方では、老夫婦がクロスカントリースキーで散歩をしている姿もよく見ますが、そうした文化的な背景が違う日本だとなかなか難しいですね。
竹内:そうですね、道路の脇には普通にクロスカントリーのコースもあります。ただ、僕もスキージャンパーを増やすのが第一だと思って体験教室をやって、30人くらいが集まって「楽しかった」とは言うけど、「じゃあやる?」となったらやらないんです(笑)。だからなかなか、ハードルが高いですね。スキージャンプは怖そうに見えるし、続けるイメージも湧かないんでしょうね。
でも長野県の北部の学校は、冬はスキーが必修になっていて、クロスカントリースキーもあるから、土のうを積んで小さなジャンプ台を作って飛べるようにして遊んでもらったり、「楽しいからスキージャンプをやろう」と思わせるのも一つの手だと思います。ドイツやオーストリアでは軽トラックの後ろに小さいジャンプ台を作り、ミニスキーで体験させるというのもあるから、そういうのもいいかなと思いますね。
スキージャンプの本場欧州では10万人の観客も
――そういう普及とともに、スキージャンプの“エンタメ化”もしていきたいということですね。
竹内:これは僕の考えですけど、スキージャンプはサーカスに似ているところもあると思うんです。一般の人が見ると「怖そうだけど、すごい」となると思う。でも「やるか?」といえばなかなかできるものではない。ジャンプはそういう競技だと思います。だからまずは、お祭りですね。不純な気持ちでもいいからジャンプ台に来てもらう。アーティストもいるイベントの中でスキージャンプをやっていれば、みんなにも見に来てもらえると思うし、興味を持ってくれる人も出てくると思う。
その一歩として子どもたちの試合をやったけど、飯山(長野県)ではある程度成功したので、それをうまくパッケージング化できれば、ジャンプ台がある各地の市町村の新しいお祭りにもできるなと思うんです。子どもたちには「楽しいイベントがある」というくらいの感覚で集まってくれればいいし、そこで飛んでいる選手を見て「〇〇くんカッコいい」となったらその子もやるかもしれない。それも楽しいだろうなと思っています。
――10万人以上の観客が集まってお祭り状態になる、スロベニアのワールドカップ・プラニツァ大会の縮小版のようなものを、日本でもやってみたいですね。
竹内:そうですね。最終的には大人の試合もそういう形でやりたいけど、まずは子どもの試合からですね。もし賞品を出せるようになれば、「優勝者はプラニツァとかジャンプ週間の大会を見に行ける」となってもいい。その盛り上がりを経験したら、子どもたちは一生忘れないと思うし、それこそジャンプにのめり込むでしょうね。
――1995年にカナダのサンダーベイで行われた世界選手権の時、歩いて5分くらいのところにある小さいジャンプ台で、女子ジャンプを普及させるためにと女子ジャンプ大会もやっていました。アメリカやカナダ、ヨーロッパの選手が50~60人出ていて楽しそうでした。女子ジャンプの草分けでもあるカーラ・ケック(アメリカ)も優勝していたが、その時の最年少クラスの優勝者が、2009年の第1回女子世界選手権で優勝したリンジー・ヴァン(アメリカ)だったんです。そういう大きな大会に便乗する方法もありますね。
竹内:そういう形も一つの方法だけど、日本では結構難しいかもしれないですね。だから僕は、最初は天候にあまり左右されないサマージャンプ台でそういうのをやりたいと思うんです。極端にいえば、それが成功すれば物理的にはアジアにも展開できると思う。ショー的な要素がしっかりしていれば集客もできるから、中東などのお金のある国がジャンプ台を作ってくれないかなと思ってるんです(笑)。
沖縄でもお台場でもできる? 日本流のスキージャンプ改革
――ジャンプ台の大きさにこだわらなければ、仮設のジャンプ台でやるというのもあるのではないですか? 2007年に札幌でノルディックスキー世界選手権が開催された時、どうすれば観客が集まるかという話になって、「それなら大通公園にテレビ塔から滑り出すジャンプ台を作り、雪まつりみたいにすればいい」と言ってみたこともあるんです。
竹内:それだったらいっぱい見に来るだろうし、盛り上がって面白いでしょうね。仮設といえば、昔にもそういうのがあって。昨年6月にクラウドファンディングをやった時に、戦前の1938年に甲子園球場に妙高山から雪を運んで仮設のジャンプ台を作って試合をした写真があって、プロジェクトページに掲載させてもらったんです。
――あの頃は1940年に札幌で冬季五輪が開催されることになっていた上、1936年のガルミッシュ・パルテンキルヘン五輪でも日本選手が世界に迫っていたので、日本でもジャンプ熱が高まっていたそうですね。1938年と39年に甲子園球場と後楽園球場を回って1試合ずつ全日本選抜スキー・ジャンプ大会が行われてオリンピック選手も出場していたそうです。それに1972年の札幌五輪の前の1963年には、翌年開園する読売ランド(現よみうりランド)に世界初のサマージャンプ台が作られて、日本のトップ選手たちが練習に使っていたそうです。都心の人たちにとって、スキージャンプが身近にあった時代もあったのですね。
竹内:そういうことを考えれば、沖縄でもできますね。ビーチ沿いで水着の人たちがいる中でもスキージャンプができるし、東京都心やお台場あたりでもできますね。ジャンプ台は小さくても、空中を飛んでいくだけでジャンプの迫力を感じることができるから、それを見た人たちがもっと大きなジャンプ台で競技を見てみたいと思って来てくれるようになれば面白いですね。ただ、ヨーロッパの大会は観客が食事をしたりお酒を飲んだりして、ジャンプを楽しんでいるお祭りと試合が合体しているような最高の空間だったけど、多分その試合をそのまま日本に持ってきても何か違うし、長続きはしない感じがするんです。だからそれをもうちょっと発展させて、日本人が楽しめるようにアレンジする必要があるとも思います。それがいったいどんな形なのか、これからいろいろやりながら探っていきたいと思います。
【前編】“120万人に1人の難病”竹内択は、なぜリスク覚悟でプロ転向を決めたのか?
【中編】「賞金で食べられる世界ではない」。ジャンプで異例のプロ転向、竹内択が明かす“お金のリアル”
<了>
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PROFILE
竹内択(たけうち・たく)
1987年5月20日生まれ、長野県飯山市出身。10歳の冬に長野五輪での日の丸飛行隊の活躍に魅了されスキージャンプを始める。飯山第一中学卒業後、フィンランドに留学。2006年帰国後、北野建設に所属。2010年バンクーバー大会で自身初のオリンピック出場を果たし団体5位、2014年ソチ大会で団体銅メダルを獲得、2018年平昌大会で団体6位。世界選手権は2013年混合団体で金メダル、2015年・2017年混合団体で銅メダル。ワールドカップ表彰台(個人)は4度。ソチ五輪本大会の直前にチャーグ・ストラウス症候群を発症。現在も病気と闘いながら2022年北京五輪出場を目指す。2019年5月、北野建設を退社し、team takuを結成。プロのスキージャンパーとして、スキージャンプ界の発展に尽力するなど、アスリートの枠にとらわれない活動を続ける。
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