
引退・宮原知子は、誰よりも「努力する美しさ」を教えてくれた。完璧さの裏に潜ませた“意外な憧れ”
「5年後を目指しましょう」。恩師の言葉が、どれだけ絶望的な状況かを表していた。それでも諦めなかった。自分だけは信じ続けた。そしてつかみ取った、平昌の舞台。咲かせた大輪の花は、どこまでも美しかった――。
これから彼女はどんなスケーターになるのだろうか。どんな演技を見せてくれるのだろうか。確かなことが一つだけある。苦しいときにも決して努力を絶やさなかった宮原知子という生き様で、私たちを魅せ続けてくれるということだ――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
宮原知子は誰より努力を重ね、誰からも愛されるスケーターだった。
「4歳からスケートを始めて、ただただ無心に滑ってきたんですけれども、気付けば競技者として本格的にスケートをしていて」
4月1日に行った引退会見で、宮原知子は競技人生をそう振り返った。「無心に滑る」というひたむきな言葉は、いつも真摯(しんし)にスケートに向き合ってきた宮原の口から出るとより一層輝きを増す。
努力家として知られ、安定感のある演技から“ミス・パーフェクト”とも呼ばれた宮原の滑るプログラムには、細部まで意匠を凝らした工芸品のような美しさがあった。動きの一つ一つに日々の鍛錬が透けて見え、たおやかさの中に芯の強さが感じられた。その真骨頂ともいうべきプログラムは、宮原自身も思い出深い試合として挙げている2018年平昌五輪のショート「SAYURI」(ローリー・ニコル振付)、フリー「蝶々夫人」(トム・ディクソン振付)だろう。ショートでは凜とした芸者を、フリーでは夫を待ち続ける女性を表現する宮原は、大きなけがのためオリンピック出場が危ぶまれる状態を乗り越えて大舞台にたどり着いている。
大けがから復帰して、笑顔が増えた。豊かになった情緒は、平昌で花咲いた。
平昌五輪シーズンが本格的に始まろうとしていた2017年10月、当時宮原を指導していた濱田美栄コーチは「5年後(の北京五輪)を目指して練習しましょう」と宮原に言ったという。
宮原は前シーズンの2016年全日本選手権で優勝したものの、その後左足股関節の疲労骨折と診断され、2017年2月の四大陸選手権と同3月の世界選手権を棄権していた。試合で重く感じることを嫌うあまりに栄養不足になっていたこともけがの原因で、栄養や睡眠など生活の根本からの改善が必要だった。復帰戦は平昌五輪が約3カ月後に迫った2017年11月のNHK杯だったが、当時もリハビリと並行して練習をしている状態で、ジャンプの練習量は前年の2割程度でしかなかった。
しかし復帰前よりも笑顔が増えた宮原は、不安よりも滑る喜びが勝っているように見えた。それまでは演技の完璧さも相まって、あまり感情の起伏を感じさせなかった宮原だが、けがからの復帰後はしばしば楽しそうな表情を見せるようになっていた。豊かになった情緒は、プログラムの味わいも深めている。また、ジャンプができない時期に地道に磨いていたスケーティングやスピンも、宮原の武器となっていた。
NHK杯では5位だったものの、スケートアメリカでは優勝、グランプリファイナルにも進出。そして、平昌五輪代表最終選考会である全日本選手権で優勝し、見事にオリンピック代表入りを果たしたのだ。
全日本のメダリスト会見で、10月の時点で濱田コーチから「オリンピックは5年後でも行けるんだから」と言われた時にどう感じたかを問われた宮原は、「自分の中ではまだ平昌も諦めていませんでした」と語っている。
「ずっと『この全日本にしっかり合わせられるように、絶対頑張りたい』という気持ちは変わらずに、10月にジャンプを始めて苦しい時期でも、それだけは心の中に留めていました」
そして2018年2月の平昌五輪、宮原は世界に“和”の美しさを印象づける2つのプログラムを滑り切り、4位という成績を残している。いつも控えめな宮原の中にある強さが、大輪の花となって開いた平昌五輪だった。
「このまま落ちていくだけなら、やめた方がいいな」。最後のシーズンへの覚悟。
平昌五輪での演技で、端正なスケーティングから生まれる優れた表現を世界に印象づけた宮原だが、アスリートとしてジャンプに取り組む姿勢も高い意識で保ち続けている。女子も4回転やトリプルアクセルといった高難度のジャンプを跳び始めた2021年世界選手権では、宮原はジャンプの不調で19位に沈んだ。フリー後のミックスゾーンで、宮原は「技術的にはすごく難しいというか、もう話にならないぐらいの内容」と厳しい自己評価を下している。その言葉からは、いつも穏やかな宮原の中にある自分に対する苛烈な視線がうかがえた。
「世界選手権で結果がすごく悪かった時に『このまま続けてどんどん自分のスケートが落ちていくだけなら、やめた方がいいな』ということも頭をよぎって」
引退会見で、宮原は当時を振り返りそう語っている。北京五輪シーズンとなる翌季を、宮原は覚悟を持って迎えた。
「『もう最後』というのを覚悟で……それぐらいの意識でシーズンを通さないと本当にオリンピックにも行けないし、それ以前の問題になる、というのはずっと考えていたことだったので。シーズンの序盤はそのような気持ちで始まって」
そして北京五輪シーズンの序盤となる2021年10月のジャパンオープンで、宮原はトリプルアクセルに挑んでいる。転倒に終わったが、演技構成点の高さでは世界トップの評価を誇る宮原がアスリート魂を見せた試合だった。
「考えるとやっぱり無謀だったな」。それでも意味のあったチャレンジ。
引退会見で、ジャパンオープンでのトリプルアクセルへの挑戦について問われた宮原は、「考えるとやっぱり『無謀なチャレンジだったな』というのはちょっとあるんですけど」と冷静に振り返りつつ、「でも、本当に練習では惜しいところまでいっていたので」と口にした。
「どれだけできるか分からないけど、チャレンジするのも一つの経験としてすごく楽しいんじゃないかなと思って。自分の気持ちのどこかで、一度は自分ができないような技を、惜しいけどできないような技をプログラムに入れてみたい、という夢というか、野望みたいなものがあったので。それが一回でもチャレンジできたことは、自分の中では意味があったのかなと」
「殻を破る一つのステップとして、かなり大きなステップではあったのですが、足を踏み込むところまではいけたのかなと思うので。トリプルアクセルの練習を始めて、他のジャンプの安定感・自信も増えたと思っているので、決してマイナスなものではなかったと思っています」
いつも完璧なプログラムを滑り切り、指の先まで磨き抜かれた表現を見せるミス・パーフェクトの中には、いちかばちかの挑戦への憧れが潜んでいたのだ。
「だんだんとシーズンを過ごしていくうちにジャンプが安定してきて、少し自分にも自信を持てるようになっていった」
宮原は、北京五輪出場はかなわなかった最後のシーズンを振り返ってそう語る。
並大抵ではない厳しさで自らと向き合った日々。その原動力は…。
「日々の練習の中で、毎日、一日一日『もうやり尽くしたな』と感じて終えられるように練習を繰り返していく中で、『満足して練習しているし、あとはもう試合でやるだけ』という状態になっている自分もいたので。最初は『もうやめるぐらいの覚悟でいかないと』という気持ちが、だんだん満足して練習できて、調子も上がってきて『もういいんじゃないかな』という気持ちに変わっていったという感じです」
「本当にずっと自分と向き合って、毎日毎日自分のできることを『もうこれ以上できない』と思うぐらい練習をしてシーズンを過ごしたので、本当に最後まで充実したスケート競技人生を送れたと思っています」
静かに語られた宮原の言葉からは、並大抵ではない厳しさで自らと向き合った日々が浮かんでくる。
ストイックに練習を積む宮原の原動力は、練習した成果を試合で出し切った時の喜びだった。
「楽しく滑る時期もありましたし、だんだんと修行のように自分を追い詰めてしまう時期もあったかもしれないんですけれども、自分のスケートを試合でしっかり見せることや、いい結果を出すことが最大の目標で、自分にとって絶大な達成感をもたらしてくれるものだったので、それを目指して毎日頑張ることができていました」
新たな道へ挑戦を続ける、宮原知子の第二の人生をこれからも見届けたい。
引退会見で後輩に託す思いを問われた宮原は、「私自身は、ジャンプもできて、表現もできて、オールラウンダーなスケーターになりたいというのがすごく大きな目標だったんですけれども」と言い、言葉を継いだ。
「もしかすると理想が高過ぎたというか、そういうところもあったかもしれないので。やっぱり『自分を追い込み過ぎる時もあったのかな』と今は思うんですけど……もちろんつらい練習も重要ですし、ただ楽しいだけでは駄目なのですが、やっぱり自分がスケートをしている楽しさとか、『自分がなぜスケートを続けているか』とか、そういう自分の気持ちを大切にしてほしいと思います」
宮原は日本人として初めて、アイスショー『スターズ・オン・アイス』カナダツアーの全公演に出演する。演技構成点の高さに甘えることなくアスリートとして競技に向き合い続けた宮原だが、今は表現力とスケーティングだけに注力できるプロスケーターとなった。さらに磨きがかかるであろう宮原の演技を、これからも楽しみにしたい。
<了>
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