
「私ほど熱く語れる人はいないのではないでしょうか(笑)」。町田樹が愛して止まない、日本最古のアイスショーの存在意義
今も色あせぬ記憶とともに数多くの名演技を残してきた元フィギュアスケーターの町田樹さんが、愛してやまないアイスショーがある。プリンスアイスワールドだ。華やかに彩られたリンクで奏でられる極上の空間。見る者の心をつかんで離さない唯一無二のエンターテインメント性――。
だが日本最古の歴史を持つこのアイスショーの存在意義は、決してそれだけではない。日本のフィギュアスケート界が抱える数多くの問題に、一つの解を示しているようにも思えるのだ。町田さんに、その魅力と存在意義を聞いた。
(インタビュー・構成=沢田聡子、撮影=浦正弘)
町田樹が誰よりもプリンスアイスワールドを愛して止まない理由
――町田さんはプリンスアイスワールド(以下、PIW)を“創作のゆりかご”と呼んでいますが、そこにはどんな意味が込められているのですか?
町田:実は、PIWは演者としてだけではなく観客としても、私が初めて経験したアイスショーなんです。小学生のころにPIWの公演が地元に来て、きらびやかな世界を見せてもらいました。それまで普通の白色ライトの下で滑る競技としてのスケートしか知らなかった私が「華やかなライトの下でこんなスペクタクルなスケートができる世界があるんだ」と、初めてアイスショーの素晴らしさを実感したわけです。
そして、その時から数年が経過した高校生のころのことです。フィギュアスケーターとしてまだ全然名が知られていなかった私に、初めて「出てみないか」と声を掛けてくださったアイスショーもまた、PIWでした。それ以来、28歳でプロスケーターを引退するまでの間、PIWは私に思う存分、理想のフィギュアスケートを追求できる舞台を提供し続けてくださいました。ですから、アイスショーという世界をゼロから百まで私にたたき込んでくれたという意味で、私はPIWを“母なる舞台”あるいは“創作のゆりかご”と称しています。
――アンバサダーに就任したのも、自然な流れだったということですね。
町田:そうですね、私ほど熱くPIWを語れる人はいないのではないでしょうか(笑)。
――PIWが他のアイスショーと異なる特徴は何ですか?
町田:やはり日本で唯一、カンパニー形式で運営されているアイスショーだということですね。他の一般的なアイスショーは、たいていゲストスケーターが入れ代わり立ち代わり出てきて、それぞれ個人演目を披露するというスタイルです。時にゲストスケーター同士が協働して群舞を演じることはありますけれども、PIWの場合は、国内アイスショーで唯一のプロフィギュアスケーターチーム(「PIWチーム」)を持っており、この24人による群舞を最大の売りにしています。その群舞の間にゲストスケーターが彩りを添えていく。カンパニーとしての群舞と、ゲストの卓抜した演技。二つで一つのエンターテインメント&アートを創っていくという独自のスタイルが、私がPIWを国内で唯一無二のアイスショーだと考える理由です。
――1978年にスタートしたPIWは、日本で最も長い歴史を持つアイスショーです。2014年から「THE CONVOY SHOW」主宰の今村ねずみさんが構成・演出を手掛けて以降さらに洗練され、振付にフロアダンスの方も入ったことで進化を遂げて、今に至っていると感じています。(現在はモモナガシマさんが構成・演出を担当)
町田:例えば、バレエはアートのジャンルに分類されます。あまりエンターテインメント化されることはなく、あくまでもハイカルチャーとして存立しています。対してフィギュアスケートは、アートにもなればエンターテインメントにもなれる。もちろん、スポーツにもなれます。こうしてアート、エンターテインメント、スポーツと自由自在にモードをシフトチェンジできる――そんな文化は他になかなかありません。ですから、PIWという一つのアイスショーの中にも、アーティスティックな演目や、スペクタクルなエンターテインメント性の色濃い演目があったかと思えば、超人技が繰り出されるアスレチックな演目があったりもするわけです。PIWが一つの強みにしているこのモードの幅というのは、他の舞台芸術では味わえない何よりの醍醐味(だいごみ)だと私は考えています。
日本のフィギュアスケート界が抱える問題に、プリンスアイスワールドが示すもの
――町田さんは、PIWがダイドードリンコアイスアリーナ(東京)とKOSÉ新横浜スケートセンター(横浜)、首都圏の二つの通年リンクを旗艦(フラッグシップ)となる会場として毎年活用していることにも言及しています。加えて、町田さんは研究者として、国内におけるスケートリンクの減少問題にも取り組まれています。先ほど挙げた二つのリンクは同じ西武グループの所有で、昨年PIW主催者の方にインタビューした際、「リンクを守ることはわれわれの使命」とお話ししていました。PIWはリンクの運営という面においても大きな意味を持つ存在ですね。
町田:アイスショーが開催されればたくさんの観客がスケートリンクを訪れます。しかもそのショーが、もし定期公演化されることになれば、恒常的に人の集まる場所にもなり得ます。ですから、アイスショーカンパニーがもっと活躍していけば、実はスケートリンクを救うことにもつながります。スケートリンクは、選手が練習する場所、アイスショースケーターが稽古する場所、競技会を開催する場所、アイスショーの舞台になる場所、レジャーとして多くの人がスケートを楽しみに来る場所と、たくさんの機能を備えています。けれども現状では、選手育成にしかフォーカスが当たっておらず、それ以外のサービスをいかに向上させていくかという議論が圧倒的に足りていません。せっかく、これほどたくさんの機能を持っているのですから、それらを全面的に伸ばしていきたいものですよね。そうすれば、もっとスケートリンクの存在価値や需要は高まっていくはずです。
ちなみに、スタッドレスタイヤの性能実験をスケートリンクで行っていることはご存じですか? 実のところスケートリンクは、必ずしもスケートを滑るためだけの施設ではないんですよ。例えば、あくまでこれは私の空想ですけれども、この暑い夏に、スケートリンクとプラネタリウムを掛け合わせて、「北極の星空を疑似体験」みたいなイベントを企画開催できたら面白いですよね。確かに、スケートはリンクが提供できる主要サービスであることは間違いありません。しかし、スケートというスポーツだけに固執せず、“氷文化”というものをキーポイントにしてマーケティングや企画をしていければ、新しいスケートリンクの活用方法を創造できる可能性がまだあるかもしれません。
――また現状、日本のフィギュアスケート界は、まずは競技会で成績を出すことを目指し、成年になっても続けられるスケーターはごくわずかです。アイスショーにゲストとして招待されるスケーターともなると、さらに少なくなります。PIWチームは日本のアイスショーで唯一のプロスケーターチームですが、必ずしも全員が競技会でトップクラスの成績を残しているというわけではありません。アイスショースケーターになるためのキャリアデザインに新たな選択肢を加えているという点でも、その存在意義は大きいと感じます。
町田:そうですね、基本的にショースケーターになるためには、まずは選手として優秀な成績を獲得し、それなりに有名になることが求められます。ショースケーターへのキャリアの道筋はほぼ限定されており、たとえショーに出演するという夢を抱いても、多くのスケーターは競技者のまま引退することを余儀なくされてしまいます。ところが、その固定観念をPIWチームは打ち破りつつあるのです。
チームメンバー全員がとても輝き、スターとして生き生きとアイスショーの世界で大活躍していて、一昔前とは明らかに雰囲気が変わってきたような気がします。いまや、多くのスケーターが「競技引退後はPIWチームに入りたい」という強い希望を抱いており、憧れの存在といった雰囲気が出てきていて、「これはいい流れだな」とうれしく思っています。
でも私は、まだまだPIWには進化の余地があると信じています。競技会で多くの金メダルを取ってスター選手になること、これも憧れの対象として素晴らしいですが、アイスショー集団としてより良い作品を上演して観客をうならせることも、それに勝るとも劣らないぐらいかっこいいことではないでしょうか。その事実を、PIWチームが日本全国、さらには世界中に知らしめていってほしいと期待しています。
町田樹が振り付けた、田中刑事の『ショパンの夜に』。見どころは、失敗の美学――
――町田さんは、昨年のPIWで「継承プロジェクト」を試みています。2014年のPIWで町田さんが自ら振り付け、演じた『ジュ・トゥ・ヴ』を、田中刑事さんが再演しました。選手が滑らなくなると失われてしまう運命にあるプログラムを、他のスケーターが再び滑ることで受け継いでいくというこのプロジェクトは、フィギュアスケートの作品を著作物として扱いたいという町田さんの信念から生まれたものですね。今後も継承プロジェクト展開していく予定はありますか?
町田:今のところ具体的な計画はありませんが、もちろんご縁があれば、今まで創作した作品に関しては全部、誰かに再演していただく可能性はあると思っています。
――今季はプロスケーターのためだけにアイスショーならではの振付を創作していく「プロフェッショナル・ピース・プロジェクト」ということで、プロスケーターとしてキャリアをスタートさせた田中刑事さんに『ショパンの夜に』を振り付けています。『ショパンの夜に』に盛り込まれている新機軸として、「失敗の美学」を挙げていますね。
町田:普通、競技会において、“失敗”は忌避されるものです。失敗してしまったら減点になりますから、みんな失敗しないように気を付けて滑っています。けれども“失敗”という行為そのものは、演劇的に考えてみると非常に意義が深く、いろいろなニュアンスや表現意図を込めることができる行為なのではないでしょうか。今回は、その「失敗の美学」をアイスショーという舞台でとことん追求しました。今作『ショパンの夜に』は、たとえ自分が克服できないような強大な絶望を前にしていたとしても、なお人間としての尊厳、気高き誇りを維持しながら前に進んでいく男の物語です。ですから作中では、絶望や鬱々(うつうつ)とした気持ちを象徴するものとして、あえて失敗を組み込んでいます。
――田中さんは、「失敗の美学」を表現する上でまさにうってつけの演者であるように思います。
町田:彼は身体に「気品」と「憂い」の両方を携えている、本当に稀有(けう)なスケーターです。日本全国、あるいは海外を含めても、なかなかこの二つを兼ね備えているスケーターはいないと思います。ですから、私もこの『ショパンの夜に』という作品は、今の時点では田中刑事さんがやはり最もふさわしいスケーターだと思います。
――先立って行われた横浜公演ではテレビ放送で解説も務めた町田さんから見て、東京公演はどのあたりが見どころでしょうか?
町田:PIWは2019年から「Brand New Story」というコンセプトを掲げて公演を行ってきて、今季の「Ⅲ」が最終章となります。「Ⅰ」・「Ⅱ」でいろいろな経験をして、その中には成功もあれば失敗もあったと思います。今季の公演は、そうした過去の経験を全部踏まえて創り上げられた、まさに集大成といえるものになっていると感じます。
常々感じてきた、町田樹さんのプリンスアイスワールドに対する深い愛情。それはすなわちフィギュアスケートに対する愛情でもあることに、あらためて気付かされた。
スケーターとしてプリンスアイスワールドでプログラムを磨いてきた町田さんは、研究者となった今、その大切な場を守るために力を尽くしている。
プリンスアイスワールド東京公演は、7月15日から4日間にわたり、ダイドードリンコアイスアリーナで開催される。町田さんが愛してやまない唯一無二のアイスショーを、ぜひその目に焼き付けてほしい。
<了>
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PROFILE
町田樹(まちだ・たつき)
1990年3月9日生まれ。3歳からフィギュアスケートを始め、2014年のソチ五輪で5位入賞、世界選手権で銀メダルを獲得するなど、トップスケーターの一人として活躍した。2014年12月に競技スケーターからの引退を発表。以後プロスケーターとして自ら振り付けた作品をアイスショーなどの舞台で実演を続け、2018年10月に引退した。2020年3月、博士(スポーツ科学/早稲田大学)を取得。現在、國學院大學人間開発学部助教。専門はスポーツ&アーツマネジメント、身体芸術論、スポーツ文化論、文化経済学、知的財産法。著書に『アーティスティックスポーツ研究序説:フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社)、『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と渓谷社)。ブルーレイ作品集『氷上の舞踊芸術――町田樹振付自演フィギュアスケート作品Prince Ice World映像集2013-2018』(新書館)。日本最古のアイスショー「プリンスアイスワールド」アンバサダー。J SPORTSで放送中の『町田樹のスポーツアカデミア』で企画・構成を手掛ける。
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