ウエイトリフティング王者から、トップボートレーサーへ。「ボートレース界の怪力美人レーサー」守屋美穂の現在地

Career
2023.05.26

「水上の格闘技」と言われるボートレースで、女子レースの人気が高まっている。明るい笑顔と実力で根強い人気を誇る守屋美穂は、女子ボートレース界の最前線で活躍する看板レーサーの一人だ。高校時代にはウエイトリフティングで全国1位になったという異色のキャリアを持つ彼女に、ボートレースとの出会い、結婚・出産からの競技復帰や、レースに臨む原動力について話を聞いた。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=日本モーターボート競走会)

女子ボートレース界を牽引する守屋美穂は、中学生になるまでほとんどスポーツをしたことがなかったという。だが、高校ではウエイトリフティングで全国1位になり、養成所での厳しい訓練を経て18歳でデビューを果たした。

時速80kmの世界で、0コンマ数秒を競い合う水上の戦いは熾烈だ。エンジンやプロペラを自分で整備し、体重管理を徹底し、天候や気圧、プレッシャーと向き合う。「今でも緊張しますし、怖いと思うことがあります」と守屋は言う。

その中で、最高ランクのA1級に定着し、結婚・出産を経てトップレーサーとして長く活躍を続けてきた。ファン投票によって選ばれるレディースオールスターでは2年連続獲得投票数1位。ボートレース界屈指の人気レーサーが、これまでのキャリアと現在地について語ってくれた。

ウエイトリフティングで全国1位に

――守屋選手の「ボートレース界の怪力美人レーサー」というキャッチフレーズはインパクトがありますね(笑)。高校時代にウエイトリフティング競技選手権大会で全国大会1位になったご経歴からですよね。

守屋:はい。デビューした時に、過去の経歴からそういうふうに言われるようになりました(笑)。

――ウエイトリフティングを始めたきっかけはなんだったのですか?

守屋:ボートレーサーになるために、体力と筋力をつけたいと思ったからです。もともと動くことは好きだったのですが、私は中学まで部活など、運動はしていなかったんです。走るのは苦手だし、屋外だと日焼けするし……という感じで条件を上げていく中でウエイトリフティングが最適だなと思って始めました。実際に瞬発力や体力がついて、下半身の強化にもつながりましたが、一番は頑張ることや努力することの大切さを知って、精神的に強くなれたことだと思います。

――高校から競技を始めて全国1位になるというのはすごいですね! 自分では何がトップになれた要因だと思いますか?

守屋:周りの女の子たちも高校1年生からウエイトリフティングを始める子が多かったのですが、9人いる中で、私ともう一人だけが途中で吹奏楽部から入った感じだったので、周りの子たちは錘(おもり)を軽々と持ち上げている中で、私は最初の頃は全然持ち上げられなかったんです。それが悔しくて、誰よりも練習したら、そこに行き着いてしまったという感じで。負けず嫌いな気持ちが一番だったと思います。

――努力する才能があったんですね。それはボートレースでも生かされている強みでしょうか?

守屋:うーん、どうでしょうね。ボートレースではまだ、私の中では結果が出せていないので、まだまだ努力が足りないと思っています。ウエイトリフティングは、がむしゃらに努力すればやっただけ結果がついてきたのですが、ボートはそれだけではダメだなと痛感しています。

「ボートレーサーになりたい」と強く思ったことはなかった

――守屋選手が「ボートレーサーになりたい」と思ったのは、何歳の時だったのですか?

守屋:実は養成所の試験に受かるまで、「ボートレーサーになりたい」と強く思ったことはないんです。

中学生の頃は盲導犬の訓練士になりたかったんですが、学業の成績もそんなに良くなかったので難しいだろうな、という気持ちがある中で、父の勧めでボートレーサーになることを考え始めました。ボートレーサーも狭き門ですけど、盲導犬の訓練士さんの方が狭き門かなと思ったんです。それで一応、ボートレーサーを目指すためにウエイトリフティングを始めたり、高校時代からいろいろと準備していたのですが、ボートレーサーになることにそこまで強い気持ちが持てなくて。ただ、高校卒業後にボートレーサー養成所の試験を受けたら受かってしまって、そこで覚悟ができました。

――ボートレーサーになるための試験の倍率は20〜30倍とも言われますが、当時もかなり高かったのですか?

守屋:そうですね。私たちの時は40倍ぐらいと言われていました。

――今、振り返ってみると、その難関を突破できたのはどんなことが理由だったと思いますか?

守屋:こんなことを言ったら、今からなりたいという子のためにはならないと思うのですが……体力測定と筆記試験があるんですが、筆記試験では、たまたま高校で習ったところが試験に出て、「この間、習ったやつじゃん!」という感じで、ラッキーな面もありました。筋力的にはウエイトリフティングをやっていたことが良かったですね。

養成所で苦手な座学と向き合った

――試験に受かって養成所に入った後は、ボートレーサーになるために1年間の訓練がありますよね。デビューするまでに大変だったのはどんなことですか?

守屋:養成所は全寮制なので、生活自体は高校の時よりも楽でした。高校の時は、早起きしてウエイトリフティングの朝練に行って、授業が終わった後はまた部活をして帰ってきて……という生活だったので、寝るのは遅くて、起きるのは早い生活でした。それが養成所だと夜10時には就寝して6時に起きる規則正しい生活だったので、生活面で挫けることはなかったです。ただ、私は本当に勉強が苦手だったので、座学は大変でした。

――ボートに関する知識や技術を覚えながら、国家資格である選手資格検定試験に合格しなければならないんですよね。

守屋:そうです。ボートレーサーとして必要な知識やスキルを学ぶカリキュラムが組まれていて、エンジンのことだったり、ルールもちゃんとしたものを全部、覚えなければいけなかったので。私はボートのことをほとんど知らない状態で入ったので、まっさらの状態から頭に情報を入れることは本当に難しかったですし、苦労した記憶があります。

――そこも持ち前の頑張りで突破できたんですか?

守屋:私は運にも恵まれていたと思います。養成所に入るための試験もそうですが、養成所では担当教官も良かったし、同期にも恵まれたなと思うので、周りの環境に感謝しています。

結婚、出産を経て母として臨むレースへの思い

――24歳の時にご結婚されて、26歳(2015年)の時にご出産されましたが、その経験を経て変わったことはありますか?

守屋:24歳というとレーサーとして伸び盛りの時期でしたし、「もっとボートレースを頑張りたい」という気持ちの中で産休を取ることは不安の方が大きかったのですが、今思えば、そのタイミングで良かったのかなとも思います。出産した先輩たちに話を聞いてもらったりもしたのですが、みんな、競技復帰までの道のりについて「自転車に乗る感覚だから平気だよ。乗らされたらポンっと乗れるんだよ」みたいな感じで励ましてくれて。でも、実際にはそんなことはなくて(苦笑)。出産後は体力が落ちて、腹筋も一回もできなくなっていました。

復帰してからは、ボートの操縦の感覚も取り戻さなければならなくて、悩むこともたくさんあったのですが、周りの人たちに支えられましたね。また、ボートレーサーは遠征が多くて家を留守にすることが多いので、「息子に寂しい思いやつらい思いをさせている以上はもっと頑張らなきゃいけないな」という気持ちでいますし、息子に誇れるレースをしたいといつも思っています。

――レーサーとしての大きな逆境だったんですね。

守屋:まだ結果も残せていないので、本当の逆境は味わっていないと思います。下のレベルに降格したこともないので、ある意味平坦に生きているのかなと(笑)。

レディースオールスター2年連続1位選出

――デビューから今年で16年目になりますが、今思い返すと、特に思い出深かったのはどんなことですか?

守屋:まだ印象に残るタイトルを獲得していないのですが、去年のレディースオールスターで獲得投票数1位にしていただき、そのレースで優勝できたことはすごくうれしかったですね。

――今年のレディースオールスターでも1位になり、昨年から2年連続ファン投票1位に選ばれたことについては、どのような思いがありますか?

守屋:率直に、すごくありがたいと思っています。誇れるものとか強みがない中で1位にしていただいているので、早く結果で恩返しがしたいですね。

――ボートレース界の看板レーサーとして注目される場面も増えたと思いますが、改めてレーサーとしてのご自身の立ち位置をどう考えていますか?

守屋:そうですね。ただ、周りから注目していただく度合いと、自分の考えている立ち位置のギャップはすごくあります。もっと強くてかわいい選手がたくさんいますし、レース内容も魅力的で、応援したいなと思われるだろうなという選手も多い中で「自分が1位でいいのかな」という思いもありますが、投票数は皆さんからの目に見える応援ですし、皆さんの応援があってこそ頑張れているので、本当にありがたいなと思っています。

――ボートレーサーとして常日頃心がけていることに「公人であることを忘れない」とありましたが、どんなことに気を付けているんですか?

守屋:私は街を歩いていても気づかれることはほとんどないので、声をかけられることはまずないのですが、他の選手の話を聞くと、「スーパーで声をかけられた」という選手もいるので、いろいろなところで見られているかもしれない、と感じながら、恥ずかしくないように行動しています。ボートレースは応援してくださるファンの方がいて成り立っている世界なので、その方たちの期待を裏切らないような生活を常日頃からしなければいけないなと思っています。

――最高レベルのA1級のレーサーとしてトップレベルを維持し続ける大変さもあると思いますが、レーサーとしての目標を教えてください。

守屋:これから実力をもっとつけて、SG(*)のタイトルを獲得したいです。その気持ちはずっと持っているのですが、まだまだメンタル的にも技術的にも足りないと感じています。

(*)スペシャルグレードの略称。G1、G2、G3のさらに上の格付けをされているレースのこと。

<了>

激動のバスケキャリアの果てに、長岡萌映子が選んだ“自分の生き方”。「私たちはアスリートである以前に一人の人間」

なぜアメリカ大学女子サッカーに1万人集まるのか? 全米制覇経験・岩井蘭が指摘する日本の問題点

「子供達にスポーツを通してスマイルの輪を広げたい」レスリング・五輪金メダリスト登坂絵莉が描く未来

「トイレの汚さだけは慣れないけど…」アルゼンチンで一人奮闘、苦悩も充実の日々。日本人初プロサッカー選手・江頭一花

バスケ73%、サッカー36%、ハンドボール82%…。なぜ女子競技人口は18歳で激減するのか?

[PROFILE]
守屋美穂(もりや・みほ)
1989年1月20日生まれ、岡山県出身。ボートレーサー。2006年の全国高等学校女子ウエイトリフティング競技選手権大会で優勝。父の勧めでボートレースの世界に入り、2007年11月にデビュー。兄はボートレーサーの守屋大地。「ボートレース界の怪力美人レーサー」の愛称を持つ。

この記事をシェア

KEYWORD

#INTERVIEW

LATEST

最新の記事

RECOMMENDED

おすすめの記事