なぜ名選手は名監督になれないのか? バーゼルで起きた「指導のズレ」の正体と“指導者の本質”
「名選手名監督にあらず」――。この言葉はなぜ、何度も繰り返されるのか。元フランス代表のティエリ・アンリは、指導者の本質についてこう言い切った。「誇りは扉の前に置いてこなければならない」と。スイスの名門FCバーゼルで苦戦するシュテファン・リヒトシュタイナーの姿は、その言葉の重みを浮き彫りにする。なぜ、偉大な選手ほど指導でつまずくのか。本稿では「成功する指導者」の条件をひも解いていく。
(文=中野吉之伴、写真=ロイター/アフロ)
ティエリ・アンリが語った「監督に必要な覚悟」
「名選手名監督にあらず」という言葉は、サッカー界のみならずスポーツ業界全般に浸透している表現の一つだ。断っておくが、名選手が名監督になれないわけではない。問題は、なぜそこにズレが生じるのか、だ。
元フランス代表エースのティエリ・アンリはFIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権でそれぞれ優勝、アーセナルではプレミアリーグ4度の得点王など輝かしい選手キャリアを持つ。そんなアンリは現役引退後に指導者としてスタートすることについて、こう語っている。
「選手としてどれだけ有名であろうと、指導者になった瞬間に、自身の誇りを扉の前に置いてこなければならない」
さまざまな監督がさまざまなキャリアを積み、さまざまなチャレンジが積み重ねられ、それが情報としてサッカー界には蓄積されていく。指導者として身を立てる大変さとやり抜くための覚悟の大切さを多くの人がわかっている。それでも実際に実践することの難しさが想像以上になる例も少なくはない。
なぜリヒトシュタイナーは批判されたのか?
ここ最近でいうと、スイスの名門・FCバーゼルで元スイス代表キャプテンのシュテファン・リヒトシュタイナーが監督として苦戦している。ユヴェントスやアーセナルでプレーし、規律と献身を自らが率先して体現するキャプテンだった。そのリーダー精神は指揮官としてもプラスに働くと思われていたが、バーゼルではプレー内容の低迷だけでなく、選手へのアプローチを巡っても批判が噴出しているのだ。
痛烈な批判を行ったのが、クラブOBであり元スイス代表のエルニ・マイセンだ。ある試合中のリヒトシュタイナー監督の振る舞いを問題視し、「誇りあるプロ選手をジュニアのように扱っている」と断じた。21歳のマリン・ソティチェクに指示を出そうとタッチラインへ呼び寄せて話をしていたシーンについてだが、戦術ボードを手に目を見開いて怒鳴り続けている姿が映像にも残っている。
選手の多くは経験に基づく直感的な暗黙知でプレーしていることが多い。トップレベルになればなるほど無意識に正しい判断を下せるが、それを言語化する能力となると別である。一方で監督は、プレー構造を説明し、共有するのが仕事だ。このギャップが、指導現場での摩擦を生む。
ピッチ上で思うようなプレーができていない選手に指示を出すのはもちろん指揮官の仕事の一つ。ただ自尊心を持つプロ選手に対してまるで何もわかっていない人間であるかのように指示を出し、その選手がそれで頭が整理されてプレーが良くなるのならまだしも、戸惑いが増しているように感じるため、ファンも識者も好意的に受け止めきれない。
さらにマイセンは、試合後の記者会見でリヒトシュタイナー監督が「選手たちは試合前に話していたことを何もやらなかった」と公に批判した点を糾弾。チームマネジメントの大切さが謳われている現代サッカーにおいて、このような発言は自らの能力の欠如を露呈しているとも捉えられ、リスクが高い。
なお、これはリヒトシュタイナー個人の人間性の問題というわけではなく、多くの元選手が直面する構造的な課題だ。
ディエゴ・シメオネへの信頼の理由
選手時代のレベルが高ければ高いほど、スタンダードレベルが高めに設定される。「自分ができたことは他人も努力すればできるはず」という前提に立ちやすい。そして、自らが厳しい競争を勝ち抜いてきた経験があるだけに「選手に厳しく接することが成長に欠かせない」という思いが強くなる。するとミスへの許容度が低くなり、時に感情的な指導へとつながりやすい。
もちろん、それがプラスに働くこともある。リヒトシュタイナーがバーゼル監督就任前に指揮を執っていたスイス4部FCベッツビル・ボンステッテンのある選手は「本当に情熱的で、髪先までサッカーが染みている尊敬できる監督でした。要求はすごく高かったですがユーモアのある監督で、時々一緒に入ってプレーもしていました。ピッチ内でも常に全力でプレーしていて、うまくいかないと自分自身にブチ切れていました」と懐かしそうに振り返る。
モチベーションを高めるために厳しい態度をとる監督はほかにもいるし、そしてそれがプラスに働くチームもある。わかりやすい例でいえば、アトレティコ・マドリードのディエゴ・シメオネ監督だろう。
闘犬のごとく感情をむき出しに指示を出す姿はエスタディオ・メトロポリターノの風物詩の一つだ。でもそれがマイナスには受け止められていない。結果が出ているから、だけではなく、それは「この監督の言うことは正しい」と選手が納得する道を示しているからであり、苦しい時に「この監督は守ってくれる」という信頼があるからだ。
「指揮官への信頼は、正直さと、発言の根拠の信憑性、そして一人の人間として自分と向き合ってくれているかが大事だ」と、ドイツの心理学者ヤン・マイヤーが話していた。
リヒトシュタイナーはまだプロサッカーにおける監督キャリアをスタートさせたばかり。その状態で強いリーダーシップを発揮しようとすると、選手側は「なぜそこまで強く言えるのか」という疑問を抱きやすい。選手としての実績や、カリスマ性だけではプロ選手は耳を傾けない。
取材に訪れたグラスホッパー戦で、こんなシーンを目にした。元スイス代表ジェルダン・シャキリを右ウイングで起用し、守備に戻らないことをコーチングゾーンから何度も怒鳴りつけていたリヒトシュタイナー監督の姿に、ファンがブーイングを浴びせる。シャキリは全盛期を過ぎたとはいえ、昨季18ゴール21アシストをマーク。今季も31試合終了時で10ゴール10アシストと数字を残している絶対的なエース。ファンから愛されるそのような選手に対してリスペクトに欠く扱いがあれば、不穏な空気は生まれやすくなってしまう。
ペップとキャリックに共通する“思考力”
では、成功する元選手にはどのような特徴があるのか。その共通項は“思考型プレーヤー”であること。その代表格であるペップ・グアルディオラは、現役時代からゲームを構造的に理解し、言語化できる。「なぜそのプレーが必要か?」「どのように解決策を見出すべきか?」を選手が理解できる言語と表現で説明できるため、指導者としても選手の信頼を勝ち得た。
マンチェスター・ユナイテッドを復調させたマイケル・キャリックも同タイプかもしれない。現役時代、名将アレックス・ファーガソンから「彼はチームをコントロールする選手だ」と評されていたキャリックは、ピッチ上の誰よりもゲームを理解しているプレーヤーだった。
決してリヒトシュタイナーが指導者として失敗するといっているわけではない。これは元選手であるほかの指導者すべてにもいえることだ。選手としての特徴が千差万別であるように、指導者としてのそれも同様だ。
ドイツ人心理学者ローター・リンツが国際コーチ会議でこんなことを言っていた。
「指導者育成の観点から言うと、どの指導者が優れているかで考えるべきではなく、それぞれが良い指導者になるためには、『どこに』、そして『どのように』アプローチするのがいいのかを考えるべきだ」
自信の強みと特徴、そして弱みと課題を理解し、それと向き合う、あるいは補い合えるコーチングチームを結成することでチャンスにつなげていける。
この問題はトップレベルだけに限らない。育成年代においても、選手として優れていた人物がそのまま良い指導者になるとは限らない。むしろ問われるのは、サッカーをどれだけ理解し、それを他者に伝えられるかである。
そしてリヒトシュタイナーの苦戦は、決してスイスや欧州特有の問題ではない。むしろその構造は、日本のプロサッカーにも色濃く存在している。
監督視点から見えてくる、日本の問題点
日本は規律ある組織であることが評価される傾向が強い。選手は真面目で、監督の指示にも従順であることが重要視される。統率の取れたチームに映るが、その内側では別の問題が潜む危険も常にはらんでいる。
監督の要求に対して、選手は本当に理解して「わかりました」と答えているだろうか。そこでプレーの意図や原理までが共有されていないかぎり、ピッチ上では再現性を持たない。想定外の状況が生まれたとき、チームとしての修正力が働かなくなる。
さらにもう一つ見逃せないのが、クラブ構造の問題だ。日本ではまだクラブとしての明確なプレーモデルや補強方針が一貫していないケースも少なくない。この状態では、監督に求める要素もあいまいで、どれだけ優秀な監督であっても持続的な成功を築くことは難しい。
欧州における監督人事から、日本のプロサッカーが参考にできることはたくさんあるはず。表面的ではない確かな信頼関係、戦術と戦略の理解可能な共有化、そしてクラブとしての一貫性。
重要なのは、クラブとしての理念とコンセプトを整理したうえで、どんな資質を持った監督が必要かをしっかりと精査すること、そしてその監督が機能する環境を整えることだと考えられる。
世界的にチームを委ねる監督選びは、誰を呼ぶかではなく、どう機能させるかの時代に入っている。
<了>
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