7度の移籍で「歴代9位」。なぜ“エーコ”小池純輝はJ2で必要とされ続けるのか?

Career
2020.10.30

いまだ8人しか達成していないJ2・400試合出場という大記録に、あと3試合と迫った選手がいる。東京ヴェルディの小池純輝だ。2009年に浦和レッズからザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)に期限付き移籍して以来、12シーズンで7チームを渡り歩いたJ2の“生き字引”であり“渡り鳥”は、いかにしてJ2の舞台で必要とされ、戦い続ける処世術を身につけたのか。高校2年時に学んだ教訓について、そしてプロキャリアで自然と身につけた“3つのサイクル”について、プロとして長く生き抜くその秘訣を語る。

(文=佐藤亮太、写真=Getty Images)

7チームを渡り歩いた“J2渡り鳥”が達成間近の大記録

20年余りのJ2の歴史で8人しか達成していない記録がある。J2・400試合出場だ。ランキング順に見てみよう。

1位:575試合 本間幸司(水戸ホーリーホック)
2位:442試合 中島裕希(町田ゼルビア)
2位:441試合 松下裕樹(元ザスパクサツ群馬ほか)
4位:435試合 倉貫一毅(元ガイナーレ鳥取ほか)
5位:426試合 坂本紘司(元湘南ベルマーレ)
6位:414試合 髙地系治(栃木シティフットボールクラブ)
7位:408試合 上里一将(FC琉球)
8位:407試合 高田保則(元ザスパ草津ほか)

そして現在397試合とこの記録が目前に迫っているのが東京ヴェルディのFW小池純輝だ。

埼玉県比企郡嵐山町出身の33歳。浦和レッズユースから2006年トップチームに昇格。当時の浦和には長谷部誠、鈴木啓太、田中マルクス闘莉王ら日本代表クラスがひしめくなか、小池は出場機会を求め、2009年、ザスパ草津(現在のザスパクサツ群馬)へ期限付き移籍。

ここからJ2渡り鳥が始まる。翌2010年に水戸ホーリーホック、2012年に東京V、2014年に横浜FC、2016年にジェフユナイテッド千葉、2017年に愛媛FCに期限付き移籍、そして2019年から再び東京Vと7チームを渡り歩いた。

小池は昨季40試合に出場し、キャリアハイの16得点をマーク。2度のハットトリックを達成した。将来性のある若手が在籍するなか、今季も主力としてここまで28試合に出場し7得点を挙げている。

小池の特長は裏のスペースに抜ける動きとシュートコントロールの精度の高さ。そしてFW、両MF、両サイドバックと多くのポジションをこなせる万能性だ。これまでのキャリアでわかるように、小池は長く1つのクラブに在籍する、いわゆるバンディエラではない。個人タイトルを獲得したことも日本代表に選ばれたこともない。

「じゃあ、自分には何がある?」。そう問い続けた高校2年時

ではなぜ小池は息の長い選手になれたのか?

この質問に小池は「そもそもたどっていくとプロになる前にターニングポイントがあった」と浦和レッズユースに所属した高校2年時のことを語り始めた。

三浦知良に憧れた小池少年は地域のクラブで頭角を現し、中学3年時に埼玉県選抜入り。これが認められ、高校入学とともに浦和レッズユースに加入。プロ志向が強い小池は高1でトップチームの多くが参加するサテライトリーグで帯同を許された。ここまで順風満帆だったが、高2になり、突然、出場機会を失い、メンバー入りすらできなくなった。

「このまま頑張っていけば、プロになれる。そう思い描いたものと試合に出られない自分にギャップを感じていました。当時はメンタルが幼くてサッカーが面白くないと、学生生活自体も面白くなかったです」

脳裏に浮かぶのは「こんなプレーもできない自分はプロになれない」「あいつが呼ばれているのに自分は呼ばれない。だから、プロになんてなれっこない」。ライバルの活躍を尻目に自分をおとしめるネガティブな感情が心のなかに渦巻いた。一方で、「どうすれば試合に出られるか?」「監督に評価されるのか?」も考えた。

「じゃあ、自分には何がある?」。そう問い続けた。

相手の背後を突くランニング。そして精度の高いシュートコントロール。この2つの特長をより意識してプレーしようと心に決めたが、それでも出場時間が増えることはなかった。

原点回帰。浦和レッズユースの絶対的エースへ

小池に転機が訪れたのは高3になる直前。当時、浦和ではトップチームに昇格できるかどうか高3の夏までに決まる。「あと半年で自分の将来が決まるのかぁ」。そうボンヤリ考えていると、ふと自分はなぜサッカーをしてきたのかと自問自答し始めた。

「あんなにサッカーが楽しかったのに、『こういうプレーができないとプロになれない』とプロになることにとらわれすぎていた。でも、『いままで楽しいから続けてきたじゃん!』って思うようになったんです。だから、あとの半年、思い切って楽しくやろうと。いま思うと原点回帰の瞬間でしたね」

周りの声、周りの評価ばかりが気になるあまり、自信を失う。そうしたネガティブな感情から解放された。その効果か、高3になってから面白いように結果が出るようになった。この年の4月から7月に開催されたJFAプリンスリーグU-18関東2005。Bグループの浦和レッズユースは帝京高校、前橋育英高校、横浜F・マリノスユースら強豪9チームと対戦し、8勝1敗。小池は8ゴールを挙げた。そして運命の夏。活躍が認められた小池は夏休みを利用して1カ月間、トップチームでの練習参加を許され、サテライトリーグにも出場するようになった。

当時の小池について同じく浦和レッズユース出身で同学年の宇賀神友弥は「あいつがいれば点を決めてくれる絶対的エース」と称えるほどだった。そして2005年11月15日、晴れてトップ昇格の内定がクラブから発表された。

自身が苦しみ一番悩んだ高2で学んだ、「自分の特長を意識してプレーすること」、「他人ではなく自身にベクトルを向けること」、そして「いまを楽しむこと」。

この原体験がプロ4年目から生かされることとなる。

プロとして長く生き抜く「3つのサイクル」

「エーコ、後ろできるか?」

2009年、J2開幕戦翌日の3月8日。小池はザスパ草津・佐野達監督(当時)に声をかけられた。これまでFWと右サイドMFはやったことはあるがサイドバックはほとんど経験がない。しかし小池は試合出たさに「できます!!」と即答し、次節アビスパ福岡戦、左サイドバックで先発出場を果たした。

「もしポジションにこだわっていたら、こんなに長く続けてこれなかったと思いますし、とにかく試合に出たかった。だから、ポジションのこだわりは全然ありませんでした」

この試合がJ2デビュー戦となった。

それから12シーズン。振り返ると、小池はレギュラーとして1年通してプレーできた年はほとんどない。

試合に出られない間、小池は「大事なのは試合に出ていないとき、何をするか」と食事を変えたり、気がついた課題を意識的にトレーニングに取り入れ、試行錯誤を繰り返した。これはプロ選手であれば皆やっていることだが、長く続けばどうしても気持ちは腐ってしまうもの。当たり前なようで、なかなかできない。

こうして小池は、自然にJ2を生き抜く処世術を身につけた。

まず「自分の特徴・特長を知る」。それを「周りに伝える」。さらに「磨く」。

「知る→伝える→磨く」
この3つをサイクルとして続けることだ。

「まず自分のプレースタイル、武器は何かを考えます。そして、その特長を周りに伝えます。移籍が多かったぶん、対戦相手としてチームメートはわかってくれている部分はありましたが、裏に走るタイミングを繰り返して伝えました。チームメートに自分を知ってもらった上で、さらにプレーを磨くことで自分の武器が明確になっていく。この3つを循環させていくんです」

コミュニケーションをベースにした、このサイクルが結果として選手寿命を延ばし、多くのチームでプレーできる要因の一つとなった。

ファン・サポーターとのコミュニケーションも力に

コミュニケーションについて、小池はこんなエピソードも聞かせてくれた。

「高校生のときからあだ名はエーコなんですが、新しいチームに行ったとき、『エーコって呼んでください!』と自己紹介するんです。由来は小池栄子さんからなんですが、最近は『狩野英孝じゃないの?』って言われるようになりました(笑)。“つかみ”ではないですが、そこからコミュニケーションが生まれます」

彼のコミュニケーションはチームだけでなく、ファン・サポーターにも向けられている。小池は2010年9月にTwitterを開設。サポーターとの接点、興味を持ってもらうキッカケを多くしようとTwitter、Instagram、YouTube、Tiktokを駆使し、情報発信とともに交流している。

「いろんなクラブでプレーしましたが、その土地、その土地の良さ、人とのつながり、応援してくれた人々は僕にとって財産です。(かつて在籍した)相手チームのサポーターも僕のことを気にしてくれて、『対戦を楽しみにしています』とコメントをくれます。やっぱり良いプレーを見せたいと自然とモチベーションも高くなります」

ゴール裏の応援、そして練習場でかけられる声だけでなく、SNS空間で交わされるファン・サポーターのコメントも力になっている。

小さな成長で大きな結果を。「考動」で目指すJ1の舞台

プロ生活15年を振り返り、最近、小池は「成長の定義とは何か?」を考えるという。いままでの経験から弾き出した答え、それは「考えて動く」こと。小池は「考動(こうどう)」という造語で表現する。

「成長で得られた結果より失敗から学んだことが多くありました。失敗してすぐにやめてしまうんじゃなくて、どうすればいいか考える。たとえうまくいかなくても必ず前に進んでいます。小さい成長をたくさん集めることで得られたことで大きな結果になると思うんです。それに成長=結果としてしまうと息苦しくなり自分を追い込んでしまいます。去年、活躍したとき、多くの記者さんから『何が変わったのか?』とか『どういう練習をしたのか?』って聞かれましたが、そうした感覚はまったくないんです。小さな成長をかき集めたものが、たまたま数字に出たという感覚。だから試合数だって同じなんです」

歴代9人目の記録。小池はJ2の生き字引といっても言い過ぎではない。このまま順調に試合数を重ね、記録を伸ばすことも貴いが、あくまで目指すのはJ1の舞台だ。

「J1での出場が4試合なので、もっとJ1でプレーできるよう、今年昇格したい。昇格して、埼スタ(埼玉スタジアム2002)に行って、ウガ(宇賀神友弥)とマッチアップできたら、これ以上のことはないでしょう」

小池はそう言って笑った。

<了>

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