[浦和レッズ外国籍選手ランキング]MVP&得点王獲得のエメルソンを抑えての1位は…
過去20年間、浦和レッズで最も成功した外国籍選手は誰なのか? そこで今回は、独自の視点から2000年代に浦和に在籍した外国籍選手を5つの項目によってランキング。【出場試合数】【得点数】【個人タイトル数】の3項目の客観的データと、【インパクト】【人気】の主観的な2項目を取り上げ、長年浦和を取材する佐藤亮太氏が格付けした。もちろん、ここで紹介する項目だけで本当の意味での“成功”が決まるわけではないが、かけがえのない時間を共に過ごした選手たちへ思いをはせ、熱い気持ちを再びかき立てるきっかけになると幸いだ。
(文=佐藤亮太、写真=Getty Images)
公式戦出場試合数1位はやはりポンテ。意外な2位は…
【公式戦出場試合数】
1位:ポンテ 177試合
2位:エジミウソン 137試合
3位:エメルソン 127試合
4位:マルシオ・リシャルデス 115試合
5位:ズラタン 97試合
国内大会の公式戦(リーグ戦、リーグカップ、天皇杯の合計)出場試合数の1位はやはりMFポンテ。2位は意外といえば意外だが、忘れてはいけないFWエジミウソン。2008年にアルビレックス新潟から加入。2011年6月、クラブの事情に伴い、カタールリーグに移籍。いわゆる黄金期に活躍した選手に注目が集まる中、ポンテとともに苦しい時期をけん引した点取り屋だった。ただエジミウソンには実父が来日すると得点が取れないというジンクスがあった。ホームゲームはもちろん、毎日のように練習見学をしていた実父の前で得点できなかったのは心残りだったはずだ。
3位・FWエメルソンに続き、4位はエジミウソンと同じく新潟から加入したMFマルシオ・リシャルデス。印象に残るのは2013シーズン第21節の大分トリニータ戦。1-3の劣勢で迎えた後半2分、マルシオのフリーキックで1点差とし、逆転の足掛かりとなった。そして5位は、ライバル・大宮アルディージャからの禁断の移籍後、4シーズン在籍したFWズラタンと続いた。
【公式戦得点数】
1位:エメルソン 94得点
2位:エジミウソン 59得点
3位:ワシントン 54得点
4位:ポンテ 42得点
5位:トゥット 28得点
国内大会の公式戦得点数はぶっちぎり、文句なしの1位は94得点のFWエメルソン。2位はまたしてもエジミウソン。3位は意外に2006シーズン得点王のワシントン。もう少し得点を積み上げていたイメージもあったが、ただ、よく見るとワシントンは60試合で54得点と驚異的な決定力。決めるべき時に決める。ストライカーの矜持を見せつけた。当時、ゴールの秘訣を聞くと「練習あるのみ」と笑ったワシントン。品行方正。真面目を絵に描いた人格者だった。
【個人タイトル数】
エメルソン:2003年最優秀選手賞、2004年得点王
ワシントン:2006年得点王
ポンテ:2007年最優秀選手賞
最もインパクトの強い選手は“悪童”エメルソン
【インパクト】
1位:エメルソン
悪童。辞書には「いたずらや乱暴をし、またませている子ども」と出てくる。決して粗暴でなく、子どもでもない。しかし、この言葉のイメージからはしっくりくる、それがFWエメルソンだ。浦和がJ2で戦った2000年。コンサドーレ札幌にいたエメルソンにやられっぱなし。2001年、川崎フロンターレを経て、この年の8月、浦和に加入。群を抜いた速さとうまさで公式戦127試合に出場し、92得点をたたき出した。2002年Jリーグヤマザキナビスコカップ(現・JリーグYBCルヴァンカップ)では準優勝。翌2003年には雨の国立競技場でナビスコカップ優勝を果たしてクラブに初めてのタイトルをもたらし、2004年はJリーグ・2ndステージ優勝。ここから浦和は黄金期への一歩を踏み出した。
エメルソンがもたらしたのはゴールだけでない。2002年に加入した坪井慶介。当時、紅白戦ではマッチアップがエメルソンになることが多かったという。あの速さ、あのうまさ、そして何をするかわからない意外性。「エメルソンを抑えられれば、どんなFWだって止められる、そう思った」(坪井)。スピード勝負のルーキー坪井にとってエメルソンはプロとして通用できるかの試金石であり、教科書だった。坪井が18年間、現役を続けられたのはエメルソンとのマッチアップがあったからこそだ。
そんな中、エメルソンに取りざたされたのが日本への帰化。「エマーソン(エメルソン)はいつ帰化するんだ」とフィリップ・トルシエ監督も熱望した。本人も乗り気だったはずだったが実現しなかった。このエメルソン帰化について、以前、チーム関係者に聞いたことがある。エメルソンは帰化のために必要な面接を受けるべく外務省に出向くはずだったが、直前になり歯痛などを理由に3度、キャンセル。結局、この話は立ち消えになった。
またエメルソンといえば、新しいシーズンに向けて準備する大事な時期、チームに合流せず、クラブ、メディアをやきもきさせた。「いつ来るのか」「どこまで来ているのか」毎日のように確認の囲み取材が行われ、当時の森孝慈GMが困り顔で対応していたことが思い出される。“悪童”のイメージはこのあたりから想起された。極めつけは2005年7月、中東カタールへの完全移籍だ。筆者が初めて知ったのはクラブリリースではなく、インターネットに掲載された数枚の写真画像だった。花がまかれた、赤いじゅうたんをさっそうと歩く姿。そして真新しいユニフォームを着て、スタジアムでリフティングをする様子だ。はじめはいたずらかと思った。しかし、まぎれもない事実だった。
「シャルル・ド・ゴール(空港)まではいたんだ。でも日本じゃなくて、カタールに行ってしまったんだ」
事の顛末を森GMは悲痛な表情で説明した。移籍の理由について、エメルソンは一族郎党を養わなければならない、そのためにはお金が必要とも説明した。思えば、中東のクラブが世界で活躍する選手たちをかき集めるようになったのはちょうどこの時期からだった。“悪童”エメルソンは記録ともども記憶に残る選手だった。
フェイスガードを装着し、空中線に挑む“サムライ”マリッチ
【インパクト】
2位:マリッチ
エメルソンに続く、インパクトを残したのがFWマリッチ。2005年7月、ドイツからポンテと共に浦和に加入。東欧系典型のシュッとした端正な顔立ち。長髪を後ろに束ね、キュッと結んだ風貌から“サムライ”と呼ばれた。
マリッチはナビスコカップ準々決勝・清水エスパルスとの第2戦で公式戦初先発。加入間もないことから周囲との息が合わず、得点の気配すらなかった。早々に結果を出し、主軸となりつつあったポンテが活躍する中、マリッチは出場4試合目のJ1リーグ第21節・名古屋グランパス戦で初ゴールを挙げた。
だが、マリッチはゴールだけでは満足しないサポーターをも認めさせた。キッカケは加入5試合目の出場となったナビスコカップ準決勝・ジェフユナイテッド千葉との第1戦。前半早々だったと記憶しているが、競り合いの際、相手選手の肘がマリッチの顔面に入り、負傷。前半終了とともに交代した。マリッチは頬骨の陥没骨折。手術を受け、全治3週間の診断を受けた。復帰後、痛さに耐えながらプレーを続け、しばらくフェイスガードを装着したが、恐怖をいとわず、前線で空中戦に挑む。プレーから醸し出されるチームへの忠誠心。浦和サポーターの琴線に触れる戦う姿勢を、身をもって示した。
そのご褒美か、10月になりゴールラッシュ。第27節・柏レイソル戦でのハットトリックを皮切りに量産。リーグ13試合8ゴール。さらに天皇杯では5試合で6得点。清水との天皇杯決勝では2005シーズンを締めくくる決勝点を決め、優勝。天皇杯はマリッチの、マリッチによる、マリッチのための大会となった。
マリッチは、その去り際もまた語り草となった。優勝翌日の2006年1月2日。朝7時頃、突然、知人から電話があった。
「いいんですか?大原にいなくて。いま、とんでもないことになっていますよ」。聞けば、契約が切れ、日本を離れるマリッチを送り出すため、早朝の大原サッカー場にサポーターが集まっているという。わずか半年間の在籍。ここまで惜しまれつつ、浦和を、日本を離れた選手はほかにいない。マリッチは風とともに去った。
2度目のACL制覇の立役者、ラファエル・シルバ
【インパクト】
3位:ラファエル・シルバ
マリッチが「天皇杯男」なら、「2度目のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝」の立役者が2017年、新潟から加入したラファエル・シルバだ。ラファエル・シルバはリーグ戦25試合12ゴールとまずまずの数字な一方、ACLでは11試合9得点と結果を残した。ゴールパフォーマンスの敬礼ポーズはおなじみだった。
印象的なシーンはACL決勝・アルヒラルとの第2戦。0-0で迎えた後半43分、決勝ゴールを決め、浦和が2度目のアジア制覇を果たした。このゴールには逸話がある。試合終盤、彼の両足は動かず、まさに疲労困憊だった。そんな彼をライン際で勇気づけたのがロドリゴ・シモエス通訳(現・V・ファーレン長崎通訳)だった。「あの時、地面に膝をつくくらい疲れていたラファを抱き起しながら『もうひと踏ん張り、頑張れ』と励ました。そして生まれた決勝点だからこそうれしかった」。
ロドリゴ通訳はピッチ内外関係なく、彼を含めた外国籍選手をサポートしてきた。常に自分の用事は後回し。電話一本かかれば、時間に関係なく駆けつける。その理由はただ一つ。一日でも早く選手がチームの一員として認められ、少しでも活躍できるプレーをしてもらうため。このゴールはそんな通訳冥利に尽きた瞬間だった。しかし、この値千金のゴールがラファエル・シルバにとって浦和での最後の得点となった。
思い出すことがある。この年、彼の「背番号8」のユニフォームを着たサポーターを多く見かけた。新加入選手を安易に認めない厳しい目を持った浦和サポーター。それだけに少々奇妙に思い、サポーターに聞いてみると、「期待の表れとともに、愛情をユニホームに込めることで近い将来に確実にあるだろう移籍を思いとどまらせる」。その意思表示だと聞いた。しかし、その思いは届かず、翌年、中国リーグへの完全移籍が決まる。
この年、浦和はミハイロ・ペトロヴィッチ監督の長期政権に7月末で終止符が打たれ、代わって堀孝史コーチが監督に就任した転換期となった。その中で、ラファエルシルバの活躍は特筆に値するものだった。
得点を重ねたファブリシオのケガがなかったら…
【インパクト】
4位:ファブリシオ
2018年。成績不振を理由に堀監督が契約解除。大槻毅代行監督を経て、4月下旬、オズワルド・オリヴェイラ監督が就任した。監督が代われば戦術も変わるのはサッカー界の常。これまでの90分間、攻め続けるアクションサッカーから強靭なフィジカルをベースにした堅守速攻へ。そのタイミングで加入したのがFWファブリシオだった。
この補強が的中した。加入2試合目の第18節・サンフレッチェ広島戦でゴールを挙げると、翌節・川崎戦でもゴール。第22節・ジュビロ磐田戦ではハットトリックと得点を量産。中央をとんがらせたヘアスタイルがウルトラマンに似ていることから、ゴールパフォーマンスで必殺技スペシウム光線を披露。混戦模様のリーグでの上位進出への足掛かりとなり、その後も得点を重ねるなど勢いが止まらなかった。しかし、好事魔多し。第25節・セレッソ大阪戦、前半8分で負傷交代。左膝前十字靭帯損傷・内側半月板損傷。全治7カ月の診断とシーズンをまたぐ大ケガとなった。
このシーズン、浦和は一時は17位だった順位を最終的に5位へと持ち直し、天皇杯優勝。目標のACL出場権を手にしたが、ファブリシオのケガがなかったら、さらに順位を上げられたかもしれない。
クラブの迅速な補強が光ったDFネネの獲得
【インパクト】
5位:ネネ
ネネは浦和が黄金期にさしかかった2004年8月に加入。インパクトはそのプレーとともにクラブの迅速な補強にある。加入のキッカケは同年7月、日本代表に招集された坪井慶介が試合中に左ハムストリングの腱および筋肉断裂の大ケガを負い、長期離脱を余儀なくされたことにある。2ステージ制のこのシーズンの1stステージでの最終ラインは坪井に田中マルクス闘莉王、ベテラン内館秀樹の3人。坪井の不在は大きな痛手だった。
手薄になったDF陣を埋めるべく、クラブが動いた。その中で、ブラジルやドイツの名門クラブでプレー経験がある29歳ネネに白羽の矢を立てた。長身を生かして空中戦を制し、スピードにも長けていたネネ。2ndステージは闘莉王を中心にトルコ代表DFアルパイ、そしてネネという強力な最終ラインを形成。ステージ優勝に貢献した。戦力ダウンの危機を補強で補った。その迅速さ、コネクション、支払えるだけの資金。強くなろうというクラブの意志が感じられたネネの補強だった。
浦和をこよなく愛し、浦和に愛された男
【人気】
1位:ポンテ
ゴールを決めるとエンブレムを掴んで真っ先にゴール裏に向かう。
あのポンテの姿はいまだ脳裏に鮮明に残っている。
2005年7月。突然、中東に移籍したエメルソンに代わる人材としてドイツ・ブンデスリーガのレバークーゼンから加入。当時の指揮官ギド・ブッフバルト監督のお墨つきとあって期待されたが、一線級の選手が必ずしも活躍できないのがJの舞台。しかしポンテはそうではなかった。リーグ戦初出場した第19節・FC東京戦で加入後初ゴール。2007年にはJリーグベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞を獲得。リーグ戦、天皇杯、ACL。いずれの優勝にも、そして黄金期を過ぎ、監督交代、若手への切り替え。戦術の大幅な変更などチーム変革期に伴う苦しい時期にもポンテはいた。
そんなポンテとも別れの時がきた。2010シーズンをもって契約更新しないことが発表された。「感謝の気持ちを伝えたいんだ。すべてのメディアのインタビューに応えるよ」。殺到したインタビューの最後が筆者だった。インタビューでは浦和での5年半の話、幼い頃に両親を亡くして親代わりになって育てた兄の話、そして、いまいる選手への提言などがあった。その中で印象に残っている言葉がある。ひと通り話し終えた後、ポンテはこんな言葉を残した。
「この街の人は僕を一人の人間として扱ってくれる。だから好きなんだ。浦和という街が」
思えばJR浦和駅近くでポンテを見かける、そんな目撃情報をしばしば耳にした。筆者も何度も目にした。行きつけのイタリア料理店からの帰りだったろうポンテの傍らには決まって、当時、付き合っていたいまの奥様がいた。ポンテは街の風景に溶け込んでいた。
またこんな光景を目にした。通りすがり、ポンテを見つけた親子連れがそろって手を振る。それに振り返す。聞けば、街中で執拗にサイン、写真をねだられたことはほとんどなかったという。ピッチでは選手として、そしてピッチを離れれば一人の人間として見てくれる。そんな空気がこの街にあった。
ポンテ以前にも同じく浦和の心地よい空気を感じた選手がいた。
1997年7月から1999年まで所属。FCバルセロナなどでプレーしたチキことMFアイトール・ベギリスタイン。スペインではあまりの人気でサイン責めは日常茶飯事。その場がパニックになるほどだったという。しかし、浦和では一人で電車に乗っても声をかけられることはなく、一人の人間として見てくれていると感じたという。浦和の街にはそんな心地よい空気、見守る文化が変わらずあることがわかる。
インタビューでポンテはこう締めくくった。
「一人ひとりのサポーターに心から感謝したい。この5年半、戦ってきた中で、難しい時期もあり、イライラが爆発することもあったが、それは逆にみんなが一丸となる時でもあった。私は一生、サポーターを忘れません」
浦和をこよなく愛し、浦和に愛されたポンテ。
この相思相愛は永遠に続く。
【総合順位】
1位:ポンテ
2位:エメルソン
3位:ワシントン
4位:エジミウソン
5位:マリッチ
【番外編】哀愁のエジムンド
最後にこれまで紹介した外国籍選手以外の忘れられない選手を一人取り上げたい。
2003年、東京Vから加入。ブラジル代表経験があり、ブラジル、イタリアで活躍したワールドクラスのFWエジムンド。チームの主軸として期待されたが、シーズン早々に退団し驚かされた。“野獣”のニックネームで知られるエジムンドだが、普段は粗暴といわれるような振る舞いはなく、むしろ繊細さと寂しさを抱えていたように見えた。
ある日、ブラジルのメディアとおぼしき女性記者が練習場に来た際、エジムンドはその記者と長く話し込んでいた。はた目にはインタビューに見えたが、テレビカメラや録音機材はなく、その記者がメモを取る様子もなかった。エジムンドはいまの心情、状況を同胞である彼女に吐露していたのかもしれない。
思い返し、そう推察できたのは退団が発表された直後の会見。森孝慈GMは自身がエジムンドの自宅に行った際、「部屋は薄暗く、とても殺風景だった」と明かし、誰にも相談できない、そんな寂しさがあったのかもしれないという趣旨の話をした。たとえ一流選手でも寂しさには勝てなかったといえる。エメルソンとの共演が楽しみだっただけに本当に口惜しい。
<了>
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