コンサドーレ札幌は「至高の敗者」だった。野々村社長が見据える、ルヴァン決勝の死闘の先

Opinion
2019.11.01

2019年10月26日は、北海道コンサドーレ札幌を愛するすべての人にとって、忘れ難き一日となるであろう。歴史に残る名勝負となったYBCルヴァンカップ決勝。クラブ社長の野々村芳和氏は、死闘の末に見た光景に何を感じたのか? その想いは必ずや、コンサドーレの未来へとつながっていくに違いない――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

野々村芳和が夢にまで見た光景まであとわずかだった……

天国か、それとも地獄か。歓喜の雄叫びをあげるのか、それとも奈落の底に突き落とされるのか。川崎フロンターレとの雌雄を決する瞬間を、北海道コンサドーレ札幌を運営する株式会社コンサドーレの代表取締役社長兼CEO、野々村芳和氏は直視することができなかった。

正確に言えば、延長戦を含めた120分間を終えても3対3のまま決着がつかず、もつれ込んだPK戦の5人目までは埼玉スタジアムのピッチ脇にいた。先攻のフロンターレの4人目、DF車屋紳太郎の一撃がクロスバーに弾かれ、対するコンサドーレは4人全員が成功させていた。

5人目のDF石川直樹が決めれば、YBCルヴァンカップを手にすることができる。クラブが創立された1996年以来、国内三大タイトルの一つを初めて手にすることができる。夢にまで見た光景が現実のものになった瞬間に、真っ先にピッチへ飛び出していこうとスタンバイしていた。

しかし、心臓の鼓動がいよいよ高鳴ってきたなかで視界に飛び込んできたのは、あまりにも無情なシーンだった。ゴール左隅を狙った石川の一撃は、完璧な反応を見せたフロンターレの守護神、新井章太に弾き返されてしまう。サドンデスに突入した瞬間に、野々村社長はピッチにきびすを返した。

「ロッカールームに戻りました。ロッカーにもテレビがあるので、そこで見ようと。外しちゃった選手があまりにかわいそうで、もう見ていられなかった。PK戦はやめたらいいんじゃないかと思ったほどですから。僕の仕事は試合前で終わっている、あとはミシャさん、頼みました、と」

思いを託されたミシャことミハイロ・ペトロヴィッチ監督も、ベンチ前でコーチ陣や選手たちと肩を組んでPK戦を見守っていた。しかし、いざコンサドーレの選手が蹴る直前には、はるばる北海道から駆けつけたサポーターで埋め尽くされていた、PK戦とは反対側のゴール側へ視線を向けている。

47歳の野々村社長を、そして62歳のペトロヴィッチ監督を背けさせたPK戦は、6人目で突然の終焉を迎える。フロンターレのMF長谷川竜也がしっかりと決め、重圧が増幅されたなかで放たれたDF進藤亮佑のやや左寄りの一撃は、右へステップを踏んだ新井の正面を突いてキャッチされてしまった。

死闘を終えた両チームのコントラストが、ピッチ上で明確に分け隔てられる。しかし、勝利の女神が微笑みかけたコンサドーレを、ただ単に「敗者」の二文字だけで表現するのはあまりにも忍びない。至高のグッドルーザーと呼ぶべきだろうか。歴史に残る名勝負は、コンサドーレに何をもたらすのか。

悔しさとうれしさ、両方の想いが胸に湧いた

「クラブの社長の立場からしたら、勝たせてあげられなかったのはめちゃくちゃ悔しいですよ。クラブの力の差は戦う前からわかっていたことだけど、そうした差をしっかりと埋める戦いを演じてくれた現場の選手たち、監督は本当に素晴らしいと思っているので」

試合後の取材エリアに姿を現した野々村社長が、胸中に募らせる本音を明かした。クラブとして初めて臨んだ決勝戦の舞台で、持っている力をすべて出し尽くした。ペトロヴィッチ監督以下の首脳陣、そして選手たちを心からねぎらいながら、もう一つの立場の自分が試合そのものを称える。

「日本サッカー界に携わってきた立場から考えると、多くの方々が喜んでもらえるようなゲームをファイナルで見せることができて、そのうちの1チームがコンサドーレだったことはうれしいことだと思います。コンサドーレの歴史を考えたら、こんな場所であんなゲームができる、となかなか思えなかった時期もあったので。その意味でもよかったとは思うけど、でも勝ちたかったなあ」

キックオフ前の時点で、公式戦におけるフロンターレとの対戦成績は1勝5分18敗と大きく負け越していた。ルヴァンカップの前身となるヤマザキナビスコカップ予選リーグで、フロンターレから唯一の白星をあげたのが2008年3月。当時を知る現役選手は、2010シーズンから「10番」を託されてきた精神的支柱、キャプテンのMF宮澤裕樹だけになってしまった。

しかし、ボランチとして攻守の要をも担う30歳の宮澤は、けがで無念のスタンド観戦を余儀なくされた。迎えた決勝はしかし、コンサドーレの咆哮で幕を開ける。キックオフからわずか10分。東京五輪世代の21歳、左ウイングバックの菅大輝が積極果敢な攻撃参加から豪快なボレーを叩き込んだ。

前半終了間際にMF阿部浩之、88分にはFW小林悠にゴールを決められ、逆転されて迎えた後半アディショナルタイムの5分。最後のプレーとなった右コーナーキックに、3度に及ぶ膝の前十字じん帯断裂を乗り越えてきた24歳、MF深井一希が完璧なタイミングでヘディングを見舞う。

劇的な同点ゴールとともに突入した延長戦の99分には、ゴール前約17mの位置からDF福森晃斗が鮮やかな直接フリーキックを一閃する。深井のゴールもアシストしていた、現時点の日本サッカー界で最も精度の高いキックを左足に搭載する26歳が、生中継されていた地上波を介して自身の存在感、そしてコンサドーレの強さを全国へアピールした。

しかも直前には、タイ代表MFチャナティップのドリブル突破をファウルで止めたDF谷口彰悟に提示されたイエローカードが、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)判定の末にレッドカードへと変わっていた。守備の要を失ったフロンターレに追い打ちをかけるように、谷口のファウルで与えた直接フリーキックをフロンターレ出身の福森が決めてみせた。

勝利へのシナリオが完成した、と思われたなかでフロンターレも執念を見せる。数的不利が関係ないセットプレーに狙いを定め、延長後半109分にMF中村憲剛が放った左コーナーキックの折り返しを、またもや小林が右膝のあたりで泥臭く押し込んだ。もつれ込んだPK戦を制し、5度目の挑戦で、天皇杯を含めれば実に6度目となるカップ戦決勝で、初めて勝利の雄叫びをあげた。

「北海道とともに、世界へ」を掲げて走り続けてきた7年間

「(フロンターレは)そんなに負けているの? それくらい(決勝で)負けないと、勝てないのかな」

フロンターレの歴史をあらためて知り、思わず苦笑いを浮かべた野々村社長は、現役生活をコンサドーレで終えたOBでもある。岡田武史監督(当時)のラブコールを受けて、ジェフユナイテッド市原から2000シーズンに移籍。J1への昇格および残留に貢献し、2001シーズンをもって29歳で引退した。

その後は北海道サッカー界の活性化に奔走してきた野々村氏と、コンサドーレの距離が再び縮まったのは2013年だった。元日付で顧問に就任し、取締役を経て、3月にはOBで初めて代表取締役社長に就いた。同時に掲げたチームスローガンは今シーズンも、そしてこれからも変わらない。

「北海道とともに、世界へ」

前年の2012シーズンでJ1の最下位に終わったコンサドーレは、連勝なし、アウェイ13連敗、勝ち点14、年間28敗、総失点88、得失点差マイナス63と、18チーム体制におけるJ1ワースト記録を軒並み塗り替える屈辱を味わわされていた。しかも、7試合を残す史上最速で、しかも史上初となる9月中のJ2降格決定を味わわされた相手がフロンターレだった。

2008シーズンに続く1年でのJ2降格。逆風にさらされるなかで、野々村社長は地域へより密着し、将来的にビッグクラブとなる夢を込めて「北海道とともに、世界へ」と定めた。約528万人を数える北海道の人口と照らし合わせれば、広大な大地に無限の可能性が眠っていると信じて疑わなかった。

具体的な数字目標としていまだにどのJクラブも達成していない、営業収益100億円を掲げた。就任時の営業収益は10億7100万円だったが、Jリーグ側から開示されている最新の2018年度の経営情報では29億8800万円へ大幅にアップしている。連動するように、年俸などの合計となるチーム人件費も3億5900万円から15億200万円に増えている。

クラブ創立20周年を迎えた2016年には、ホームタウンを札幌市から「札幌市を中心とする北海道」に変更。チーム名称にもコンサドーレ札幌の頭に「北海道」を加えて、博報堂DYメディアパートナーズとクラブビジネス戦略パートナーズ契約を結び、成長戦略を推し進めてきた。

そして、毎年増える強化費はトップチームの補強だけでなく、アカデミーにも先行投資されてきた。フロンターレとの決勝では23歳の進藤、菅、深井、そして26歳のMF荒野拓馬と4人のU-18出身選手が先発。ゴールを決めた菅と深井は、ともにU-12から心技体を磨いてきた。野々村社長が言う。

「そこはよかったと思っている。僕としてはこの先もっと強くなっていくとしても、北海道出身の選手たちが、レギュラーでピッチに立っているようなクラブにしたいと思っているので。現段階ではうまくチームはつくれているのかな、と」

昨シーズンまで在籍したMF稲本潤一(現SC相模原)、今夏までプレーしたMF小野伸二(現FC琉球)の黄金世代も、パフォーマンスだけでなく無形の財産を発展途上のクラブに残してくれた。特に小野に関しては技術とセンスの高さを称賛したうえで、野々村社長はこう言及したことがある。

「みんな伸二みたいになりたいと思ってサッカーをしている。ところが、本当の意味での伸二のうまさを間近で見て、すごさを知った若手の何人かは、伸二が持っていないモノで勝負しようと考えるようになった。伸二に憧れることとはまた別に、伸二にはなれないから『僕はこの道で勝負する』という選択肢を、20歳を過ぎた段階の彼らに与えてくれたことが何よりもよかった」

野々村社長が目を細めた「彼ら」とは、うまさに泥臭さと献身的な姿勢を融合させ、ダブルボランチを組むようになった深井と荒野だった。昨シーズンにはサンフレッチェ広島、浦和レッズで攻撃的なサッカーを志向してきたペトロヴィッチ監督を招へい。野々村社長はチームにこんな檄を飛ばしている。

「新たな景色を一緒に見よう」

新たな景色とは残留を決めたJ1でさらに上位へ進出することであり、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得することであり、まだ見ぬタイトルを手にすることとなる。チームスローガンの「北海道とともに、世界へ」を実践していくうえでの一里塚であり、昨シーズンのJ1ではクラブ最高位の4位へと躍進した。

クラブが順調に大きくなるなかでの成長痛

迎えたルヴァンカップ決勝。クラブの歴史を変えるアニバーサリーにしたいと望んだ野々村社長は、ベンチ入りできなかった選手、通常は遠征に帯同しないスタッフ、クラブの職員全員で埼玉スタジアムへ乗り込んだ。総勢で100人近くに達した大移動に、試合後はコンサドーレの未来を重ね合わせた。

「同じような試合ができたときに、今度は勝てるように。どこのクラブも頑張っているから簡単なことじゃないし、いま現在のクラブ力で本当によく頑張ったと思っているけれども、コンサドーレとしてもっと、もっと大きくならなければいけないので」

実際に戦った選手や、ベンチで声をからした選手だけではない。スタッフやクラブ職員を含めて、コンサドーレに関わるすべての人間が共有した「悔しさ」が、さらなる成長への糧になる。何よりも目の前で狂喜乱舞したフロンターレが、いつしか貼られたシルバーコレクターというレッテルを闘志に変えながら、強豪クラブへと変貌を遂げてきた。

死闘の余韻が残る試合後の取材エリアでは、中村とともに何度も悔し涙を流してきたフロンターレのキャプテン、小林がこんな言葉を残している。

「すごくうれしい反面、自分たちもかつてはああだったと思うと複雑な気持ちになったというか。展開的には札幌が勝ってもおかしくなかったし、だからこそ悔しさは大きいと思うので。ただ、その悔しさが人を強くするし、自分たちもそうして強くなってきた。お互いにまた成長していければ、と思います」

中村もまた野々村社長の元へ駆け寄り、真っ向勝負を挑んでくれた120分間への感謝の思いを込めて「札幌はこれからですから」とエールを送っている。苦笑しながら「わかっているよ」と返した野々村社長は、公式記録上では引き分けとなる準優勝を粋な言葉で表現している。

「決勝に出てからいろいろなことを考えなければいけないクラブと、当初から決勝に出ることを考えているクラブとでは、やはり明らかな差がある。ただ、それは決勝にまで来てみないとわからないことでもある。順調に成長してきたなかで、成長痛みたいなものですかね。ちょっと痛すぎますけど」

いつかは笑顔とともに、2019年10月26日を思い出として語りたい。成長痛を克服する次なる一歩を刻んでいくためにも、残り5試合となったリーグ戦へどのような形でつなげて、現時点の8位から順位を押し上げられるか。メンタルの回復力が問われるかのように、12月7日にホームの札幌ドームで行われるシーズン最終節は、フロンターレと再び顔を合わせることが決まっている。

<了>

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