富樫勇樹、167cmの吸引力 BリーグMVPが見る「新たな夢」

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2019.05.24

Bリーグの2018-19シーズン、千葉ジェッツはレギュラーシーズンを52勝8敗の史上最高勝率で終えた。チャンピオンシップ・ファイナルで敗れはしたものの、“最強チーム”の中心には、日本代表としても活躍するポイントガード、富樫勇樹の姿があった。
今シーズン、BリーグMVPにも輝いた富樫は15歳で渡米。NBAを夢見て挑戦を続けつつ、bjリーグ、NBL、そしてBリーグを経験してきた。異色のキャリアを歩んできた日本の司令塔が新たに見る夢とは?

(文=大島和人、写真=Getty Images)

シーズンを通してもっともチームを勝たせた司令塔

2018-19シーズンを振り返って、日本バスケの「主役」をひとり決めるなら、やはり富樫勇樹だろう。千葉ジェッツの司令塔としてリーグ戦、天皇杯、チャンピオンシップで残した戦績は合計60勝9敗。BリーグのMVP受賞は、誰もが納得する結果だった。日本代表でもメインのポイントガードとしてワールドカップ予選8連勝に貢献し、チームを本大会に導いている。

BリーグアウォードでMVP受賞の感想を聞かれた彼は、チームメイトや周囲への感謝を口にしていた。とはいえポイントガードは攻撃の選択を担い、結果に責任を負うポジション。一発勝負のチャンピオンシップ・ファイナルこそアルバルク東京に敗れて準優勝に終わったが、富樫は日本でこの1年で一番チームを勝たせたリーダーだった。

一度ボールを持たせると、もう止めようがない存在になる。彼はまず仲間のスクリーンを使うのが上手い。ピック&ロールはミスマッチを誘う攻撃のオプションだが、富樫は相手の大型選手が自分につくミスマッチを活かすのが巧み。守備が収縮してスペースを消してきたら、難なく外のシューターを使える。残りの4人を抑えに来たら自分が切れ込めて、さらにシュートが圧倒的に上手い。相手にどんな対応をされても、打開する術を持っている。

勝負強さも大きな魅力だ。今年1月13日の天皇杯決勝では残り3秒から逆転3ポイントシュートを決めてみせた。千葉のエースとして富樫はこのような手応えを口にする。

「今年はすごく大事な場面で決めていると、周りの方から言ってもらえる。勝負どころのプレーが、今シーズンは自分の中で一番良かった」

加えて「数字」「スタッツ」に出ない部分の成長も見逃せない。

「技術面の成長はあまり自分の中で感じていない。それ以上にメンタル面の成長がこの2シーズン、特に今年はあったと思います。常にスタッツ上で活躍しなくてもチームを勝たせられる、勝利に導けると思えた今シーズンだった。自分の中でプレーが少しずつ大人になっている」

167㎝の富樫の活躍が子どもたちに勇気と希望を与える

富樫は身長が167cmしかない。180cm台で小柄と言われるプロバスケの世界で、この体格は常識外と言っていい。スピードや重心移動の鋭さは圧倒的だし、身体の逞しさも持ち合わせている。とはいえバスケットボールは身長、腕の長さが守備力に直結する競技だ。そんな大きなハンデを克服して、25歳の彼は日本を代表する選手になっている。

しかしその身長が彼の吸引力を高めている。富樫は述べる。

「バスケットでは本当に小さい身長ですが、だからこそいろんな人、特に子どもたちに勇気や希望を与えられると思う」

子どもたちへの人気の高さは現場に行くとよく分かる。千葉はもちろんだが、アウェイに行っても彼への反応は特別だ。富樫はバスケ少年に「身長が低くても頑張ればトップ選手なれる」というリアリティをプレゼントできる。

富樫の父は中高の名将として鳴らす富樫英樹氏(現開志国際高監督)だ。父はこう振り返る。

「あの子はオシメが取れる取れないくらいの頃から、シュートをしていたと思います。ドリブルも突いていました。小4の最初の頃、試合があるので行ったんですけど、見てちょっとびっくりしましたね。あまりにも上手くて!僕のところ(新発田市立本丸中学校)に来た頃には、もう完成していました。中1のとき148㎝で、全中(全国中学生大会)優勝を狙うチームなのに、誰も止められなかった」

父の熱い息子礼賛について水を向けると、息子は照れながらこう“アンサー”を返した。

「そんな親います?自分の中学校の同級生とかが、新潟へ行ったときにちょっと挨拶に行くらしいんです。1時間ずっと息子を褒め倒していたという連絡を、LINEでもらうんですよ。なので、もう恥ずかしいです(笑)まあまあ……、でもそこは素直に嬉しい気持ちもあります」

「バスケ界のカズに」本場・アメリカ挑戦の先駆けとして

彼は本丸中学を卒業すると、アメリカのモントロス・クリスチャン高校に留学した。「バスケ界のカズになれ」という言葉を送り、渡米を促したのが中村和雄氏。オーエスジーフェニックス(現三遠ネオフェニックス)や秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBで指揮を取り、加えて国際的な人脈も持つ名伯楽だ。

富樫は三浦知良と同じ15歳で海を渡った。中学時代は極端な無口で取材者を困らせた少年が、アメリカで自己主張と積極性を身に着けた。外国籍選手、コーチとのコミュニケーションでは不可欠な英語力も手に入れた。間違いなく人生の転機となり、また渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ)や八村塁(ゴンザガ大)の誘い水となるチャレンジだった。ひとりの留学が、大袈裟でなく日本バスケを変えた。

富樫は言う。

「影響を少しでも与えられて、挑戦してすごく良かったと思います。最近どういうルートで高校に留学したのかだったり、色んなことを聞かれるのが多くなってきた。自分の留学は、すごく意味があったのかなと思います」

ただし高校卒業後はNCAAの強豪校からオファーを得られなかった。富樫は2013年冬に中村氏が監督を務めていた秋田ノーザンハピネッツに加入し、大学を経ずプロのキャリアを開始する。

2014年にはNBA挑戦を目指して再渡米。NBAの下部リーグであるDリーグでプレーする。翌年はヨーロッパでのプレーを模索するが契約が不調に終わり、千葉ジェッツに加わった。

2014-15シーズンのDリーグ、15-16シーズンのNBLで富樫はプレータイムを大きく減らした。特に千葉の初年度は、ジェリコ・パブリセヴィッチヘッドコーチ(当時)の評価を受けられず、半ば干された状態だった。ヨーロッパのバスケはアメリカ以上に身長を重視する傾向が強い。指揮官のポリシーと合わなければ、選手にチャンスはない。

2016年秋のBリーグ開幕を控えて、富樫は強く移籍を考えたという。しかし大野篤史ヘッドコーチとの出会いが、運命を好転させた。この3年間でクラブも彼の力を得て集客、実力の両面でB1のトップに駆け上がっている。

ワールドカップ、オリンピックへ 日本バスケ界の夢を背負って

「移籍を強く考えて、Bリーグ開幕前のオフに大野さんと話しました。一緒にやったこともないのに信頼していただき、こうやって今のMVPを取るまで教えてくれた。この出会いはすごく嬉しいもの。今後の人生を考えてもこの3年間は大きかったし、一緒に長くやっていきたい気持ちがある」(富樫)

Bリーグで最高の評価を得た彼だが、8月末に開幕するワールドカップでは世界の舞台に立つ。第3戦で対戦するのはドリームチーム、つまりアメリカ代表だ。トルコ、チェコ、アメリカという1次リーグの対戦順も決まり、対戦は夢でなく現実となった。

ただ富樫はあくまでも冷静に、大会への思いを述べる。

「アメリカ戦の前の2戦で、一つでも勝ちを取らないと次にはつなげられない。あまりアメリカのことは意識せず戦いたい。2試合が終わってその後、人生でドリームチームとやれることはもう無いかもしれないので、それは楽しみたいと思います」

ワールドカップの翌年には東京オリンピックが待っている。Bリーグ開幕前は「NBA」「海外」といった個人的目標にチャレンジしていた富樫だが、今は日本バスケの夢がそのまま彼の夢となっている。

富樫は言う。

「東京オリンピックの舞台が一番近い夢だし、遠い夢でもある。オリンピックまでに自分ができる全てをやりきりたい」

ワールドカップやオリンピックで対戦する相手は、今の日本にとって全チームが格上。体格差や文化の違い、選手としての苦境を乗り越えて来た彼にとっても、簡単に乗り越えられる壁ではない。しかし富樫は常に挑戦を続け、日本バスケを引っ張ってきた。今後も怯まず世界の強敵に立ち向かい、堂々と責任を引き受けるだろう。

<了>

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