高校ラグビー最強チーム“2006年の仰星”の舞台裏。「有言実行の優勝」を山中亮平が振り返る
何度でもどん底から立ち上がり、決して諦めず、前進し続けるアスリートの姿は胸を打つ。学生日本一、2年間の資格停止処分、日本代表落選、ワールドカップ出場……。ジャパンラグビー リーグワンのコベルコ神戸スティーラーズに所属する山中亮平もまた激動のラグビー人生を強い信念を持って乗り越えてきたアスリートの一人だ。そこで本稿では山中亮平の著書『それでも諦めない』の抜粋を通して、“何度でも立ち上がる男”の紆余曲折の人生を振り返る。今回は、3年時に「公式戦無敗」も記録した東海大学付属仰星高校時代について。
(文=山中亮平、写真=井田新輔)
規格外、問題児揃いの1年生?
東海大学付属仰星高校(現・東海大学付属大阪仰星高校)時代、高校1年生のときは、公式戦に出た記憶はない。同じポジションに3年生のキャプテン、金谷広樹さんがいたこともあって、3年生はやっぱり怖いイメージがあった。
あるとき、1年生数人が寝坊して練習試合に遅れていったことがあった。バスで奈良に行くはずが、集合時間から2、3時間は過ぎていた。この時点でもう行きたくなかったが、来いと言われたから電車とタクシーで会場に向かった。運が悪いことに、この日の練習試合に出る予定だったのは俺だけ。他の1年生はケガとかで出る予定がなかった。
「すぐに着替えてこい」
会場に着くと、すでに試合は始まっていて、俺だけがそう命じられた。
「ダルいのぉ」
誰にも聞こえないと思ってついた悪態を、ケガで休んでいた3年生に聞かれてしまった。遅刻しただけでなく、ふてくされる1年生……。その日は試合に出ず、先輩に愛のある指導をいただいたのは言うまでもない。翌週1年生は全員坊主。時代的に、他の高校に比べたら理不尽なことはなく、いい意味で厳しい先輩たちだったが、とんでもない1年が入ってきたなと思ったと思う。自分なら「なんやこいつ?」と思っただろう。
後の結果が示すように、同期はとんでもない選手が集まっていた。個性的な選手も多く、入学した当初には、このメンバーで本気でやったら優勝できると思っていた。土井崇司監督にも「お前らは3年生になったら絶対に優勝できる。それぐらいのポテンシャルはあるからどんな大会でも優勝を目指してがんばれ」と言われていた。
それでも強豪の仰星では、1年生から試合に出るのは至難の業。全国高校ラグビー大阪府予選の決勝で啓光学園と戦ったときは、もちろん観客席から応援していたし、1年生で試合に出ていたのは前川鐘平くらいだった。
能力の高い1年生が、レベルの高い2、3年生と競争しながら、個人の能力だけではなく、戦術的な組織力で点を取るラグビーを学べたことが後の結果につながった。
コベルコカップで得た自信と成長
自分のプレーに限って言えば、1年生の頃は頭と基礎を鍛える時間。優勝と言われてもまだピンときていなかったし、戦術やサインを覚えたり、選手だけのミーティングで試合での動きのパターンをシミュレーションしたりするのが大変だった思い出しかない。練習もたまに休んだりもしていたし、やる気満々というわけではなかった。
2年生になって、全国の17歳以下の選手を9ブロックに分けて集めるコベルコカップ(全国高等学校合同チームラグビーフットボール大会)のメンバーに選ばれて、近畿選抜で他の高校の選手とプレーしたことで、少し自分のプレーに自信が持てるようになった。
「仰星のラグビー」にもある程度慣れて、2年生のときはリザーブに入れるようになっていた。花園もリザーブで出た。レギュラーのスタンドオフは、堅実なタイプで安定したプレーをしていたけど、俺はトリッキーなパス、派手なプレーばかりやっていた覚えがある。
2年生で覚えているのが、リザーブでベンチにいるときのこと。「あそこでパス出したらええのになぁ」と土井監督にギリギリ聞こえるくらいのボリュームでボソボソ言う。早く試合に出たいから、「俺はわかってますよ」というアピールのつもりだった。監督はずっと無視していたが、大人になってから「ようボソボソ言っとったな。あれを聞いてすごいなと思ってたわ」と言われたのには驚いた。ボソボソつぶやくことが全部的確で、ゲームがよく見えていると思ったと。それでもレギュラーにはなれなかったから、「俺を使え」という主張のためにボソボソつぶやき、「自分ならこうするのに」と、頭の中で作戦を巡らせながら試合を見ていた。
密かにあった高卒即イングランド行きの可能性
そして迎えた高校最終学年、3年のときは正直、どこにも負ける気がしなかった。
2006年の仰星を高校ラグビー最強チームに挙げてくれる人もいるようだが、土井先生と俺たちの目標は「サニックス・ワールド・ユースで優勝すること」だった。
サニックス・ワールド・ラグビー・ユース交流大会は、2000年から始まった国際交流大会で、ニュージーランドやオーストラリア、イングランド、フランス、南アフリカなどのラグビー強国の高校が参加してGWに開催される。それまで日本の高校が優勝したことはなく、「目標は花園ではなく、世界に勝つこと」というのが新チーム結成時の合言葉だった。
結果は、残念ながら3位。準決勝でニュージーランドのクライストチャーチ・ボーイズ・ハイスクールに0対14で負けてしまった。2024年に大阪桐蔭が優勝するまで、海外勢が参加したサニックス・ワールド・ユースで優勝した日本の高校はなかったから、相当高い壁だったとは思うが、この試合を除けば3年時は公式戦無敗だったので悔しさは残った。
3位決定戦では東福岡高校と戦った。この直前、4月の選抜大会でも決勝で当たり、31対15で勝利を収めている。結局、ライバルとされていた東福岡とは、花園の決勝も合わせて4回対戦したが、すべてが仰星の勝利に終わった。
サニックス・ワールド・ユースでは、個人的にも印象に残っていることがある。といっても試合中のことではなく、大会後の話。
大会を視察に来ていたイングランドのあるクラブの関係者が、「ぜひ来てほしい」と言っていると土井監督から聞かされた。俺のパスを見た海外の関係者がワラビーズ(オーストラリア代表)で活躍したデイヴィッド・キャンピージみたいなパスだと、ピッチサイドで「キャンピージ!」と声をあげていたから、スカウトに動くくらいのアピールはできたのかもしれない。
正確な時期は忘れたが、そのときはすでに早稲田大学の進学を決めていて、もうすっかり早稲田に行くつもりでいた。イングランドのクラブからのオファーは、大学に通いながらクラブからお金がもらえるという好条件で、土井監督はイングランド推し。花園よりサニックス・ワールド・ユースを目標にするくらいだから、土井監督の中でも日本ラグビーが世界と戦うためには? というテーマがあったのかもしれない。日本ではかなり変わり者のスタンドオフ、山中が成長するには海外のほうが合っていると思ったのかもしれない。とにかく土井先生は熱心にイングランド行きを勧めてくれたが、心の中では「英語とか話せないし、友達と離れるのイヤだし、早稲田のほうが何かカッコいいやん」と、イングランド行きは考えていなかった。
東海大仰星に通っていたら、東海大の進学も考えるのかもしれないが、進路希望で早くから早稲田に行きたいと監督には伝えてあって、早稲田から話があったから「じゃあそれで」という感じだった。最終的にはイングランドを断って早稲田に進むことになったが、今考えると、純粋にラグビーのことを考えてイングランド行きを選ぶのも悪くなかったとは思う。
公式戦無敗のレジェンドチーム
高校3年間の集大成になる花園は、本当に負ける気がしないまま予選に入った。本大会では相性的に「イヤだな」と思うところと当たらないくじ運にも恵まれて、イメージ通りの道筋で優勝できた。
社会人でプレーした選手も多くて、メンバーの名前を挙げ出したら切りがないけど、特に目立っていたのは前川と当時はロックだった木津武士。前川は1年から試合に出ていたし、やんちゃな選手が多かった仰星で唯一と言っていいほど真面目な選手。特にラグビーに向き合う姿は素直に尊敬している。ウェイトに関しては変態の域。入学した頃からしっかり体をつくって相手を吹っ飛ばす姿が強烈だった。
木津は高校時代はフッカーじゃなくてロック。独特のオーラがあって、1年のときは同級生からもなぜか「木津さん」とさん付けで呼ばれていた。一人だけ大人のオーラを放っていて、みんなも怖かったんだと思う。あのサイズで俊敏さもあって、バスケットボールをやっていたのでステップとかの身体の使い方もうまくて、ポテンシャルを含めて「ああいう選手が日本代表になるんやろうな」と思って見ていた。
個人的によく覚えているのが、センターの谷野智紀。ラグビーIQの高い選手で、サインを迷って「どうする?」と聞くと、パッと的確な判断を下してくれた。ゲームコントロールは谷野の判断に任せている部分もあって、かなり頼りにしていた。
個々の能力が高いことはもちろん、全員が負けず嫌いだったこともこのチームの特徴だった。俺がパスを出して、それがミスになったときに「ちゃんとパス取れや!」と言うと、「ちゃんと投げろや!」と返ってくる。キャッチミスを責めたら普通は「ごめん」となって、ちょっと気まずい雰囲気になりそうなもんだが、「お前のパスが悪い」と、ケンカが始まり、つかみ合いになることもしょっちゅうあった。
キャプテンの緑川昌樹は、うまくバランスを取ってチームをまとめていたが、誰か一人のキャプテンシーでまとまるようなチームではなかった。個性と我の強い集団だからこそ、一つになったときにすごい力を発揮することを全員がわかっていた。
東福岡との決勝も作戦通りに事が運んだ。苦手意識がなかったとはいえ、東福岡の得点力は侮れなかった。試合前、グラウンドレベルでは少し風が強くなってきていた。チーム内で「(前半は)風下を取ろう」という話になっていて、うまく風下を取れた。
試合開始と同時に、風上の東福岡がどんどん攻めてくるけど、こっちはハイパントキックで距離を稼ぎながら0対0で折り返した。実はこの時点で、仰星側は勝利を確信していて、前半終了のホイッスルとともにガッツポーズをしている。
風上に立った後半は、3トライを含む19得点。東福岡も1トライして返してきたけど、あの試合は前半で勝負あり。1シーズン持ち続けた自信がそのまま勝利につながって、決勝でもそのまま勝ちきったという感覚だった。
仰星としては7大会ぶり2回目の優勝。土井監督にとっても俺たちにとっても、入学したときの宣言通り、有言実行の優勝となった。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『それでも諦めない』から一部転載)
【第1回連載】「やるかやらんか」2027年への決意。ラグビー山中亮平が経験した、まさかの落選、まさかの追加招集
【第3回連載】「キサンッ、何しようとや、そん髪!」「これを食え」山中亮平が受けた衝撃。早稲田大学ラグビー部4年生の薫陶
【第4回連載】「ドーピング検査で陽性が…」山中亮平を襲った身に覚えのない禁止薬物反応。日本代表離脱、実家で過ごす日々
【第5回連載】ラグビー山中亮平を形づくった“空白の2年間”。意図せず禁止薬物を摂取も、遠回りでも必要な経験
<了>
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[PROFILE]
山中亮平(やまなか・りょうへい)
1988年6月22日生まれ、大阪府出身。中学1年の終わりからラグビーをはじめ、東海大学付属仰星高校(現・東海大学付属大阪仰星高校)では攻撃的なSO/スタンドオフで“ファンタジスタ”とも呼ばれ、3年時には全国高校ラグビー大会で優勝した。早稲田大学に進学後はすぐに頭角を現し、1年・2年次に全国制覇を経験。大学4年の春には日本代表初キャップを獲得した。大学卒業後に神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に入団。2018-2019シーズンにはトップリーグで15年ぶり、日本選手権で18年ぶりの日本一を果たした。その翌年に開催されたラグビーワールドカップ2019日本大会では全5試合に出場し、日本・アジアラグビー史上初の8強進出に大きく貢献した。2021年以降も継続して日本代表に選出されるが、ラグビーワールドカップ2023フランス大会の直前ではまさかの落選。しかし、大会期間中に追加招集され、2大会連続のワールドカップ出場を果たした。日本代表は30キャップ。
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