
「キサンッ、何しようとや、そん髪!」「これを食え」山中亮平が受けた衝撃。早稲田大学ラグビー部4年生の薫陶
何度でもどん底から立ち上がり、決して諦めず、前進し続けるアスリートの姿は胸を打つ。学生日本一、2年間の資格停止処分、日本代表落選、ワールドカップ出場……。ジャパンラグビー リーグワンのコベルコ神戸スティーラーズに所属する山中亮平もまた激動のラグビー人生を強い信念を持って乗り越えてきたアスリートの一人だ。そこで本稿では山中亮平の著書『それでも諦めない』の抜粋を通して、“何度でも立ち上がる男”の紆余曲折の人生を振り返る。今回は、2007年、前途多難の幕開けとなった早稲田大学ラグビー蹴球部時代について。
(文=山中亮平、写真=アフロスポーツ)
友との別れ。気丈に振る舞った母の涙。
大学は早稲田に進むことになった。旅立ちの日、カンゾー(編注:中濱寛造。中学時代からのチームメートでその後、早稲田大学、神戸製鋼コベルコスティーラーズ[当時]でも共にプレーした)と二人でおかんや地元の友達に見送られた新大阪駅の景色は今でも覚えている。
親元を離れるのは初めてだったし、何よりいつも一緒につるんでいた地元の友達と離れるのがつらかった。東京行きの新幹線に乗り込んで横を見ると、カンゾーも泣いていた。別れ際は気丈に振る舞っていたおかんも帰りの車で泣いたそうだ。
東京に着くと、上井草にある早稲田のラグビー部の寮に向かった。寮に着くと、高校日本代表で一緒だった桐蔭学園の宮澤正利が、「山ちゃん、髪の毛大丈夫?」と言ってきた。
言われてみれば、春休みにめちゃめちゃ茶髪にして、パーマを当てていた髪の毛は、たしかに部活仕様ではなかった。一応、何週間か前に黒染めはしたものの色はかなり抜けてきていた。
「いや、いけるやろ」
今思えばなぜいけると思ったのか謎でしかないが、そのとき宮澤にそう答えたのにはちゃんとした(?)理由があった。
この少し前、セブンズ(7人制ラグビー)日本代表候補の合宿があった。高校の卒業式と被ったこともあってよく覚えているのだが、そこには、早稲田の新4年生となる畠山健介さんが来ていた。畠山さんも、これから後輩になるヤツだという認識はあったと思う。こちらからあいさつをして何度か短い会話をした覚えがあるが、髪の毛については何も指摘されなかった。
卒業式の頃は今よりもっとヤバい茶髪だったから問題ないはず。あんまりヤバかったら、畠山さんもなんか言うやろ? 言われなかったから大丈夫やろ? というのが自信の根拠だった。
入学早々やらかした“茶髪事件”
強烈な洗礼を浴びたのは、その日の夕食のときだった。
食堂でハンバーグを取ろうと列に並んでいたら、突然、4年生の五郎丸歩さんが詰め寄ってきた。
「キサンッ、何しようとや、そん髪」
九州訛なまりの言葉で凄まれ、ただただ恐ろしかった。本気で殺されると思った。同時に、方言で言われたので何を言っているのか理解するまで少し時間がかかり、どうやら髪型のことを言ってるとわかると、ハンバーグの列から弾かれたように外れ、ダッシュで美容室を探した。寮の近くの美容室に駆け込むと、とにかく髪を黒くしてほしいとお願いした。
パーマを取るのは時間がかかるから無理。まず黒染めだけやって帰ろうと思った。
あのとき、カンゾーも茶髪・パーマだったはずで、先輩から何か言われていたような気もするが、茶髪度は明らかに俺のほうが上だった。
髪を染めてもらっている間、何を考えていたかはまったく覚えていない。どうするつもりだったのか? どうすればいいのか? とにかく髪を黒くして戻ろうということしか頭に浮かばなかった。
寮に戻ると、もう夕食の時間は終わっていた。その足で五郎丸さんの部屋に報告しに行った。ドアを開けると部屋は真っ暗。電気がついていない中でテレビだけがついている。寝転んでいる五郎丸さんの背中に「黒染めしてきました」と伝えると「あぁ」と感情が読み取れない返事が返ってきた。
「終わった……。俺の4年間は初日にして終わった」
そのときは荷物をまとめて大阪に帰りたい、ここから今すぐ逃げ出したいという気持ちでいっぱいだった。
五郎丸さんと同じく4年生で、主務の左京知久さんからは、「パーマは地毛なの?」と聞かれた。もちろん地毛じゃないが、「ハイ、地毛なんです」となんとか地毛で通した。
後から聞いたら、五郎丸さんもみんなの前であんなふうに怒りたくはなかったのだという。たしかにそういうタイプではないけど、主将ともう一人の副将が不在だったので、副将として無理にスイッチを入れて怒ったらしい。「山中の髪の毛問題」は、4年生の間ですぐに話題に上り、誰かが言わないと示しがつかないぞと話し合っていたそうだ。五郎丸さんが代表して釘を刺すためにした行動だった。
改めて気を引き締めることとなった新歓試合
意気揚々と早稲田にやって来て早速のやらかし。前途多難な大学生活の幕開けだが、ラグビーのほうでは、高校入学時と同様「この学年は強くなる」という期待を受け、実際そう言われるだけのタレントが集まっていた。
新1年生への期待は、4月の入部式の後に行われる毎年恒例の新歓試合でさらに高まることになる。
東福岡の主将だった有田隆平、宮澤、カンゾーがいる1年生チームは、2年生相手に互角以上の戦いを演じた。最後には2年生にして、バリバリ一本目の早田健二さんが出てきて負けはしたものの、「あわや」と思わせる試合内容だった。例年の新歓試合は、1年生に大学ラグビーのレベルを見せつけて鼻っ柱を折る試合展開になることが多い。
「高校レベルではスターかもしれないが、それじゃあ通用しないぞ」と、やり込めるはずの試合で前半はリードを許し、急遽レギュラークラスを投入せざるを得なかった試合後の2年生の様子は、新歓試合とは思えないものだった。
もちろん大学でも通用する自信はあったが、この善戦で調子に乗ったかというとそういうわけでもなかった。五郎丸さんの洗礼を受けた後ということもあったのかもしれないが、2年生の真剣さ、試合後の表情に感じるものがあった。特に田邊秀樹さんが、試合を終えてシャワー室に向かうときに涙していたのを目にしたときは驚いた。それくらいみんな真剣なんだと改めて気を引き締めるきっかけにもなった。
プレッシャーなく伸び伸びできた1年生
初めて“赤黒”に袖を通したのは、6月10日のヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)戦だった。5月も試合には出ていたが、いずれもBチームでの出場。相手にとっては調整試合、ベストメンバーではなかったが、21対24
と善戦した試合だった。と、振り返ってみたが、例のごとく「たぶん最初はヤマハだった」という記憶があるくらいで、赤黒ジャージをもらった感慨とか、Aチームデビューの詳細はまったく覚えていない。
その年の公式戦は、関東大学対抗戦の初戦、成蹊大学戦から10番をつけて出場した。対抗戦は全勝で1位、大学選手権(全国大学ラグビーフットボール選手権大会)も優勝。そのすべてに出場させてもらった。高校で花園、1年生で大学選手権を制したので、当時はひそかに「俺だけ2連覇!」と思っていた。
試合内容や自分の活躍であまり覚えていることはないが、大学ラグビーの人気ぶりには驚いた。それまで満員のスタンドで試合をする機会はなかったが、早慶戦、国立競技場でやった早明戦、同じく国立での大学選手権決勝の慶應戦は、お客さんの声援がすごくて、ワクワクした。今でもそうだが、やっぱりお客さんが多いほうが燃えるし、いいプレーができる気がする。
たくさんの観客が詰めかけた国立で戦った明治大学には、同じ学年の田村優がいた。周囲は「1年生スタンドオフ対決」と話題にしていたが、当時は優のことは知らなかった。國學院栃木で花園にも連続で出ていた選手をつかまえて失礼な話だが、「誰やねん」と思っていた。優はめっちゃいいヤツで、今は仲もいいけれど、1年生のときは急に比べられて、勝手にライバルと言われていたから、話したこともないのになんとなく苦手だった。
1年生のときは、ほとんどプレッシャーなく伸び伸びプレーできた。五郎丸さん、三井大祐さんのハーフ団をはじめとする上級生にも、「俺らがケツを拭くからミスを気にせず思い切っていけ」と言われていた。もちろん1年生なのでミスはしたが、それ以上に大胆に、自由にプレーできた。
五郎丸さんとの“深夜の増量計画”
入りは最悪だったけど、1年生のときの4年生のことはめっちゃ好きだった。特に五郎丸さんとは、“茶髪事件”の他にも個人的な思い出がある。
高校時代から「大型スタンドオフ」と言われ、サイズも魅力の一つという評価をもらっていたが、早稲田に入学した頃はまだまだ細かった。身長は185センチと今と数センチしか変わらないが、体重は80キロか81キロしかなかった。
「お前、体重をもっと増やせ」
五郎丸さんは、「増量計画を始めるぞ」と言った。どうやって? と思っていると、五郎丸さんは続けて「23時に食堂に降りてこい」とだけ言って去っていった。
上井草の寮では、23時が消灯時間になっていた。誰もいない食堂に降りていくと、五郎丸さんが待っていた。
「これを食え」
食堂のテーブルには、どんぶりに山盛りのご飯。さらにその上には3パック分の納豆と卵が3つのっていた。
関西人だから納豆は無理とかではなかったけど、晩ご飯をおなかいっぱい食べた数時間後の夜食にしては量が多すぎた。おなかはパンパンで、ゲップも納豆味。寝る前に大量にガムを口に放り込んで、苦しいままベッドになだれ込んだ。
これが2週間以上は続いた。五郎丸さんも毎日食堂に来て、マンツーマンでひたすら納豆ご飯をかき込む俺を見守ってくれていた。
「俺もこれでデカくなったからお前もやれ」
入学当初、五郎丸さんも体重が軽くて大学のフィジカルに慣れるのに苦労した。調べてもらったら、五郎丸さんの入学当時のサイズは184センチ、81キロなので、俺の入学時とほぼ一緒だった。そこから、毎晩納豆ご飯を食べて体を大きくしていったのだという。
気持ち悪くなるくらい腹いっぱいでもう食えないとは思っていたが、五郎丸さんがデカくなった方法ならやろうかなと続けた。横に並んだ五郎丸さんは、バリデカい、厚みがある体つきで、身近で見ているとそれがプレーの強さになっているのがよくわかった。
まずは量を食べて胃袋を大きくする。筋肉とかよりまずは体重を増やす。そのやり方が科学的に正しいのかどうかはわからないが、深夜の山盛り納豆ご飯を続けて2週間もすると体重は88キロになっていた。五郎丸さんの増量計画は大成功だった。
急激に体重が増えると動きにくくなるという話も聞くが、そのときはまったくそんなことはなく、23時の納豆ご飯をやめた後も、体重は88キロをキープして落ちることはなかった。
勝つことへのこだわりを教えてくれた早稲田の先輩
早稲田に入って強く感じたのは、勝つことに対するこだわりだった。体をデカくするためにそこまでやる、それに付き合ってくれる五郎丸さんもそうだが、特に4年生の勝利への執念はすごいものがあった。
印象に残っているのが、フランカーの有田幸平さんのタックル。味方相手の練習で容赦なく頭からタックルをしてくる。普段は優しい先輩なのに、練習になるとヘッドキャップを目の近くまで深くかぶり、マジで頭から突っ込んでくる。今ではハイタックルの基準が変わっていて、脳震盪(のうしんとう)へのケアから頭から突っ込むようなタックルをする選手はほとんどいないが、あの頃は反則になることも少なかった。練習で有田さんの頭があごに入って、一瞬記憶が飛んだこともあった。
170センチ台の小柄な有田さんが巨漢選手を次々タックルで仕留められたのは、あのアグレッシブさ、ネジが飛んでいるとしか思えない突進力あってのことだったのだろう。試合前のウォーミングアップで、額に自分の手で強くチョップして頭からタックルに行っても目をつぶらない練習を繰り返していた有田さんの姿は、狂気すら感じさせた。
「4年生がすべて」というのも早稲田独特で、それが4年生の「勝つことへのこだわり」につながっていた気がする。早稲田大学ラグビー蹴球部を象徴するものに、部歌の『荒ぶる』がある。大学選手権で優勝したときだけに歌われる特別な歌だということは、知っている人もいるだろう。実はこの『荒ぶる』、卒業後も優勝した代の4年生しか歌えないという伝統がある。
例えば、自分の場合、2007年、2008年の優勝メンバーだから、その際には『荒ぶる』を歌っている。しかし、自分たちが4年生で迎えた2010年の大学選手権では準優勝に終わったため、卒業後に『荒ぶる』は歌えない。
卒業後に『荒ぶる』を歌う場面には部員、同級生が集まる結婚式がある。五郎丸さんの代のメンバーは試合に出たかどうかは関係なく結婚式、冠婚葬祭で『荒ぶる』を歌うことができるが、俺たちの代は誰も歌えず、第一部歌の『北風』を歌うことになる。それだけに、自分たちが最上級生になったときの成績、結果へのこだわりは強くなるのだ。
「4年生至上主義」と聞くと、いわゆる体育会系の理不尽さを想像する人もいるかもしれないが、1年から試合に出ても伸び伸びプレーさせてもらったように、納得いかないようなイヤな思いはしたことはなかった。もちろん、“茶髪事件”のように自分に非があるときは別だ。
4年生のスタンドオフに佐藤王彬さんという人がいた。寮生でもなかったし、おそらく一般入部の選手で、Eチームに所属していた。ポジション練習ではAチームもEチームも関係なくポジションが同じもの同士で一緒に練習をするのだが、佐藤さんは、Aチームで試合に出ている俺に「パスはこうやったほうがいいよ」とアドバイスをしてくれた。
花園を制して鳴り物で入ってきたやんちゃな1年にしてみれば、「誰が言ってんねん」と反発すると思うかもしれないが、俺は素直に「すごいな」と思った。レギュラーとか、Aチームとかじゃなくて、4年生は自分たちのチームを強くするために後輩に言うべきことは言う。プレーでの序列に関係なく、思ったことはしっかり言うし、先輩から後輩へ早稲田のDNAみたいなものを引き継ぐため、そしてチームの勝利のためにできることを全力でやる。それができる佐藤さんはすごいと思ったし、それが早稲田の良さ、伝統的な強さにつながっているんだとわかった。だから、佐藤さんのアドバイスは妙に記憶に残っているし、早稲田でラグビーをやるうえで大切なことを教えられた気がした。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『それでも諦めない』から一部転載)
【第1回連載】「やるかやらんか」2027年への決意。ラグビー山中亮平が経験した、まさかの落選、まさかの追加招集
【第2回連載】高校ラグビー最強チーム“2006年の仰星”の舞台裏。「有言実行の優勝」を山中亮平が振り返る
【第4回連載】「ドーピング検査で陽性が…」山中亮平を襲った身に覚えのない禁止薬物反応。日本代表離脱、実家で過ごす日々
【第5回連載】ラグビー山中亮平を形づくった“空白の2年間”。意図せず禁止薬物を摂取も、遠回りでも必要な経験
<了>
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[PROFILE]
山中亮平(やまなか・りょうへい)
1988年6月22日生まれ、大阪府出身。中学1年の終わりからラグビーをはじめ、東海大学付属仰星高校(現・東海大学付属大阪仰星高校)では攻撃的なSO/スタンドオフで“ファンタジスタ”とも呼ばれ、3年時には全国高校ラグビー大会で優勝した。早稲田大学に進学後はすぐに頭角を現し、1年・2年次に全国制覇を経験。大学4年の春には日本代表初キャップを獲得した。大学卒業後に神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に入団。2018-2019シーズンにはトップリーグで15年ぶり、日本選手権で18年ぶりの日本一を果たした。その翌年に開催されたラグビーワールドカップ2019日本大会では全5試合に出場し、日本・アジアラグビー史上初の8強進出に大きく貢献した。2021年以降も継続して日本代表に選出されるが、ラグビーワールドカップ2023フランス大会の直前ではまさかの落選。しかし、大会期間中に追加招集され、2大会連続のワールドカップ出場を果たした。日本代表は30キャップ。
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