世界王者はなぜゼロから挑んだのか。“雑用の立場”から日本人初MLP選手へ、船水雄太が語る過酷な2年間
ソフトテニスの世界王者として実績を重ねてきた船水雄太は、2024年1月に単身渡米し、米国で急成長するピックルボールに本格挑戦した。目指したのは、米国のチーム対抗プロリーグ「MLP(メジャーリーグ・ピックルボール)」参戦。だが、華やかに見えた舞台の裏には、契約、出場機会、パートナー探しをめぐる厳しい競争があった。日本人初のMLP選手となり、2026年5月にはPPA(プロフェッショナル・ピックルボール・アソシエーション)が主催する世界最高峰の個人戦ツアーで日本人初優勝を果たした船水に、この2年の歩みと、世界最高峰の舞台で得た手応えを語ってもらった。
(インタビュー・構成・文中写真=松原渓[REAL SPORTS編集部]、トップ写真=Lauren Yoon)
MLPの舞台で感じた「華やかさ」と「シビアさ」
――実際にMLPの舞台に立ってみて、挑戦前に想像していた世界と最も違った部分はどこでしたか。
船水:MLPが華やかな世界で、トップの舞台であることはもちろん知っていました。ただ、実際に入ってみると、想像以上に競争が厳しく、選手たちの試合に懸ける思いも、思っていた以上に強いと感じました。昨年は1部、2部の入れ替えもありましたし、順位によって賞金や契約にも影響がありました。うまくいかなければ、1週間でクビになるようなケースも見てきたので、華やかな世界だと思う一方で、かなりシビアな世界だとも感じました。
――5月のPPA(プロフェッショナル・ピックルボール・アソシエーション)ツアーでは、タマ・シマブクロ選手との男子ダブルスで日本人初のツアータイトルを獲得されました。その前週のアトランタ大会4位から続く結果を、どのように受け止めていますか。
船水:アトランタではグランドスラムでベスト4に入り、ランキング2位の選手たちにも勝つことができました。ただ勝つためではなく、チャンピオンになるために積み上げてきたことの成果が、大きな舞台で一つ出たと思っています。自分がやってきた戦術には自信があったので、アトランタが終わった後、この流れで行かなければ次のチャンスはない、休まずに行こうという意識で臨みました。実際に優勝できたので、本当によかったです。
――ソフトテニスで世界一を経験した後、2024年にピックルボールへ挑戦してから、ここまでは順調に来られた感覚ですか。
船水:期間としては約2年半と短いかもしれませんが、自分の感覚ではかなり時間がかかりました。苦しいことのほうが多かったので、体感としては、6年くらいやっているような気がします。

雑用から始まったMLPでの時間
――ロッカールームやチーム内では、日本人初のMLP選手として、どのように見られていたと感じますか。
船水:最初は本当に雑用のような立場でした。ベンチでみんなに飲み物を渡したり、練習のサポートをしたり、食事を持ってきたりする時間が多くて、反応も薄く、いるかいないか分からないくらいの存在でした。とてもメジャーリーグ選手とは言えないような時間を過ごしていましたね。
――その中で、どのようにチャンスをつかんだのですか?
船水:チームの練習だけでは足りなかったので、自分で時間を作って、早朝や夜に練習していました。みんなが来る前の朝5時から練習して、全体練習が終わった後の夕食前にもう一度練習するんです。そういう姿を見てくれていたコーチがいて、一度だけチームの流れが悪かった時に「ユウタの努力は見ていた。行ってみよう」と、試合に出るチャンスをくれたんです。
ただ試合に出る前から、他の選手たちも「こいつ、やたら練習しているな」と見てくれていたようで、デビューする時は「レッツゴー、ユウタ!」という雰囲気で応援してもらえました。日本人として頑張る姿も含めて認めてもらえたのかなと思います。
――試合に出るまで、気持ちが折れそうになることはありませんでしたか。
船水:ありました。サブで試合に出られないとなると、試合に来なくなったり、チーム練習にも不貞腐れて参加しなくなったりする選手もいます。でも、自分は献身的な姿勢でやり続けるしかないと考えていました。
この挑戦は、僕だけの夢ではありません。今後ピックルボールが日本で広がった時の、次世代のための挑戦でもあります。自分がここで諦めてしまったら、未来にもつながらない。メジャーリーグ選手になること、優勝することは、もう自分だけの夢ではないと思っていました。子どもたちの顔が浮かんでいなかったら、いつでも逃げて帰れたと思います。それくらい過酷でした。
ソフトテニス式ボレーが「THE YUTA」になるまで
――実際にMLPで戦ってみて、ソフトテニスの技術で一番通用した部分はどこでしたか。
船水:一番は、接近戦でのボレー対ボレーです。ソフトテニスには、同じ面で打ち返す独特の技術があります。硬式テニスでは横でさばいて打つことが多いですが、ソフトテニスはかなり前の打点で面を作って打ちます。相手からするとタイミングが早いですし、見たことのない軌道からボールが飛んでくる。アメリカではソフトテニスはメジャーではなく、ピックルボール界では、ある意味で唯一のソフトテニス式の技術なので、「この早い技はなんだ?」という感じで、かなり有効でした。
――一時は「そのスタイルでは通用しない」と言われながら、現在ではその技術が「THE YUTA」の愛称で呼ばれるほど個性として認められたそうですね。周囲の評価が変わったと感じた瞬間はありましたか。
船水:最初にアメリカへ行った時は、2カ月半くらい、街のアマチュアの選手たちにも勝てませんでした。アカデミーの練習にも通ったんですが、まったく勝てない。変な打ち方だと言われるし、英語も話せない。しかも、僕のようなタイプは一人しかいないので、周りからすると僕と練習する意味がないんです。ダブルスでも、自分にだけボールが回ってこないこともありました。
練習参加を断られて、1日8時間くらい壁打ちをしたこともあります。「その技術はやめたほうがいい」とコーチにも言われて、一度は直した時期もありました。でも、それではみんなと同じになってしまう。ソフトテニスの世界チャンピオンから新しい競技へ移る以上、これまで培ってきたものを信じて、どこまでいけるかやるべきだと思いました。そこから自信を持ってプレーし始め、勝ち始めると、周囲の反応が変わりました。今ではランキング1位の選手からも「教えてくれ」と言われるようになりました。すべてがオセロのようにひっくり返った感覚があります。
――ソフトテニス界にとっても希望になるストーリーですね。
船水:スポーツとしての相性はかなり良いと思います。日本でピックルボールの普及が加速している理由の一つに、日本発祥で、国内に多くの競技経験者がいるソフトテニスからの流入があると思います。僕がアメリカで通用しなかったら、ソフトテニスの技術がピックルボールでも通用するという証明にはならなかったと思います。そういう流れをつくれたことはよかったです。

世界王者がゼロから学び直した時間
――挑戦当初はジュニアアカデミーの選手たちに混ざってトレーニングをされたそうですが、世界王者として実績を積んできたなかで、葛藤はありませんでしたか。
船水:最初はアメリカの公園にいる人たちにも勝てなかったので、アカデミーではゼロから始めるつもりでやりました。小学生くらいの子に「もっと落ち着いてラリーして」とアドバイスされることもありました。アスリートとしての自信が打ち砕かれるようで悔しかったですけど、試合で勝てないので、受け入れるしかありませんでした。ただ、ゼロから基礎を学び直しても、自分の長所は忘れないぞ、という気持ちは胸に秘めながらやっていました。
――基礎を学び直したことで、ソフトテニスの技術をピックルボールに生かす感覚もつかめていったのですか?
船水:そうです。基礎を学んだなかで、ソフトテニスで培ってきた技術をピックルボールにフィットさせて、うまく噛み合った時に一気にブレークスルーできた感覚がありました。
――ピックルボール特有の戦術や駆け引きは、どのように身につけていきましたか。
船水:ジュニアアカデミーで、ひたすら基礎を学びました。彼らはコーチに言われなくても、夢を追いかけて自発的に練習します。そういうグループに入れてもらって、ピックルボールらしい粘り強さや、勝負するタイミングを身につけていきました。
――MLPで勝つために、今後さらに必要だと感じている部分は何ですか。
船水:ソフトテニス式の技術だけでなく、ピックルボールらしいショットです。例えば、「ディンク」というネット際でワンバウンドさせるショットがあります。自分はノーバウンドのボレーなどの空中戦は強いですが、それ以外は劣る部分があると感じるので、ワンバウンド系のボールの精度は磨かないといけないと思っています。
アメリカで見た勝負への覚悟
――アメリカのトップ選手たちと日常的に接する中で、競技への向き合い方に日本との違いを感じますか。
船水:アメリカ人選手だけでなく、MLPに参戦している選手は、勝負に懸ける覚悟の強さは感じます。「これで食べていくんだ」という決意が強くて、コーチや周りの目を気にしてやるのではなく、自分のためにやっているという感覚です。あと、格上の選手とやる時でも「勝てないかもしれない」とは思わず、ランキングが上の相手でも、「この選手にはこうしたら勝てると思う」と言います。本気で勝つための可能性を常に探っている感じがあって、そこはすごく勉強になります。
――MLPの選手たちは、どのように自分の価値を高め、キャリアを築いているのでしょうか。
船水:キャリアアップの王道は、やはり勝ち続けて、ランキングを上げてタイトルを取ることです。もう一つは、競技のためにインフルエンサーのような役割を果たすことだと思いますが、MLPの選手は基本的に勝つことが一番のキャリアアップへの道になります。
――競技転向からここまでで、最も苦しかった時期はいつでしたか。
船水:間違いなく、挑戦してから最初の2、3カ月です。世界一になると宣言してアメリカへ行ったのに、アマチュア選手にも勝てないし、技術を馬鹿にされ、英語も話せない。練習に入ってもボールが来ないから他の人より長くコートにいないと、球を打つことすらできませんでした。10時間コートに立ち続けて、頭が真っ白になって倒れたこともあります。
大会も、ペアを探すためにとりあえず会場に行き続けました。エントリーはしているけれど、結果を残していない上に言葉も通じないのでなかなかペアを組んでもらえず、パートナーは決まらない。会場でいろいろな人に声をかけ、マッチングシステムで前日ギリギリに決まることもありました。1回戦で負けることも多かったですが、負けた後も大会が終わるまで会場にいて、空いている人を見つけて練習に入れてもらい、インスタグラムや電話番号を交換するんです。ペアを見つけるためにそれを毎大会、朝から晩まで繰り返していました。知ってもらって認められるまでの道のりは、今思い出しても相当きつかったです。
――その時に築いたつながりが、チャンスを広げていったのですか。
船水:連絡先を無数に交換していたので、勝ち始めた時に、「あの時のお前か」と言われるようになりました。そこで点と点がつながって、パートナーを組めるようになったり、出られる試合が増えていきました。
<了>
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[PROFILE]
船水雄太(ふねみず・ゆうた)
1993年10月7日生まれ、青森県出身。ジュニア時代からソフトテニスで頭角を現し、東北高校、早稲田大学、NTT西日本で各世代の主要タイトルを獲得。日本代表として世界選手権優勝にも貢献した。2020年4月にプロ転向。2024年1月に単身渡米し、ピックルボールに本格挑戦。2025年に日本人初のMLP選手となり、2026年5月にはPPAツアーのアトランタ大会4位に続き、サンクレメンテ大会男子ダブルスで日本人初優勝。日本人男子初のアジアランキング1位に立った。さらに同年7月、世界最高峰のアメリカPPAツアー公式大会「PPAアジア500東京オープン」男子ダブルスで優勝し、5月大会に続くタイトルを獲得した。
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