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ラグビー南アフリカ初の黒人主将シヤ・コリシが振り返る、忘れ難いスプリングボクスのデビュー戦
前回大会王者としてラグビーワールドカップで激闘を繰り広げているスプリングボクスことラグビー南アフリカ代表。大きなプレッシャーにさらされているチームにおいて、長期間に及ぶ膝の負傷から復帰を果たしたシヤ・コリシにかかる期待は大きい。そこで本稿では、今月刊行された書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』の抜粋を通して、南アフリカを象徴する存在の波瀾万丈なラグビー人生を振り返る。今回は、2013年のスコットランドを迎えたスプリングボクスでのデビュー戦についてコリシ本人が語り尽くす。
(文=シヤ・コリシ、訳=岩崎晋也、写真=REX/アフロ)
「試合はわたしの21歳最後の日に行われ、父もスタンドに来ていた」
ラグビー代表チームのジャージは、それを着る選手が競技の頂点に上り詰めたことを示すものだが、多くの国では、デザインはシンプルだ。だが南アフリカには、はるかに複雑な経緯がある。長いあいだ、跳躍するスプリングボックが描かれた胸のエンブレムは国のごく一部の人々と、その人々の意識を象徴するものだった。ラグビーは真の男、つまり白人のアフリカーナー男性のスポーツであり、サッカーは黒人男性のスポーツだ、という意識だ。
アパルトヘイト下の南アフリカのアフリカーナーにとって、スプリングボクスのジャージは、オランダ人の祖先を記憶する青、白、オレンジのストライプの旧国旗、移住者たちの栄光を歌う旧国歌「南アフリカの呼び声」とともに、神聖なる三位一体のひとつをなしていた。国旗と国歌は、アパルトヘイトの終了後まもなく変更されたが、スプリングボクスのジャージは、国家統一のためにそれを使うことを望んだネルソン・マンデラ大統領の尽力によって存続した。
いまわたしは、そのチームの一員になる。
デビューとなるテストマッチの準備期間に、主将のジャン・デヴィリアスが宿舎の同室になってくれた。彼は主将であり、50以上のキャップを持っているためひとり部屋に泊まる権利があるのだが、それを放棄してまでわたしに付き添い、必要ならわたしを落ち着かせ、何が起こるか、わたしに何が期待されているかを話して聞かせ、わたしがこのレベルにいるに足る選手だと言ってくれた。コールやサインプレーに関しても覚えることが多く、その点でも助けてくれた。
試合はわたしの21歳最後の日に行われた。父もスタンドに来ていた。それまでにわたしのプレーを観たのは2回しかなく、しかも飛行機に乗るのはこのときがはじめてだった。おまけに屋根から落ちて骨折し、脚はギプスで固定されていたので、試合会場まで行くのはひと騒動だったが、どうにかやり抜いた。父のほうがわたしより喜んでいた。父自身も優秀なラグビー選手で、わたしが子供のころから一緒に過ごせない時間は長かったが、わたしは父が観戦に来てくれたことを誇りに思った。
フランソワ・ロウが欠場しているから23人に選ばれたのだということはよくわかっていたが、また、代表への選考は「自分ではどうすることもできない」ことのひとつだとも考えていた。できるのは最善のプレーをして、今後につなげることだけだ。
851番目のスプリングボック。ついに迎えたデビューの瞬間
開始わずか4分でアルノ・ボタが負傷した。どういうわけか、わたしは試合序盤で負傷があるといつも、そんなに深刻な負傷なはずがない、と反射的に考えてしまう。もちろん、それがまったく非合理であることはわかっている。怪我の深刻度は、経過時間とはなんの関係もない。それでもそう思ってしまうのだ。いずれにせよ、すぐにアルノはプレーを続行できないほどひどい怪我で、交代しなければならないことがわかった。ベンチで唯一のバックローであるわたしが代わりに入った。
準備の時間はほとんどなかった。体を動かし、マウスピースをはめ、必死で1週間苦しんだラインアウトのコールを反復した。とつぜん頭のなかで、思考が猛烈な速度でまわりはじめた。生涯ずっと、この瞬間を待っていた。ところがいざそれがやってくると、まるで心の準備はできていなかった。
フォワード・コーチのヨハン・ファングラーンがわたしの肩を抱いた。この人はとても面白い人だ。
コーチにしては若い30代前半で、わたしにはほかのコーチ陣よりも親近感があっただけでなく、高いレベルでラグビー選手としてプレーした経験がなかった。プレーの分析にずっと取り組んできて、コーチとしての地位を確立した人物だ。それは、「自分でやってみせてくれ」という態度の選手もいるなかでは、それほど簡単なことではない。
「シヤ」ヨハンは言った。
「はい」
「ラインアウトのコールは心配するな。プレーに集中しろ。自分らしく行け」
この言葉は忘れられない。
あのときのわたしにとって、これ以上のアドバイスはなかった。大会スタッフに肩を叩かれて、わたしは走りだした。
わたしは851番目のスプリングボックになった。何番かということはあまり重要ではないが、この数字は大きな意味を持つ。フィールドに立った瞬間、選手はひとりのスプリングボックになる。その試合が唯一のキャップとなるかもしれないし、キャップ100まで行くかもしれないが、関係ない。それは一生消えることはない。
エベンが最初にわたしにハグをした。それからジャン、そしてブライアン(・ハバナ)。ストーマーズのチームメイトたちだ。そうやって、自分がついている、おまえはこのレベルで戦える選手だということを知らせてくれた。
主将きっとみなを奮い立たせる言葉をかけるだろう……
〈プレーに集中しろ。自分らしく行け〉
その言葉に従った。よく走り、的確なタックルをし、ターンオーバーし、トライ目前まで行った。もし決めていれば、前年のスーパーラグビーに続くデビュー戦でのトライになっていた。多くの選手が初出場のテストマッチは一瞬で終わったと言うけれど、わたしは全部覚えている。
スコットランドは強敵で、ハーフタイムで6対10とリードされていた。控え室でジャンはひとつのことを強調した。後半が始まったら、絶対に先に点を取る。スコットランドはいいプレーをしており、ワントライワンゴール以上の差をつけられることは許されない。
チームはジャンの言葉に勇気づけられ、走って後半のピッチに戻った。ところが2分後に、スコットランドのロック、ティム・スウィンソンが中央を突破し、サインプレーでオーバーラップを作り、ワイドのセンター、アレックス・ダンバーにトライを決められた。
グレイグ・レイドローがコンバージョンの準備をするあいだ、ゴールポストの下で円陣を組んだ。わたしはパニックだった。「おれたちはスプリングボクスだ。こんなはずはない」。ジャンはきっといきり立ち、みなを奮い立たせる言葉をかけるだろう……だが彼は、なんと笑っていた。
「みんな、心配するな」と、彼は言った。
「追いついてやるさ。いままでどおりでいい」
われわれはいままでどおりにプレーし、やがて追いついた。レイドローのコンバージョンで6対17となったのが彼らの最後の得点になった。こちらはギアを上げ、3トライを決めた。スコットランドが自陣ゴールライン近くでモールを崩したことによる認定トライ、グレイ校のチームメイトでもあったJJ・エンゲルブレヒトのトライ、終了間際のジャン・サーフォンテインのトライだ。最後のトライで、スコアは少しできすぎの30対17で終わった。
デビュー戦でマンオブザマッチ。主将が笑った理由とは?
わたしはなんとデビュー戦でマンオブザマッチに選ばれた。
夢にも思わなかった。試合のレポートは、ほとんどどれもわたしに言及し、プレーを賞賛していた。テストマッチがこんなに簡単なわけはないとわかっていたが、しばらくはそれに浸った。
試合後、ジャンに笑っていたわけを尋ねた。すると、あれは自分のパニックをわたしたちに見せないためで、パニックはプレーにも影響するからだ、と彼は答えた。その教えを記憶にとどめ、わたしは選手として、そしてのちには主将として役立てた。どんな失敗でも笑えばいいわけではないが、ときにはちょっとした笑いが必要になることもある。
それからまもなく、知らない番号から電話がかかってきた。グレイ校の会計学の先生だった。勉強をサボって、いつの日かスプリングボクスに入ると言ったわたしに、君は傲慢だと告げた人だ。彼は心からわたしを祝福してくれた。そして、帳簿のプラスマイナスを合わせる科目の教師なのに、べつに会計学で手を抜いたからラグビーで成功したわけじゃない、これはゼロサムゲームじゃないんだ、と言って笑った。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』より一部転載)
<了>
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[PROFILE]
エディー・ジョーンズ
1960年1月30日生まれ、オーストラリア・タスマニア州バーニー出身。ラグビーオーストラリア代表「ワラビーズ」のヘッドコーチ。現役時代はフッカー。オーストラリアのニューサウスウェールズ州の代表として活躍後、コーチに転身。東海大学監督、ブランビーズ(豪)のヘッドコーチを経て、2001年、オーストラリア代表ヘッドコーチに就任。2003年のワールドカップで準優勝を果たす。2007年、南アフリカ代表のテクニカルアドバイザーとしてワールドカップ優勝。2012年、日本代表ヘッドコーチに就任。2015年のワールドカップでは、南アフリカ代表を撃破するなど歴史的3勝を挙げ、日本中にラグビーブームを巻き起こした。2015年よりイングランド代表ヘッドコーチを務め、2019年のワールドカップでは準優勝。2023年より現職。2012年東京サントリーサンゴリアスアドバイザー、ゴールドマン・サックス日本アドバイザリーボードも務める。
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