
“史上初の黒人主将”の重圧。ラグビー南アのコリシが語る「象徴。つまり崇拝し、祈りを捧げる対象」
前回大会王者としてラグビーワールドカップで激闘を繰り広げているスプリングボクスことラグビー南アフリカ代表。大きなプレッシャーにさらされているチームにおいて、長期間に及ぶ膝の負傷から復帰を果たしたシヤ・コリシにかかる期待は大きい。そこで本稿では、今月刊行された書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』の抜粋を通して、南アフリカを象徴する存在の波瀾万丈なラグビー人生を振り返る。今回は、2018年の南アフリカ代表キャプテン就任の重圧について本人が語る。
(文=シヤ・コリシ、訳=岩崎晋也、写真提供=東洋館出版社)
わたしが、スプリングボクスのキャプテン?
「対イングランドのテストマッチでは、シヤがキャプテンを務める」
部屋は賛同の声に包まれた。
わたしはそこにいたが、あまり現実感はなかった。いまでも、コーチ・ラシーにイングランド戦でキャプテンに任命されたときのことはすべて覚えている。それからはあらゆることが流れるように過ぎていった。わたしの体はたしかにその部屋に存在した。だが心は半分宇宙をさまよっていた。
わたしが、スプリングボクスのキャプテン? それはまるで考えもしないことだった。たしかにわたしはストーマーズのキャプテンだが、まだ就任して間もなかったし、スプリングボクスでの出場経験も数えるほどだった。もっと適任だと思える選手を幾人か思い浮かべることもできた。
チームメイトたちが歩み寄り、握手したりハグしたりした。わたしはそれが誰なのか、誰が何を言ったのかよくわからなかった。唯一覚えているのは、エベンから、いまどんな気分だと尋ねられたことだ。
「答えられない」とわたしは言った。「そうだろうな」と彼は答えた。
ミーティングが終わると、妻のレイチェルに電話をした。
「ねえ、大丈夫? なんだか声が変だけど」と彼女は言った。
「スプリングボクスのキャプテンになった」
電話が切れた。すぐに向こうからかかってきた。
「電話を落としちゃった。聞き間違いでびっくりしてしまって。さっき話したことをもう一度言ってくれる?」
わたしは笑った。
「スプリングボクスのキャプテンになったんだ」
彼女はすぐに父に電話して伝えるようにと言ったが、できなかった。まだ正式な発表はされていないし、自分でも意味がよく飲みこめていないのだ。
信じてもらえないだろうが、これが真実だ。わたしがスプリングボクスで最初の黒人キャプテンになるとは、まったく考えていなかった。コーチ・ラシーは記者会見を開き、そのことを報告した。
「わたしはシヤがアカデミーにいたときから、ストーマーズに加入するまでコーチとして接していました。だから彼の能力や、性格は知っています。また彼がひとりの人間として、主将として成長してきたことを知っています」
コーチ・ラシーはキャプテンを務めるのは6月のテストマッチ限定だと強調し、こう言い添えた。
「わたしはシヤが好きなんです。謙虚で、静かで、見かけ倒しの派手なプレーをしないから」 つまり、彼が作りあげようとしているチームの価値観をわたしが体現しているとみなしていたのだ。
象徴。つまり崇拝し、祈りを捧げる対象
わたしは何度も、これは政治的な任命だと思うかと質問された。根本的な変革を目指しているわけではない単なる名目、見せかけなのではないかと。わたしは2014年から2015年に、自分に対する疑いを抱いていたころのことを覚えていた。だが今回はちがう。わたしは選手として成熟し、代表の先発メンバーになって2年が経ち、スーパーラグビーに所属する国内最高のチームのひとつでキャプテンを務めていた。
わたしは質問に対して、自分にできる唯一の方法、つまり真実で答えた。
「わたしはラグビー選手であり、政治家ではありません。ですが、コーチ・ラシーは政治的な意図で行動するような人物ではないので、この任命は本物だと思っています。そして彼に応えるために、ピッチ上でしっかりとプレーしたいと思います」
この困難は、わたしがそれまでに直面したどの困難よりも大きかった。だが、これまでもずっと、どうにかして困難を克服してきたし、その困難に突き当たっているときは、どれも世界でいちばん大きい困難だと思っていたんだと考えた。いままでもずっと克服してきたし、今回も同じようにすればいい。
だが、困難は思っていた以上だった。スプリングボクスのキャプテンとして、誇大な賞賛を浴びたのはまったく予想外だった。キャプテンとして、フィールド外でやるべきことはたくさんあった。いままで以上のメディア対応や、試合前の審判とのミーティング、コーチ陣との連携、問題を抱えた選手を見つけることなど。だが、それらはあとまわしになった。
「国中の支持を集めるとは、最初はまるで思っていなかった」とコーチ・ラシーは言う。
「あれは急な決定で、事前に十分な議論をしていたわけではなかった。わたしとシヤも、数か月前から話しあっていたというわけではなく、戦略的な決定でもなかった。シヤはスーパーラグビーのチームでキャプテンとして最高の働きをしていた。スプリングボクス最初の黒人キャプテンとして、南アフリカ全体で起こった感情的な反応は、シヤにとってもわたしにとってもまるで思いもよらないことだった。いまから思えば、こんな大事(おおごと)になると想定していなかったというのは甘かった」 たしかに大事になっていた。わたしのキャプテン就任は、多くの人にとって非常に大きな出来事だった。彼らにとって、わたしはただのラグビー選手でも、ただのキャプテンでもなかった。わたしは象徴、つまり崇拝し、祈りを捧げる対象になり、それとともに、彼らを失望させてはならないという大きな責任も背負うことになった。
「わたしはこの国の黒人だけを代表しているわけではない」
子供のころに出会う自分の英雄というのは、たいてい自分に似た存在だ。子供たちは英雄の姿を見て、いつの日か、自分もああなるんだと思う。これまで、黒人の子供がスプリングボクスのキャプテンを見て、そこに自分自身を投影したことはなかった。そんなことはできなかった。
もちろん、子供だけではない。南アフリカのすべての黒人にとって、かつてはずっと白人だけのものだと思っていたチームのキャプテンに、自分を投影できる人物が就いたことは大きかった。わたしと同じ肌の色、背景を持つ人々は、いまようやくそうした対象を手に入れた。わたしは彼らの目標となり、そこから、信じがたいほど強力なメッセージが発せられた。〈やればできる〉この言葉なくして、どんな変化も起こりようがない。
デズモンド・ツツ大主教は、わたしがキャプテンになったことで、「わたしたちは大いに自信を持って歩けるようになった」と言い、「肌の色や社会階層にかかわらず、選り抜きの人々が上に立つことのできる社会」が南アフリカの理想だと表現した。わたしはこの言葉を真剣に受け止めた。そして、たくさんの人々からの質問を受けたのだが、そのたびにこう言った。
「わたしは黒人だけでなくすべての南アフリカ人を鼓舞したいと思っています。わたしはこの国の黒人だけを代表しているわけではありません」と。
プロスポーツ選手であることには過酷な一面もあり、ときどき、それだけの価値のあることだろうかと悩むこともある。だがそのあとでは、自分の出身地の人々や、わたしを尊敬してくれる人々のことを思い出す。わたしを見て勇気づけられる人々の力になるためには、毎週プレーしなければならない。それがわたしの義務だ。わたしは黒人の子供たちだけでなく、すべての人種の人々を鼓舞したい。
フィールドに立ち、観衆を見上げると、すべての人種、社会階層の人々がそこにいる。わたしたちは選手として、国全体を代表している。わたしはチームメイトたちにこう言った。
「おれたちはひとつの集団の代表選手ではない。自分のコミュニティにアピールするために、最高の黒人選手とか、最高の白人選手になろうとしては駄目だ。すべての南アフリカ人にとって最高の選手になるためにプレーしよう。おれたちは想像できないほど大きなものを代表しているんだ」
大切なのは、目的地だけではなく、そこへいたる旅の過程だ。
はじめての黒人キャプテンになったことは、それまでの経緯を思えば、さらに計りしれないほど重要なものになる。それはわたし以前の才能ある多数の選手たちが、ただ肌の色だけを理由に到達できなかった場所なのだから。わたしは、わかっているかぎり、記者会見で片言以上のコサ語を話すことのできる最初のスプリングボクスのキャプテンだ。コサ語は、これまでこの地位を得ることのできなかった有色人種の選手たちの言語だ。だがもう、そんなことはない。
「シヤは、人々を結びつけ、集団としてまとめる力を持っている」
わたしをマンデラ大統領になぞらえる人々もいた。
光栄で、嬉しいことではあるけれど、やはり間違っている。わたしはラグビー選手であり、より小さな世界のなかにいる。マンデラ大統領は長年刑務所で過ごし、釈放されたあと、とても大きなことを成し遂げた。わたしは人々、とりわけタウンシップで暮らす人々の力になるために、ラグビー選手としてできることをしなければならない。しかしそれは、マンデラ大統領の仕事とは比較にならない。
クラブでも代表でも、プレーしたすべてのチームで、異なる文化出身の選手たちがいて、それが複雑なダイナミクスを生み出していた。そうしたダイナミクスは、うまく使えばチームの力を大いに高めることができる。また使いかたを誤れば、さまざまな問題を引き起こす。コーチ・ロビーはこう言っていた。
「戦術や、審判との関わりかたは教えたり学んだりすることができる。だがシヤは、人々を結びつけ、集団としてまとめる力を持っている。これは教えられるものじゃない。それは彼に自然に備わっているんだ。彼はなんでもないことのように、人々をまとめ、共通の目標のために戦わせることができる」
わたしはつねづね、こんな質問をされる。「あなたはタウンシップの出身です。そこを出ることができて、きっと嬉しかったでしょう」と。わたしはこんなふうに答える。「いいえ。いまのわたしがあるのは、幼いころに学んだことがあるからです」。
わたしは自分の過去の経験を何かと交換しようとは思わないが、転校したことで、異なる背景から来た人々を理解することができるようになった。わたしはひとりひとりの人と、できるだけ長い時間を過ごしたい。その人が何を好み、何を好まないかを知りたい。
わたしは昔から、人をよく知り、仲良く過ごしたいという思いが強かった。ほかの人々にとって何が重要かを知るのは重要なことだ。人々を知れば知るほど、キャプテンとして何を話せばいいかがわかる。
わたしはニュースの類いからできるだけ離れるようにした。多くの人々がとても前向きな反応をしていたのは知っていたし、チームの応援を耳にするのはすばらしい。だが、外からの重圧を自分にかけすぎないために、あまり読まないことにした。
【第1回連載】ラグビー南アフリカ初の黒人主将シヤ・コリシが振り返る、忘れ難いスプリングボクスのデビュー戦
【第2回連載】「日本は引き分けなど一切考えていない」ラグビー南アフリカ主将シヤ・コリシが語る、ラグビー史上最大の番狂わせ
<了>
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『RISE ラグビー南ア初の黒人主将 シヤ・コリシ自伝』より一部転載)
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[PROFILE]
シヤ・コリシ
1991年6月16日生まれ、南アフリカのポート・エリザベス出身。ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップのシャークスに所属するラグビー選手。現在ラグビー界で最もリスペクトされている選手のひとり。2018年にラグビー南アフリカ代表、スプリングボクスの主将に任命され、128年のチームの歴史ではじめての黒人主将になった。翌年には、チームをラグビーワールドカップ決勝でのイングランド戦の勝利に導く。2020年には妻のレイチェルとともにコリシ財団を立ちあげ、医療関係者に個人用防護具を提供し、南アフリカ国中で食料支援を行っている。
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