田中希実がトラック種目の先に見据えるマラソン出場。父と積み上げた逆算の発想「まだマラソンをやるのは早い」

Education
2024.02.01

陸上・田中希実は、800mから5000mまで多種目に挑戦し、年間を通して多くの試合に出場。昨年4月からはプロに転向し、国内外のレースで新記録を打ち立ててきた。伸びやかなスタート、ダイナミックな走り、勝負を仕掛けるギアチェンジ、力強いラストスパート。さらなる飛躍を予感させるその走りは、過去のレースで経験した悔しさも糧となったという。今後は10000mやマラソンでも世界への挑戦を視野に入れている。そんな24歳のトップランナーが秘めた可能性を、コーチでもある父・健智さんの言葉から紐解いていく。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=アフロ、本文写真提供=田中家)

多種目に出ることで「すべてがつながり合う」ように

――健智さんが本格的に希実さんのコーチをされるようになったのは大学1年生の時だったそうですが、それまではどのように見守っていたのですか?

田中:中学と高校では顧問の先生に任せながら、毎年、夏休みの1週間ぐらいはこちらに預けていただいて、岐阜県の御嶽山で合宿を行い、私がトレーニングを見ていました。それ以外の部分では、本人が悩んでいることや、相談してきたことに対してアドバイスはしていたのですが、そこまで踏み込んだところまで言うことはなかったです。

――中学生の頃はそこまでスピードのある選手ではなかったそうですが、コーチになって他種目に挑戦してこられた中で、トレーニングではどのようなことを大切にしてこられたのですか?

田中:本格的にコーチをするようになってからは、「自分ならこうやるだろうな」という感覚を大切にしてきました。複数種目にエントリーしたり、他の選手に比べると一年を通してレースに出続けていて、マラソンで言えば川内優輝選手のようなスタイルに近いと思います。ただ、闇雲にいろいろな種目に出場しているわけではなく、すべてのことがつながり合うように練習を考えています。

――希実さんは1000m、1500m、3000m、5000mで日本新記録を更新してきましたが、800mも含めて種目ごとにギアの上げ方やペースも違う中で、それぞれの感覚がつながり合うような感じでしょうか。

田中:そうです。例えば、「なんでこんなにレースに出ているんだろう?」とか、「なんで、800mを走らないといけないんだろう?」などと疑問に思ってしまったら、つながらないので練習の意味がなくなってしまいます。そういう一つ一つの練習が、世界陸上のような本番につながっていくことを希実自身が理解して取り組んでいます。  以前は他の選手にも同じようなスタイルで指導をしたことがありますが、指導者としての力量不足から、その選手がレースに出過ぎて疲れてしまったり、練習の意図が伝わらず、「なんでこんなことをやっているんだろう?」と練習でも腑に落ちないことがあり、難しさを感じました。その感覚が理解できるのは、親子だからという部分もあると思いますが、自分が最終的にどんな目標を持って、どうなりたいかということが明確だからこそ、日々の練習やレースにも集中できているのかな、と思っています。

東京五輪で感じた「ラストの差」を埋めるために

――希実選手は常に「世界で戦える選手になりたい」と話していますが、各種目のレースに出場する際、目標設定においてどのようなことを大事にされているのですか?

田中:例えば、オリンピックやマラソンに出場する選手が「メダルを目指します」という目標はよく聞きますが、「メダルを取るためにどうするか」という部分が抜け落ちている場合は「目標」とは言えないと思います。例えば、長距離種目なら最後の一周、マラソンならラスト1キロとか、ラストスパートをかける最後の最後まで先頭集団についていけないとメダルは狙えないし、世界はその勝負どころで動いてくる。その位置にいなければ、「入賞」や「メダル」という目標は口にできません。だから、どの種目でも最後の段階での「よーいどん」まで残ることを一番大事にしています。その上で、そこから先のラストで通用しなかったら、次はそこで通用するように取り組もう、と。

――世界大会での感覚を具体的にトレーニングに落とし込んで積み重ねてきたことが、希実さんのラストスパートの強さにつながっているのですね。

田中:そうですね。2019年にドーハで行われた世界陸上の5000mに出場した時は、予選で自己ベストを出して、決勝でもベストは出たんですけど、結果は15人中14位で終わりました。その時は全然、ラストに残れていなくて、それまでに振るい落とされていたんです。「その差をどう埋めていけばいいんだろう?」と考えて、「もう一度、1500mをしっかりやろう」と取り組みました。その結果、東京五輪は先に1500mで結果(8位で日本人初の入賞)が出たんです。1500mの予選と準決勝で、日本記録と自己ベストを更新しながら先頭に立ってレースを進めることはできたのですが、最後の最後でかわされて順位を落としたんです。その後の決勝も、結果的に8位入賞できたんですが、ラストスパートまでは5、6番手で走っていた中で、最後の直線の50mで順位を落としてしまった。だから、その差を埋めるために次は800mに取り組むというように、「最後の局面でどこの部分が足りないか」ということを切り取って強化してきました。

 それで、800mが走れるようになったら今度は距離を伸ばして1500mに置き換えて、1500mで走れたら3000m、3000mができたら5000m、というふうにトレーニングに落とし込んで、それを丁寧にやってきたんです。世界のトップレベルで考えた時には、得意な種目で勝負することが一般的ですが、私たちが5000mのラスト800mで世界と互角に戦える力をつけようと思えば、800mで日本のトップにいないと厳しい。それが見えたからこそ、こういうやり方をしてきました。だから、全部を走れないと世界では通用しないと思っています。

マラソン出場を目指す過程でトラック種目が速くなった

――他種目への挑戦ありきではなく、世界と戦うために理に適ったトレーニングを追求されてきたのですね。過酷な練習を積んでこられたそうですが、従来の枠にとらわれないやり方が希実選手に合っていたということもあるのでしょうか?

田中:そうですね。希実が小学校の時から中学校にかけて、家内と「(希実は)スピードがないけれど、同じペースで走り続ける能力はあるよね」と話していたんです。それで、当初は「トラックの種目はある程度のところまでしかいけないだろう。将来的に世界で通用するとしたらマラソンしかないんじゃないか」と考えていたんです。そのためにも「早い段階でマラソンをやらせたほうがいいのではないか」と以前は思っていたんですが、違う距離から丁寧に取り組んで、できないことを潰していこうと取り組んだら、結果的にトラック種目がすごく速くなったという感じなんです。

――「一度トライしようと思うと、それが実現するまでチャレンジする」希実さんの粘り強さと勝負へのこだわりがあったからこそですね。4種目で日本新記録を塗り替える快挙は、本当にすごいです。

田中:それぞれの種目の走り方を習得できれば、いろいろな距離に意識的に応用できるようになります。例えば、去年の5000mで出した日本記録(14分29秒18)は、400mのラップを1周69秒ぐらいで走って出したのですが、そのスピードを10000mに置き換えて、1周72秒ペースで走ることができれば、「1周あたり3秒ペースを落としても日本記録(30:20:44/新谷仁美)を超えることができる」という、逆の発想ができるわけです。そうすると、10000mでも世界大会が視野に入ってくる。今はまだそこまで本格的にやってはいないんですけれどね。ただ、段階を踏んで「そろそろ10000mも始めようか」という話もできるし、それができたら、いよいよマラソンにも意識が向くと思います。5000m以上は走れないんじゃないか、と思われる方も多いと思いますが、私としては「まだそこまでしかやらせていない」という感覚なんです。

――それは楽しみです。健智さんは市民ランナーである奥様をサポートしながら、北海道マラソンで2度の優勝に導かれていますし、希実さんも初挑戦であっと驚くような結果を見せてくれそうな期待感があります。マラソンはどのぐらいのタイミングでチャレンジしようと考えているのですか?

田中:慌てて取り組む必要はないと思っています。というのも、女子のマラソンの世界記録は、2時間11分53秒という、少し前なら日本の男子の優勝タイムになるような記録も出ているぐらい、レベルアップしているからです。5000mを15分前後のペースで走れる選手がたくさん出てきているということなので、まずスピードを磨かなければ、まったく違う世界のレースになってしまう。そう考えると、まずはトラックの種目で世界の選手と対等に戦える力を引き出してから、着実に距離を伸ばしていく方が現実的です。「マラソンなら、スピードがなくても世界大会に出られる」という発想ではなく、「マラソンで、世界で勝つためにはどうすればいいか」と考えて、今はトラック種目に取り組んでいます。

 それと、マラソンに出場するには、まだ精神的な面で成熟していないと思っています。今はレースによって浮き沈みがあって、一つの躓(つまず)きで大きく影を落とすことがあるからです。私と家内はマラソンは、競技力以上に性格が結果に出てしまうスポーツだと考えています。だからこそ、自分をさらけ出しながら走って、結果が伴わなかった時の自分を否定された感覚は計り知れないものがあります。否定された時にどう切り替えて立ち向かうか、という部分が成熟しないとやらせられない。実際、日々トラック種目と一生懸命に向き合っている今は、「まだマラソンをやるのは早い」ということだと思うので、あと数年はやるべきではないかなと考えています。

【連載前編】女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線

【連載後編】読書家ランナー・田中希実の思考力とケニア合宿で見つけた原点。父・健智さんが期待する「想像もつかない結末」

<了>

[連載:最強アスリートの親たち]阿部兄妹はなぜ最強になったのか?「柔道を知らなかった」両親が考え抜いた頂点へのサポート

なぜ新谷仁美はマラソン日本記録に12秒差と迫れたのか。レース直前までケンカ、最悪の雰囲気だった3人の選択

25歳のやり投げ女王・北口榛花の素顔。世界を転戦するバイリンガル、ライバルからも愛される笑顔の理由

「お金のため」復帰した新谷仁美 一度引退した“駅伝の怪物”の覚悟と進化の理由とは?

[PROFILE]
田中希実(たなか・のぞみ)
1999年9月4日生まれ、兵庫県出身。女子1000m、女子1500m、女子3000m、女子5000mの日本記録保持者。西脇工業高校、同志社大学卒業後、豊田自動織機を経て、2023年4月よりプロアスリートに転向。東京2020オリンピックでは、女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞。2023年4月からプロに転向し、8月の世界選手権では5000mで日本記録を更新し、日本人として26年ぶりとなる8位入賞。9月のダイヤモンドリーグで5000mの日本記録をさらに更新した。

[PROFILE]
田中健智(たなか・かつとし)
1970年11月19日生まれ、兵庫県出身。三木東高で陸上を始め、卒業後は川崎重工に在籍。3000メートル障害で全日本実業団選手権入賞経験あり。25歳で引退後は兵庫県小野市に戻り、仕事と並行して、妻・千洋さんのマラソンをサポート。豊田自動織機TCのコーチをへて、現在はランニングクラブ「ATHTRACK株式会社」を経営しながら娘・希実のコーチを務める。

この記事をシェア

LATEST

最新の記事

RECOMMENDED

おすすめの記事