スキージャンプ・葛西紀明が鮮やかに飛び続けられる理由。「体脂肪率5パーセント」を維持するレジェンドの習慣
「やったー!」。2月3日に札幌市の大倉山ジャンプ競技場で行われた国内大会で、“レジェンド”ことスキージャンプの葛西紀明が逆転優勝を飾り、力強いガッツポーズを決めた。50代に入っての初優勝の背景には、ストイックな減量や走り込みの日々があった。若い頃と変わらない体脂肪率を維持しながら、表彰台を目指し続けてきた一方で「50代に入ってから体が変わった」と感じ、その習慣も変化しているという。30代後半に新たなピークを迎え、41歳の時にソチ五輪でラージヒル個人で銀メダルを獲得、その後も第一線で活躍してきたレジェンドは、体と心をどのようにコントロールしてきたのだろうか。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=松尾/アフロスポーツ)
2年ぶりの優勝で表彰台に
――2月3日に札幌市の大倉山で行われたノルディックスキー・ジャンプのTVh杯で、50代での初優勝という新たな記録を達成されました。改めて、50代での初優勝をどのように受け止めていますか?
葛西:たくさんお祝いの言葉をいただき、LINEでも200件くらいはメッセージがきていました。一文字一文字心を込めて返したんですけど、うれしかったですね。「50歳になってからの優勝」というのは、自分ではそこまで実感がないのですが、周りの方が「すごい」と言ってくれるので、「すごいのかな?」と思えてきました(笑)。
――滞空時間が長く、現地で見たくなるようなジャンプでした。飛んでいるときは、どんなことを考えているのですか?
葛西:アプローチ(助走路)では、「この位置に乗って、目線はここで、飛び出しのタイミングはここかな?」などといろいろなことを考えていますが、飛んでいる空中姿勢では、頭の中は真っ白とまではいかないですけど、「風が来ないかな? どこまで行くかな?」などと考えています。何も考えずに体が勝手に動く時は絶好調ですね。
――この大会に向けて、朝夜の走り込みなどを続けて1カ月で5キロも減量をされたそうですね。
葛西:歳を重ねるとなかなか体重が落ちなくなるので、試合前にはいつも食事を減らして体重を落としているのですが、それがすごくキツイんですよ。空腹と戦いながらブラックコーヒーを飲んでいるんですが、午前・午後トレーニングした後の断食なので、なおさらキツくて。でも、「これだけやったぞ」という自信にはなりますね。
――減量期にブラックコーヒーを飲む習慣は20代の頃から続けているそうですが、どのような効果がありますか?
葛西:同じゼロキロカロリーでも、お腹が空いた時にお茶とか水などを飲むと、お腹がグーグーいって止まらないんですよ。でも、ブラックコーヒーを飲むと、その音が止まることを発見したんです。それ以来、減量の時はずっとブラックコーヒーを飲んでいます。カフェインの摂りすぎは良くないと言われますが、僕の場合はよく寝られますから。
50代で変化した大会前の体づくり
――50代に入ってから、体づくりで意識的に変えたことはありますか?
葛西:以前までは大会前に3日間の断食をしていたのですが、去年、50歳を超えて断食をやった時に、筋肉痛になったんです。それは今までやってきて初めての経験でした。変なトレーニングした訳ではないのに、急に体が痛くて歩けないくらいになってしまったので、「これはちょっとまずいな」と思って。それからは断食はやめて、食べる量は減らしつつもしっかり食べて、朝晩ランニングをしながら1カ月くらいかけて少しずつ落としていく方法に変えたんです。走ることで持久力とメンタルも鍛えられますし、減量もできるので、一石三鳥だと思いながらやっています。何事も継続することが大切なので、大体こうしておけば長く続けられるだろう、と考えながらやっています。
――体の変化を感じて、習慣も変えてこられたのですね。葛西選手のプロフィールを見ると、身長は176センチですが、体脂肪率はどのぐらいなのですか?
葛西:家にあるタニタさんの体重計は筋肉量や骨や体の水分量まで全部測れるんですが、今はそれで毎日5.8パーセントから6.8パーセントぐらいの間を行ったり来たりしています。
――そんなに低いんですか! スキージャンプは1キロで飛距離が2m変わると言われますが、やはり体重が変わると飛距離の変化も実感されますか?
葛西:「そんなの関係ない」と言う人もいますが、僕は変わると思いますし、気にしています。体重が軽い方が絶対に有利だと思うので、体重管理はシビアにやっています。
――それだけシビアに食事制限をしている中で、大会が終わった後などには好きなものを食べることも?
葛西:もちろんありますよ。普段、減量で炭水化物を少なめにしているので、白いご飯はすごく食べたくなるんです。あとは、筋子やたらこ、明太子、なめたけや卵かけご飯など、何か一品あればいいので、それを出来立てのホクホクの白いご飯と一緒に食べたいなと。あとはトンカツとかも好きですし。試合が終わった日は自分へのご褒美としてそういうものを思い切り食べています。
健康と美肌維持のためのランニング習慣のすすめ
――ご著書の『40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方』では、30代後半から新たなピークをつくり、41歳になって「過去最高の自分」(ソチ五輪で初めて個人の銀を獲得)を迎えて、その後も維持し続けているというお話が印象的でした。40代以降も第一線で戦うために続けてこられたことで、アスリートではない一般の方でもできることはありますか?
葛西:僕はランニングを推したいですね。朝ランでも夜ランでも、どんな形でも毎日走れれば理想的ですね。毎日のランニングって面倒くさくて、憂鬱になることもあると思うんですが、慣れてしまうと何とも思わないんですよ。僕らは持久力つけることや痩せるためにやっていますけど、継続できない人は多分、最初の設定が悪いと思うので見直してみてください。みんな痩せたくて、「運動しなきゃ」と思って始めると思うのですが、最初のきっかけと、始めるときの設定が継続できるかどうかに大きく関わってきます。
――無意識に、目標設定が高くなってしまっているのでしょうか?
葛西:そうです。やっぱり続けられることが大事なので、そのための運動量、運動時間を考えてほしいですね。最初は歩きで、毎日10分とかでもいいんですよ。大体、「すぐに痩せたい」と思って、40分や1時間走りきっちゃう方が多いのですが、そうしたら「あ〜、また1時間走らなきゃならない、面倒くさい、どうしよう」ってなってしまいますから。10分から始めると、「たった10分でいいんだ」って、毎日10分歩いているうちにだんだん疲れもなく歩けるようになってきて、今度は「5分だけ伸ばしてみよう」「10分伸ばしてみよう」って、必ずそうなります。それで、時間を伸ばしてやっているうちに「今日は30分走ろう」って、毎日できるようになるんですよね。
――継続することで体が慣れて、自信がついてくるんですね。
葛西:自信もつきますし、習慣化することは大きいですね。あとは、歩いたり走ったりしながらいろんなことを考えるといいと思います。僕は、次の試合でどういうジャンプするか、どうやって勝つかを考えたり、欲しいものも思い浮かべます。車やテレビ、洗濯機とか。そういうことを思い描いているだけで、成功に一歩近づくんですよ。最初はつらいかもしれないですが、そういうところからやっていけば続くし、痩せればさらにやる気が起きます。それに、汗をかくことで若返りますよ。
――そういえば、葛西選手はお肌もすべすべですよね。
葛西:僕は毎日走る時、サウナスーツを着て走っているんです。絞ったらジャバジャバっと水がこぼれるぐらいの汗をかいて、また水を飲んで、と。そうすると、体の悪いものや老廃物が出ていく気がしますし、代謝が良くなるから肌も調子がいいのかなと思っています。それもランニングの効果だと思います。
――ジャンプで飛ぶ時の姿勢がすごくきれいですが、柔軟性や体幹なども日々鍛えているのですか?
葛西:姿勢は意識的に何かをするというよりは、普段から無意識に正している部分はあります。飛ぶ時の姿勢を褒めてもらえることもあるのですが、やっぱりうれしいですからね。
レジェンド流「質の高い休み」とは?
――大会前などはストイックに自分をコントロールしながら、レジェンドはいつも笑顔が印象的です。オンとオフの切り替えは意識されていますか?
葛西:オンとオフは大事にしてきたのですが、今では勝手に自分の脳が切り替わるようになりましたね。だから、人よりは疲れにくいと思います。
――休みをより質の高いものにするためのアドバイスはありますか?
葛西:仕事のことは一切考えないことです。僕の場合はジャンプのことは、ジャンプ台に行った時以外は一切考えないですね。ただ、オフの日も何かしていないとジャンプのこと考えてしまうので、ショッピングをしたり、おいしいご飯を食べに行ったり、温泉が好きなので、温泉に浸かって「はぁ〜」とリラックスします。
趣味でゴルフやテニスをやっているのですが、球技も好きですね。バスケットボールやバレーボール、バドミントン、スカッシュなどは好きですね。そうやって体を動かしながらも、脳をリフレッシュさせることが大事だと思っています。
――脳をリフレッシュすることが一つのポイントなのですね。
葛西:みんな「疲れた」ってよく言いますよね。でも、実は体ってそんなに疲れていなくて、実は脳が疲れていると思うんです。脳が「疲れた」と感じると、体も疲れていると錯覚してしまうんです。だから、脳をリフレッシュして休ませることで、「よし、仕事頑張ろう!」と前向きになれるような休み方をしてほしいですね。
【連載後編】レジェンド・葛西紀明が挑む新たなギネス世界記録。「愛するスキージャンプを死ぬまで貫き通したい」
<了>
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[PROFILE]
葛西紀明(かさい・のりあき)
1972年6月6日、北海道下川町出身。小学3年生でスキーを始め、1992年のアルベールビル五輪に19歳で初出場し、以後2018年平昌大会まで、オリンピック8大会に出場。オリンピック最多出場のほか、ワールドカップ個人最多出場、ワールドカップ最年長優勝、冬季五輪ジャンプ最年長メダリスト、ノルディックスキー世界選手権ジャンプ最多出場と、5つのギネス世界記録を保持。2009年からは所属の土屋ホームで選手兼監督として戦い、自身も記録に挑み続けている。
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