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歴代GK最多666試合出場。南雄太が振り返るサッカー人生「29歳と30歳の2年間が一番上達できた」
1998年に柏レイソルでプロデビューを果たし、現役生活26年目の2023年シーズンで現役を引退した南雄太氏。Jリーグ通算666試合出場は、GKとしての歴代最多出場記録。記録にも記憶にも名を刻んだ名GKが振り返る、人生のターニングポイントとは? またその時、何を思い、どのようなアクションにつながったのか? 南氏と親交の深いGK指導者・澤村公康氏が、サッカーを切り口に人生に役立つ新たな視点を届ける共育メディア『Footballcoach』の特別インタビューとして話を聞いた。
(インタビュー=澤村公康[ゴーリースキーム代表]、構成=多久島皓太[Footballcoachメディア編集長]、写真提供=Footballcoach)
「一喜一憂しない」目の前の一つ一つが積み上げた大記録
澤村:雄太はヴェルディの下部組織(当時の名称は読売日本SCJrユース)で育ち、デビュー戦の相手もヴェルディ(川崎)、666試合目の現役最終戦の相手も(東京)ヴェルディ。すごい縁ですね。
南:僕自身もすごい縁だなと感じました。リーグ最終戦がヴェルディということはわかっていましたし、なんとか出場したい気持ちは強かったので。スタメンから90分使っていただいたことで、ピッチでその幸せを噛み締めながら現役を終えることができたのでよかったです。
澤村:プロとして、666回も監督やスタッフから信頼を得てゴールマウスを守ってきたわけですが、666試合を振り返って思うことはありますか?
南:666試合出たという実感は正直あまりなくて。一試合一試合積み重ねてきた結果が、たまたまこの数字になったと思っています。特に30歳を超えてからは、そのメンタリティでやってきましたね。試合数よりも、試合に出て何ができたのか、クオリティや結果を意識していました。
澤村:改めて積み上げてこられたキャリアの凄さを感じますね。その中でも、うまくいかなかった時のメンタルはどのようにコントロールしていましたか?南:僕が一番心掛けていたのは「一喜一憂しないこと」。いい時も悪い時もある中で、勝ち負けや周りの評価に左右されないように保っていました。日本代表になりたい、優勝したいなど明確な目標を持つことももちろん大事だと思います。自分はそれよりも、「一日一日、一回一回の練習をどれだけ100%の力でできるのか」。この積み重ねしかないと思っていました。
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一番成長を実感できた柏レイソルでの“2年間”
南:キャリアの中では、30歳の時に柏と契約満了になったことがすごく大きい出来事でした。サッカーができなくなる恐怖心が初めて芽生えましたし、「このままオファーがこなかったらサッカーをやめないといけない」と初めて考えた瞬間でした。
そこから(ロアッソ)熊本にオファーをいただき、移籍することになりましたが「この先、いつ同じようなことが起こるかわからないから、後悔しないようにしよう」と思い、目の前のことに全力で取り組むようになりましたね。
澤村:なるほど、では一つ目のターニングポイントはそこですか?
南:そこも一つですが、29歳と30歳の2年間はターニングポイントですね。横浜FCから菅野(孝憲)が柏に移籍してきて、彼と過ごした2年間は自分をすごく変えてくれましたし、2年間ほとんど試合に出れなかったのですが、サッカー人生の中で一番うまくなった実感のある2年間でした。
ポジションを奪われる形になり、最初は言い訳を探しているような、矢印が外に向いていたんです。その状態から段々と「俺に何かが足りていないから試合に出られないんだ」と思うようになりました。
そこが大きなきっかけとなり、菅野からなりふりかわまず(得られるものを)盗んでやろうという気持ちになりました。思い返してみても、心も技術も大きく成長できた時間でした。
澤村:僕はこれまで30年間 GKコーチとして、ジュニアからトップまでのすべてのカテゴリーを指導してきましたが、「GKは試合に出続けることで成長していけるポジション」という認識があるんです。なので、雄太から「試合に出ていない2年間が一番成長した」と聞いて少し驚いたところはあります。
南:純粋に「もっとうまくなろう」といろんな人の話を聞いたり、プレーを見たりといった探究心が生まれたんだと思います。それまでは18歳でプロになって、うまくいっちゃっていたというか。なんとなく進んでいっていたんだなと。「まだまだ上達したい」という気持ちを持つことが自分自身を成長させるために一番大切なものだと感じました。
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いかなるクラブでもキャプテンマークを巻いてきた理由
南:自分がうまくなっている実感を携え、「なんとかピッチの上で表現したい」という思いのもとオファーをいただいた熊本に2010年に移籍しました。なんとしても「南雄太はまだやれるんだ」という姿を見せたいと思っていました。
澤村:僕はちょうど雄太とは入れ違いになりましたが、2015年からトップチームのGKコーチとして熊本に在籍していました。当時一緒にコーチをしていた北嶋秀朗くん(現クリアソン新宿監督)も、GKの話になったら雄太のことしか話していなかったんですよ(笑)。それくらい雄太が熊本に残した財産が、チームにもファン・サポーターにも多大なものだったんだと身をもって感じましたね。
南:熊本に行って、初めの二年間くらいは自分の中でもハイパフォーマンスを出せていた感覚でした。柏から出たことがなかった中で、試合に出続けることのできる幸せや喜びを初心に戻ったかのように再確認できましたし、プロとして初めての移籍が熊本で本当に良かったなと心から思います。熊本にいた4年間は、本当にサッカーが楽しかったんです。自分をいろんな意味で再生させてくれた場所でした。ファン、サポーターの方々から言われた「来てくれてありがとう」という言葉には、いつも背中を押してもらいました。
澤村:柏サポーターの名文句でもある「柏の子どもたちは、雄太の背中を見て育つ」という言葉。こういうことを言わせる選手はなかなかいないんじゃないかなと思っています。
南:そういっていただけるのはうれしいですね。柏、熊本、横浜FC、大宮(アルディージャ)と渡り歩いて柏を出てからはもう15年ほど経っているのに、いまだに柏の方々からその言葉をいただくことがあります。本当にありがたい限りですね。
澤村:技術だけではなく、ゴール前の佇まいや人間性などすべてにおいて人から信頼され、愛される男だというのが、いかなるクラブでもキャプテンマークを巻いてきた証拠でもありますね。引退発表の前に僕にも直接電話をしてくれたり、発表後にはこれまで所属した全クラブに自ら足を運んで挨拶に行ってましたよね。「だから偉業を達成できたんだな」とすごく納得できました。
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「ケガの経験も…」不運をも好転させるマインドセット
澤村:雄太が(2022年に)アキレス腱を断裂した時は、僕もお見舞いに行かせていただきましたが、これからどうなっていくんだろうなと少し心配した部分も正直ありました。でもそこから実際カムバックして、ファン、サポーターも大変喜んでくれていたと思います。自身では、アキレス腱断裂の大ケガの経験はどう感じていましたか?
南:それまで入院も手術も一度もしたことがなかったので、「この年でくるか」とは思いましたね。でも逆に考えると、この年まで続けていたからこういう経験もできましたし、この先の人生を考えた時にいい経験だったのかなとは思います。
澤村:そういったメンタリティは、もともと持っていたものなのか、サッカーから学んだことが大きいのかどうなんでしょうか?
南:基本的には何事にもポジティブな人間なので、いい経験だったのかもと思えますが、正直最初はもうダメかなって思いましたよ。日常の立つことや歩くことさえできないのに、サッカーをプレーする自分なんて想像すらつかなかったので。当たり前に当たり前のことができる幸せだったり、周りの方に対しての感謝だったり。ケガから学んだことは、これから先の人生にも必ず生きてくると信じています。
澤村:今回はこのようなタイミングで、雄太のさまざまなターニングポイントや当時の心境をお聞きできて、非常に有意義な時間でした。ありがとうございました。
南:こちらこそ、貴重な機会をありがとうございました。
(本記事はFootballcoachで公開中の特別インタビューより一部抜粋)
<了>
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[PROFILE]
南雄太(みなみ・ゆうた)
1979年9月30日生まれ、神奈川県出身。元プロサッカー選手。ヴェルディの下部組織から静岡学園高校に進み、全国高校サッカー選手権で優勝。高校生ながらU-20日本代表にも選出され、ワールドユースでは正GKとして準優勝に貢献。1998年に柏レイソルでプロデビューを飾り、2009年に退団。その後はロアッソ熊本、横浜FC、大宮アルディージャでプレーし、2023年12月に現役を引退。Jリーグ通算666試合出場は、GKとしての歴代最多出場記録。
[PROFILE]
澤村公康(さわむら・きみやす)
1971年12月19日生まれ、東京都出身。GKアカデミー「ゴーリースキーム」代表。三菱養和SCユース、仙台大学でプレー。1995年に鳥栖フューチャーズの育成GKコーチに就任。以降、ブレイズ熊本アカデミー、大津高校、日本高校選抜、JFAナショナルトレセンコーチ、浦和レッズアカデミー、女子日本代表、川崎フロンターレアカデミー、青山学院大学、浜松開誠館中学校・高校などさまざまなカテゴリーでGKコーチを歴任。2015年からロアッソ熊本、2019年はサンフレッチェ広島でトップチームのGKコーチを務めた。これまでシュミット・ダニエルや大迫敬介など日本代表GK、JクラブのGK、GKコーチなどを数多く輩出している。
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