「Jリーグにとって浦和レッズは貴重な存在」。村井満が浦和への制裁を無観客試合とした本当の理由
昨年30周年の節目を迎えたJリーグ。その組織面や経営面でのガバナンスは、村井満チェアマン時代の2014年から2022年までの8年間で劇的に強化された。その結果、切迫した財務面の問題は解消され、コロナ禍のリーグ崩壊の危機を乗り越え、Jリーグのパブリックイメージそのものが大きく変わることとなった。そこで本稿では書籍『異端のチェアマン』の抜粋を通して、リーグ崩壊の危機に立ち向かった第5代Jリーグチェアマン・村井満の組織改革に迫る。今回はチェアマン就任直後の2014年に起きた「JAPANESE ONLY」事件と「八百長疑惑」事件にどのように向かい合ったのかについて。
(文=宇都宮徹壱、写真=YUTAKA/アフロスポーツ)
「村井さん、さすがに失礼じゃないですか?」就任直後の試練
2014年3月に立て続けに起こった2つの事件。浦和レッズ対サガン鳥栖で浦和サポーターが人種差別を想起させる横断幕を掲出した「JAPANESE ONLY」事件。そして、スポーツ賭博市場でのサッカーの試合の賭け率を監視しながら検知や分析を行うEWS(アーリー・ワーニング・システム)社からサンフレッチェ広島対川崎フロンターレの試合で「小さな異常値が見られた」という連絡が入った「八百長疑惑」事件。村井満はチェアマン就任直後にもかかわらず、致命傷になりかねない2つの難題を抱えていた。
「まだチェアマンになって、間もないタイミングでしたからね。浦和の社長が淵田敬三さんというのは知っていましたが、当時は『広島と川崎の社長って誰だっけ?』という状況でした。そこから川崎の武田信平さん、広島の小谷野薫さん、ふたりのクラブ社長を呼んで事実確認をしようということになったんです」
そう振り返る村井。今となっては笑い話だが、当時はとにかく必死だった。
すぐさま両者の携帯電話にコールすると、まず川崎の武田とつながった。「今すぐ来られますか?」という村井の言葉に、武田の声は明らかに不機嫌の色が滲んでいる。
「村井さん、さすがに失礼じゃないですか? われわれは今、ACLで日本にいないんですよ。ご存じないんですか?」
ACLとは、アジアのナンバーワンクラブを決める大会、AFCチャンピオンズリーグのことである。川崎も広島も、このACLに出場中で、しかもアウェイ戦。武田は韓国、小谷野はオーストラリアだった。聞けば、木曜日(2014年3月13日)には成田に戻ってくるという。「帰国後、すぐにJFAハウスに来てくれますか?」と打診するも、やはり武田の声は苛立ちを含んでいる。
「村井さん、人を呼び出すんだったら、まずは要件を言いましょうよ」
もちろん村井とて、非礼は重々承知している。しかし八百長疑惑の場合、口裏合わせをされるリスクは絶対に避けなければならない。何とか要件を明らかにしないまま、武田と小谷野を2014年3月13日に呼び出す同意を取り付けた。
Jリーグ史上初となる無観客試合を発表。その裏で…
実は同日、村井はJFAハウスにて、「JAPANESE ONLY」のお詫び会見を行っている。浦和に対する制裁として、3月23日に行われるホームゲーム(対清水エスパルス戦)を、Jリーグ史上初となる無観客試合とすることを発表。無観客試合のインパクトにメディアは騒然となったが、その直前に八百長疑惑の極秘調査が行われていたことは、ごく限られた内部の人間以外は知る由もなかった。
その無観客試合を発表した会見で、村井は「こういうことを放置したら、香港みたいになってしまうんですよ」と口走り、記者団のぽかんとした顔を見て、これはまずいと取り繕っている。
「あの時に『香港』と言ってしまったのは、もちろん人種差別のことではなく、EWSの件だったんです。私がいた香港でも、スポーツ・ベッティングは盛んで、八百長の噂はわりと見聞きしていました。あの会見の直前まで、私は武田さんと小谷野さんに事情聴取しているんです。ですから、どうも頭の中でごっちゃになっていたみたいで(苦笑)」
そんな村井の心情をつゆ知らず、メディアも世間もJリーグ史上初となる「無観客試合」ばかりを話題にしていた。当代きってのコラムニストで、自身も浦和ファンだった小田嶋隆は、TBSのラジオ番組『たまむすび』で、Jリーグの決断を珍しく評価するコメントを残している。
「私はとてもJリーグを見直しましたよ。そういう決断ができる組織だとは、あまり思っていなかったので。だいたい日本のどの競技団体でも、財団法人でも、功成り名遂げた人たちが上に立っている組織って、決断できないことが多いじゃないですか。Jリーグは方向性を明快に打ち出して、それをちゃんと説明できた。なかなか日本の組織には、なかったことだと思いますよ」
無観客試合実施の発表後も、EWS案件の調査は極秘に進められた。会見翌日の3月14日、JFAの技術委員会と審判委員会から「試合映像を分析した結果、まったく異常はない」との報告を受領。17日には、緊急調査チームによる事情聴取が完了し、当該試合に関しての不正行為や働きかけの形跡が一切認められなかったことが確定される。そして18日、Jリーグによって本件は初めてリリースされた。
「村井さんが優先させたのは、情報の数よりも決断のスピード」
3月9日に沖縄で「なぜ、昨日のうちに報告しないんだ!」とチェアマンに叱責されてから、18日にEWSに関するリリースを出すまでは、広報部部長の萩原和之にとっても激動の10日間であった。その間、彼はずっと村井の傍らで、決断の一部始終を目の当たりにしている。
「もちろん大変でしたけれど、村井さんのそばにいた僕自身、すごく熱量が上がっていくのを感じました」
言葉にこそ出さなかったが、前チェアマンの大東和美との違いに、萩原自身が大いに刺激を受けていたのは間違いない。何より驚かされたのが、村井の決断力とスピード。その理由について、村井はこう語っていたという。
「一定の情報が集まれば、それ以上は同じ情報しか入ってこない。余計な情報がありすぎると、判断できなくなってしまうこともある。だから速く決断するんだよ」
これまで、さまざまな業界で広報業務に携わってきた経験から、不祥事が発生した時の指示の傾向というものを、萩原は熟知していた。その多くが「もっと情報を集めろ」というもの。しかし、Jリーグは(というより村井は)明らかに違っていた。再び、萩原。
「村井さんが優先させたのは、情報の数よりも決断のスピードでした。もちろん、相当な勇気が必要だったと思いますよ。とりわけ無観客試合については、それまでのJリーグの制裁では一度もなかったわけですから」
Jリーグで最初に、村井の決断力とスピードを目の当たりにしたのが萩原だった。その驚きは、やがてJリーグという組織全体に広がっていくこととなる。
もっとも、この時に決断した無観客試合が、どれほどの痛みを伴うのか。実は当の村井自身、まだ明確にはイメージできていなかった節が窺える。
浦和への制裁を「勝点減」ではなく「無観客試合の開催」とした理由
Jリーグ史上初となる無観客試合は、3月23日15時4分、埼玉スタジアム2002にて開催された。当日の公式記録には《[天候]晴、無風、気温16.2℃、湿度23%[ピッチ]全面良芝、乾燥 [試合時間]90分》とある。そしてひときわ目を引くのが《[入場者数]0人》という記載。
このような奇妙な公式記録は、少なくとも今後20年くらいは、お目にかかることはないだろう――。それが、当時の私が考えたことであった。
試合会場の最寄りである、浦和美園駅に到着したのは、キックオフ2時間前。いつものホームゲーム開催日なら、駅から埼スタにかけての道は、浦和サポーターの赤いユニフォームで埋め尽くされるはずであった。ところがこの日は、試合のない平日さながらに閑散としている。途中、すれ違うのはサッカーとは縁遠そうな地元住民ばかり。なるほど、これが無観客試合というものなのか。
この試合で、私が確認したかったのは、ただひとつ。それは「無観客試合」という、Jリーグによる制裁の妥当性である。
この裁定について、サッカーファンの間では「妥当」とする意見がある一方、「勝ち点剥奪のほうが効果はあったのではないか」とか「なぜ清水までとばっちりを受けなければならないのか」など、さまざまな反論もあった。
当時のJリーグ規約第142条「制裁の種類」には《Jクラブに対する制裁の種類は次のとおりとし、これらの制裁を併科することができる》とあり、軽い順から列挙されている。すなわち、①けん責、②制裁金、③中立地での試合の開催、④無観客試合の開催、⑤試合の没収、⑥勝点減、⑦出場権剥奪、⑧下位ディビジョンへの降格、⑨除名。
実はJリーグの規約は、この年の1月21日に改定されたばかり。③④⑤⑧が、新たに付加されている。規約はたびたび改定されており、2020年からは「制裁」という表現が「懲罰」に変更されている。
当時の村井の発言を読み返すと、浦和への制裁を「勝点減」ではなく「無観客試合の開催」としたのには、単なる落としどころではなかったことが窺える。
「(勝ち点を)剥奪するというよりは、直接的にサポーターが影響を受ける無観客試合のほうが、今回の本質をすべてのサポーターに伝えられると考えました」
「いつもは聞こえる音が聞こえないこと」の猛烈な居心地の悪さ
Jリーグ開幕以来、最も重く、誰も経験したことのない「無観客試合の開催」というペナルティ。
しかも、圧倒的な集客力と応援の熱さで知られる浦和のホームゲームが、観客も声援もない中で行われるのである。計り知れないインパクトゆえに、この問題を浦和という当該クラブのみならず、Jリーグ全体で受け止めようとする意図が、この時の村井にあったのは間違いない。
いつもの派手な演出やMCもないまま、浦和と清水の一戦はキックオフを迎える。19分に、アウェイの清水が先制。決めた長沢駿は、これがJ1初ゴールだった。しかし当然のことながら、サポーターの歓声もなければ、得点者のアナウンスもない。
この無観客試合で、猛烈な居心地の悪さを覚えたのは、スタンドに観客がいないことよりも、むしろ「いつもは聞こえる音が聞こえないこと」に対してであった。歓声、チャント(応援歌)、ブーイング、拍手、BGM、そしてスタジアムDJ。サッカーのゲームを構成する、それらのサウンドが排除されてしまうことの、何と味気ないことか。代わって耳に入ってくるのは、選手やベンチからのコーチングと、上空を旋回する報道ヘリのプロペラ音ばかり。
再び視線をピッチに戻す。清水の3倍近いシュートを放つものの、なかなかゴールに結び付けられない浦和。しかし76分、原口元気が右足で押し込んで、ついに同点とする。結局、試合は1対1のドローで終了。タイムアップとなった時、ピッチ上の22人の表情から、晴れがましさや充実感といったものは微塵も感じられなかった。試合後の握手を終えると、全員が足早にロッカールームへと駆け込んでいく。
「一刻も早く、この場から立ち去りたい」
そんな思いで、彼らの胸中は一致していた。
Jリーグ百年構想の理想とする姿と最も遠いところにある試合
あらためて「無観客試合での開催」という制裁の妥当性について、考えてみたい。
この制裁で、最もダメージを受けたのは、もちろん浦和の関係者である。無観客となったことで、およそ1億円の損失があったと言われているが、ことは入場料収入だけの話では済まされない。スタジアム周辺での飲食やグッズ販売まで含めれば、さらに損失額は膨れ上がるはずだ。
そして、これだけ多くのメディアに大々的に報じられたことで、制裁を科した側のJリーグもまた、痛みを分かち合うこととなった。村井はこの日、埼スタには赴かずに、スカパー!で観戦していた。そして試合後に広報を通じて、このようなコメントを発表している。
《Jリーグ20年の成長を支えてくださったのは、クラブを愛するファン・サポーター、ホームタウンの皆様です。クラブにとって一番の財産であるファン・サポーターの姿がないスタジアムでの試合は、Jリーグ百年構想の理想とする姿とは最も遠いところにある試合というしかなく、大変寂しく悔しい思いで試合を見ました。》
観客のいないスタジアム。それは試合を行った浦和と清水のみならず、Jリーグにとっても悪夢そのものでしかなかった。事件を「一部の人間によるもの」と矮小化させず、当該クラブ以外のファン・サポーターや関係者にも、当事者意識を持たせる。その意味において「無観客試合での開催」というJリーグの決断が、極めて効果的なメッセージとなったのは事実である。
ただし、想像していた以上の痛みを伴ったという理由だけで、果たして妥当だったと言えるだろうか。あとに残ったのは「誰にとっても苦い思い出でしかない」という現実。村井の決断は、必要以上に苛烈なものでもあった。
「それにしても」と、私は思う。「JAPANESE ONLY」事件が、村井のチェアマン就任以前に起こっていたら、Jリーグはこれほど迅速かつ毅然とした決断を下すことができただろうか。「良きに計らえ」タイプのチェアマンだったら、誰も何も決断できないまま、いたずらに時間が経過していた可能性は、十分にあり得ただろう。そうならなかったのは、当時の村井にサッカー界へのしがらみがなく、良い意味で怖いもの知らずであったこと。そして何より、ビジネスの修羅場をくぐってきた経験を持っていたことが大きかった。
「Jリーグにとっての浦和レッズは…」
「危機管理で何が大事かというと、やっぱりスピードなんですよ。何か起こってしまった時に、何よりも優先すべきはスピード。その意味で今回のJリーグの対応は、本当に素晴らしかったと思います」
事件を告発した、浦和サポーターの海野は、勤務先で広報業務に携わっている観点から、当時のJリーグの一連の動きを手放しで評価する。
「おそらく処分決定までの間で、村井さんはいくつかの手続きをすっ飛ばしていたはずなんです。でもそれは、今回の問題の深刻さを、しっかり認識していたからでしょうね。しかも、前例のないことに対して、毅然とした対応をしてくれました。僕は村井チェアマンに『Jリーグを救ってくれて、ありがとうございます』と申し上げたいです」
もっとも村井に対して、このような感情を抱く浦和のファン・サポーターは、それほど多くはないはずだ。その後、クラブに何かしらの懲罰が科せられるたびに、浦和サポーターは、この時の無観客試合を想起するようになる。中には「村井は浦和を目の敵にしている」と考える者さえ、決して珍しくない。
前述のとおり、Jリーグチェアマンに就任する以前の村井は、自他共に認める熱狂的な浦和サポーターであった。2007年にはイランのペルセポリスでのACL決勝に駆けつけているし、J2に降格した2000年には40試合すべてを現地観戦している。
そこまで愛して止まないクラブのサポーターから、時に憎まれ、時に激しいブーイングさえ浴びせられている。つらくはないのだろうか?
「チェアマン就任の際、私は『命を賭して』と言っています。その瞬間から、サポーターとしての個人的感情は完全に払拭しました。すべてはJリーグのために。その思いだけです」
淡々としながらも、毅然とした口調。そして村井は、こう続ける。
「Jリーグにとっての浦和レッズは、ホームもアウェイも関係なく、リーグ全体の平均入場者数を押し上げてくれる貴重な存在です。逆に浦和が絡む試合で、入場者数が落ちていくようなことになったら、それはリーグ全体の活力を削いでいくことになりかねません。だからこそ、一部の心無い行為によって、ネガティブなイメージを持たれてしまうことは、絶対に避けなければならない。その思いは、当時も今も変わりません」
Jリーグ史上初となる、そして「誰にとっても苦い思い出でしかない」2014年3月23日の無観客試合は、このようにして終わった。
無観客試合という決断は、結果として「村井満」の名前を良くも悪くも広めることとなった。そして、歴代いずれのチェアマンとも異なるリーダー像を、周囲に強く印象付けることとなったのである。
(本記事は集英社インターナショナル刊の書籍『異端のチェアマン』より一部転載)
<了>
【前編はこちら】Jリーグ「JAPANESE ONLY」事件の真実。その裏で起きた「八百長疑惑」。立て続けに起きた2つの事件とは
【連載第1回・前編】歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
【連載第1回・後編】Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
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【連載第3回・後編】DAZN元年にサポーターを激怒させたクルクル問題。開幕節の配信事故を乗り越え、JリーグとDAZNが築いた信頼関係
Jリーグ前チェアマン・村井満がバドミントン界の組織抜本改革へ。「天日干し」の組織運営で「全員参加型の経営に」
[PROFILE]
村井満(むらい・みつる)
1959年生まれ、埼玉県出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに名称変更)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。
[PROFILE]
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
1966年生まれ、東京都出身。写真家・ノンフィクションライター。東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、TV制作会社勤務を経て1997年にフリーランスに。国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、各スポーツメディアに寄稿。2010年に著書『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年に『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞2017を受賞。個人メディア『宇都宮徹壱ウェブマガジン』、オンラインコミュニティ『ハフコミ』主催。
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