Jリーグ「JAPANESE ONLY」事件の真実。その裏で起きた「八百長疑惑」。立て続けに起きた2つの事件とは
昨年30周年の節目を迎えたJリーグ。その組織面や経営面でのガバナンスは、村井満チェアマン時代の2014年から2022年までの8年間で劇的に強化された。その結果、切迫した財務面の問題は解消され、コロナ禍のリーグ崩壊の危機を乗り越え、Jリーグのパブリックイメージそのものが大きく変わることとなった。そこで本稿では書籍『異端のチェアマン』の抜粋を通して、リーグ崩壊の危機に立ち向かった第5代Jリーグチェアマン・村井満の組織改革に迫る。今回はチェアマン就任直後の2014年に起きた「JAPANESE ONLY」事件と「八百長疑惑」事件が起きた経緯について。
(文=宇都宮徹壱、写真=アフロスポーツ)
「まさか同じ日にこれほど重大な事象が立て続けに…」
村井満がチェアマンに就任した2014年は「ワールドカップイヤー」。この年、アルベルト・ザッケローニ率いる日本代表は、ブラジルで開催される本大会で、前回の南アフリカ大会でのベスト16を上回る成績を期待されていた。
わが国における、ワールドカップ。それは、サッカーがナンバーワンスポーツでない国民性ゆえに、サッカー関係者にとっては4年に一度の慈雨のような存在である。
日本代表がグループステージを突破すれば、その後の3年間の見通しは明るい。逆に敗退となれば、業界全体が逆風に見舞われる。日本代表はJFA(日本サッカー協会)の管轄だが、その動向はJリーグにとっても、極めて重要な意味を持っていた。
そんな中で、開幕を迎えることとなった2014年のJリーグ。J1が3月1日、J2が3月2日、この年に新設されたJ3は3月9日に、それぞれ開幕することとなっていた。チェアマン就任間もない村井は、J1の第2節が行われた3月8日、いきなり大きな試練に見舞われることとなる。
ひとつは埼玉スタジアム2002で行われた、浦和レッズ対サガン鳥栖での「JAPANESE ONLY」事件。もうひとつは、エディオンスタジアム広島で行われた、サンフレッチェ広島対川崎フロンターレでの「八百長疑惑」事件――。
サッカーファンには、前者の記憶ばかりが鮮烈に残っているだろう。が、実は後者についてもJリーグは、極めて慎重な対応を強いられることとなる。
「まさか同じ日に、これほど重大な事象が立て続けに起こるとは思いませんでしたよ」
当時を振り返りながら、苦笑交じりに村井はこう続ける。
「その日は13時キックオフのアルビレックス新潟のホームゲーム(対ガンバ大阪戦)を見て、それから19時の鹿島アントラーズの試合(対ベガルタ仙台戦)をハシゴしたんです。翌9日には沖縄に飛んで、J3の開幕戦(FC琉球対Jリーグ・アンダー22選抜)を視察。浦和の事件については、スタジアムに向かう道中で事実関係を確認して、試合後にメディアの囲み取材を受けています」
ところが、東京に戻った3月10日、今度は八百長疑惑の報告を受ける。
「何しろチェアマンに就任したばかりでしたからね。あの時は本当に大変でした」
「JAPANESE ONLY」――。そこには確かにそう書かれていた
果たして、3月8日に何が起こったのか?
このうち埼スタでの「JAPANESE ONLY」事件については、最初にSNS上で告発した人物に対して、私は事件のおよそ1カ月後に取材をしている。20年来の浦和サポーター、海野隆太は当時34歳。以下、彼の証言に基づきながら、当日の出来事を再現することにしたい。
「あの日は、キックオフから少し経ったタイミングで、スタジアムに入りました。前半15分を過ぎたくらいでしたか。ゴール裏コンコースを歩いていた時、あの垂れ幕の存在に気づいたんです。試合中でしたから、周りには僕以外、誰もいない状況でした」
「JAPANESE ONLY」――。
乱暴なレタリングだったが、そこには確かに、そう書かれてあった。「日本語限定」と取れなくもないが、海野はすぐに「日本人以外お断り」と理解した。
「僕もゴール裏(での応援歴)は長いので、やや過激だったり、辛辣だったりするメッセージは、わりとよく見てきました。けれども、あれくらいストレートな人種差別的メッセージというのは、初めてだったんです。『うわっ。何でこんなものがここにあるんだ? 誰が貼ったんだ?』っていうのが、最初に考えたことでした」
浦和を熱烈に応援する一方で、海野はプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドのファンでもあった。ヨーロッパの応援文化を知悉していたため、人種差別的なメッセージに対しては、他の浦和サポーター以上に鋭敏に反応したのである。
ではなぜ、問題の垂れ幕の画像をネット上に拡散させたのだろうか。
「きちんと画像に残しておかないと、噂レベルで終わってしまう危険性があると思っていました。ツイッター(現・X)にアップしたのは、ある種の『悲鳴』みたいなものでしたね。事故なんかを目撃すると、誰でも『うわっ!』とか声が出てしまうじゃないですか。まさに、そういう感じでした」
今から振り返ると「もう少し配慮すべき点もあったかもしれません」。それでも「アップしないという選択肢はなかった」と海野は言い切る。
「なぜなら、ああいう内容のメッセージを許容してしまう空気というものが、当時の埼スタには間違いなくあったからです。なのでツイートしたこと自体、まったく後悔はありませんでした」
この問題にいち早く「否」を表明した選手、槙野智章
海野はその後、問題の垂れ幕を撤去してもらおうと警備員に働きかけ、ハーフタイムにはクラブの担当者とも話し合いをしている。そのまま放置されれば、クラブが不利益を被ることは必至。それゆえ、海野は試合観戦そっちのけで交渉に当たった。一連の行動を振り返れば、彼の目的が騒ぎを起こすことではなく、むしろ愛するクラブを守ろうとしていたのは明らかである。逆に事実の隠蔽を考えるようでは、およそ真の意味でのサポーターとは言えまい。
「人種差別に関しては、Jリーグでも罰則規定が明確になっているし、4年前(2010年)にもアウェイのベガルタ仙台戦で、ウチは人種差別的な野次でやらかしているんです。ですから『このまま垂れ幕を放置していれば、処罰の対象になりますよ』って、担当の人に訴えました」
海野だけでなく、何人かのサポーターも「確かにあれはまずいよ」と同調してくれた。
「そうしたら、担当の人は『わかりました。では、サポーターの代表者の方と話してきます』と言ってくれたので、あとはお任せすることにしたんです」
しかし結果として、問題の垂れ幕は、試合後まで撤去されることはなかった。
海野のツイートにより、すでに試合中から炎上案件となっていた「JAPANESE ONLY」の垂れ幕。クラブ側の対応が後手に回る中、この問題についていち早く「否」を表明した選手がいた。当時、浦和に所属していた日本代表の槙野智章である。
《今日の試合負けた以上にもっと残念な事があった…。/浦和という看板を背負い、袖を通して一生懸命闘い、誇りをもってこのチームで闘う選手に対してこれはない。/こういう事をしているようでは、選手とサポーターが一つになれないし、結果も出ない…》
0対1で終わった試合直後の21時53分。槙野によって発せられたこのツイートは、最終的に1万7000回以上リツイートされている。海野は埼スタからの帰宅後、ツイッターを覗き込んで、自分が「渦中の人」となってしまったことを痛感することとなった。
普段は温厚そうに見える村井だが、この時ばかりは…
あらためて、時系列を整理しておこう。
埼スタでの浦和対鳥栖のキックオフが16時4分。問題の垂れ幕の写真を海野がツイッターにアップしたのが16時40分。そして槙野のツイートが21時53分。以降、サッカーファンのタイムラインは、この話題で一色になってゆく。
Jリーグ広報部部長の萩原は、この日、チェアマンの村井と共に新幹線で新潟から東京へ移動していた。ここで鹿島に向かう村井と別れ、羽田から空路で沖縄に向かっている。翌9日、当地で開幕するJ3リーグを村井が視察するため、先乗りすることとなっていた。
移動のさなか、萩原はツイッターでの炎上を認識している。しかし村井への報告は、当人が沖縄入りするタイミングとなってしまった。
「なぜ、昨日のうちに報告しないんだ!」
普段は温厚そうに見える村井だが、この時ばかりは萩原を厳しく叱責している。どうやら両者の間に、「JAPANESE ONLY」というメッセージに対して、明らかな認識のズレがあったようだ。
まず、萩原の当時の認識。
「当初、これが差別問題に結び付くという感覚は、私の中ではありませんでした。それに対して村井さんは、いろいろなことが瞬時に脳裏を駆けめぐったんでしょうね。だからこそ、すぐに報告がなかったことを問題視したんだと思います」
実際、村井の認識は「あり得ない話」というものであった。チェアマン就任から1カ月が過ぎていたが、香港で働いていた頃の感覚が鮮明に残っていたことが大きかった。
「チェアマンに正式に就任するまでの間、私は香港で最後の挨拶回りをしていたんです。前職ではアジア26都市で、ゼロからオフィスを作って、従業員ものべ1000人くらいいました。ほとんどが現地採用です。その感覚が残っていたから『JAPANESE ONLY』なんて、あり得ない話だと。ましてやサッカーは、グローバルなスポーツです。そんな思いがあったからこそ、あの時は萩原を叱りつけました」
萩原はJリーグに入社する以前、日本マクドナルドや国内の大手携帯電話会社などで、ずっと広報畑を歩んできた。その後、広報部部長からコンプライアンス室室長となり、さまざまな差別やハラスメントの問題と真摯に向き合ってきた。
そんな彼でさえ、当時は「JAPANESE ONLY」が差別問題に結び付くという認識は希薄だった。萩原だけではなく、おそらくJリーグの職員の多くが、その程度の認識だったと思う。かくいう私自身、あの垂れ幕を見た瞬間に「これは差別だ!」と察知できただろうか? 少なくとも2014年の時点であれば、いささか心許ない、というのが実際のところだ。
少しでも対応を間違えれば致命傷になりかねない2つの事件
沖縄から戻った村井は、すぐさま御茶ノ水のJFAハウスにて、事件の対応の陣頭指揮を執る心積もりであった。ところが――。
「村井さん、実はもう1件ありまして」
申し訳なさそうに声をかけてきたのは、フットボール統括本部本部長と競技・運営部部長を兼任していた、窪田慎二。窪田によれば「JAPANESE ONLY」事件が起こった同日、八百長の疑いがあるとの連絡が入ったという。カードは、エディオンスタジアム広島で行われた、サンフレッチェ広島対川崎フロンターレ。
「ちょっと待ってよ。日本では、賭けなんかできないんじゃないのか?」
人種差別のメッセージには、すぐに反応できた村井であったが、Jリーグの試合での八百長疑惑というのは、まさに青天の霹靂(へきれき)。しかし窪田から「村井さん、海外ではJリーグも賭けの対象となっているんですよ。世界中に400以上の胴元があるようです」と教えられ、初めて「スポーツ・ベッティング」の存在を知ることとなる。
スポーツ・ベッティングとは、スポーツの試合を対象にした賭けのこと。サッカーのみならず、野球やバスケットボールやテニスなど、あらゆるスポーツが対象となっており、賭けのメニューも豊富。サッカーであれば、試合中のイエローカードの数や最初の得点者など、試合中に起こり得るすべての事象を賭けの対象としていた。
欧州では、早くから合法化されていたスポーツ・ベッティングだが、当然ながら八百長が起こるリスクを完全に排除するのは難しい。そこでFIFA(国際サッカー連盟)は、サッカー界の公平性を遵守するために、EWS(アーリー・ワーニング・システム)社を2005年に設立。EWS社は独自のシステムにより、スポーツ賭博市場でのサッカーの試合の賭け率を監視しながら、検知や分析などを行っていた。
そのEWS社から、広島と川崎の試合で「小さな異常値が見られた」という連絡が入る。八百長が事実となれば、ことはピッチ上の公平性の問題にとどまらない。2001年からスタートしたスポーツ振興くじ「toto」の信用をも揺るがしかねないからだ。
サッカーのみならず、さまざまな競技の環境整備や国際的な活動への支援、さらにはアスリートや指導者などの育成の原資となっているtoto。もし本当に八百長が行われていたなら、これまでJリーグが築き上げてきた信用もまた一気に瓦解(がかい)する。
一方で、世間はJリーグ、とりわけ新チェアマンの「JAPANESE ONLY」事件への対応を注視していた。この問題に対して明確な方向性を示しながら、水面下ではEWS社からのアラートについて調査を進める。どちらも、少しでも対応を間違えれば、Jリーグにとって致命傷になりかねない。
こうした困難な状況に、就任からわずか1カ月の「異端のチェアマン」は、真正面から対峙することとなったのである。
(本記事は集英社インターナショナル刊の書籍『異端のチェアマン』より一部転載)
【後編はこちら】「Jリーグにとって浦和レッズは貴重な存在」。村井満が浦和への制裁を無観客試合とした本当の理由
<了>
【連載第1回・前編】歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
【連載第1回・後編】Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
【連載第3回・前編】なぜDAZNは当時、次なる市場に日本を選んだのか? 当事者が語るJリーグの「DAZN元年」
【連載第3回・後編】DAZN元年にサポーターを激怒させたクルクル問題。開幕節の配信事故を乗り越え、JリーグとDAZNが築いた信頼関係
Jリーグ前チェアマン・村井満がバドミントン界の組織抜本改革へ。「天日干し」の組織運営で「全員参加型の経営に」
[PROFILE]
村井満(むらい・みつる)
1959年生まれ、埼玉県出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに名称変更)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。
[PROFILE]
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
1966年生まれ、東京都出身。写真家・ノンフィクションライター。東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、TV制作会社勤務を経て1997年にフリーランスに。国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、各スポーツメディアに寄稿。2010年に著書『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年に『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞2017を受賞。個人メディア『宇都宮徹壱ウェブマガジン』、オンラインコミュニティ『ハフコミ』主催。
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