クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別

Career
2024.07.10

9シーズンにわたって指揮をとった名将ユルゲン・クロップの退任により、ひとつの時代に終わりを告げたリヴァプール。本稿ではクロップとともに新たな黄金時代を築き上げたジョーダン・ヘンダーソンの自著『CAPTAIN ジョーダン・ヘンダーソン自伝』の抜粋を通して、主に2015-16シーズン以降にリヴァプールが歩んだ軌跡に焦点を当てて振り返る。今回は2018-19シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝、トッテナムとの同国対決となった試合について。

(文=ジョーダン・ヘンダーソン、訳=岩崎晋也、写真=ロイター/アフロ)

全員に大きな力を与えたジニの短いスピーチ

決勝戦の4日前、木曜日の午前に、ミリー(ジェームズ・ミルナー)と僕はメルウッドで選手だけのミーティングを開き、みなの前に立った。そんな仰々しいものではなく、普段とちがうことを言ったわけでもない。ただ前年のレアル・マドリード戦の経験を生かして、今回はもっとうまく準備しようという話をした。スティーヴィー(スティーヴン・ジェラード)との会話で、過去の経験を有効に使うことが重要だと気づいたからだ。

去年のキーウでの決勝では、まえの晩に眠れなかったが、今回はマドリードのホテルではるかに落ち着き、寛いで過ごすことができた。少し早めにベッドに入り、うまくいくことを想像した。すぐに眠りに落ち、しっかりと休むことができた。自分も、またほかの選手たちも、2018年より余裕があるのがわかった。試合当日は、負けるはずがないという気持ちだった。きっと自分たちの時間になる、準備は万全だ。

こうして、僕は人生最大の試合で先発出場した。ポジションは8番で、真ん中のファビーニョの右。左側にはジニ(ワイナルドゥム)がいる。何もかも完璧だ。いまこそやるしかない。

ジニは普段、試合前に話すタイプではない。だがこのときはその習慣を破った。試合開始のまえに、チームが更衣室から出るタイミングを待って、短いスピーチをしたのだ。このチームの一員であることを誇りに思っている。いまこそピッチに出て、世界に俺たちの強さを示すときだ、と。ジニは寡黙で控えめな性格だ。その彼がこんなふうに前に出たことは、全員に大きな力を与えた。

史上最高の決勝ではない? そんな発言はどうでもよかった

僕たちはキックオフからスパーズ(トッテナムの愛称)を引き裂いた。

僕は最初の争奪戦でヘディングに勝ち、そのあとスパーズ陣の真ん中あたりでボールを受け、左サイドのサディオ(マネ)にパスをした。彼はペナルティエリア内に切れこみ、ボールを上げる。近くにいたムサ・シソコがブロックしたが、高く上げた右腕にボールが当たった。スロベニア出身のダミル・スコミナ主審はまっすぐペナルティ・スポットを指さした。試合開始からまだ25秒だ。モー(モハメド・サラー)が蹴る。彼はコースを狙うよりも強い球を蹴り、飛びついたウーゴ・ロリスの手の先を抜け、ネットが破れるかというほどの強烈なゴールを決めた。

その時点からすでに、史上最高の決勝ではないなどと言う人々もいたが、そんな発言はどうでもよかった。もし負けたら、史上最高の決勝かどうかなど、どちらでもよくなってしまう。あの決勝には、数多くの大一番や重圧のもとでのプレー、チームのために働いてゲームをコントロールするといった、さまざまな経験が生かされていた。普段以上に気持ちが入っていたかもしれないが、試合をしっかりとコントロールしており、スパーズに多くのチャンスを作らせなかった。

アリソンは何度か好セーブを見せた。よく覚えているのはクリスティアン・エリクセンのフリーキックのときだ。だがトレント(アレクサンダー・アーノルド)とフィルジル(ファン・ダイク)――彼は1度、驚異的なリカバリーでソン・フンミンを止めた――、ジョエル(マティプ)とロボ(アンディ・ロバートソン)もすばらしい守りだった。いや、チーム全体がよく守った。ケインは怪我からの復帰戦だったが、しっかりと封じこめた。彼やソンがカウンターをしかける状況を作らせなかった。あのふたりのカウンターは、芸術の域にまで高められた彼らの強みだった。そして、1点リードにしては落ち着いてプレーしていた終了3分前に、そのときがきた。

ミリーが蹴ったコーナーは押し戻された。競りあいでハンドがあったように見えたためアピールをしかけたが、攻撃はまだ続いていた。ジョエルから足元に出されたボールを、ディヴ(ディヴォック・オリギ)が左足で遠いサイドに叩きこむ。2対0。これで試合は決まり、いよいよその瞬間が近づいてきた。どこを見まわしても、優勝は決まったという雰囲気だ。ゴールが決まったとき、フィルジルは地面に体を投げ出し、ロボとファビーニョはこの日いちばんの速さでディヴのもとへ駆け寄った。僕はその近くで、腕を広げ、声のかぎりに叫んだ。まだ試合は続いている。だが、トロフィーにもう片手をかけた状態だ。僕は走りつづけた。そしてついに、試合終了のホイッスルが鳴る。その瞬間は、たぶんサッカーをやってきたなかでも最高の心地よさだった。

ユルゲンは、僕が主将としてくぐり抜けてきた困難を理解していた

まるで自分の体の外に出てしまったようだった。幸福と安堵。すべての心配は消えた。突然、これまで負けた決勝戦や逃したトロフィーが、小さなことに思われた。僕はここまで来た。チャンピオンズリーグ優勝チームのキャプテンになった。これこそ僕の夢だった。子供のころ、2003年に父とともにオールド・トラッフォードでユベントス対ACミラン戦を見たときからの。

ここに到達するまでには、あまりに多くのことがあった。チームとしてくぐり抜けてきたあらゆること。さまざまな挫折、いくつもの決勝戦での敗退、そのたびに、もっと強くなって戻ってくると誓ったこと――あのホイッスルが鳴ったとき、それまでのどんな小さなことさえ、経験する価値があったのだと思えた。僕たちはクラブチームの最高峰、頂点に到達した。この栄誉は誰にも奪われない。僕たちは人々の記憶に残る。

感情が爆発した。普通ではいられず、自分を抑えられなくなった。抑えようとさえしなかった。周囲が大騒ぎするなか、僕は泣きそうだった。いや、泣きだしていたかもしれない。そして、ピッチ上の混乱のなかで、ユルゲン(クロップ)を見つけると、やはり泣いていた。そこへ行って抱きしめると、「やったぞ!」と彼は言った。僕は頭を彼の胸に沈めて、「ありがとう」という言葉を繰りかえした。

あのチャンピオンズリーグの決勝は、僕にとってただのサッカーの試合ではなかった。ただひとつの勝利ではなかった。選手として、人間としての僕のすべてだった。これでようやく、サッカー選手として敬意を得られたと感じられた。ユルゲンも僕も、感情の揺れ幅が大きい。リヴァプールではともに、たくさんの挫折を味わってきた。もっとも、僕には彼とひとくくりにして賞賛されるだけの価値はない。

彼こそがクラブのすべてを動かす源なのだから。それでも、監督と主将というクラブのリーダーとして、あと一歩の男だと批判された者同士だった。

ユルゲンは、僕が主将としてくぐり抜けてきた困難を理解していた。何をしてもいつも、スティーヴィー(スティーヴン・ジェラード)はこうしていたと言われ、やりかたを比べられる。だがユルゲンは、僕が自分らしい主将になれるよう手を貸してくれた。チャンピオンズリーグを制したあの瞬間に、僕は影であることをやめ、自分自身の物語を語れるようになった。ユルゲンは苦しいとき、動揺を乗り越える力になってくれた。この優勝は決定的な瞬間だった。選手として、主将として、敬意を向けられていると感じられたのは、このときがはじめてだった。チームメイトや監督ではなく、外部の人々から。それは大きな瞬間だった。

「僕のキャリアはずっと困難だった。でも…」

これで僕たちは、英雄的だが失敗を重ねたチームではなく、偉大なことを成し遂げたチームとして記憶されるだろう。「たら」や「れば」はもう必要ない。

すべての苦しみや犠牲、痛み。バーゼル(セビージャに敗れた2015-16シーズンのUEFAヨーロッパリーグ決勝)やキーウ(レアル・マドリードに敗れた2017-18のUEFAチャンピオンズリーグ決勝)からの帰国便。ウルブス戦では、プレミアリーグのトロフィーがほかの場所で掲げられることを知りつつ、終戦を迎えた。こうした挫折はすべて消えさった。心にのしかかってこなくなった。もう、チームが批判される理由ではなくなった。そうした敗戦は、ここに到達するまでの戦いの一部だったのだ。

それらがなければ、あの夜、マドリードで達成したことの意味も変わってしまう。いまこそ勝利を味わおう。挫折があったからこそ、挫折につぐ挫折を重ねても前に進みつづけ、負けたあとでも立ちあがってきたからこそ、勝利は特別なものになる。

ステージに集まり、トロフィーが授与されたときに考えていたのは、こんなことだった。そして、ユルゲンがこれまでクラブのためにしてきたことを思うと、彼にトロフィーを掲げてほしかった。ピッチに立って、スパーズの選手たちがメダルを授与されているのを見ているとき、僕はミリーに近づいて、一緒にトロフィーを掲げよう、と言った。

「ふざけるな」彼は独特の口調で言った。「おまえがキャプテンだろう――おまえがトロフィーを掲げろよ」

ユルゲンにも同じことを言った。同じ答えが返ってきた。もちろん、トロフィーを掲げるのは僕にとって大きな栄誉だ。だが同時に、あの瞬間、トロフィーを勝ち取ったことだけで自分には十分だという気持ちがあった。トロフィーを授与されることをずっと目指して努力してきたのだが、その重みが肩からすっと落ちてしまった。勝っただけで十分だ。それが僕の夢であり、望みだった。達成することがすべてだった。

結局、ミリーと監督の言葉を受け入れた。それに正直に言えば、トロフィーを受けとる役目がそれほど嫌だったわけでもない。欧州サッカー連盟のアレクサンデル・チェフェリン会長から、大きな耳(ビッグイヤー)のついたトロフィーを手渡された。彼が「おめでとう」と言うのは聞こえたが、僕の意識はべつの場所にあり、すぐに向きを変えて、選手たちが待っているほうのステージに歩いていった。手にしたトロフィーを、チームメイトたちに見せたかった。背中ではなく、正面からみんなに見せたかった。喜びに満ちた彼らの顔を見たかった。

トロフィーをチームメイトたちのほうへ持っていき、足踏みをしてから正面を向くと、頭上にトロフィーを突きあげた。僕はそれまで、あんなふうに叫び、咆えたことはなかった。思いのたけをすべてそれにこめた。そのあと、ピッチの周囲をまわってファンとともに勝利を祝福していたとき、BTスポーツのインタビュアーであるデス・ケリーに対して、自分の気持ちを語った。そのなかで、僕はこう言った。「僕のキャリアはずっと困難だった。でも僕はやりつづけた――それに、このチームもやりつづけたんだ」

父を見つけ、抱きしめたとたん、感情があふれた

思いはすべて出したと思っていたのだが、ピッチの反対側に来ると、そこに父が立っていた。まだ出し尽くしてはなかった。これでほんとうに全部だ。チャンピオンズリーグの決勝で勝利を収め、そのすぐあとに父に会えるとは。この勝利は父とともに夢見てきたことだった。

ほかの選手の家族と一緒にピッチの脇に立っていた父のところへ、両手を広げて近づいていった。

きっとこうなるように定められていたのだろう。父がどうしてそこにいたのか、僕がどうしてスタンドのその場所に行ったのかはわからない。父を見つけ、抱きしめたとたん、感情があふれた。チャンピオンズリーグで優勝するという夢を叶えたからだけではなかった。父はこの数年、苦難の連続だった。とても短い期間に、兄弟と姉妹、母親を亡くし、打ちのめされていた。僕にとっても、母と父が別れたときには支えてもらい、いつも会いに行っていた大切な祖母だ。つぎつぎに悲しみに襲われていた父と、いつまでも抱きあった。

宿泊先のユーロスターズ・ホテルに戻ったときは疲れきっていた。チャンピオンズリーグで優勝すれば、高揚感は一晩中続き、跳ねまわり、笑いつづけ、喜びに満ちたパーティが繰り広げられると思うだろう。だが、僕は正反対だった。消耗しきっていた。話しかけられ、祝ってもらっても、意識はほとんどそこになかった。言葉の意味さえわからないほどだった。自分たちがやったことが信じられなかった。

それまで続けてきた、目標を達成し、敬意を勝ち取るための戦いが終わったことが信じられなかった。

ようやく実感が湧いてきたのは、親友のライアン・ロイヤルと会ったときだった。保育園で出会ってから26年間ずっと一緒にいるライアンと、最も偉大なトロフィーの脇に立った。一緒に、チャンピオンズリーグの試合をどれだけテレビ観戦したことだろう。こうしてトロフィーをともにつかんでいるというのは、信じられないことだった。あの晩彼と過ごしたのは、僕にとって大きな意味があることだった。

優勝したあとのこうした感覚は、さほど特別なものではない。ほかの競技の選手が、同じようなことを語っているのを聞いたことがある。あまりに長く何かを追い求めていると、いざそれを手に入れたとき、かえって不安に駆られることがあるのだ。すばらしいことなのに、喪失感を覚える。自分を駆りたててきたものが、ひとつなくなってしまうのだ。人生のすべてだった探求が終わってしまう。それは、自分でもどうにもならない。トロフィーを勝ち取ったあとの日々には、感情が涸れてしまうような――ほとんど二日酔いのような――状態になるものなのだ。

いつまでも祝福されていたいと願うが、それはつぎに、いつやってくるかわからない。

「スティーヴィーが来ている」と告げられた

生涯追い求めてきたチャンピオンズリーグでの優勝という目標が叶ったが、現実感はなかった。どうにか状況を飲みこもうとしていたとき、「スティーヴィーが来ている」と告げられた。

部屋に入り、なかを見まわした。照明が暗い地階の部屋で、はじめは姿が見えなかった。指さされた部屋の隅を見ると、スティーヴィーはそこに、友人や家族とともにいた。彼はひとりのリヴァプールファンとしてそこにいることを喜んでいた。ここに来たのは、自分が栄光に加わるためではなかった。彼は僕がそうでありたいと強く願うものを体現した人物だ。主将を引き継いでからは、ずっと支えてくれていた。

ユルゲンが監督になった初シーズンの終了後、休暇にロサンゼルスを訪れ、彼とランチをともにした。

そのとき僕は苦しんでいた。チーム内での地位は不安定で、主将として求められているのかもわからなかった。スティーヴィーとの2時間ほどのランチは最高だった。一生懸命やれ、チャンスが来たときにしっかりとつかむんだ、名監督がクラブにいることを楽しめばいい、と言ってくれた。

部屋の隅へと歩いていくとき、主将はチームの勝利で判断されるという彼の言葉を思い出していた。

トロフィーを持ってくるので、一緒に写真に写ってほしいと言った。

「今夜はやめておこう」と彼は言った。いつもと同じ、満面の笑みを浮かべて。

「今日はおまえの夜だ。好きなだけ味わってくれ。この勝利は、俺とはなんの関係もない」

【連載第1回】リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた

【連載第2回】ジョーダン・ヘンダーソンが振り返る、リヴァプールがマドリードに敗れた経験の差。「勝つときも負けるときも全員一緒だ」

【連載第4回】リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」

(本記事は東洋館出版社刊の書籍『CAPTAIN ジョーダン・ヘンダーソン自伝』から一部転載)

<了>

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[PROFILE]
ジョーダン・ヘンダーソン
1990年6月17日生まれ、イングランド・サンダーランド出身。サッカー選手。ポジションはMF。2015年から2023年までプレミアリーグのリヴァプールの主将を務め、UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、クラブワールドカップ、(クラブにとって30年ぶりの)プレミアリーグ制覇といったタイトルを獲得。2021-22シーズンにはFAカップとリーグカップの珍しい2冠を成し遂げる。サッカー以外の分野でも、LGBT+のコミュニティをサポートしているほか、新型コロナウイルス蔓延中にはイギリスの国民保健サービス(NHS)を援助する「Players Together」キャンペーンで中心的な役割を果たした。この働きが認められ、2021年に大英帝国勲章(MBE)を与えられる。

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