スポーツ界のハラスメント根絶へ! 各界の頭脳がアドバイザーに集結し、「検定」実施の真意とは
2024年3月、スポーツ界に蔓延るハラスメント問題に対し、法学界やジャーナリスト、元トップアスリートら、スポーツ界の有識者が立ち上がった。2年間の準備期間を経て立ち上げられた「一般社団法人スポーツハラスメントZERO協会」は、さまざまな組織・団体と連携しながらハラスメントの本質を問い、人権をベースとした学びの場を提供している。その理事に名を連ねるのは、ビジャレアルCFで各カテゴリーの指導者や強化部を歴任し、日本サッカーにも馴染みの深い佐伯夕利子氏だ。同協会が独自の取り組みとして実施する「スポーツハラスメント検定」が今年10月から11月かけて行われ、現・日本バドミントン協会代表理事兼会長の村井満氏も受験したという。その活動意義や、検定の波及効果について、佐伯氏に話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=AP/アフロ)
「暴力行為根絶宣言」から10年。現場は…
――一般社団法人スポーツハラスメントゼロ協会は、2024年3月に発足しましたが、まずは組織発足の経緯について教えていただけますか?
佐伯:最初の経緯としては、2年ちょっと前に、法学者で代表理事の谷口真由美さんから共通の知人を通じてコンタクトをいただいたのが、私にとってのファーストコンタクトでした。そこで谷口さんが中心となって、5人の理事が集まったのですが、谷口さんが信頼されているスポーツ界の方々で、みなさん同じ思いを持っておられたんです。
2012年に大阪市の高校の運動部のキャプテンが体罰による自死に追い込まれた事件から10年が経ち、競技団体や教育界が「暴力行為根絶宣言」を採択しましたが、現場は何も変わっていないよね、と。私もJリーグで常任理事をさせていただいた時に、パワハラによる問題が複数発生しました。プロのレベルでもあれだけの事案が発生するわけですから、表に出てない事案はもっとあるわけですよね。「このままではいけない」ということで、まずは志を共にする前述の5人が行動を起こすために集まりました。ただ、皆さんそれぞれフルタイムで働いているわけではなく、ミーティングを重ねて、立ち上げまでには約2年かかりました。
――アドバイザーには、日本バドミントン協会代表理事兼会長の村井満さんを筆頭に、陸上の為末大さんや柔道の井上康生さんらトップアスリート、著名なスポーツジャーナリストなど、スポーツ界の有識者の方々が名を連ねています。どのような経緯でこれだけの豪華な顔ぶれが集まったのでしょうか?
佐伯:われわれの活動に対してアドバイスをいただきたい存在として、8名の方々にお声をかけてアドバイザーをお願いしました。その他にも、話をさせていただき「自分も何かしたい」とおっしゃってくださった方々には、賛同人という形でお願いしています。また、ホームページを通じて「仲間になりませんか?」と一般公募のような感じで募集もしています。さまざまな意見や指摘が飛び交う中で、学習が生まれる場になるよう、今はとにかく仲間を増やしていきたいと思っています。
村井さんはJリーグのチェアマンを退任された後も、ハラスメントの案件に対しては懸念や心残りを口にしていらしたこともあり、アドバイザーのお願いをしたら快諾してくださいました。村井さんは常に、一人称が「僕」や「私」ではなく、「僕たち」「私たち」で、「みんなで頑張りましょう」という文脈で話をしてくださいます。そこは毎回、さすがだなと思わされています。
他団体との協働で「無駄のない効率的な活動を」
――そこから一気に賛同者の輪も広がっていったのですね。スポーツハラスメントゼロ協会は、どのような形で社会にアプローチしていこうと考えているのですか?
佐伯:スポーツ界では誰もがハラスメントの被害者にも加害者にもなり得るので、人の良し悪しを問うのではなく、問題の本質や構造にアプローチしていきたいと思っています。ただ、ミーティングを重ねる中で、「私たちだけではどうにもならない」ということを改めて感じました。もともと少ないリソースをどんどん消費してしまい、なかなか社会に響くようなインパクトを与えることができないんです。そこで、他団体と協働して、勉強会を開いて情報や活動をシェアしたりするようになりました。
――具体的にはどのような組織と協働し始めているのですか?
佐伯:たとえば、Jリーグの育成部のセーフガーディングチームや、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、一般社団法人スポーツ・コンプライアンス教育振興機構、元なでしこリーガーのみなさんが立ち上げた一般社団法人S.C.P.JAPAN、部活の地域移行支援事業を全国レベルで展開されている「イマチャレ」などと交流しながら、われわれの活動にも興味を持っていただけるようにアピールしています。今はそれぞれの組織が独立してバラバラに活動をしているのですが、それだともったいないなと感じていたんです。
――協働することによって、どのような相乗効果が期待できるのでしょうか?
佐伯:私たちは団体として「スポーツハラスメントの定義」を設定するのにすごく時間がかかりました。他の団体の皆さんも同じようなプロセスを踏みながら進んできていますが、それぞれの団体で定義がバラバラだったりもします。もちろん、各団体で領域や守備範囲、事業活動も違うわけですが、同じ目的のために連携してリソースを共有できたら、さらに全体がパワーアップできるのではないかと考え、私たちのほうからお声がけを始めているところです。なかには利益を第一に考えているような団体もありましたが、そういう組織とは組まず、「このスポーツ界を何とかしたい」と思う人たちだけで手を組んで、無駄のない効率的な活動をそれぞれが行えるようにしたいと考えています。
なぜ「検定」なのか?
――スポーツハラスメントZERO協会では「スポーツハラスメント検定」を実施されていますが、なぜ検定をしようと思われたのですか?
佐伯:人が物事の良し悪しを判断する元になる概念形成は、さまざまな「学習」を通じてなされるものだと思います。その考えに基づいて、検定事業にこだわりました。たとえばハラスメントを行う方々は、そういう行いをしてしまう学習をどこかで、誰かからしてきているわけです。その学習が歪んだものや不健全なものだった場合、その人が良しとする基準や概念も間違ったままになってしまい、人を殴ったり、罵倒したりしても悪気がないような行為が起きてしまうわけです。ですから、その人の概念形成の起点となる学習の部分にアプローチして健全な認識を伝えることで、本質的な変化を起こしたいと考えています。時間はかかるかもしれませんが、啓発活動やセミナーとともに検定もその手段の一つだと考えているんです。
――検定は初級から上級までありますが、それぞれどのような学習が求められるのでしょうか。
佐伯:初級は人権意識やスポーツハラスメントの感度を養うことを目指していて、中級と上級では、さらに高度で専門的な知識や具体的なアプローチを学べるようになっています。初級は2カ月に1回ぐらいのペースでやっていければと考えていて、初級合格者には「セーフガーディング検定」の受験資格も与えられます。
セーフガーディングとは、子どもや弱い立場の人々が関係者による虐待や危険に晒されないように取り組むべき責任のことで、今は世界のスポーツ界で重要視され、各所で義務化が進んでいます。たとえばラ・リーガのU-12の大会は必ずクラブからセーフガーディングオフィサーの任命と帯同が義務づけられて、リーグによる研修もあります。バスク自治州では、夏のキャンプやサッカースクールでもオフィサーの帯同が義務になっています。日本ではJリーグの育成部が先駆者として何年も続けていますが、近い将来、日本スポーツ界全体で義務化の流れになると思います。だからこそ、若者や子どもたちと関わる人たちにはぜひ、この検定を受けていただきたいなと思っています。
――検定のテキストや問題を構成する際にこだわった点があれば教えてください。
佐伯:アドバイザーの方のアドバイスも反映しながら大幅に削り、最終的には60ぐらいの質問を用意しました。EU法などもカバーされている法学者の方がいるのは私たちの強みで、その方からグローバルスタンダードの視点で指摘を受け、修正を重ねました。また、理事の一人である多羅正祟氏がもともと構成作家としてクイズ番組などを作っていた経験があり、彼の知見を活かして、テキストも受講する方に面白いと思ってもらえるような工夫を凝らしています。
現役アスリートにも学んでほしい、ハラスメントの「本質」
――「スポーツハラスメント検定」第1回は10月の末から11月にかけて行われたそうですが、受験者の皆さんの反応や手応えはいかがでしたか?
佐伯:初回で自ら検定を受けに来てくださった方々は、ハラスメントの問題を「自分ごと」として捉えている方が多かった印象です。問題は「暗記型ではないものにする」ことにもこだわったので、検定を通してスポーツハラスメントについて「考える」ことが生まれたのであれば、私たちにとっては大成功と言えます。記述式で皆さんの思いを伝えてもらう欄が最後にあるのですが、そこは鳥肌が立つぐらい熱かったです。初回は村井さんも自分の意思で受けてくださったのですが、受験した感想や、テキストの構成についても貴重なフィードバックをしてくださいました。
――それは貴重なアドバイスになりそうですね。受講者はどんな職種の方が多かったのでしょうか?
佐伯:スポーツ関係者が多かったです。指導者・コーチが全体の約68%で一番多く、続いて審判が25%、協会役職員・関係者が22%でした。
――今後、検定をどんな人に受けてほしいと考えていますか?
佐伯:指導者の方々には、指導者ライセンスを取る前の、スタート地点に立つ段階で受けてもらえればうれしいですね。また、この検定についてスペインの指導者と話していた時に、「指導者や保護者やクラブの役員だけではなく、アスリートにPRして、受験してもらうべきだよ」と言われ、気づかされました。被害者になる可能性が高いアスリートが、日常から言われていることやされていることに対して自覚を持つことはとても大事なことだと思います。ですから、アスリートとスポーツを楽しんでいる学生など、プレーヤーの方々にもぜひ積極的に受けていただきたいと思っています。彼らはもしかしたら将来の指導者やクラブ経営者になっていく人たちかもしれませんから。また、お子さんでも受けられるように、テキストや検定にルビも振っていますので、幅広い方に興味を持っていただければ嬉しいです。
<了>
高圧的に怒鳴る、命令する指導者は時代遅れ? ビジャレアルが取り組む、新時代の民主的チーム作りと選手育成法
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
佐伯夕利子がビジャレアルの指導改革で気づいた“自分を疑う力”。選手が「何を感じ、何を求めているのか」
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”
[PROFILE]
佐伯夕利子(さえき・ゆりこ)
1973年10月6日、イラン・テヘラン生まれ。2003年スペイン男子3部リーグ所属のプエルタ・ボニータで女性初の監督就任。04年アトレティコ・マドリード女子監督や普及育成副部長等を務めた。07年バレンシアCFでトップチームを司る強化執行部のセクレタリーに就任。「ニューズウィーク日本版」で、「世界が認めた日本人女性100人」にノミネートされる。08年ビジャレアルCFと契約、男子U-19コーチやレディーストップチーム監督を歴任、12年女子部統括責任者に。18〜22 年Jリーグ特任理事、常勤理事、WEリーグ理事等を務める。24年からはスポーツハラスメントZERO協会理事に就任。スペインサッカー協会ナショナルライセンスレベル3、UEFA Pro ライセンス。2024年3月に、スポーツにおけるハラスメントゼロを目指して「スポーツハラスメントZERO協会」を創設。理事として名を連ね、精力的に活動を続けている。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
JリーグMVP・武藤嘉紀が語った「逃げ出したくなる経験」とは? 苦悩した26歳での挫折と、32歳の今に繋がる矜持
2024.12.13Career -
昌平、神村学園、帝京長岡…波乱続出。高校サッカー有数の強豪校は、なぜ選手権に辿り着けなかったのか?
2024.12.13Opinion -
なぜNTTデータ関西がスポーツビジネスに参入するのか? 社会課題解決に向けて新規事業「GOATUS」立ち上げに込めた想い
2024.12.10Business -
青山敏弘がサンフレッチェ広島の未来に紡ぎ託したもの。逆転優勝かけ運命の最終戦へ「最終章を書き直せるぐらいのドラマを」
2024.12.06Career -
三笘薫も「質が素晴らしい」と語る“スター候補”が躍動。なぜブライトンには優秀な若手選手が集まるのか?
2024.12.05Opinion -
ラグビー欧州組が日本代表にもたらすものとは? 齋藤直人が示す「主導権を握る」ロールモデル
2024.12.04Opinion -
卓球・カットマンは絶滅危惧種なのか? 佐藤瞳・橋本帆乃香ペアが世界の頂点へ。中国勢を連破した旋風と可能性
2024.12.03Opinion -
非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
2024.12.02Career -
なぜ“史上最強”積水化学は負けたのか。新谷仁美が話すクイーンズ駅伝の敗因と、支える側の意思
2024.11.29Opinion -
FC今治、J2昇格の背景にある「理想と現実の相克」。服部監督が語る、岡田メソッドの進化が生んだ安定と覚醒
2024.11.29Opinion -
スポーツ組織のトップに求められるリーダー像とは? 常勝チームの共通点と「限られた予算で勝つ」セオリー
2024.11.29Business -
漫画人気はマイナー競技の発展には直結しない?「4年に一度の大会頼みは限界」国内スポーツ改革の現在地
2024.11.28Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
10代で結婚が唯一の幸せ? インド最貧州のサッカー少女ギタが、日本人指導者と出会い見る夢
2024.08.19Education -
レスリング女王・須﨑優衣「一番へのこだわり」と勝負強さの原点。家族とともに乗り越えた“最大の逆境”と五輪連覇への道
2024.08.06Education -
須﨑優衣、レスリング世界女王の強さを築いた家族との原体験。「子供達との時間を一番大事にした」父の記憶
2024.08.06Education -
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
2024.07.16Education -
14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
2024.04.15Education -
モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
2024.04.08Education -
スーパーフォーミュラに史上最年少・初の日本人女性レーサーが誕生。野田Jujuが初レースで残したインパクト
2024.04.01Education -
「全力疾走は誰にでもできる」「人前で注意するのは3回目」日本野球界の変革目指す阪長友仁の育成哲学
2024.03.22Education -
レスリング・パリ五輪選手輩出の育英大学はなぜ強い? 「勝手に底上げされて全体が伸びる」集団のつくり方
2024.03.04Education -
読書家ランナー・田中希実の思考力とケニア合宿で見つけた原点。父・健智さんが期待する「想像もつかない結末」
2024.02.08Education -
田中希実がトラック種目の先に見据えるマラソン出場。父と積み上げた逆算の発想「まだマラソンをやるのは早い」
2024.02.01Education -
女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線
2024.01.25Education