14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
日本人女性初・史上最年少の18歳でスーパーフォーミュラの舞台に立ったレーシングドライバー“Juju”こと野田樹潤。男性ドライバーが99パーセントといわれるモータースポーツ界で、F1に次ぐ大舞台で挑戦をスタートさせた彼女の礎となったのは、14歳から過ごしたヨーロッパでの経験だった。家族とともにキャンピングカーでレース場を転々としながら経験を積み、夢への階段を上ってきた。その中で受けた洗礼や成長の軌跡ついて、一番身近で支えてきた元F1レーサーの父・英樹さんに語ってもらった。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=juju10.com)
モータースポーツの本場で受けた“洗礼”
――樹潤さんが14歳だった2020年と21年に、ご家族でデンマークに活動拠点を移され、フォーミュラカーシリーズに参戦されました。デビュー戦で優勝という最高のスタートで、1年目はチームランキング2位、米フォーブス誌が選ぶ「アジアで注目すべき30歳未満のトップ30」に選出されるなど躍進を遂げました。この年は、どのような転機になりましたか?
野田:モータースポーツの本場であるヨーロッパでは、若くて頑張っているドライバーは大勢います。そんな中で、当時デンマークでも最年少だった彼女が日本からポンと行って入れば苦しむだろうと思っていました。「1年間、経験を積みながら成長していくことが本人のためになっていくだろう」ということで、そこまで勝ちを意識していたわけではなかったんです。
とはいいながらも、もちろん手を抜くわけではなく、練習もしっかりして、開幕戦に向けてマシンの走り込みもしてレースに挑んだら、勝ってしまった。いきなり優勝することなんて考えてもいませんでしたが、環境を与えれば本当に結果を出せることを最初から見せてくれて、本人的にもすごく自信になったと思います。
――一方、当時のインタビューでは「日本では当たらないような壁に当たった」とも話されていました。どのような壁に当たったのですか?
野田:ヨーロッパでは、「負けることは恥ずかしい」という考え方があります。その中で、ライバル勢にとっては、「いきなり日本から来た14歳の女の子に負けていられない」という思いは当然、あったと思います。だから、あの手この手を使って樹潤に勝とうとしてきましたし、日本の文化や考え方からすれば「そんな手まで使うのか」というぐらい汚い手だったかもしれません。国内で日本人同士で戦っていれば差別的なこともないですから、14歳の子にとってはかなり苦しい経験だったと思いますけど、その中で精神面は強くなったと思うし、レースを通して違う国の文化や考え方も彼女なりに学んだと思います。それは、今につながっているんじゃないかと思います。
――それはご家族にとってもつらい経験だったと思いますが、どのように乗り越えたのですか?
野田:たしかにつらいですけど、本人はそれに対して心が折れることはなく、それだけ相手も脅威に感じているということだし、自分に力があるということだと前向きに考えて、その逆境を自分の評価につなげればいいという考え方をしていました。もちろん、そういうことがあった直後は本人が怒って抗議することもありましたし、主催者側と喧嘩したこともあります。でも、落ち込むことはまったくなかったですね。
――すごく強いですね。
野田:「チャレンジして、それを乗り越えることで自分が成長できる」という割り切りがあって、それが先につながっていくという希望を持って取り組んでいれば、落ち込むことはないと思います。
予想を覆してつかみ取ったタイトル
――2023年は、「F1の登竜門」と言われる「ユーロフォーミュラ・オープン」の第4ラウンドで女性ドライバーとして史上初優勝、F2000フォーミュラトロフィーでも女性初の年間チャンピオンに輝きました。自信も積み上げた年だと思いますが、改めて振り返っていただけますか?
野田:ユーロフォーミュラに関しては、2年間ぐらいのスパンで考えていたんです。樹潤の実力云々というより、私たちNODAレーシングのチームの規模や予算などを含めて、ユーロフォーミュラで圧倒的に強い「モトパーク」というチームには対抗できるはずもない体制だったんです。そういう意味では、1年目は彼女がNODAレーシングでユーロ・フォーミュラにチャレンジすることは一つの経験として捉えて、その上でトップチームや上を目指す他の若いトップドライバーたちのなかで揉まれて勉強することが本人の成長につながっていく、という割り切りを持って参戦しました(*)。
その一方で、ベテランドライバーやNODAレーシングのように経験が必要な若手ドライバーが多く参戦するZinoxF2000(旧イタリアF3)というもう一つのシリーズに関しては、シーズンの後半に車に慣れてきた中で優勝争いができるようになればいいなと。その経験を持って、2年目のユーロフォーミュラで優勝争いできるようにチームとしても力をつけようと考えていたんです。もし、それがかなわなかったら、他のチームで優勝争いをできるようにしようと思っていたんですけど……。
(*)その年から導入された最低重量のレギュレーションが撤廃されるなど、度重なるレギュレーション変更に悩まされ、後半戦は参戦を断念した。
――ユーロフォーミュラではレギュレーションの変更などに苦しみながらも、結果を出すことができたのですね。
野田:はい。ただ、ユーロフォーミュラの開幕戦、ポルトガルで行われたレースは、ライバルたちにまったく歯が立たなくて。うちのNODAレーシングの車が遅くて、スタートからみんなに置いていかれてしまうという、本当に恥ずかしいレースだったんです。
いくらチームの力や予算がないとはいえ、これでは勝負にならないし、ヨーロッパまで学びにきた意味がないので、せめて後方の車とは戦える車で臨ませてやりたいと思いました。そこから体制を見直し、予算もかけて車を作り直したところ、樹潤がそれなりに結果を出し始めたんです。すると、それを見ていた他のチームも、我々の体制を見て「もうちょっと何とかした方がいい」とアドバイスをくれたり、マシンを速くするコツを教えてくれたりして協力してくれるようになって。そうしたらさらに樹潤が速くなって、最強チームの「モトパーク」を相手に戦えるようになりました。ハイレベルなレースの中で揉まれる中で、本人が急成長して、最終的にはもう一つのシリーズで年間優勝できるところまでいったので、実りあるシーズンだったと思います。
年間移動距離は5万キロ。キャンピングカーで
――2023年は樹潤さんにとっても、サポートするチームとしても、本当に大変な一年であり、成長の一年でもあったのですね。キャンピングカーで転戦されてきたそうですが、なぜ、そのようなスタイルを選ばれたのでしょうか。
野田:家を借りたとしても、年間を通して練習走行とレース場を転々とすることを考えると、ほとんど家に帰る暇がないんです。限られた予算の中で、お金はなるべくマシンを速くするためのものに使いたいと考えていたので、たまにしか帰れない家を借りるコストはもったいないですし、削れるものは削って節約するために、キャンピングカーにしました。ヨーロッパではサーキットにキャンピングカーを持ち込んで休憩場所に使うチームはありますけど、我々は家族4人で、車の中で生活もしていました。キャンピングカーは日本でも使っています。チームにはメカニックも2人いて、彼らはトラックでマシンを運びながら一緒に移動しています。
――移動距離は、年間でどのぐらいだったのですか?
野田:昨年は5万キロ弱ぐらいですね。
――それだけ一緒にいると家族の絆も深まりそうですね。食事なども自炊をしながら転戦されていたのでしょうか?
野田:そうですね。ただ、ヨーロッパでは途中でサンドイッチを買って食べたり、マクドナルドに行ってハンバーガーを食べたりもしていました。時間に追われて息抜きができる時間は限られていたのですが、いろいろな土地を通ってさまざまな文化に触れることができましたし、ちょっと時間の余裕ができた時には寄り道して「何か美味しいものを食べよう」と、その土地の料理を楽しんだりもしました。アルプスの山脈を抜ける時には、壮大で美しい景色も眺めました。そういういい面もありましたけど、車で生活するのは、不便なこともたくさんありましたよ。それも含めて楽しんでいましたけれどね。
――工夫しながら、サポートをされてきたんですね。車の整備費だけでも年間数千万円、というエピソードも見ましたが……。
野田:数千万円ではきかないですね(苦笑)。
F1への挑戦「人生をかけて応援したい」
――今年から参戦しているスーパーフォーミュラでは、これまで以上にさまざまな期待や注目の中での戦いとなりますが、小さい頃から目標として掲げてこられた女性初のF1レーサーへと一歩ずつ近づいていますね。英樹さんも、同じ夢を描いているのでしょうか?
野田:私は何も夢を描いてはいないのですが、本人がその夢を持って目標に向かって頑張っているので、そばでできる限りのサポートをしていきたいですね。もちろん、「これはあまりにも無謀だな」とか、これは「絶対に不可能だろう」と思ったらサポートはしないですし、厳しいモータースポーツの世界では、いくら夢を持ってもできることとできないことがあると思っています。でも、それに向かって妥協せずに努力している姿を側で見ていると、本当にやれる可能性を持っているな、と思えてくるんですよ。
だからこそ、応援をやめる理由が見当たらないし、できる限りの応援を、自分も人生をかけてやろうと思っています。今、世界中の女性の中でも一番F1に近いカテゴリーにいて、最もF1に近いマシンに現実に乗ることができているので、今の調子でやっていけばチャンスは十分あるだろうなと思います。
【連載前編はこちら】スーパーフォーミュラに史上最年少・初の日本人女性レーサーが誕生。野田Jujuが初レースで残したインパクト
【連載中編はこちら】モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
<了>
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[PROFILE]
Juju/野田樹潤(のだ・じゅじゅ)
2006年2月2日生まれ、東京都出身。フォーミュラカーレーサー。F1レーサーだった父・英樹に憧れ、3歳でKIDSカートデビューし、勝利。5歳でプロを目指し、30cc/40ccダブルチャンピオンに輝く。9歳の時にFIA認定フォーミュラ4(F4)のドライバーとなり、日本では最年少でスポンサー契約、11歳の時に国際クラスFIA-F4マシンでU-17大会に出場。14歳だった2020年からデンマークF4に参戦し、デビュー戦でポールトゥウィン。その後2022年にWシリーズに参戦。2023年、F1の登竜門といわれるユーロフォーミュラオープン25年の歴史で初の女性での優勝。同年ZinoxF2000(旧イタリアF3)では59年の歴史で史上初の年間女性チャンピオンを飾った。2024年、最年少かつ日本人女性初でアジア最高峰シリーズ「スーパーフォーミュラ」デビューを果たした。
野田樹潤オフィシャルサイトはこちら
[PROFILE]
野田英樹(のだ・ひでき)
1969年3月7日生まれ、大阪府出身。野田樹潤の父であり、NODAレーシング監督。13歳の頃からカートレースに出場。20歳で渡英、イギリスF3、国際F3000を経て25歳でF1にデビューし、国内トップレース他、インディ・ライツ、ル・マン24時間レースに挑戦した。2010年のル・マン24時間レースを最後に現役を引退した後、「NODAレーシングアカデミー高等学校」を開校。2020年からはヨーロッパでのレース活動に帯同。今季はTGM Grand Prixのドライビングアドバイザーとして、樹潤のスーパーフォーミュラでの挑戦を支える。
野田英樹コラム(野田樹潤オフィシャルサイト)はこちら
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