女子サッカー育成年代の“基準”上げた20歳・藤野あおばの原点。心・技・体育んだ家族のサポート
19歳で臨んだ昨夏のワールドカップで日本人史上最年少ゴール、パリ五輪予選では出場権がかかった大一番で決勝ゴールを決め、20歳で臨んだ今夏のパリ五輪でもなでしこジャパンのオリンピック最年少ゴールを決めるなど、日本女子サッカーの未来を担うアタッカー・藤野あおば。その圧倒的なスピードと判断力、勝負強さは、日本女子サッカーの育成年代の選手たちが目指すべき個の基準を大きくアップデートした。その能力を育んだ原点には、3人きょうだいの末っ子として過ごした幼少期の体験が色濃く反映されている。その高いポテンシャルを引き出してきた父・大輔さんと母・亜希子さんに、そのサポート秘話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=藤野家)
兄・姉と競い合った幼少期「自然とお互いを意識していた」
――あおばさんは3人きょうだいだそうですが、まず名前の由来について教えていただけますか?
亜希子:男の子なら「大樹(だいき)」、女の子なら「ひなた」にしようと決めていたのですが、次女のあおばは、若葉と青葉で迷いました。ただ、「活発に成長してほしい」という願いを込めて、「あおば」という名前をつけました。3人の名前には共通点があって、「大きな樹にひなたが差してあおばが生い茂る」というふうにつながりました。
――素敵なエピソードですね。大輔さんは高校時代にボクシングのプロライセンスを取得されたそうですが、いつ頃までボクシングをしていたのですか?
大輔:高校と大学でやっていて、お恥ずかしい話ですが、10年前からまたボクシングジムに通って、今も継続しています。
――素晴らしい継続力ですね。亜希子さんは何かスポーツはしていたのですか?
亜希子:私は特に何かをやっていたわけではなく、学校の体育の授業ぐらいです(笑)。
――では、あおばさんの身体能力はお父様譲りなのでしょうか?
大輔:それは間違いないと思います。
――小さい頃のエピソードについて、「勝負事は絶対に負けたくない」「トランプでもあっち向いてホイでも負けそうになると不機嫌になっていた」と小さい頃のエピソードを語っていたことがあります。
亜希子:あおばだけではなく、きょうだい3人とも負けず嫌いでした。兄はあおばより5歳年上で、姉は2歳上です。競わせたわけではないんですが、自然とお互いを意識するようになりましたし、幼稚園や小学校でも、「周りのお友達に負けたくない」という気持ちが自然と出ていました。
――それぞれの性格的な違いに合わせて、接し方を変えることもあったのですか?
亜希子:こちら側からは、3人とも同じように接していましたが、それぞれ長男、長女、次女という立場で性格に違いが出ましたね。長男は私たちにとっても初めての子育てで、何にでも一緒に挑んでいたので、チャレンジャー精神が旺盛で、少し不器用なところもありますけど積極的な性格です。長女は、何事もうまく合わせてこなすことができる中間管理職のようなタイプです。あおばは、3人の中では一番恥ずかしがり屋でしたが、兄とも姉とも仲が良くて、いつも3人で遊びながらすくすく育ってくれたと思います。
スピードの原点は“公園遊び”
――お兄さんとお姉さんも高校までサッカーを続けていたそうですね。あおばさんがサッカーを始めた時のことは覚えていますか?
亜希子:最初は長男が幼稚園の課外授業の延長のような感じでサッカーをやっていたのですが、幼稚園に上がる前ぐらいの時に、長男の小学校の練習や試合をよく一緒に見に行っていたんです。その時に面白そうだなと思ったみたいですね。
――今のスピードに通じる原点となった運動や、幼少期の習慣などはあったのでしょうか。
大輔:私はもともと文化系の趣味がなく、体を動かすことが好きだったので、毎週末、土日は朝早くからお弁当を持って子どもたちを大きい公園に連れて行って一緒に遊んでいたんです。公園ではボールを蹴ったり、野球をしたり、自転車を漕いだり、全身を使う遊びばかりやらせていました。帰るのはいつも夕方暗くなるころで、結果的に3人とも運動が好きになってくれましたね。
――全身運動で身体能力を培いながら、技術も自然と身についたのですね。サッカー以外にも本格的に取り組んでいた競技はあったのですか?
亜希子:水泳は呼吸器系が強くなると聞いていたので、幼稚園の時は3人ともやっていました。「クロールの25mを泳げるようになる」と目標を決めて、それができたら、あとは続けたければ続けてもいいし、やめるならやめてもいいよ、と。あとはテニスもやっていました。
大輔:遊びでいろんな体験をしたのですが、3人の中でもあおばは運動神経が抜群に良かったです。野球でもびっくりするぐらい強いボールを投げたりするんです。コツを教えているわけではなく、練習をしなくても大体何でもうまくできていたので、本当に運動神経がよかったんだと思います。
「できない」という選択肢はない。父と母の献身的な支えが礎に
――藤野家の方針として、大切にしていた考え方や心構えはありますか?
亜希子:3人にいつも言っていたのは、「何事も『できない』という選択肢はないんだよ」ということです。もしそれができなかったり、うまくいかなかったりする場合は、やっている回数が足りないか、やり方が間違っているから、それが正しくできるようになれば必ずできるようになるから、と話していました。
――工夫や努力を重ねて、苦手だったことができるようになる達成感を、小さい頃から学んでいたのですね。あおばさんは小学生の頃、センターバックをやっていたそうですが、なぜ最初のポジションが守備だったのでしょうか?
大輔:小学校低学年の頃は、本人もポジションの概念などよく分かっていなかったと思います。ただ、あおばはとにかく足が速かったので、後ろにいたと思ったら一番前にいたり、どこにでも飛び回ってボールを追いかけていたので、それをサッカーと呼んでいいのかわからない感じでした(笑)。
――シュートの足の振りの速さやインパクトの強さは、大輔さんがよくシュート練習に付き合っていたことも生きているそうですが、仕事との兼ね合いもある中、どのぐらいの練習に付き合っていたのですか?
大輔:小学校の低学年の時はスピードで勝負していた感じだったんですが、高学年になった時に、技術面で両足を使えるようになった方がいいと考え、「練習しようか」と気軽に言ったのがきっかけでやるようになったんです。雨の日以外は毎日、30〜40分シュートの練習をしてからあおばは小学校、私は仕事に行っていましたね。
――亜希子さんは異なるアプローチで、ドリブルの技術集やサッカー雑誌や一流選手のDVDを集めて子どもたちの目につくところに置いていたそうですね。
亜希子:長男がディフェンダーで、長女がミッドフィルダー、あおばがフォワードという感じで、3人ともポジションがバラバラだったので、それぞれが参考にできるようにいろいろな本を買って、目につくところに置いていました。当時はちょうどクリスティアーノ・ロナウドとかメッシが全盛期だったので、雑誌でよく特集が組まれて、画像を使って技術を解説していることが多かったんです。子どもたちは字で読むよりも、そういう連続写真を見た方が分かりやすいかなと思って、置くようにしていました。
――日常の中に、うまくなるヒントを散りばめていたのですね。ご飯は3人ともよく食べていましたか?
亜希子:食事はいつも量をたくさん作るようにしていたんですが、高校生ぐらいまでは3人とも本当にすごくよく食べて、1カ月間でお米を20キロぐらい消費していました。
――20キロ! トップアスリートを目指して、食事=トレーニングの意味合いもあったのでしょうか。
亜希子:アスリートを目指すというような意識はなかったのですが、たくさん運動をするとお腹が自然と減るので、足りなくならないように、いつも多めに準備していました。また、食が細いと病気にもかかりやすいと思い、栄養をしっかり摂るように食べることは促していました。
メンタリティの礎を築いた小学生時代「気持ちは熱くても、頭は冷静に」
――2022年にベレーザに加入し、同年のFIFA U-20女子ワールドカップでは18歳で飛び級ながら背番号10をつけて、チームを準優勝に導きました。ベスト8のフランス戦で、延長戦の終了間際に得たPKを決めて土壇場で追いつき、その後のPK戦でも冷静に決めてチームを導いた試合は特に印象に残っています。その勝負強さはどのように身につけたのですか?
亜希子:兄も姉もあおばも、「やる」と決めたら覚悟を持って臨むタイプでした。その点はお互いを尊敬して認め合って、3人がいい感じに影響し合っていたと思います。3人とも負けず嫌いなので、それぞれ「自分が一番」だと思っていると思っていたんですが、後々聞いてみたら、あおばがサッカーで注目していただくようになった時も「お兄ちゃんが一番上手い」と話していましたし、兄も「いや、あおばが一番だ」と私に言っていました。本人の前で言わないのは、やっぱり負けず嫌いだからだと思いますけど(笑)。
――プレッシャーがかかる場面で常に冷静でいられるメンタリティも、きょうだい間で培われたのでしょうか。
亜希子:それは、小学校の時にヴェルディのサッカースクールに通っていた時にお世話になったコーチの影響が大きいと思います。あおばは負けず嫌いな性格が出過ぎて裏目に出てしまうこともあったのですが、そのコーチが「どれだけ気持ちが熱くなっても、頭は冷静に」と、根気強く指導し続けてくださったんです。そのコーチと出会ってから、あおばはすごく変わったと思います。その後は、サッカーに限らず、何かをする前に頭の中でいろいろシミュレーションをして、「こうなりたい」という目標から逆算して段取りを決めるようになりました。指導者との出会いには本当に恵まれていたなと思います。
【連載後編】高卒後2年でマンチェスター・シティへ。逆境は常に「今」。藤野あおばを支える思考力と言葉の力
<了>
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[PROFILE]
藤野あおば(ふじの・あおば)
2004年1月27日生まれ、東京都出身。女子サッカーのイングランド1部(女子スーパーリーグ)・マンチェスター・シティWFC所属。日テレ・東京ヴェルディベレーザの下部組織であるセリアスで育ち、トップ昇格は叶わなかったが、進学した十文字高校では年代別代表でも規格外の存在感を放ち、2022年にベレーザに加入。スピードに乗ったドリブルと左右両足から放たれる外国人選手並みのシュートインパクトで1年目から主力として活躍し、翌シーズンからWEリーグで2年連続ベストイレブンに選出。22年8月のFIFA U-20女子ワールドカップでは飛び級で背番号10をつけ、準優勝の原動力になった。同年9月になでしこジャパンに初選出され、主力に定着。23年夏のFIFA女子ワールドカップではコスタリカ戦で日本人史上最年少ゴール記録(19歳180日)を記録。24年2月のパリ五輪アジア最終予選の北朝鮮戦ではオリンピック出場権がかかった試合で決勝ゴールを決め、今夏のパリ五輪ではスペイン戦で女子のオリンピック最年少ゴールを奪取。大会後にマンチェスター・シティに3年契約で移籍することが発表された。
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