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タイ代表・石井正忠監督の初陣で“混合サポーター”が作り出した熱狂。伝説となった「神対応」と二つの幸せな関係
史上初の元日開催となった日本代表戦。1月1日に国立競技場で行われた国際親善試合でタイ代表を相手に5−0と日本代表が快勝した一戦は、結果以上に接戦を演じたタイ代表の戦いぶりにも目を見張るものがあった。そんなタイ代表を率いたのが石井正忠監督。鹿島アントラーズサポーターに今なお愛されるクラブのレジェンドは、2019年にタイに渡り、昨年にはブリーラム・ユナイテッドFCの監督として史上初の2シーズン連続の国内3冠という偉業を達成。11月にタイ代表監督に就任し、今回の凱旋帰国が記念すべき初陣となった。石井監督自身、石井監督のためにタイ代表ゴール裏に駆けつけたサポーターらへの取材を通して、石井監督と鹿島、日本とタイが織りなす幸せな関係を追った。
(文=池田タツ、写真=森田直樹/アフロスポーツ)
タイ人と日本人による“混合タイ代表サポーター”が実現
「選手たちは最後までアグレッシブに戦い続けた」
タイ代表の石井正忠監督は、試合後の監督会見で力強く手応えを口にした。タイ代表監督として初陣となった試合はスコアこそ0−5の大敗だったが、試合内容と選手たちが戦う姿勢にポジティブなものを感じていた。
そんなタイ代表を90分間強烈に後押ししていたのがタイ人と日本人による“混合タイ代表サポーター”だった。後半は大量失点する展開もその応援のボルテージが下がることはなかった。実はこのタイ代表の熱い応援には多くの日本人が関わっていた。
「石井さんが監督をやるチーム、しかも日本で試合をするなら後押ししないわけにはいかない」
そう語るのが鹿島アントラーズのゴール裏でも声を張り上げている山町浩信さんだ。山町さんは石井監督がタイ代表監督として凱旋すると決まってから鹿島サポーターに「一緒に石井監督を応援しよう」と鹿島の仲間たちに声をかけた。そのおかげもあり、試合当日はタイの応援ゾーンに30名弱の鹿島サポーターが集った。
鹿島のサポーターたちにとって石井正忠という人物はかけがえのない特別な存在である。
石井氏は鹿島アントラーズ時代、選手としてジーコを支え、監督としても結果を残している。獲得したタイトルを見ても選手としてリーグ優勝、リーグカップ優勝、天皇杯優勝に貢献しただけでなく、それら3つのすべてのタイトルを監督としても獲得している。さらに世界一を決めるFIFAクラブワールドカップでは、決勝でレアル・マドリードを追い詰めるほどの試合内容を見せた。惜しくも優勝には届かなかったが、それでも世界2位という堂々たる結果は、未だ日本男子サッカーの最高到達点となっている。
伝説となっている石井正忠の「神対応」
しかし石井氏がレジェンド・オブ・レジェンドとして語られているのは、鹿島にもたらしたタイトルの数の多さだけが理由ではない。
伝説となっているのが石井氏の「神対応」と呼ばれるファンサービスだ。
選手時代だけでなく引退後のユースコーチ時代、フィジカルコーチ時代、そして監督になってからも、どの時代であっても石井氏はずっと鹿島のサポーターを愛し、大切にし、そして鹿島のサポーターからも愛されるそんな関係を築いていた。
石井氏の魅力はクラブハウスでの丁寧なファンサービスだけでなく、街中でサポーターに声をかけられても気さくに対応したり、サッカー人の前に一人の人間として、どんな人ともフラットに接するところにある。
鹿島の監督時代にこんなエピソードがある。石井氏はサッカー新聞エル・ゴラッソが編集している『親子で学ぶ サッカー世界図鑑』に感銘を受けて、自腹でその本を大量に購入し、鹿行地区(鹿島アントラーズのホームタウンである鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市の5つの市)の全小学校に寄贈した。しかも監督という多忙な仕事に従事している中、プライベートの時間を割いて全小学校に自分で車を運転して寄贈しに回ったという。石井氏にはホームタウンの子どもたちにサッカーを好きになってほしいという気持ちと、サッカーを通して世界の文化を学び世界とのつながりを感じてほしいという気持ちがあった。
サッカー図鑑の寄贈はクラブを通した活動ではなく、あくまで石井氏個人としてプライベートで行った活動だったため、小学校によっては石井氏を鹿島アントラーズの監督だと知らずにただ本を受け取ったという小学校もあったようだ。
この石井氏の活動は徐々に認知されていき「うちの小学校にも石井監督が来るかもしれない!」と心待ちにする小学校が出てきた。その中で「ぜひ小学6年生の教室に顔を出してください!」「給食を一緒に食べていってください」など交流の機会も増えていった。地域の小学校の校長先生が集まる校長会では「石井さんがここまで小学生にしてくださるなら、われわれももっとできることがあるのではないか」ということで、鹿島の試合日から運動会の日程をずらす学校も出てきたほどだった。
「石井さんが監督になってから鹿島の街に…」
石井氏のすごいところはこういった活動をしながらしっかり鹿島の監督として結果を出してタイトルを取り続けていたことである。
鹿島の監督就任時に、鹿島の街を以前のようにサッカーで盛り上げたいと考え、練習後にクラブハウスで選手の即席サイン会を行うなどさまざまな施策を自ら考え実施した。前述の山町さんは2015年当時のことをこのように振り返った。
「Jリーグが誕生した1993年の開幕時は、本当に鹿島の街が熱狂していました。その後も鹿島の街がずっと盛り上がっていると思っている人がいるかもしれませんが、そうではなく、石井さんが監督になってから、93年のときと同じかそれ以上の盛り上がりが鹿島の街に戻ってきたんです」
鹿島のサポーターの中でも石井氏が監督をやるなら、石井氏への恩返しとしてもう一度クラブを盛り上げようというサポーターも多かったと山町さんは言う。
「鹿島が一番盛り上がっていたときのチームキャプテンがチームの顔となる監督になるというのはもちろん大きかったんですが、一番は選手引退後に鹿島のスタッフになってもまったく変わらずずっと地域の人たちやサポーターを大事にしてきていたことが大きかったと思います」
昔応援していたサポーターがスタジアムに戻ってきただけでなく、石井氏が行う真摯なファンサービスが、また新たな熱狂的な鹿島サポーターを生み出していき、鹿島の街が熱狂を取り戻していった。学校では先生がホームルームで昨日の鹿島の試合の結果を話題にしたり、街の中での日常会話に鹿島アントラーズが戻ってきた。
石井氏の魅力は監督として優勝して最優秀監督賞を取っても、クラブワールドカップで準優勝しても、その態度や接し方が一切変わらないところにある。それはタイに行っても変わらなかった。タイでは監督としてブリーラム・ユナイテッドFCで、リーグ、FAカップ、リーグカップの3冠を2年連続で成し遂げた。タイ史上初の快挙でもある。そのような結果を出しても石井氏のサポーターとの接し方はタイでも変わらない。真摯にサポーターとコミュニケーションを取る石井は「あの方はあそこで働いている方なんですよ」とサポーターのことを細かく覚えていたりする。タイでの練習中、選手とコミュニケーションを取る際には常にしゃがんで選手より目線を下げてから話すことを徹底していたのも石井氏らしいエピソードである。
日本サッカーとタイサッカーが育んできた幸せな関係
話を1月1日に戻そう。タイのコールリーダーを務めるリムさんは、日本語で次のような横断幕を国立競技場のスタジアムに掲出した。
「にほんとJFAのゆうじょうにかんしゃ」
「石井正忠かんとくと共に!」
「明けましておめでとう2024」
今回リムさんの来日に際し、Jリーグのサポーターが多くの手助けをしている。リムさんは、タイという国をスポーツで活性化したいと活動しているサポーターだ。そんなリムさんが、川崎フロンターレのサポーターである井上梨紗さんの協力を得て日本語の横断幕を作成した。井上さんは日本語の監修と横断幕の作成を手伝うだけでなく、試合当日の横断幕と太鼓のスタジアム内への持ち込みなどでもJFAと調整するなどリムさんをサポートした。
鹿島のサポーターである板谷浩男さんは「石井さんなら絶対公開練習にするはずだからタイ代表の練習を見にいこう」とタイ代表の練習にアテンドした。長年タイ代表を追いかけるリムさんでも練習を見られたのは初めてだったという。
タイの応援席には、鹿島サポーターのみならず、浦和レッズ、北海道コンサドーレ札幌、川崎フロンターレ、横浜F・マリノスの日本人サポーターが来ていた。いずれもタイ人選手が在籍したことのあるチームである。サッカーの素晴らしいところは国を代表して真剣に戦いつつも、一方で国を超えて協力し合えるところにある。
90分間続いたあの熱狂的なタイ代表サポーターの応援は、日本サッカーとタイサッカーが育んできた幸せな関係があってこそ生まれたものだ。次なる目標は「石井監督と共にワールドカップへ」。
<了>
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