松永成立が語る、辞任後の胸中。横浜F・マリノスと歩んだ40年、GKコーチを辞しても揺るがぬクラブ愛
2025年5月30日、この男の辞任はサッカー界に衝撃を与えた。19年にわたり、横浜F・マリノスのGKコーチを務めてきたレジェンドによる、突然の決断だった。チームが降格圏で苦しむこの時期に、なぜ現場を離れることを選んだのか。インタビューは辞任から3カ月が経った、残暑厳しい8月末、横浜で行われた。40年間のサッカー人生の重みと、それでも消えることのない情熱が垣間見えた。
(インタビュー・構成=鈴木智之、撮影=大木雄介)
日産からマリノスへ40年――松永成立が下した決断
松永成立、63歳。
松永は、よく通る低音でインタビューに応じてくれた。
「この歳になって健康も気にしなければいけないから、スポーツジムを契約してね。日々のルーティーンのように通っています。たまにマリノスのファン・サポーターの方に声をかけられるんですよ。『何してるんですか?』と聞かれます(笑)。」
長くサッカーと共に生きてきた。1985年に横浜F・マリノスの前身である日産自動車サッカー部に入ってから、今年で40年になる。ボールを触らない生活には、新鮮さと戸惑いが入り混じっているという。
「ボールを蹴らない生活も3カ月が経ちました。人生で初めてのことなので、どういう生活になるのか、まったく想像ができませんでした。でも今はのんびりと、自分のためだけに時間を使えていることに新鮮味を感じています。ただ、こういう時間をもう少し有効活用していかないといけない。これからどうしようか、クラブとともに模索しているところです」
流れる時間の早さは、数カ月前とは違ったものになった。とはいえ週末が近づくにつれて、否が応にも気になることがある。
「もちろん試合は見ています」
チームは降格圏で苦しんでいた。松永の心境は複雑だった。
「まずは残留のため、安全圏に持っていってほしい。とにかくJ1に残ってもらって、その状況でマリノスとしてのあるべき姿、立つべき場所を、再確認する機会にしてほしいと思っています」
これは元コーチとしての思いでもあり、日産自動車サッカー部から連なるOBとしての偽らざる本音でもあった。

「心配をかけたのは間違いない」ずっと伝えたかった胸中
一方で、チームをこの順位にしてしまったことについて、悔恨の念もある。チームを離れることが決まっていた5月25日の鹿島アントラーズ戦。試合後、ファン・サポーターのもとへ挨拶に行きたかったが、低迷するチーム状況ゆえ、それも叶わなかった。
「この取材の場で、顔を見ずにサポーターの皆さんに話をするのは失礼だと思っています。でも、この場を借りて謝りたいことがあります」
松永は言葉を選びながら続けた。
「どんな理由があっても、チームが苦しい時に現場を離れたのは事実です。それで心配をかけてしまった。長くサッカー界にいると、色々な方から話を聞きます。『サポーターが心配している』と。(辞任につながる)内部のことは言えませんが、心配をかけたのは間違いない。それは謝りたいと思っています」
その後、言葉をこう重ねる。
「ただ、一つだけ信じてほしいことがあります。クラブを嫌いになったわけでも、サッカーを嫌いになったわけでもない。後付けの言い訳だと取られても構いません。でも、これが私の本心です。それだけは、ぜひ伝えたい」
松永がクラブに別れを告げたわけでも、クラブから別れを告げられたわけでもない。「白黒はっきりつけたい性格」という松永にとって、現状は歯がゆいだろうが、一つ言えるのは、いまもなお横浜F・マリノスの一員であるということだ。
「現場のGKコーチからは退きましたが、それ以外の形で関わってほしいという話になっています。ただ、具体的に何をするかは、まだ決まっていません。今はお互いに模索している段階です」
さらに松永は付け加える。
「クラブとしても、私個人としても、焦ってはいません。双方にとって良い方向に進めればと思っています」
現場から一歩引いた今だからこそ、見えるものもある。
「この立場になって、色々な方の意見を聞く機会が増えました。現場にいる時は、そういう時間がなかなか取れませんでした。その意味では良かった面もあります。私個人に対する、厳しい意見を言ってくれる人もいます」
松永と付き合いのある人は、裏表がなく、物事をはっきり言う人が多いという。
「『今までやってきたことは正解だった』と言ってくれる人もいれば、この歳になっても、『お前のここがよくない。直せるのであれば直したほうがいい』と言ってくれる人もいる。今は、すべての意見を素直に聞ける自分がいます」
もともと「自分の意見を曲げない性格」だった松永にとって、意外な変化だという。「自分でも不思議に思うんですよ」と、柔らかな笑みを浮かべる。

クラブと一緒に喜んでくれるファン・サポーターがいてこそ
横浜F・マリノスの前身は、日産自動車サッカー部だ。1972年に神奈川県2部リーグからスタートし、1979年に日本サッカーリーグ(JSL)1部リーグに昇格。1985年に加入した松永は当時の加茂周監督のもと、木村和司、金田喜稔、水沼貴史といった名選手たちとともに、横浜F・マリノスの礎を築いた。
「今の選手や若いファン・サポーターの方には、日産自動車がどれほどのチームだったか、知らない方も多いかもしれません。私は恵まれていて、日産とマリノス、両方のクラブに関わることができました。日産自動車サッカー部の立ち上げに関わった人たちとも、まだ付き合いがあります」
今や知る人も少なくなった、日産自動車から始まる横浜F・マリノスの歴史。松永はそれを自身の存在で証明し続ける、生き字引でもある。
「歴史や伝統と言われますが、それは長くトップカテゴリーにいただけではなく、数々のトロフィーやタイトルを獲得したことが大きいと思います。タイトルを獲得して、その場にいるファン・サポーターの皆さんが喜んでいる姿を見る、声を聞く。これが一番の喜びです。歴史や伝統は、私たちだけが築いたわけじゃない。クラブと一緒に喜んでくれるファン・サポーターがいてこそ。その瞬間、瞬間が、歴史や伝統の1ページなんです。常に一体なんですよ、クラブとファン・サポーターは」
今シーズン、苦しい状況の中でもファン・サポーターは声を枯らして声援を送っている。それがどれほど選手の力になっているか、松永は身をもって感じていた。
「去年までもファン・サポーターの声援は、ものすごく力になっていました。でも今年、この苦しい状況でわかったことがあります。ファン・サポーターの声が、予想以上に選手の力になっているんです。これは間違いありません」
特に印象深かったのは、5月25日のホーム鹿島戦だ。
「鹿島戦の時、ホテルからバスでスタジアムに向かう途中、ものすごい数のサポーターがチャントを歌ってくれていました。あの試合は、間違いなくサポーターが勝たせてくれた試合です。それは私が言うまでもなく、選手が一番わかっていることです。間違いなく、サポーターの皆さんの勝利だったんです」
当時、チームはリーグ戦7連敗中。最下位と首位の対決に、3万人を超える観客が集まった。

誇りに思えるクラブ、それがマリノス
首位撃破の鹿島戦後、FC町田ゼルビアとのアウェイゲームにも快勝。連勝を飾ったが、6月に入ると3連敗。7月、8月と勝点を積み上げてきたが、降格レースを抜け出すには至っていない。
現在の状況について、松永は「クラブ全体の責任」だと考えている。
「今の現状は、フロントだけの責任ではないと思っています。選手やスタッフだけの責任でもない。クラブ全体の責任です。この問題を真摯に受け止めないと、スタジアムに足を運んでくれる皆さん、画面越しで見てくれている皆さんに対して、ステータスや誇りを持ってもらうことはできません」
松永はインタビュー中、何度もステータス、誇りといった言葉を口にした。
「ステータス、価値観、ブランドはものすごく大切なもので、一朝一夕にできるものではありません。(1988年度、89年度の)連続3冠から始まって、アジアのタイトルも獲った。俺たちのクラブは、ここまですごいんだと誇りに思えるクラブ、それがマリノスなんです」
では、ブランド価値を取り戻すために、何が必要なのか。松永は熱を込めて語る。
「この状況になってしまったことを、クラブとして、色々な部署の方も、現場の人間も選手も含めて、問題点をしっかりと抽出し、改善していけば、必ずまた皆が『マリノスは俺のチームだ』『俺たちの地域のチームだ』と、誇りに思えるクラブになれる。それが本来のマリノスの姿であり、立ち位置だと思います」
現場を離れてから、松永には多くのことを考える時間があった。
「チームが降格圏にいる中で辞めたことについて、『途中でそっぽを向いた』『逃げた』という人もいるでしょう。色々な人の考えや意見があるので、それは否定しません。そういう意見もあって当然だと思います」
その上で「日産とマリノス、両方に関わったOBとして、こういう状況に対する不満もあります」と言葉を絞り出す。
そして最後に、こう締めくくった。
「今、チームに対して何ができるかは、はっきりとは言えません。でも、マリノスが元の立ち位置に戻る中で手助けができるなら、ぜひさせてほしい。それはしなければいけない、義務だと思っています。マリノスが頂点に立つため、本当にあるべき姿に戻るため―――。そのためには100%力を貸します。これは断言できます」
インタビューは2時間に及んだ。話はこの後、19年間のコーチ生活について(連載中編)、GKの選手育成について(連載後編)へとつながっていく。
クラブへの愛情と責任感。情熱。そしてまだ見ぬ未来への希望。彼の中で、すべてが複雑に絡み合っている。日産自動車時代から数えて40年。松永成立と横浜F・マリノスの物語に、終章はまだ書かれていない。
【連載中編】「指導者なんて無理」から25年。挫折と成長の40年間。松永成立が明かすGK人生の軌跡
【連載後編】「日本人GKは世代を超えて実力者揃い」松永成立が語る、和製GKの進化。世界への飽くなき渇望
<了>
木村和司が語る、横浜F・マリノス監督就任の真実。Jのピッチに響いた「ちゃぶる」の哲学
J1最下位に沈む名門に何が起きた? 横浜F・マリノス守護神が語る「末期的」危機の本質
“永遠のサッカー小僧”が見た1993年5月15日――木村和司が明かす「J開幕戦」熱狂の記憶
「不世出のストライカー」釜本邦茂さんを偲んで。記者が今に語り継ぐ“決定力の原点”
「カズシは鳥じゃ」木村和司が振り返る、1983年の革新と歓喜。日産自動車初タイトルの舞台裏
[PROFILE]
松永成立(まつなが・しげたつ)
1962年8月12日生まれ、静岡県出身。元サッカー日本代表。浜名高校、愛知学院大学を経て、1985年に日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に加入。横浜マリノスへとチームが名称変更後も不動の守護神として活躍し、1993年のJリーグ開幕戦にも正GKとして出場。その後、1995年より鳥栖フューチャーズ、1997年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台)、同年8月に京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)でプレー。2000年に現役引退。日本代表には1987年に初選出。日本の守護神としてダイナスティカップ、アジアカップ優勝に貢献。1993年のFIFAワールドカップ予選、最終予選ベスト11に選出。現役引退後、2001年に京都パープルサンガのGKコーチに就任。2007年からは横浜F・マリノスでGKコーチを19年間にわたって務め、2025年5月30日に辞任を発表。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
まだデータがありません。
まだデータがありません。
LATEST
最新の記事
-
中国に1-8完敗の日本卓球、決勝で何が起きたのか? 混合団体W杯決勝の“分岐点”
2025.12.10Opinion -
サッカー選手が19〜21歳で身につけるべき能力とは? “人材の宝庫”英国で活躍する日本人アナリストの考察
2025.12.10Training -
なぜプレミアリーグは優秀な若手選手が育つ? エバートン分析官が語る、個別育成プラン「IDP」の本質
2025.12.10Training -
ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う
2025.12.05Career -
SVリーグ女子の課題「集客」をどう突破する? エアリービーズが挑む“地域密着”のリアル
2025.12.05Business -
女子バレー強豪が東北に移転した理由。デンソーエアリービーズが福島にもたらす新しい風景
2025.12.03Business -
個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
2025.12.01Career -
監督が口を出さない“考えるチームづくり”。慶應義塾高校野球部が実践する「選手だけのミーティング」
2025.12.01Education -
『下を向くな、威厳を保て』黒田剛と昌子源が導いた悲願。町田ゼルビア初タイトルの舞台裏
2025.11.28Opinion -
柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
2025.11.28Career -
デュプランティス世界新の陰に「音」の仕掛け人? 東京2025世界陸上の成功を支えたDJ
2025.11.28Opinion -
高校野球の「勝ち」を「価値」に。慶應義塾が体現する、困難を乗り越えた先にある“成長至上主義”
2025.11.25Education
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
ラグビー界の名門消滅の瀬戸際に立つGR東葛。渦中の社会人1年目・内川朝陽は何を思う
2025.12.05Career -
個人競技と団体競技の向き・不向き。ラグビー未経験から3年で代表入り、吉田菜美の成長曲線
2025.12.01Career -
柔道14年のキャリアを経てラグビーへ。競技横断アスリート・吉田菜美が拓いた新しい道
2025.11.28Career -
原口元気が語る「優れた監督の条件」。現役と指導者の二刀流へ、欧州で始まる第二のキャリア
2025.11.21Career -
鈴木淳之介が示す成長曲線。リーグ戦出場ゼロの挫折を経て、日本代表3バック左で輝く救世主へ
2025.11.21Career -
なぜ原口元気はベルギー2部へ移籍したのか? 欧州復帰の34歳が語る「自分の実力」と「新しい挑戦」
2025.11.20Career -
異色のランナー小林香菜が直談判で掴んだ未来。実業団で進化遂げ、目指すロス五輪の舞台
2025.11.20Career -
官僚志望から実業団ランナーへ。世界陸上7位・小林香菜が「走る道」を選んだ理由
2025.11.19Career -
マラソンサークル出身ランナーの快挙。小林香菜が掴んだ「世界陸上7位」と“走る楽しさ”
2025.11.18Career -
“亀岡の悲劇”を越えて。京都サンガ、齊藤未月がJ1優勝戦線でつないだ希望の言葉
2025.11.07Career -
リバプールが直面する「サラー問題」。その居場所は先発かベンチか? スロット監督が導く“特別な存在”
2025.11.07Career -
ドイツ代表か日本代表か。ブレーメンGK長田澪が向き合う“代表選択”の葛藤と覚悟「それは本当に難しい」
2025.11.04Career
