世界最高GKが振り返る「ユヴェントス移籍の真実」。バルサ行きも浮上した守護神“ジジ”の決断
“世界最高峰のGK”として君臨し続けたプロ生活28年――。17歳でプロデビューを果たし、史上最多10度のセリエA制覇を成し遂げ、45歳まで現役を貫いたジャンルイジ・ブッフォン。イタリア代表では史上最多キャップを誇り、2006年にワールドカップ優勝を成し遂げた。その輝かしいキャリアの裏には、無数の失敗、敗北、葛藤、そして“立ち上がる力”があった。本稿では『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』の抜粋を通して、“ジジ”自身が初めて語る挑戦の物語をひも解く。今回は、GKとして当時最高金額となったパルマからユヴェントスへの移籍の真相について。
(文=ジャンルイジ・ブッフォン、訳=片野道郎、写真=ロイター/アフロ)
パルマ時代の終焉。次なる行き先はバルセロナ?
ファビオ・カペッロ監督率いるローマの優勝で幕を閉じた2000/01シーズン終盤の数週間、ローマが私に強い関心を持っていると繰り返し報じられていた。シーズンはまだ終わっていなかったが、ローマはすでに「スクデットのその先」を考えていた。この先見性と計画性に感銘を受けた私の心は、少しずつ動き始めていた。フランチェスコ・トッティと友情を築いており、よく連絡を取り合っていたことも理由のひとつだった。
その夏には、ローマだけでなくユヴェントスやバルセロナも接触してきた。私はとても迷っていた。
片やイタリアで最も重要なチーム、片や外国での新しい経験。バルセロナに移籍するという考えはなかなか魅力的だった。彼らは何年も勝利から遠ざかっており、復活への強い意思が感じられたからだ。それにイタリア国内では、ずっと行動を見張られているような気分にさせられており、それが嫌だった。何年か外国でプレーすれば、そうした注目からも逃れられるだろうと思っていた。当時の私は、外国でもサッカー選手はイタリアと変わらないほど注目を集めるのだということに思い至らないほど世間知らずだった。
ある時点で、ローマは財政的な理由から私を諦め、イヴァン・ペリッツォーリに投資することを決めた。移籍金はパルマが私に付けていた値札の5分の1だった。ユヴェントスの態度が煮え切らないのを見た私の代理人シルヴァーノ・マルティーナは、バルセロナに飛んで契約をまとめにかかった。
私はすでにヴァカンスに出かけており、サッカーのことは聞きたくも考えたくもなかった。唯一確信していたのは、もうパルマではプレーしないということだった。パルマの街やサポーターと別れるのは残念だったが、クラブは野心を失い、縮小の計画があった。はっきりと言われたわけではなかったが、何かが変わり始めていることに気づかないのは不可能だった。
「俺はユヴェントスの守護神になったんだ」
マルティーナはバルセロナとの合意を取り付け、あとは契約書にサインするだけだった。だが、一仕事を終えてラ・バルセロネータで日光浴を楽しんでいた彼のところに、ユヴェントスのスポーツディレクター、ルチャーノ・モッジが電話をかけてきた。興味を持った選手の代理人すべてとうまくやる術を心得ているやり手だ。ただ、私に関しては手練手管を講じる必要もなかった。モッジは、マルティーナがかつてトリノでプレーしていた当時のスポーツディレクターであり、2人はすでに十分親しい関係にあった。
「シルヴァーノ、今どこにいる?」
「バルセロナですよ。話はもうまとまってます」
「何言ってるんだ。ダメだ。戻ってこい。こっちにも海はある」。モッジはそう言うとさらにこう付け加えた。
「ユーヴェには、ジジに関してお前が求めるすべての条件を満たす用意がある。オーナーは金を出す準備ができているし、パルマとももう話はつけた」
ユヴェントスはジネディーヌ・ジダンをレアル・マドリーに高値で売却したばかりで、その利益を私とリリアン・トゥラム、そしてパヴェル・ネドヴェドに再投資しようとしていた。しかしそれでもシルヴァーノはバルセロナと契約の細部を詰めに入り、その一方では私の父がトリノを訪れてユヴェントスの首脳陣と会い、話を聞いていた。
父は会長のウンベルト・アニエッリと直接会った。新シーズンに向けたプロジェクトについて、少し話をしたらしい。父、アドリアーノ・ブッフォンは強い正義感の持ち主であり、道徳主義に陥るとまでは言わないが、常に礼儀正しく敬意に満ちた態度を崩さない人物だ。権力者に心酔することはあり得なかった。アニエッリ会長との会談は滞りなく進んだが、その終わりに「ドットーレ」はこう訊ねた。「ブッフォンさん、この買い物をする前にひとつ知っておきたいことがあります。ご子息はユーヴェに来ることを心から喜んでいますか?」。
父は一瞬答えに詰まった。私たちが最後に会った時、明確な希望があったわけではない私は、単にこう言っただけだったからだ。「自分のことはあんまり信用できない。俺はパパを信用するよ」。そんなわけで父はそれ以外に言いようがないという答えを返した。「もちろんですよ、ドットーレ。ユーヴェに来る日を心待ちにしていますよ」。
イタリアへの帰国途中、バンコクでの乗り継ぎの際に泊まったホテルに、イタリアのスポーツ新聞の1面がファックスで送られてきた。私はユヴェントスのGKになっていた。
「俺はユヴェントスの守護神になったんだ」
リッピが語る「イタリアで最も憎まれているクラブ」
プレシーズンキャンプ前の数日間は猛暑だった。私は毎晩ハードに遊び回り、朝になってマリーナ・ディ・カッラーラの自宅に泥酔状態で帰り着くような日々を過ごしていた。残り少ない休暇を最大限に満喫するつもりだった。
そんな日々が始まって間もなく、昼食(私にとっては朝食だったが)の時に祖母リーナが話しかけてきた。「今朝何度もマルチェッロっていう人から電話がかかってきたよ」。私は前夜の余韻でまだ朦朧(もうろう)としていて、頭がまともに働かなかった。ただ、マルチェッロという名前の知り合いは1人もいないことは確かだった。祖母はこう付け足した。「そういえばその人、監督のマルチェッロだって言ってたね」。私はまだぼーっとしていたが、それを聞いて頭の中で何かがかちんとつながった。マルチェッロ・リッピだ。
午後になってまたかかってきた電話を取ると、電話口の向こうから意志の強さを感じさせる落ち着いた声が聞こえてきた。
「じゃあジジ、明日直接会おう。近くに住んでいるんだし」
そう言うと、彼の住むヴィアレッジョと私のいるカッラーラの中間地点、フォルテ・デイ・マルミを指定してきた。完璧だ。私のキャリアを振り返った時に、最も重要な時間のひとつだったと思えるのが、このリッピと過ごした朝だった。彼は仕立てのいいシャツにショートパンツというエレガントないでたちで現れた。その佇まいには、説明する必要もない魅力とカリスマ性があった。彼がわざわざ私に連絡し、キャンプが始まる前に直接会いたいと言ってくれたその繊細さには心を打たれた。そして彼は、ユヴェントスとは何かを、たっぷり3時間かけて懇切丁寧に説明してくれた。
「ジジ、困難に直面することもあるだろう。パルマでもマスコミのプレッシャーはあったと思うが、それとはレベルが違う。ユヴェントスはイタリアそのものだ。全員が味方であると同時に全員が敵だ。この国の鏡だと言ってもいいだろう。人々はユヴェントスに夢や希望を託す。しかし同時にイタリアで最も憎まれているチームでもある。長い歴史と伝統、そして最も多くのタイトルを持っているからだ。特定の都市ではなく、そのサポーターをアイデンティティの源としている唯一のクラブでもある。それゆえに、それを嫌う人々の苛立ちと憎しみを一身に集めてもいる。
ユーヴェでやっていくのは簡単じゃない。だがそこに留まり、成功を収めることができれば、カルチョの歴史に名を残すことになる」
永遠に心に刻まれる言葉「ジジ、私が君を敵として…」
そしてリッピは、私の心に永遠に刻まれる言葉を口にした。
「ジジ、私が君を敵としてすごく気に入っていた理由がわかるか?」
「なぜですか?」
「すごいセーブを見せた後に遠慮なく派手なガッツポーズを決めるところだよ。あのふてぶてしさ、あのエネルギーこそ、我々が勝利を取り戻すために不可欠なんだ」
それを聞きながら私は生まれて初めて、対戦相手が自分に対してどんな感情を抱くのかを理解した。それは新鮮な感覚だった。リッピは繊細な心理学者だった。
彼は私をおだてていたわけではない。むしろ私が対戦相手に与えていた印象を気づかせてくれた。私のふてぶてしさ、つまりビッグセーブを決めた後の不遜なジェスチャーは、相手を苛立たせ冷静さを失わせる一方で、味方には勇気と自信を与えていたのだ。リッピは選手の心理を読み解き、試合状況がチームにどんな心理的影響をもたらしているかを鋭敏に感じ取る力を持っていた。
彼は落ち着いてエレガントに話しながら、私の目をまっすぐ見据えて目をそらさなかった。それを聞きながら、自分はこの人に求められているのだと強く実感することができた。確かに私は1000億リラという記録的な移籍金で買われたが、私にとって決定的だったのは金額的な評価ではなく、人間としてどれほど求められていたのかということだった。
そして、こればかりはどうしようもないことだが、世の中には声のトーンだけで人を魅了し説得してしまう人物がいる。特別なカリスマ性があるのだ。リッピはまさにその1人だった。
ユヴェントスは3シーズン続けてスクデットを逃していた。世界中に何千万人というサポーターを有するこのクラブにとって、それは永遠に近い長さなのだ。
「君みたいな奴が必要なんだ。対戦相手としては本当に気にくわなかった。でも心の中では、ユヴェントス相手にセーブを決めて誇らしげに喜ぶ憎たらしい若造を見て、こいつは悪くないとも思っていた。
今ユーヴェが必要としているのはそういうエネルギーだ。ピッチ上では素のままのジジ・ブッフォンでいてくれ。それだけで十分だ。ただ、ピッチ外の行動にはもう少し気をつけてもらわないといけない。
でも私にとって大事なのは、ここ何年か見てきたジジ・ブッフォンそのままであることだ」
「言い訳をして責任を他人に押しつける選手は嫌いだ」
その声のトーンからだけでも、自分は今強いリーダーと話している、と確信するには十分だった。結局のところ、誰もがそういう自信と安心感を与えてくれる声を聞きたいものだ。私のような若造ならなおさらに。
リッピはすっかり私をその気にさせた。それは認めるしかない。世界最高の監督の1人、UEFAチャンピオンズリーグとインターコンチネンタルカップを制し、伝説的な選手たちを指揮してきた名将が、まだ23歳の私にそんなことを言ってくれるのだ。今振り返れば、それはユヴェントスが1000億リラも支払ったゴールキーパーに、自分がプロジェクトの中心だと感じさせるための方便でもあったことは理解できる。しかしその時の私は、空を飛んでいるような気分だった。
リッピとの間では、物事は常に明快だった。状況が悪化した時でも――ユヴェントスではそういう状況はさらに重くのしかかるものなのだが――彼は断固とした解決策を選ぶのに躊躇(ちゅうちょ)がなかった。
それから3年近く後、リッピと過ごした中では最悪のシーズンだった2003/04の終盤、単刀直入にGKコーチのイヴァーノ・ボルドンに対する評価を訊ねられた。クラブは彼の立場について議論する必要があると考えているようだった。
ボルドンは1982年のワールドカップで第3GKを務めた名手で、私は彼と気が合った。その話が持ち上がったのは、私のパフォーマンスが明らかに落ちてきていたことが発端だったのかもしれない。私はリッピにただはっきりと、問題はすべて自分にある、GKコーチはまったく関係ない、と伝えた。
「それが聞きたかった」。彼はすぐにそう言った。
「言い訳をして責任を他人に押しつける選手は嫌いだ」
アントニオ・コンテが放つ威厳とカリスマ性
ユヴェントスに加入すると、3人の主力選手を中心に結束したロッカールームがあった。ナポリ出身のチーロ・フェッラーラ、ヴェネト出身のアレッサンドロ・デル・ピエーロ、そしてキャプテンでプーリア出身のアントニオ・コンテだ。それぞれ異なる人生観や哲学を持っており、自分なりのやり方でチームをまとめ、引っ張っていた。
チーロは規律に厳しく、リスペクトを求めるタイプだが、皮肉とユーモアのセンスがあり、誰に対しても率直に、しかし嫌味にならない言い方で自分の意見を伝えることができた。厳しい態度で人に接することはなく、リッピもその人当たりの良さと外交術を評価し、チームにある種のメッセージを伝える時には頼りにしていた。実際、2006年のワールドカップでも、リッピは彼をスタッフに加えてドイツに連れて行った。はっきりと注意したり叱ったりしながらも嫌われずにいるのは、決して簡単なことではない。
アレックスは3人の中では最も若いが、同世代や私のような新参者に対して大きな影響力を持っていた。
そして最後にキャプテンのコンテがいる。無口だが、話す時には的確に要点を衝く。そして打つべき時は一度だけ、しかし強く打つ。チームメイトに対して怒鳴るキャプテンはたくさん見てきたが、彼は決してそうしない。あまり話さないが、その沈黙の中に威厳とカリスマ性がある。当時から、きっと監督になるだろうと思っていた。他人には見えないものが見えていたからだ。そして何よりも目標を達成することに対する鬼のような執着心と自信を持っていた。
2006年、シエナの助監督になっていたアントニオと試合で再会し、少し言葉を交わした。
「ピッチの向こう側の居心地はどう?」
「見ろよジジ、セリエAの監督連中があれで通用してるのなら、俺は明日からでも監督ができる。連中よりも俺のほうがずっと準備ができている」
その時私は、どうやったらたった3ヶ月で自分が偉大な監督になれると思えるんだ?と考えたものだ。しかし、彼は正しかった。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』から一部転載)
※次回連載は1月30日(金)に公開予定
【連載第1回】ジャンルイジ・ブッフォンが語る「GKとしての原点」。困難を乗り越える“レジリエンス”の重要性
【連載第2回】伝説の幕開け。ブッフォンが明かす、17歳でセリエAのゴールを守った“衝撃のデビュー戦”
<了>
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[PROFILE]
ジャンルイジ・ブッフォン
1978年1月28日生まれ、イタリア、トスカーナ州マリーナ・ディ・カッラーラ出身。世界最高のゴールキーパーの一人と称される。1995年にパルマでプロデビューし、ユヴェントスでは長年にわたり守護神として活躍。セリエA優勝やコッパ・イタリア制覇など数々のタイトルを獲得した。2006年のFIFAワールドカップではイタリア代表の優勝に大きく貢献。晩年は古巣パルマでプレーし、2023年に45歳で現役を引退した。その献身とリーダーシップは世代を超えて尊敬を集めている。
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