![](https://real-sports.jp/wp/wp-content/uploads/2023/07/691e5bf043cf11eab59c0b5ceccd958d.webp)
トッティと日本、知られざる4つの秘話。内気な少年時代の記憶、人生初の海外、奇跡と悪夢…
2月に日本でも刊行予定の『フランチェスコ・トッティ自伝』には、「日本」というキーワードが何度か登場する。元ASローマ所属の日本人選手・中田英寿とのポジション争いをはじめとして、フランチェスコ・トッティの人生に少なからず影響を与えた「日本」との関わり合いを紹介する。
(文=沖山ナオミ、写真=Getty Images)
お気に入のテレビ番組は『キャプテン翼』
フランチェスコ・トッティは自伝のなかで、子どもの頃、内気で怖がりだったことを明かしている。一人で家で留守番するのは大の苦手。ちょっとした物音が聞こえるだけで「泥棒が入ったのではないか」と怯え、毛布に潜り込んでいたそうだ。
そんなとき、彼を助けたのはテレビ。ボリュームをマックスにして恐怖心と戦いながら母親の帰りを待っていた。当然彼はテレビっ子になったわけだが、なかでもイタリアで『ホーリー&ベンジ』というタイトルで親しまれている『キャプテン翼』は大のお気に入りだった。「子どもの頃、この日本のサッカー少年のアニメに夢中にならなかったやつはいない」と語っている。
トッティ少年は物心ついた頃から、近所の仲間たちと夢中になってボールで遊んだ。当時から飛び抜けた才能を見せていた彼は、おそらく『キャプテン翼』の主人公、翼になりきって一層テクニックを磨いたことだろう。「遊びは、テクニックや才能、ピッチで生き残る能力を磨く上で、他と比べ物にならないほど効果的なんだ」と、子ども時代のボール遊びこそが、プロとして活躍する上で重要な基礎になると彼は説いている。
実際、トッティは、プロになってから、試合の重要な場面で子どもの頃の自分に戻ることがあるという。子ども時代遊んでいた感覚でプレーし、それが決定打につながった様子を自伝で明かしている。数々のスーパープレーが生まれた陰に『キャプテン翼』の存在があることは確かだ。
初めての海外遠征先は日本
ローマが世界の中心。ローマ中心に世界が回っていると思っているトッティ。そんな内弁慶な彼の初海外の渡航先はなんと極東の地、日本だった! 1993年8月、日本開催FIFA U-17世界選手権(現・FIFA U-17ワールドカップ)に招集されたのだ。
「人生で最初のビッグトーナメントに招集されたが、正直なところ、あまり行きたくなかったんだ。連絡がきたときはトルヴァイアニカのビーチで仲間たちと過ごしていた。すでにASローマでデビューしていたから、バカンスの地でもてはやされて楽しくてしょうがなかったんだ。イタリア国外に行くのが初めてだったというのも気が乗らない理由だった」と明かしている。
猛暑のなか、公式スーツを着て汗だくになって辛かったこともあるようだが、家を出るときは母が泣き出し、本人もローマの空港に着いたときは「涙も枯れていた」という。まるで宇宙に旅立つかのような親子のリアクションではないか。
このときイタリア代表は日本と同じグループA。3試合とも神戸で開催された。8月22日のメキシコ戦は1-2で破れたものの、トッティは25mのスーパーゴールを挙げている。これがこの大会での唯一イタリアの得点であり、トッティにとっては記念すべきアンダー世代の世界大会初得点となった。
続いて26日の日本戦はスコアレスドロー。ちなみにこの試合、日本代表先発メンバーには宮本恒靖、戸田和幸、松田直樹、イタリア代表にはジャンルイジ・ブッフォン、エウゼビオ・ディ・フランチェスコが含まれている。のちにASローマのチームメイトとなる中田英寿とトッティは両チームのベンチを温めていた。
最後のガーナ戦は0-4で完敗。日本は2位で予選突破したが、イタリアは2敗1分けで敗退した。初の海外遠征はトッティにとって苦い思い出となった。
中田との奇跡の交代劇
日本でトッティの名前が頻繁に聞かれるようになったのは、ASローマで中田英寿とのポジション争いが繰り広げられるようになってからだろう。自伝では中田との交代場面が何度か描かれている。なかでもセリエA優勝をかけた一戦となったユヴェントス対ローマの頂上対決における60分トッティと中田の交代についてはこのように思いを吐き出している。
「正直驚いた。そして失望した。この大事な試合でカピターノ(キャプテン)が交代させられるのかよ!」「俺は混沌としたゴミ置き場のような状態のなかからでもゴールを引き出せる男だ。俺をピッチに残してくれよ! あと20分の間に何が起こるかわからないぞ」。
そして中田とタッチして交代したわけだが、当時を振り返ってトッティはこう語る。「これまで数多くの“奇跡の交代劇”があったが、この中田との交代は記憶する限りでは最も驚くべきものだった。79分、ヒデはゴール上部隅に見事なミドルシュートを決めたんだ。ローマは蘇った」。
「ユヴェントス戦での中田の活躍あればこそ、ローマは優勝できた」と信じているロマニスタは今でも多い。トッティにとって、ASローマ優勝はワールドカップ優勝以上に価値あるものだったが、それをもたらした大きな要素が中田だったのだ。
そんなトッティはローマ優勝後、ロッカールームでの中田の行動をこう記述している。
「歌って踊っての大騒動に俺もすぐに参加した。全員と乾杯した。いや、それが全員ではなかったんだよ。俺は唖然とした。というよりも素直に面白かったよ。中田だ。彼は濃厚なるカオスのなか、隅っこに一人座って本を読んでいた。あいつは火星人だな」
悪夢のような日韓ワールドカップ
トッティは、2002 FIFAワールドカップに招集されて来日した。当時日本ではイケメン軍団アッズーリの一人として注目されたが、この大会は彼にとって幸せなものではなかった。それはピッチ上だけのことが理由ではない。当時付き合い始めたばかりだった現在の妻、イラリーも日本に帯同したのだが、彼女が日本で楽しめなかったのだ。
「毎試合後(イラリーに)20分だけホテルのホールで会うことができたのはよかったが、滞在先が観光地のど真ん中というわけでもなく、彼女は退屈していた。とにかくスクープを狙っている記者たちから逃げる以外は何もやることがなかったんだ」と語っている。そしてイラリーはイタリア代表が韓国に移動する前に、イタリアに帰国してしまったそうだ。
グループリーグは勝ち抜けたが、その後の韓国戦は1-2で敗北。バイロン・モレノ審判が転倒したトッティをシミュレーションとみなしてレッドカードを差し出し、退場となった。疑惑の判定として物議を醸したが、当時VARがあったらどういう結果になっていたのだろうか。トッティはその試合では延長戦に入る前から「4、5回続けて韓国有利な笛が吹かれていた」「反則の基準が拡大解釈されていた」と見解を示している。
自伝で最後に「日本」というキーワードが出てくるのは、引退前の日本のクラブからのオファーの話。日本以外にも中国、アメリカ、アブダビのチームからもオファーがあったという。それ以上のことは言及していないが、Jリーグでプレーするトッティの姿を見てみたかったファンは多いのではないか。
<了>
[世界のチーム売上ランキング]“白い巨人”レアル・マドリードを抑えて1位になったのは?
イタリアで深刻化する人種差別は“他人事ではない” クリバリ、ルカクの闘う決意
[世界のチーム観客数ランキング]日本は6チームがランクイン! 1位は独ドルトムントを上回って…
この記事をシェア
KEYWORD
#COLUMNRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
2024.07.26Training -
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
2024.07.16Education -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career -
なぜ森保ジャパンの「攻撃的3バック」は「モダン」なのか? W杯アジア最終予選で問われる6年目の進化と結果
2024.07.10Opinion -
「サッカー続けたいけどチーム選びで悩んでいる子はいませんか?」中体連に参加するクラブチーム・ソルシエロFCの価値ある挑戦
2024.07.09Opinion -
高校年代のラグビー競技人口が20年で半減。「主チーム」と「副チーム」で活動できる新たな制度は起爆剤となれるのか?
2024.07.08Opinion -
ジョーダン・ヘンダーソンが振り返る、リヴァプールがマドリードに敗れた経験の差。「勝つときも負けるときも全員一緒だ」
2024.07.08Opinion -
岩渕真奈と町田瑠唯。女子サッカーと女子バスケのメダリストが語る、競技発展とパリ五輪への思い
2024.07.05Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career -
リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
2024.07.05Career -
バスケ×サッカー“93年組”女子代表2人が明かす五輪の舞台裏。「気持ち悪くなるほどのプレッシャーがあった」
2024.07.02Career -
バスケ実業団選手からラグビーに転向、3年で代表入り。村上愛梨が「好きだからでしかない」競技を続けられた原動力とは?
2024.07.02Career -
「そっくり!」と話題になった2人が初対面。アカツキジャパン町田瑠唯と元なでしこジャパン岩渕真奈、納得の共通点とは?
2024.06.28Career -
西村拓真が海外再挑戦で掴んだ経験。「もう少し賢く自分らしさを出せればよかった」
2024.06.24Career -
WEリーグ得点王・清家貴子が海外挑戦へ「成長して、また浦和に帰ってきたいです」
2024.06.19Career -
浦和の記録づくめのシーズンを牽引。WEリーグの“赤い稲妻”清家貴子の飛躍の源「スピードに技術を上乗せできた」
2024.06.17Career