
18歳サター自殺は他人事ではない アスリートの人生狂わす過剰な報道と期待
サッカー、野球、卓球、フィギュアなど、日本では今どんどん若い10代の選手が活躍を見せている。それ自体は素晴らしいことだが、メディアやファンによる過剰な報道と期待によって、競技人生だけでなく人生そのものが狂ってしまう危険性もはらんでいる。18歳の誕生日に、英国の五輪候補選手が自ら命を絶った。この悲劇は、東京オリンピック・パラリンピックを控えている私たちにとって、決して他人事ではないはずだ。
(文=谷口輝世子、写真=Getty Images)
死にも追い込む危険をはらむ若きエリートへの “重圧”
2022年に開催される北京冬季オリンピックへの出場が期待されていた選手が、自ら命を絶った。昨年7月に、英国のスノーボーダー、エリー・サターが亡くなった。18歳の誕生日に。サターは英国チームの練習に参加するため飛行機に乗る予定だったが、その飛行機に乗り損ね、その後、自殺した。
亡くなった日から数日後、彼女の父がメディアの取材に応じた。2018年7月31日付のBBC電子版が父の言葉を伝えている。父によると、サターはよいパフォーマンスをしなければいけないという重圧を感じており、それに対し精神面の問題を抱えていたという。飛行機に乗り遅れるというのはささいなことだが、チームの練習に時間どおりに参加できなかったことが、最後の引き金を引いてしまったようだ。
「彼女は一番になりたかった。そして、誰かをがっかりさせたくないと思っていました」
父の言葉は続く。
「飛行機に乗ることができず、チームと一緒にトレーニングできない。ただそれだけのことから起こったのです。彼女はチームをがっかりさせてしまった上に私を落胆させたと感じ、悲劇的なことに、こんなささいなことがきっかけになるほどに追い詰められていたのです。子どもたちには、これほど大きなプレッシャーがかかっているのです」
2017年にトルコで開催されたヨーロッパユースオリンピックウインターフェスティバルで、サターは銅メダルを獲得した。これが英国チームにとっては、この大会の唯一のメダルでもあった。
イギリスオリンピック協会のビル・スイーニーCEOは「われわれはエリートスポーツに伴うプレッシャーを認識しており、アスリートが大会に参加している間、アスリートとスタッフがウェルフェア(福祉)官と話すことのできるシステムを確実なものにする」と話した。国を代表するエリートアスリートには重いプレッシャーがかかっているが、誰もが自殺に追い込まれるわけではない。米国では、同年代と比べると、エリートアスリートのほうが自殺を考えたり、実際に自殺に至るパーセンテージはやや低いというデータもあるくらいだ。それでもエリートアスリートゆえに陥りやすい闇がある。
10代のエリートアスリートがさらされている心の問題
『ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・スポーツ・メディシン・ブログ』に若いエリートアスリートの精神衛生対策が記述されている。このブログはこれから研修医になる2人の医学生がまとめたもので、サターが亡くなる1年前の2017年8月14日に掲載された。副題に「手遅れになる前に気づいてサポートを」と書かれているのが、いっそう悲しみを深くする。
10代のエリートアスリートは、他の同年代に比べてどのようなメンタルヘルスの問題を抱えやすいのか。他の同年代の子どもたちよりも、注意しなければいけないことは何か。前述した『ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・スポーツ・メディシン・ブログ』より要約する。
・一部のエリートアスリートは、他の人にない、抜きんでた運動能力が自分のアイデンティティーになっている。自分は何者で、どのような人間なのか、他の人にはない優れた運動能力を持っていると考える。そのように自己を認識している時、自身や周囲の期待を下回るパフォーマンスしかできないと感じると、自己肯定感の低下につながり、メンタルヘルスの問題の引き金となる危険をはらんでいる。
・若いエリートアスリートはトレーニングと試合の両方で、より高いレベルでの成功をずっと目指していくうちに完ぺき主義者になりやすい。これが不安、ストレス、憂うつ、疲労につながるという研究結果がある。
・若いエリートアスリートにはコーチ、メディカルスタッフ、親などでつくられたサポートネットワークがある。しかし、コーチが怒りをぶつけるような指導をすることや、気持ちのサポートをしてくれるはずの親から過剰な期待やネガティブな言葉を投げつけられることが、メンタルヘルスを悪化させる要因にもなる。
・年齢にかかわらず、トップアスリートたちは弱音を吐かないように訓練されている。エリーアスリートのプラスの特性が、心身の変調を感じた時にマイナスになりかねない。10代のアスリートは、同じ年代のアスリート以外の子どもたちに比べて、助けを求めることを避けようとする傾向がある。また、助けを求めることへの違和感や、助けなどいらないと考えてしまう。
このような問題に対し、現時点の対応策として挙げられているのは、若いエリートアスリートが重圧によって精神の健康を損なわないような術を身につけること。コーチや親がその重圧を軽減すること。負担を重くしないようにすること。そして、アスリートが心身の不調を感じたり、周囲がそのサインを見つけたら、SOSを発することができる雰囲気をつくることが重要であることである。
未来のある若きアスリートのために観客ができることとは
では、若い彼らの活躍を見ているだけの、われわれのような観客には何ができるか。
私たちは若いエリートアスリートの活躍を期待し、それだけでもワクワクする。そのワクワクさせてくれる感覚が、応援する原動力にもなっている。だから、東京オリンピック、パラリンピックを控えた時期の報道は、期待にあふれることだろう。人々に期待感を与えられるアスリートは人気を集める。逆に、大会前になっても期待するワクワク感を与えられない選手は、人を引きつけにくいともいえる。
どこまでが健全な期待で、どこまでが過剰な期待かを線引きするのは難しい。現実的な期待をといっても、伸び盛りの彼らは劇画のような快進撃を見せる。それが大きな魅力でもある。例えば女子テニスの大坂なおみは、瞬く間に世界のトップへの階段を駆け上がった。
私は、見ているだけのファン、大人にできることは、周囲の期待にそぐわない結果に終わった時の反応ではないかと思う。人は期待が外れた時には自らの期待値を修正することもできるが、現実をすんなりと受け入れられないこともある。アスリートが期待通りのパフォーマンスができなかった時、こちらの期待値が適切だったかどうかは顧みず、選手たちのパフォーマンスが期待外れだったことに注意が向いて、フラストレーションを感じる。
『オリンピックの言語学』(大学教育出版、編著神田靖子、山根智恵、高木佐知子)には、1952年から2008年までの夏季五輪で、日本の新聞の見出しを分析した結果がある。日本の新聞は「予選」で約45%、「初」で35%以上、「期待」で約30%、「メダル」で25%以上が否定的な文脈で使われていたそうだ。予選で敗退したり、メダルに届かなかったりした時に、期待に応えられなかったというトーンの見出しが一定の割合でつけられているということだろう。うまくいかなかった時に、報道も「がっかり」したことに焦点を当てたものになっているのではないか。
サターの父は「自ら命を絶った娘は周囲を落胆させたくはなかった」と言っている。将来、若いエリートアスリートが周囲の期待通りのパフォーマンスができなかった時に、ファンや観客が自らの感情をうまくコントロールすることが、未来のある若者をサポートする一つの方法ではないかと思う。一言でいえば、期待外れとなった結果を寛容に受け止めるということになるだろう。期待やワクワク感に心を躍らせ、喜びも悔しさも含めて楽しませてもらったと考えることも、期待外れによるフラストレーションのコントロールに役立つのではないだろうか。
<了>
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