神奈川・高校野球の歴史を作った県立相模原、佐相眞澄監督「打倒私立!」の改革とは?

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2019.08.08

今夏、高校野球神奈川大会準々決勝で大きな波乱が起きた。春夏合わせて5度の甲子園優勝を誇り、夏の神奈川大会で3連覇していた横浜を、ノーシードの県立相模原が破ったのだ。県内でも有数の進学校が4連覇を目指していた強豪校を相手に勝利をあげたことは、高校野球ファンの間でも大きな話題となった。
県立相模原は2015年春に関東大会に出場するなど、近年着実に力をつけている。私学のように学校をあげてのバックアップもない中で、なぜ創部史上初のベスト4入りを果たすまでに成長することができたのか?
そこには、情熱的で理論的な「打撃の伝道師」の存在があった――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

「恩返しがしたい」と県立相模原に赴任した佐相眞澄監督

陸上部やソフトボール部と共用しているグラウンドでは、フリーバッティングを行うことはできない。部員全員がそろっての朝練習は原則として禁止。19時にはすべての生徒が完全下校となるため、放課後の練習も18時半過ぎには切り上げなければいけない。

スポーツ推薦制度もスポーツクラスもない、偏差値68を誇る県内有数の進学校で文武両道を望んでも、残念ながら受験という壁の前に涙を飲む中学生も少なくない。公立校ならではのさまざまな制約や群雄割拠する強豪私学を乗り越えて、かつては「神奈川を制する者は全国を制す」とまで畏怖された高校野球の最激戦区で、県立相模原は堂々たる足跡を残してきた。

2014年の夏に創部初のベスト8へ駒を進め、その年の秋にはベスト4へ進出。翌2015年の春には準優勝を果たして夏の大会の第1シードを勝ち取り、第100回記念大会だった昨夏は最終的には8対9と逆転サヨナラ負けを喫したものの、準々決勝で強豪・東海大相模と死闘を演じた。

迎えた今年の夏。ノーシードから2年連続3度目のベスト8へと勝ち上がった県立相模原は、準々決勝で4年連続の出場を狙っていた第1シード、名門・横浜相手に真っ向勝負を展開。終盤の2イニングで大量8点を奪い、5点のビハインドをはね返す痛快無比な逆転勝ちを収めて初のベスト4へ進出した。

夏は1951年の希望ケ丘を、春の選抜は1954年の湘南を最後に、神奈川からは県立勢の代表校が誕生していない。何度も全国の頂点に立った強豪私学勢のなかで、相模原が甲子園に最も近い「県立の雄」としての存在感を放つに至った背景は、2012年4月に保健体育教諭として赴任した佐相(さそう)眞澄監督の存在を抜きには語れない。

「私学は私たちと違って、欲しいと望む優秀な選手を取って、そのうえで鍛え上げることができる。ウチは来たいと望む選手たちが、受験という難関をかいくぐって入ってくれるチーム。そうした違いやギャップを乗り越えた指導をしなければいけないし、だからこそ私学に対して何くそという思いになる」

熱い口調で打倒・私学を唱える佐相監督は、相模原市内の公立中学3校を全国大会へ出場させ、うち2校を3位に導いた実績を持つ。2005年度から川崎北高へ赴任し、念願だった高校野球の指導者に転身しても、中学時代から貫いてきたバッティングに注力する野球を標榜し続けた。

「私学に打ち勝たなければ、神奈川県から甲子園には行けないので」

強力打線を看板とした川崎北は2007年秋にベスト4へ進出し、21世紀枠の神奈川県代表候補にも推薦された。地元で「県相(ケンソウ)」の愛称で親しまれる県立相模原へは、5歳から育ち、指導者としての第一歩を記した相模原市へ「恩返しがしたい」と希望して異動してきた。

独自の理論で編み出された練習メニューの数々

昨夏に初の著書『神奈川で打ち勝つ!超攻撃的バッティング論』(竹書房)を、今夏にはDVD『私学と対等に打ち合うためのバッティング理論』をジャパンライムから発表。豊富な実績から「打撃の伝道師」と呼ばれる佐相監督は、いまでは独自の理論を文字と映像を介して、より具体的に選手たちへ伝授している。もちろん、根底を成す部分は変わっていない。

「高めの胸のあたりのストレートは失投ですから、それをレベルスイングで打ち返せないと私学には打ち勝てない。中学生はローボールヒッターが多いので、高めの速いボールが逆に苦手なんです。ポイントは振り出すときに、両肘が下を向いていること。そうしないとバットのヘッドが立たないので。ヘッドを45度から60度くらいの間で通過させて、その重さをうまく使いながら打つんです」

同時進行で理論を具現化させるための体力をつけさせた。バットを速く、鋭く振り抜くために、設備なども限られた状況下で創意工夫を凝らした結果、いつしか野球部内で「パワーロープ」や「ハンマー」、そして「ポリタンク」と呼ばれるようになった独自のメニューが編み出されている。

「パワーロープ」では直径約10cm、長さ約9mの重たい綱の中央を天井などにかけ、両端を握って上下左右に振り続けることで体幹や腕力を鍛える。「ハンマー」はその名の通りに、重さ10kgもあるハンマーでタイヤを叩き続けることで手首を徹底的に強化する。

極めつきとなる「ポリタンク」は、水を満たした容量18リットルのポリタンクを抱えながら、斜度5度のグラウンド脇のスロープを上り下りする。上半身だけでなく下半身をもたくましく変貌させるメニューの数々に、佐相監督は「ひと冬、いや、ふた冬越せば見違えるほど変わりますよ」と目を細める。

グラウンド全面を使ったフリーバッティングができなくても、バッティングケージを4つ並べ、バックネットへ向かって打ち込ませる異色のメニューで補ってきた。投げ込まれてくるボールを、選手たちはまず竹バットで黙々と打ち返す。この竹バットこそがミートする確率と技術を向上させ、毎年のようにマシンガン打線を生み出す源になっていると、佐相監督が笑顔で明かしてくれたことがある。

「竹バットの場合は、芯に当たらなければ手が痺れてすごく痛い。なので、ボールの芯をバットの芯でとらえる感覚を体で覚えられる。その後に試合で使う金属バットに替えて打つんですけど、痛いから最初は普通の木製バットで打ってもいいよと言っても、全員が竹バットを使うんですよ」

今夏に4本塁打を放った温品直翔(ぬくしな・なおと)二塁手のサイズは、身長164cm体重62kgと決して大柄ではない。それでも鋭い打球を連発できるようになったのは、フォームが固まり、課題だったインコースを含めた高めのボールを克服できたからに他ならない。

「佐相先生からは『トップが入りすぎている』とよく言われたので、グラウンドに置かれている大きな鏡の前でトップの位置を確かめてから素振りをして、ティー打撃やバッティング練習に入ることで欠点を克服しました。リングをつけた1.2kgくらいの重いバットと普通のバット、細い軽めのバットを順に振ることで、バットの重量差などを利用してスイングスピードを上げることにも努めました」

保護者会、OB会、分析班、メンタルコーチ… 多くの人たちの力が結集

バックネットの後方には民家が多く建っている。フリーバッティングの打球が飛び込めば多大なる迷惑がかかるからと、防御ネットを二重に張り巡らせている。それだけではない。速球対策用のピッチングマシンの購入やナイター照明、屋根付きのブルペン、ぬかるまない土への入れ替えなどの練習環境を、時間をかけてコツコツと整えてきた。

当然ながらお金がかかるが、高校側の支援にも限界がある。そうした状況下で、佐相監督は座右の銘に据えてきた「環境は人がつくる。その環境が人をつくる」を保護者会やOB会との連携を密にして、全面的な協力を得ながら実践してきた。

「例えば防御ネットは、保護者の方々がいろいろなところから集めてきたものを編み込んでいただきながら、大きな形にしてもらいました。保護者会やOB会とはコミュニケーションというか、“飲みにケーション”でやっています」

ベンチ入りメンバーには上限があるため、当然ながら応援に徹する選手たちも出てくる。ユニフォームは着られなくても力になりたいという思いが、3年生を中心とした分析班を誕生させた。対戦相手のデータを、十数試合もさかのぼって微に入り細をうがって分析。ピッチャーの配球だけでなく、バッターの打球の方向なども綿密に調べ上げてくれる分析班へ、温品も感謝の思いを忘れなかった。

「カウント別のデータなどもそろっているので、球種やコースを絞れるし、思い切ってスイングすることができます。守っていても失点を防ぐというところで、勝利に役立っていると思います」

プロも注目する左腕、及川雅貴を中心とする横浜投手陣や強力打線のデータもほぼ完璧に出そろっていた。例えば準々決勝。3対5と詰め寄られた状況で急遽登板した及川にも強烈なヒットを浴びせ続け、成就させた大逆転劇は積み重ねてきた練習に入念な分析作業が加わった末に生まれていた。

東海大相模に2点のリードをひっくり返され、悔し涙を流した昨夏の準々決勝を教訓として心も鍛えてきた。佐相監督のつてで招聘したスポーツメンタルコーチ、東篤志氏の指導のもとで、今夏の県立相模原の選手たちは例えば「さあノーアウト満塁。打席には何々君が入ります」と、自分が登場する状況を頭のなかで実況中継しながら打席に入っていたと佐相監督が明かす。

「そうすることで自分を客観視できて落ち着ける。ゾーンに入るからか、ブラスバンドや音や応援団の声が聞こえなくなるらしいですよ」

悲願の甲子園出場に向けて……

代表を勝ち取った東海大相模に7回まで2対4と食い下がりながら、最終的にはコールド負けを喫した準決勝で、神奈川だけでなく全国のファンから注目を集めた今夏の挑戦は幕を閉じた。それでも県立相模原野球部に関わるすべての人間が束になり、佐相監督が「私学四天王」と位置づける東海大相模、桐光学園、慶応義塾、そして横浜の一角に初めて風穴を開けた軌跡は決して色褪せない。

東海大相模戦から一夜明けた7月28日に、県立相模原は秋の陣へ向けて新チームを始動させている。25人の2年生に対して1年生が約半数の13人と少ないのは、昨年8月に還暦を迎えた佐相監督が定年退職に伴って退任してしまうのでは、と思った当時の中学3年生が受験を回避したためだ。

再任用されて引き続き情熱的かつ理論的な指導をふるう、佐相監督のカリスマ的な人気を物語る数字。今夏の強烈な残像との相乗効果で、来春には大勢の新入生が門を叩くかもしれない。なかには温品のように、片道1時間半をかけて登下校する子どもたちもいるだろう。

それでも、現役の部員たちを含めて、佐相監督のもとに集った子どもたちは練習で得られた達成感を、勉強で机に向き合うためのエネルギーに変えてきた。異口同音にこんな言葉を残している。

「両立は本当に大変ですけど、野球も勉強もしっかりとできているからこそ、すごく充実しています」

三塁側のベンチ奥には巨大なホワイトボードが常設され、部員全員の名前の横に身長と体重、それぞれが克服すべき短期的な目標がぎっしりと書き込まれている。目標は2週間ごとに更新され、佐相監督によれば「それらを『PDCAサイクル』で繰り返すことで、個々の力をアップさせていく」という。

効率的な業務を行うための手法として知られるPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)を繰り返す「PDCAサイクル」を、県立相模原は野球に応用してきた。東海大相模戦で引退した3年生の目標欄にはやがて進学する大学名が記され、桜の花が咲くころには新入生の名前に変わり、憧れの甲子園出場を目標に据えながら、再びさまざまな言葉で埋め尽くされていく。

<了>

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