高校野球は“休めない日本人”の象徴? 非科学的な「休むことへの強迫観念」 高校野球改造論

Education
2019.07.04

過去の成功体験から日本人は「量から質」を生み出すことを基本にしゃかりきになって働いてきた。こうした労働環境は世間の前提、常識が変わったいまも根強く残り、「働き方改革」も形骸化しているとの指摘もある。スポーツにおいても、パフォーマンスアップのためには十分な休養が必要であることが科学的に証明され変化の兆しはあるが、こと高校野球においては、スポーツ庁の打ち出した「週休2日制」も有名無実化しているのが現状だ。

(文=小林信也、写真=武山智史)

週休2日どころか“実質無休”の高校野球界

多くの高校野球部は、「放課後毎日数時間、週末や祝日は練習か練習試合」だろう。学校が休みの日は「朝から夕方までほぼ終日」が主流。グラウンドの都合で「午前か午後」のチームはあるが、監督は「できるなら一日やりたい」と考え、グラウンドを持つ高校との練習試合を組もうと努力する。

日本高野連に所属する高校野球部は、『日本学生野球憲章』に基づいて活動している。その中に、「原則として1週間につき最低1日は野球部としての活動を行わない日を設ける」という条項がある。これは「第2章 学校教育の一環としての野球部活動」の「第8条(学校教育と野球部の活動との調和)」のなかの規定だ。

いまはこれを遵守するよう厳しく通達されているため、「月曜日は休み」など、平日に休みを設定している高校が多い。しかし、甲子園を狙っているチームでは、「休みという名の自主練習」が半ば強制されている例も少なくない。

「今日は休みだから」と、授業を終えてさっさと下校できる雰囲気が大勢ではない。“自主的に”ユニフォームに着替え、ティーバッティングなどをしてから帰宅する。そうしなければ、「やる気がない」とチーム内でも批判の対象になりかねないからだ。これで本当に「週1日休んでいる」といえるのだろうか。

さらにいえば、スポーツ庁が2018年に示した『運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン』にある「休養日」は週2日。高校野球の活動が企業の労働環境なら、ブラック企業どころではない状況が常態化している。

45年前から変わらない休むことへの脅迫観念

私が高校球児のころ(もう45年以上も前だが)、監督は「1日休めば、技術や体力を取り戻すのに3日かかる」と何度も我々部員たちに言った。そう聞かされたら、せっかく積み上げた練習を無駄にしたくない気持ちになり、休むことに怖さを覚えた。休むことは「サボる」ことであり、休みたい気持ちは「怠け心」「心の弱さ」と思い込まされた。いまのように週1日の休みもなく、練習がないのは定期テスト前の1週間と「盆と正月」だけだった。

野球界には、当時から「毎日練習しなければ上達しない」という脅迫観念が蔓延しており、それが当たり前という時代が続いた。

高校の野球部に入って、何より辛かったのは、「自分の時間が持てないこと」だった。ぼんやりと自由な発想をめぐらせ、何気なく野球以外の趣味に触れる時間がほとんどなくなった。時間的な余裕が奪われ、近所の書店で雑誌を立ち読みする時間さえなく、ストレスが溜まって「野球をやめたい」と思うエネルギーが増大した。

私の場合は、体力的な厳しさ以上に、精神的な束縛、心の自由のなさが自分をさいなんでいたように思う。野球以外のことができない、その苦しみに耐えることが人間形成に役立つのか? そんな問いかけをする自由さえ許されない雰囲気だったし、「他を犠牲にして野球に打ち込むことで成長するんだ」、そう思い込むしかなかった。

だが、本当にそうだろうか? 45年以上前と書いた。他の分野なら、何もかも新しく刷新されているだろう。ところが、野球部に流れる空気、指導者たちの潜在意識はそのころとあまり変わっていない。

毎日練習しなくても野球は上手くなる

いま中学野球では、チームとしての活動は週末だけが主というリトルシニア、ボーイズといった硬式野球クラブの活動が盛んだ。東京にある強豪クラブも、自主練習は毎日できるが、チーム練習は週末や祝日に限られる。甲子園、プロを本格的に目指す子どもたちが集まってきているとはいえ、練習量の不足で伸び悩んだという話はあまり聞かないし、毎日練習している中学の部活チームと比較としてもむしろ実力的には上のレベルを保っている。

アメリカの高校、大学スポーツでは練習時間の上限が決められている。たとえばアメリカンフットボールの場合、NCAAに所属する大学チームの練習は「シーズン最初の試合の5週間前から」と決められ、それ以前はチームメイトとボールを投げ合うことも禁じられている。スポーツのシーズン制がきちんと制度化されているのだ。そして、シーズンに入っても「チーム活動は週に20時間以内」と決められ、ヘルメットを着用しての練習日数にも制約がある。一定の成績をとらないと練習に参加できないルールもNCAA全体で確立されている。文武両道、学業との両立をこうして保障しているのだ。

パフォーマンス面で見ても、疲弊した状態で長時間練習を繰り返すよりも、十分な休養の後に集中して練習に取り組んだ方が効果があることは、すでに広く知られている事実だ。

毎日練習しなくても、野球は十分上手くなれる。

この実例に目を向ければ、高校球界は、「週1日の休み」ではなく、「平日は毎日練習しない」あるいは「土曜か日曜のどちらかは、大会期間を除いて休みにする」といった選択肢を真剣に検討すべきだろう。

「ルールだから休まなければ」では何も変わらない

私は一方で、「選択の自由」はできるかぎり確保すべきとも思うので、規制ばかりが解決策とは思わない。それ以上に、こうした「哲学」や「本質」を重視するチームや指導者、そして選手とその家族が多くなるよう期待する。高校球児、そして関係者たちの意識水準を高めるのが本来だろう。

先日開催されたサッカーのFIFA女子ワールドカップ フランス2019に出場した岩渕真奈選手は私が住む地域で育った選手だ。彼女が小学生時代を過ごした関前サッカークラブの小島洋邦監督に話を聞いて、驚嘆した経験がある。

「夏休みは練習しません。夏休みは家族で過ごすべきだから」

サッカーにせよ野球にせよ、夏休みこそチーム揃って集中的に練習できる絶好の期間と思っていた私にとってこの言葉は衝撃的だった。こうした方針で夏休みのチーム活動を行っていない関前サッカークラブが、岩渕真奈選手をはじめ高校や大学で活躍する選手を輩出している事実がある。

練習を「たくさんやることが善」で、「休むのは悪」との風潮は、いうまでもなく「働き方改革」を推進する社会と逆行している。と同時に、長期休暇、有給休暇のスムーズな取得、時短労働がなかなか浸透しない、制度と実情に開きがある日本の社会を象徴している。

競技特性や練習に要する時間という違いはあっても、野球は平日毎日練習しなければいけないのか? 土日の両方を野球一色に費やす必要が本当にあるのか?

心は叩けば強くなるのだろうか? 体は追い込むことでしか育たない? 常時疲弊した状態での練習は果たして身になるのか?

本来は「自分の中から湧き上がるもの」である意欲を、他者から強制され、抑圧されることの弊害、危険性をもっと深刻に受け止めるべきではないだろうか。

<了>

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