「指導者・イチロー」に期待する、いびつな日本野球界の構造をぶち壊す根本的改革

Opinion
2020.01.25

昨年3月に現役を引退して以降、“草野球”への参加や、学生野球資格回復制度研修会への参加など、独自のキャリアを歩み始めたイチロー氏。アマチュア野球の指導へ並々ならぬ意欲を示し、そのための行動を着々と進めるイチロー氏が見据える先とは? “指導者・イチロー”への期待と新たな可能性とは?

(文=小林信也、写真=GettyImages)

アマチュア指導に意欲を見せるイチロー

昨年末、イチローが、『学生野球資格回復制度』の研修を受けた。

このニュースに接して、驚くと同時に、少し申し訳ない気持ちになった。

驚いたのは、3日間にも及ぶ研修を受けてまで、イチローが日本での指導を希望していると知ったからだ。小・中学生を指導するだけならこの研修を受ける必要はない。高校生、大学生、社会人を指導するのに必要なプロセスだ。ということは、イチローは高校生以上の年代の指導を想定していることになる。

研修について少し補足しよう。プロ野球界に所属すると日本学生野球協会が定める学生野球資格を喪失する。学生野球を指導するには、プロ、アマ双方の研修を受けて資格回復をする必要がある。初日はプロ(日本野球機構・NPB)の研修、次の2日間はアマの研修。その上で日本学生野球協会の審査に通れば資格回復となる。イチローは、いまもMLBのシアトル・マリナーズの会長付特別補佐として関わっているので、本来は研修を受けても資格は回復できない。特例が認められた形だという。

申し訳ない気持ちになったのは、いまさら3日間もかけて、日本のアマチュア野球界がイチローに何を教えようと言うのか、その厚顔ぶりに呆れたからだ。

もちろん、指導者としての基本知識は改めて学ぶ必要はある。野球技術だけでなく、安全対策や救急処置などの知識と技能は重要だ。が、果たしてアマチュア野球団体に、それを教える資格と素養があるのだろうか。

問題山積のアマ球界がイチローに何を教えるのか?

昨今、野球界では球数制限や猛暑対策が大きな話題になっている。いや、猛暑対策は結局、世間が騒ぐだけで高野連の議論のテーブルには上がっていない。

昨年、大船渡高の佐々木朗希投手(現・千葉ロッテマリーンズ)が岩手県大会の決勝に登板しなかった。これをきっかけに、「投手の身体をいかに守るか」「甲子園出場と選手の未来、どちらが大事か」といった議論が盛り上がった。しかし、結局のところ、ほとんど具体的な方向性は見つけられないまま、うやむやになった。

球数制限か連投禁止か、これまで議論さえタブーのようだった野球界が問題意識を共有しただけでも進歩と言うべきだろうが、そもそも、「投手の肩や肘を痛めない安全な投げ方はどういうものか?」という、ごく基本的なセオリーさえ、野球界は共有できていない。共有どころか、「正しい投げ方をするのが、球数制限より本質だろ?」という指摘さえないし、指導者たちにもそれを追求する発想が薄い。こんな嘆かわしい現実はない。

それでいながら、イチローに何を教えようというのか?

打撃においても、同じことが言える。

イチローがなぜあれほど打てたのか? 理解されているだろうか?

イチロー打法の核心が公開される?

イチローがオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)で活躍を始めたころ、『振り子打法』が日本中を席巻した。高校生も、大学生も、小中学生も振り子をまねした。プロの打者にも振り子を採用した選手は少なくなかった。つまり、「イチローが打てるのは振り子打法だからだ」と日本中が思い込んだ。

ところが、メジャーに行った後、当のイチローから振り子打法が影をひそめた。つまり、イチローが打てていたのは、振り子のためではなかった。すると、「ベンチを出てから打つまでの不変一定のルーティーンこそがイチローの打てる秘密だ」とか、「誰よりも早くグラウンドに出て準備する努力の賜物」とか、「初動負荷理論による筋トレ」「朝カレー」など、核心とは思えない推測ばかりがイチローの伝説を飾ることになった。

そんな中、イチローはこれまで、『自分が打てる秘密』を謎かけのような表現でしか、公表してこなかった。イチロー打法はいまも謎に包まれている。オリックス時代には、「スランプになったら、ボールの右側を見るようにしている」と言ったことがある。これなどは案外、重要な手がかりではないかと感じている。

あれだけのスピードボールを、イチローはまるでスローモーションのような動きでレフト線に打ち返す。快速球に対して、スローモーション? それは、イチローの目に投球が遅く見えているからこそできることではないか? つまり、イチローは打つ技術以前に、ボールを遅く見る技術を備えているのではないか? そんなことを考えると、野球の楽しさが深まっていく。

今回、イチローが指導者の方向に歩み出したことで、こうした謎に包まれていたイチロー打法の核心が公開される期待を大きく感じる。それは、日本野球の技術革新に大きな影響を与えるだろう。どうすれば打てるか? 知らずに素振りをしても時間と労力の浪費だ。日本の球児、プロ野球選手は無駄なことに浪費し、心身を消耗させている。そんな日常から、ポジティブな人材も創造力も生まれるわけがない。

アマチュア野球の構造改革の先頭に立ってほしい

ちまたでは、イチローがどこのコーチや監督になるのか。母校を率いて甲子園出場か? などと臆測が飛んでいる。私は、そんなつまらない枠でイチローの未来を考えたくはない。

いま日本の野球界に重要なのは、『甲子園』に偏ったいびつな構造の根本的な改革だ。高校野球が野球人生の頂点であり、子どものころから甲子園を目指すことがすべての目標のような頭の中を一度ぶち壊す必要がある。

中学ではシニアやボーイズ、ポニーといったクラブチームが盛んなのに、高校になるとほぼ100%高校の部活動で野球に打ち込む。これも甲子園があるからこそだが、「勉強は高校で、野球はクラブで」といった選択が高校生でもできるのが本来は自然だ。「高校3年生がピークじゃないから、甲子園は目指さない」という展望を描くことだって、本当は心身の健康や成長のためには重要だ。

イチローには、こうしたアマチュア野球の構造改革の先頭に立ってほしい。

イチローカップを高校年代のクラブ選手権にするのもいい。高校、大学年代の野球選手たちが、甲子園にとらわれない成長を目指し、日米の枠も飛び越え、さまざまな環境で野球を経験し、野球を通じて国際感覚や創造力、実行力を身につける環境を作ってくれたらなおうれしい。

もちろん、イチロー一人に依存するのでなく、イチローがそうしたムーブメントの先頭に立ち、象徴的な存在になって日本中の思いを触発してくれる未来を私は夢に描く。そのための協力なら惜しまない、という人がきっとたくさんいるはずだ。

<了>

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