いつまで高校球児に美談を求めるのか? 甲子園“秋”開催を推奨するこれだけの理由 高校野球改造論

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2019.07.11

時間に限りがあるからこその一瞬の輝き。高校野球が3年間の青春ドラマであることも、その最高の舞台である甲子園を輝かせる要素の一つだろう。
しかし、「夏の地方大会に敗れたら即、引退」という環境は果たして高校球児のためになっているのか? 儚さやセンチメンタリズムではなく、野球を続ける、生涯スポーツとして楽しむ、高校生活を豊かにするという観点では、現行スケジュールはあまりに性急すぎるのではないか。弊害の多い“夏の”甲子園について考える。

(文=小林信也、写真=武山智史)

「3年間で完全燃焼」ですらない高校野球

高校野球は「3年間」だからこそ美しい。「甲子園」にすべてをぶつけ、完全燃焼する姿に見る者は引き込まれるとする風潮がある。この風潮の是非を問う前に、高校球児が野球部として活動する期間は、実は「3年間」ですらなく、そのことが日本の高校野球の大問題につながっていることを指摘したい。

地方によるが、沖縄など早いところでは6月から夏の地方大会が始まる。大半7月に行われ、「負ければ終わり」のトーナメント制だから代表校以外ほぼ95%以上の3年生たちが自動的に「引退」する。ほとんどの球児にとって、高校野球のプレー期間は実質「2年3カ月か、4カ月」ほどということになる。

3年生たちは、夏休み前に野球のグラウンドから追い出され、「明日からやることがない」状態に陥る。それまでほぼ休みなく打ち込んでいた野球を失った彼らは、前日までとはあまりに落差の大きな変化に戸惑うことになる。

一般的には、「夏の予選に負けたら受験勉強」あるいは「就職活動の準備」と思われている。だが、朝から晩まで野球漬け、の日々に耐えてきた高校3年生が、すぐに「野球から勉強に」シフトできないのが通常だ。

特に現在の高校野球の指導の大半が、監督の厳しい指導についていけばいいという大方針の下に成り立っているため、自分の意志を持って勉強に取り組む、目標を持って就職活動の準備を始めるということに慣れていない。

引退後に待ち構える「束縛と喪失の落差」

もちろん例外はあるだろう。しかし私自身、「優勝候補の筆頭」と下馬評の高かったチームで甲子園を目指していたが、実際は自分の意思はとうに薄れ、嫌々練習していた情けない部員だった。学校の机に、「あと○日で野球から解放される」と、カウントダウンの数字を書いていたくらい、早く束縛の日々から逃れたかった。ところが、いざ追放されれば、野球を失った喪失感で今度は「何をしていいのかわからない」、充実感のない日々に押しつぶされそうだった。

長く高校野球を取材している経験から、この「束縛と喪失の落差」は、私の体験から半世紀近く経ったいまも本質的には変わっていない。それどころか、「夏の終わり」「引退」を美化する風潮は一層強まっているようにも感じる。

これも、高校野球の無責任なところだ。「甲子園」という美しき目標の一点ばかりに光を向け、その陰や周辺で起こる青春の蹉跌には目もくれない。これで「高校教育の一環」とは、開いた口がふさがらない。

甲子園を秋に開催した方がいいこれだけの理由

昨夏の猛暑で、ようやく高校野球改革の議論がタブーを脱し、テレビや新聞などで見直し論が語られるようになった。

そもそも全国高等学校野球選手権大会を夏に開催することにしたのは、夏休みがあったからだろう。甲子園が「夏の風物詩」として定着した昨今では、多くの高校野球ファンが、「やっぱり高校野球は暑い中でやるのがいい」という意味のない幻想に心を寄せて大会時期の変更に抵抗しているが、そもそも熱中症が頻発し、運動が推奨されないような環境で野球をやることがいかに危険かという視点も抜け落ちている。

秋に大会を開催すれば、授業との兼ね合いが課題といわれるだろう。しかし、そんな問題はいくらでも解決できる。土日ごとに試合をすればいいだけの話だ。

秋に地方大会を始める。9月上旬に開幕すると夏休みに猛練習をしすぎるから、9月の下旬から、もしくは10月からでもいい。7月、8月は原則、週に2日以上の野球は禁止。一定の暑さを超えたら屋外での練習禁止にするくらいの英断が求められる。

命の危険にも及ぶ暑さの話は別の機会にするとして、「引退」後の高校球児に話を戻そう。

現状のカレンダーでは、7月の予選に負けた高校球児は、野球を失って夏を過ごす。大会が秋になれば、まだ野球部の現役として3年の夏を過ごせる。だが、先述したように、「追い込むための時間」が延長されたのでは何の意味もない。

暑さや練習のしすぎに考慮したルールを明確化して、野球以外に好きなことをする、勉強もする、家族と旅もする、充実した夏休みが手に入る……。

そんな想像を、一部の例外を除いて高校教師でもあるはずの監督たちは一切しないのか? 自らも多くは家庭人である。夫であり、父である。

「野球一途で家族はほったらかし」、それが高校球界ではまだ「男の美学」とされがちだが、それが元で離婚、あるいは奥さんや子どもとの深刻なトラブルを抱える監督たちを私はたくさん知っている。そのような実情をなぜ放置してまで、「夏の甲子園」を守り続けるのか?

高校野球の持つ「切迫感」から球児を解放してはどうか?

秋に開催することで、単純に高校野球の活動期間が長くなる。

「受験勉強はどうする?」との疑問が寄せられるだろうが、勉強は「普段からする」のが本来の筋で、「野球の現役時代は勉強できない」のがおかしい。加えてベネッセ総合研究所の行った「部活動への参加状況と平日の家庭学習時間」調査によると、平日に「ほとんど勉強をしない」と回答した高校生の比率は、部活動に参加している生徒が23.9%で最も低く、部活動をやめた生徒(32.2%)、部活動に参加していない生徒(27.3%)と比べても「時間がないから勉強ができない、していない」とは言い切れないデータが出ている。

しかも最近は受験制度もずいぶん改善され、推薦入試やAO入試も充実している。特に大学で野球を続ける選手の多くは、実は推薦入学で決まる場合が多く、詰め込み型の受験勉強は必要としない。それより、半年以上もグラウンドから離れるブランクの方が、競技力の向上の面からは大きなマイナスとなる。

他のスポーツは、インターハイの予選が終わっても、3年生に競技の道が残されている。秋の国体に向けた予選があり、年末や年明けの選抜大会もある。競技を続けたい3年生には、高校を卒業する直前まで、競技に打ち込む環境が確保されている。それは大学、社会人、プロまで見据え、意図的に演出された制度だ。生涯続けてもいいはずのスポーツから事実上の「引退」を宣言する特殊な日本のスポーツ環境は、甲子園を頂点とする高校野球に象徴されている。

秋まで部活動を続けることで、「高校野球の実質的な期間は短い」という、監督たち、あるいは選手たちの切迫感を軽減することも大きな目的のひとつだ。もっとのんびりと野球と向き合い、他の分野の活動にも日ごろから関心を向ける新しい高校球児のライフスタイルづくりが実現したら、もっと心おきなく野球を選ぶ少年たちが増える、多様性を身につけ、豊かに生きる球児たちが育つ、と期待する。

<了>

第7回 なぜ萩生田文科相「甲子園での夏の大会は無理」発言は受け入れられなかったのか?

第6回 なぜ、日本では佐々木朗希登板回避をめぐる議論が起きるのか? 

第4回 高校野球は“休めない日本人”の象徴? 非科学的な「休むことへの強迫観念」

第3回 鈴木長官も提言! 日本の高校球児に「甲子園」以外の選択肢を

第2回 「甲子園」はもうやめよう。高校野球のブラック化を食い止める方法

第1回 高校野球は誰のもの?“大人の都合”が遠ざける本質的改革

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