小野伸二がFC琉球に移籍した舞台裏とは? 移籍の当事者が見据える沖縄の未来
2019年8月、元日本代表、小野伸二がJ2・FC琉球に完全移籍することが発表された。39歳(当時)を迎えたとはいえ、日本サッカー界に一時代を築いた“天才”の動向は大きなニュースとして報じられたが、この移籍を実現させたのが、FC琉球の躍進を支える倉林啓士郎取締役会長の「沖縄をサッカー王国にしたい」という言葉だった。
当時のJリーグ最年少社長として辣腕を振るい、FC琉球、そして沖縄のサッカーシーンに大きな変化をもたらしている倉林会長に聞いた。
(インタビュー=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、構成=大塚一樹[『REAL SPORTS』編集部]、写真=Getty Images)
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沖縄のサッカーに変化をもたらすような選手が欲しかった
まずは、沖縄というか、日本中のサッカーファンを驚かせたニュース、小野伸二選手を獲得した理由について聞かせてください。
倉林:一つは戦力的な話ですよね。開幕から4連勝、スタートダッシュに成功したんですけど、選手の移籍もあって得点力が落ちてきていました。そこを補強すべく、ブラジル人、外国人を中心に選手を探していました。何人かは獲得できたんですけど、中盤の選手が足りない。そういうチーム事情の話が一つ。もう一つは、チームに入ることでチームの雰囲気を変えられる選手を探していました。去年の播戸竜二選手みたいな選手ですね。地元出身の上里(一将選手)、上原(慎也選手)など、経験値の高い選手が頑張ってくれていましたが、より若手を導いてくれるような経験のある選手が必要だと感じていました。
そこで小野伸二選手の話が出てきたと?
倉林:代理人の秋山祐輔さんとは、10年来のお付き合いで、個人的に信頼関係もあったんです。小野伸二選手が獲得候補に挙がって、こちらとしては「もし可能性があるのならしっかり進めたい」と、7月のウィンドウでいろいろ話を詰めていました。一番、ネックだったのは、予算ですよね。うちも資金が潤沢というわけではないので、小野選手からすれば条件がかなり落ちてしまう可能性もある。でも、小野選手の方から「プレーする環境があるならやってみたい」という言葉をもらって。
そこは相談できる、譲歩できるかもしれないと。
倉林:はい。譲歩できるとしてもさすがに程度があるので、そこはスポンサーの、(株式会社)セノンさん、GMOコイン(株式会社)さんにもかなりご協力いただいて。
スポンサー企業も小野伸二が来るんだったら協力するという。
倉林:「小野伸二を取りたい、これが実現すればFC琉球は変われるし、沖縄サッカーも変わりますよ!」と言ったら、みんな二つ返事で受け入れてくれました。代理人の秋山さんと打ち合わせした翌日に、セノンの社長と会食をして、翌日にはGMOコインの社長と打ち合わせ、その3日でだいたい決まるスピード感で、これはマジで取るぞと。
サッカー人の中ではスペシャルなのは当たり前ですけど、一般の人たちに名前と顔が知られているレベルの選手ってなかなかいないですもんね。小野伸二という圧倒的なネームバリュー、それは実感しているわけですよね。
倉林:そうですね。やっぱり、小野選手は特別だと思います。ただの元日本代表でもJリーガーでもなくて、トップレベルのサッカー選手。人間的にも優れていて、選手として来てもらうだけじゃなくて、クラブに対して大きなものをもたらしてくれる期待が非常に大きい。そこを共有できるので、スポンサーの説得もしやすかったですね。
トントン拍子に進んだ移籍話「最初から共通認識は持てた」
どの段階で本人に会ったんですか?
倉林:7月の終わりぐらいです。
この話自体が始まったのが、7月ということなので、トントン拍子で来たんですね。ほぼ1カ月で。本人は実際どんな感じでした?
倉林:一番大きかったのが、小野選手が沖縄のことを好きだったことですね。自主トレとかキャンプで来ていて、親友の高原(直泰)さんもいるし(沖縄SVのCEO/監督/選手を務める)、沖縄に対する地域的な思い入れがすごくあると言っていて。あとは気候も暖かいから体にとってもいい、メンテナンスがしやすいということも感じていたようです。一番のきっかけは、コンサドーレ(札幌)がJ2からJ1に上がる変化を経験していたから、それと同じことを、今度は南のもっと小さいクラブでやりたいという挑戦意識を持っているというのは話にも出てきました。FC琉球を一緒にいいクラブにして、J1に上げる。そこは最初から共通認識を持って話していたと思います。
クラブもそうですけど、“小野伸二が所属しているクラブのオーナー”というのもすごいことですよね。
倉林:オーナーって言うと、すごく大袈裟ですけど、たまたま関わることになって、たまたまですよね。
倉林さんは小野選手とは同世代ですよね? 小野選手は世代を代表するスーパースターですよね?
倉林:僕は1981年生まれなので、小野選手の2個下です。スーパースターですよ。中田英寿さんとか小野伸二さんとかもう。そういう意味で言えば、僕は別にオーナーだからどうのこうのとか、社長だからどうのこうのってあんまりないんです。FC琉球がJ3に昇格したときにユニフォームのサプライヤーになって、4年間サプライヤーをしているうちにお金を出すことになって、自分で社長もやることになって……。当時は環境も整っていないクラブでしたけど、そこからみんなが頑張って上がってくれてという感じなんです。そこから新しいフロントスタッフも入ってきて、自分がオーナー業、会長業に回るタイミングで昔の繋がりの中で小野伸二選手に入団してもらえることになった。やっぱり、社長として、オーナーとしてどうとかじゃなく、“持っている”なって感じてます(笑)。
小野伸二加入で現実味を帯びる“スタジアム構想”“アジア戦略”
やるべきことをやっているから、そういう話が来ても受け入れられるんでしょうね。今回の話も、移籍の話自体が来てもお金が用意できなければ無理な話じゃないですか。最初のところから、けっこう必然性はあるのかなと思いながらお話を聞いていました。やっぱり、クラブ経営とかって儲かるものじゃないじゃないですか。その中で想いを持ってちゃんとやろうというのが、やっぱこれからの時代のクラブ経営に絶対必要ですよね。そうじゃないとあっという間に潰れてしまう。
倉林:何とかやれてるって感じですけどね。2年前は本当に「これはなんとかやれるのか?」みたいな状況でしたから、そこから比べればだいぶ先が見えているとは言えるんですけどね。
小野伸二選手の加入は、クラブ運営にとっても重要ですよね。倉林さんが目指している新スタジアムの建設や、アジアとの関係、連動の部分でも。
倉林:この前チャイニーズ・タイペイ(台湾)サッカー協会に行ったら、“シンジ・オノ”が加入したことを伝えるより先に知っていたんです。台湾の人も小野伸二選手のことは当然知っているわけですよ。フェイエノールトの時の彼のプレーがどうだとか、彼はスーパーだよねと話しかけてくる。世界に知られている選手がFC琉球にいて、同じクラブに沖縄出身の選手もいれば台湾人選手もいて、タイ人選手、中国人選手もいて、“アジアのるつぼ”のようなクラブになっていけば、沖縄の企業はもちろん、ひょっとしたら台湾の鴻海(ホンハイ)とかAcer(エイサー)とかもスポンサーについてくれるかもしれない。沖縄の、例えば那覇にスタジアムができたら、サッカー観戦を目的に台湾からバンバン飛行機で観光客がやってくるかもしれません。那覇なら空港からすぐですからね。そういうイメージはありますね。なんか実現するんじゃないかなって気がしてます。
そういう意味では、沖縄という場所の魅力はすごいですよね。日本人だけじゃなくてアジアにとって、沖縄ってとても魅力的な場所ですから。
倉林:沖縄じゃなかったらやっていないと思います。
小野伸二という推進力を得たFC琉球は“沖縄”という土地でしかなし得ない新たなクラブの形を日本サッカー界に提示しようとしている。日本のレジェンドの新たなキャリアだけでなく、そこで生まれようとしているFC琉球、沖縄とサッカーの物語にも大きな注目が集まる。
<了>
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(写真提供=FC琉球)
PROFILE
倉林啓士郎(くらばやし・けいしろう)
1981年生まれ、東京都出身。4歳からサッカーを始め、筑波大駒場高校、東京大学へと進学。東京大学在学中の2004年に創業し、翌05年にSFIDAブランドを立ち上げ。06年株式会社イミオを設立、代表取締役社長を務める。2016年12月、琉球フットボールクラブ株式会社(FC琉球)の代表取締役社長に就任、クラブの経営危機を立て直し、2018シーズンにJ3優勝、J2昇格を成し遂げる。現職は取締役会長。
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