なぜ「体罰」は無くならないのか? 「今はそんな時代じゃない」という思考の錯覚

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2019.11.27

近年、日本のスポーツ界で頻繁に取り沙汰されている「体罰」「ハラスメント」の問題。なぜ世間でこれほどまでに取り上げられ、問題視されているにもかかわらず、「行き過ぎた指導」がなくなることがないのだろうか? そこには日本スポーツ界に根深く残っている問題の本質がある――。

(文=花田雪、写真=Getty Images)

近年、日本スポーツ界で頻繁に問題になるハラスメント

スポーツ界の「ハラスメント」が止まらない。

11月18日、プロスケーターの織田信成氏が関西大学アイススケート部の監督を辞任した理由に、同部の浜田美栄コーチからのモラルハラスメントがあったとして、同氏を相手に1100万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。

このニュースはワイドショーなどでも大きく取り上げられているが、スポーツ界での「ハラスメント行為」が表面化し、問題となったケースは決して珍しくない。

ここ数年だけでも、体操、レスリング、相撲、アマチュアボクシング、アメリカンフットボール、テコンドーといった多くのスポーツが競技とは別の「騒動」で世間を賑わせている。

そしてそのほとんどに共通するのが、ハラスメントの加害者が指導者で、被害者がその教え子=選手であるという点だ。

筆者はこれまで、多くのスポーツ媒体の編集を手掛け、選手や指導者、関係者に取材を行ってきた。特に多いのが野球だが、やはり野球界にもこの「ハラスメント問題」は今なお根深く残っている。

9月28日には高校野球界の名門・横浜高校の平田徹監督と金子雅部長が部員に対して日常的に暴言、罵倒を繰り返していたとして解任に追い込まれた。

世間でこれほどスポーツにおけるハラスメントや行き過ぎた指導が話題となっているにもかかわらず、なぜこういった問題が次から次に起こるのか。

スポーツの現場、筆者の場合は特に高校野球を取材する中で、感じることがある。

それは、体罰やハラスメント行為に代表される行き過ぎた指導がなぜいけないのか、その「本当の理由」を理解している指導者が圧倒的に少ないということだ。

行き過ぎた指導がなくならない問題の本質とは?

スポーツという縛りを抜きにして、「教育」という観点で見たとき、体罰や暴言が子どもにとって悪影響なのは、すでに多くの研究の結果、明らかになっている。これは、しっかりとした科学的根拠(エビデンス)に基づく確かな結果だ。

いくつか例を挙げてみよう。

・約2000名の子どもの0歳から6歳までを追跡調査した結果、体罰を受けている子どもは、操作性運動(一人で靴を履く等)の発達および言語・社会性の発達において、はっきりと発達が遅れており、体罰の使用は子どもの発達にとってマイナス要因であると結論している(「乳幼児の心身発達と環境―大阪レポートと精神医学的視点―」(服部祥子・原田正文、1991)231頁)。

・16万927名の子どもたちの過去50年間の75の研究を使用したメタ分析は、お尻をたたくという軽い体罰も下記の13の有害な結果と関連することを明らかにした。
低い規範の内面化、攻撃性、反社会的行動、外在化問題行動、内在化問題行動、心の健康問題、否定的な親子関係、認知能力障害、低い自己肯定感、親からの身体的虐待のリスク、大人になってからの反社会的行動、大人になってからの心の健康問題、大人になってからのたたくことへの肯定的な態度(厚労省リーフレット「子どもを健やかに育むために~愛の鞭ゼロ作戦」(2017)、「Gershoff、E. T. & Grogan-Kaylor、A. (2016)、“Spanking and Child Outcomes:Old Controversies and New Meta-Analyses”、Journal of Family Psychology」)。

こういった研究結果は、すでに世界中で検証・立証されている。

では、日本のスポーツの現場ではどうだろう。確かに、一昔前と比べて体罰やハラスメント行為は大きく減少したように思える。しかし、実際に指導者に話を聞くと、大抵こういった言葉が返ってくる。

「今は、ちょっと手を挙げただけでも問題になってしまうから」
「今の子どもは、昔と違ってそういう指導法ではついてきてくれないから」

体罰や、暴言といった行為は行わない。ただ、その理由は「問題になるから」「今の子どもたちはついてこれないから」といったものがほとんどで、過去に良しとされていた指導法自体が「間違っていた」と認めている指導者はほとんどいない。

選手を殴ることや強い言葉で責め立てること自体が悪いのではなく、時代が、環境がそれを許さない。だからやらないだけ。

筆者には、そう聞こえてしまう。

しかし、指導者の多くがそう感じてしまうこと、そう錯覚してしまうことにも理由はある。

なぜなら彼ら指導者の多くが、実際に体罰や暴言、今で言うハラスメントを大いに受け、育ってきた世代だからだ。

人間はどうしても、過去の経験を美化したがる。「俺らの時代はよかった」が口癖の年配者は、決して珍しくない。ましてやスポーツの指導者になるような人間は、少なからず選手として成功体験を積んできた人間がほとんどだ。

自分たちが受けてきた指導が成功につながったという経験がある以上、それを今になって「間違っていた」と否定することは、自らのキャリアそのものを否定することにもなる。

数十年間、「正しい」と信じ続けていたことを「間違っていた」と認めるのは、本当に難しい。ただ、すでにこれほどのエビデンスが世にあふれ「体罰、ハラスメント」が子どもたち、選手たちにとって悪影響でしかないという事実から目を背けていては、日本のスポーツ界に未来はない。

今一度考えるべき「何のためにスポーツをするのか」の命題

現・千葉ロッテマリーンズ1軍投手コーチの吉井理人氏が解説者だったころ、こんな話を聞いたことがある。吉井氏は日米の野球を経験しただけでなく、筑波大学大学院でコーチング理論を研究するなど、球界でも屈指の理論派として、過去にダルビッシュ有、千賀滉大などの指導も行っている。

「(体罰や暴言などの行き過ぎた指導は)短期的にはある程度の効果が出るといわれています。ただ、選手の成長など、長期的な観点で見るとマイナス面の方がはるかに大きい。だからアメリカではそういった指導はまず行いません。向こうでは『コーチ』というと、指導者というよりも『サポートしてくれる人』といったイメージの方が強い。あくまでも選手主導です」

「短期的には効果が出る」

この言葉にも、日本スポーツ界からハラスメントがなくならない理由の一端が潜んでいる。

あらためて思い返してみると、これまで「ハラスメント」が問題となった競技のほとんどが、選手に「短期間での結果」を求めるものだ。

高校野球は、そもそも現役生活が2年半程度しかなく、その短い期間で「勝利」という結果が求められる。

体操、アマチュアボクシング、レスリングなどは「五輪」という大目標が存在し、選手選考の場、もしくは五輪本番といった「短期」での強さが求められる。

その意味で、競技によっては体罰やハラスメント行為がプラスに働くケースも、確かにあるのかもしれない。

ただ、今一度「スポーツ」というものの本質を考えてみてほしい。

スポーツをする目的は、何か。

「勝利」はもちろん大切だ。勝つことによって得られる経験は何物にも代えがたいし、たった一瞬の成功体験が、それまで積み重ねてきた長く、厳しい練習をはるかに凌駕する喜びと成長を、選手に与えることも多々ある。

ただ「勝利」を優先するあまり、日本スポーツ界はその先にあるもっと大切なものをおざなりにし過ぎているように思える。

スポーツに携わるすべての指導者とアスリートは、その競技を通じて自らが「楽しみ」、その楽しさ、素晴らしさを世の中に伝えることを最大の目標とすべきだ。

勝利を得るためには多少の犠牲は必要だろう。きついことの方がはるかに多く、喜びは一瞬だけ。

しかし、行き過ぎた指導は時として、その一瞬の喜びすら奪ってしまう。

時代は刻々と変化する。スポーツにおける指導法、正義も、昔と今では大きく違う。

その流れに取り残されてしまわないために、すべてのスポーツ関係者が、あらためて「体罰、ハラスメントは根本的に間違っている」という事実を受け入れることを、切に願う。

<了>

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