
帝京長岡「日本のビルバオ」を目指して 飛び級と15年一貫指導が生んだ絆と共通理解
12月30日に開幕する第98回全国高校サッカー選手権大会において、2年連続7回目の新潟県代表の座を手にした帝京長岡高校。
「長岡のサッカーのために」という明確な理念をもとにU-6年代から一貫指導の環境を持ち、日本のアスレティック・ビルバオを目指す彼らの挑戦の物語を追った。
(文・写真=土屋雅史)
名将・古沼貞雄からの連絡「ちょっと“長岡”に行ってみないか?」
名前も知らぬ越後の雪深き街に辿り着き、20年を超える月日が流れた。取り巻く環境は少しずつ変化し、周囲の見る目も変わってきたが、この地を訪れた時に貫こうと抱いた覚悟が揺らぐことは、決してない。『長岡をサッカーの街に』。お互いを15歳から知る谷口哲朗と西田勝彦の紡いできた物語は、まだまだ多くのストーリーが書き込まれていく余地にあふれている。
その出会いは恩師によって導かれた。大学の卒業を控えた谷口に、帝京高校時代の監督に当たる古沼貞雄から連絡が入る。「高校サッカーに骨を埋める気があるんだったら、ちょっと“長岡”に行ってみないか?」。母校での教育実習も経験し、教員としてサッカーに携わる意志を固めていたこともあり、ありがたくその誘いを受け入れる。
ただ、彼らの認識には小さくないズレがあった。「僕は大阪出身なので“長岡”って京都の長岡京のことだと思っていて。古沼先生に『ちょっと長岡に行く前に学校寄れ』なんて言われて、『何で大阪から京都に行く前に東京へ寄らなきゃいけないんだろう?』って思いながら、モノ申すこともできずに先生の所へ行ったら、『まあ上越新幹線に乗って行ったら2時間かからずに着くから』と言われて、そこで初めて新潟に“長岡”という場所があることを知ったんです(笑)」。
1996年。谷口の指導者キャリアは帝京長岡高校で幕を開ける。就任5年目には早くも高校選手権で全国大会出場を果たしたものの、3年間の指導だけでは伝えたいことを伝え切れないジレンマを抱えていたため、あるアクションを起こす。それはジュニアユースチームの設立。中学高校の6年間、あるいはそれ以上の月日を通じて、その時々に応じた細かな指導を施しつつ、何よりもサッカーの楽しさを共有していく。かねてから温めていたプランだったが、そのためには信頼の置ける指導者の招聘が何よりも大事だった。
「僕の中でははっきり言って選択肢もなかったし、理由を聞かれても『親友だから』という以外にないんだけど、断られる想定もしていなかったし、他を探すつもりもなかった」と谷口が声を掛けたのは、帝京時代のチームメイトでもあり、そのサッカー観に信頼を置いていた西田勝彦。谷口がベンチで経験した国立競技場での日本一をピッチで味わっている西田は、当時社会人チームでプレーしていたが、初めて帝京長岡が高校選手権に出場するとあって、応援も兼ねて練習を手伝ったタイミングとオファーが重なる。
「もう『谷口哲朗がいたから』って。それだけなんですよね。あのタイミングで行かなかったら、たぶん長岡には行っていなかったんじゃないかなとも思いますし」。覚悟を決め、親友の想いに応える。2001年、西田を監督に迎えた長岡ジュニアユースフットボールクラブ、通称“長岡JYFC”は産声を上げた。「長岡のサッカーのために」という明確な理念を携えて、U-6(園児)、U-12(小学生)、U-15(中学生)のカテゴリーを持ち、一貫指導を行える理想的な環境が整った。
“飛び級制度”とオールスタッフによる一貫指導
「メチャメチャ覚えてます。2時間の練習があっという間で『もう終わり?』みたいな感じだったので、本当にサッカーが楽しかったんだなと思いますね」
FC町田ゼルビアへの加入が内定済み。今年の帝京長岡を最前線で牽引する晴山岬は、幼い頃の思い出を笑顔で振り返る。当時のカテゴリーはU-6。とにかくひたすらボールを追い掛けていたという。
卒業後は京都サンガF.C.へ加わる司令塔の谷内田哲平、関東の強豪大学へ進学が決まっているドリブラーの矢尾板岳斗、そして晴山の3人は、いずれも長岡JYFCの門を叩いた3歳の時から、15年近く一緒にプレーし続けてきた。「哲平と岬とはお互いに意志の疎通はできているし、いろいろ言わなくてもわかるので、すごくやりやすい存在です」と話すのは矢尾板。「アイツらは幼稚園の頃もずっとボールを蹴っていましたからね」と西田も笑う。3人は、揃って年代別の日本代表にも招集されており、将来を嘱望されている。
彼らの成長を促した一つの要因が“飛び級制度”だ。クラブ申請を受理された長岡JYFCは、帝京長岡高校サッカー部と同一クラブという扱いになっているため、リーグ戦では中学生も高校生に交じって試合に出場することが可能である。実際に晴山や谷内田は、既に中学3年生の時点で帝京長岡の一員として高円宮杯U-18プリンスリーグを戦っていた。
この仕組みはヨーロッパをモデルにしていると、谷口は説明する。「そこの飛び級はもうヨーロッパでは当たり前のようにやっていて、その学年で戦わなければいけないという概念は日本全体でもだいぶなくなってきているし、本人たちが苦労せずに成功するレベルじゃなくて、少し苦労して何かを得られるレベルを与え続けてあげることが大事なのかなと思うんです」。
また、現在帝京長岡の監督を務める古沢徹やコーチの川上健は同校のOBでもあり、卒業後は長岡JYFCで指導に当たっていたため、今の高校3年生の中には10年近い付き合いの選手もいる。そもそも西田も帝京長岡のコーチを兼任しており、オールスタッフによる一貫指導が、彼らの一体感のみならず、目指すサッカーの共通理解にも大きな役割を果たしている。
「スペインのアスレティック・ビルバオみたいに」
掲げるコンセプトは『ボールを大事にすること』。西田がもう少し詳しく補足する。「勘違いはされたくないんですけど、ボールを持っていればいいわけではなくて、『ボールを大事にしているからこそ、ボールを奪いに行けよ』と。子どもにあまり難しいことを教えるよりは、『大事なモノだったら取りに行け』とか、『大事なモノを取られるな』とか、そういうことを教えているつもりです」。攻守にボールを大事にすることが、サッカーの本質に迫る要素だと信じている。
地道な活動は確かな果実を実らせていく。既に長岡JYFCは全日本U-15フットサル選手権で5度の日本一に輝くなど、足元の技術は世代屈指のレベルに。帝京長岡も冬の全国出場は今回で7度目。長岡JYFC出身者として初のJリーガーでもある小塚和季(現・大分トリニータ)を擁した2012年度、17対16というPK戦も話題を呼んだ昨年度は共にベスト8まで勝ち上がるなど、サッカーの世界でも“長岡”の名を耳にする機会が、少しずつ多くなってきていることは間違いない。
前述した晴山と谷内田に続き、中学から長岡JYFCでプレーしてきた吉田晴稀も、愛媛FCの加入内定を勝ち取り、これで今年の帝京長岡からは3人のJリーガーが誕生することになる。もちろん全国を見渡しても、同じ学年からこの人数のプロ選手を輩出する高校は極めて稀。そういう意味でもより注目が集まることになる高校選手権は、同時に彼らにとって“長岡”と名の付くチームで戦う最後の大会となる。
「僕は長岡にプロサッカー選手になれるまで育ててもらったので、日本一を取って恩返ししたいと強く思っています」(晴山)
「長岡はサッカーのすべてを教えてもらった場所なので、離れることに淋しい気持ちはありますけど、日本一という結果を残してから京都に行きたいですね」(谷内田)
「この地を出るのはすごく悲しい気持ちもありますけど、長岡のスポーツをもっと盛り上げられるように、自分たちの目標である日本一を取りたいと思っています」(矢尾板)。
長岡で育ったからこそ、長岡に恩返ししたい。彼らが揃って掲げた日本一は、その先にある谷口と西田が見据える未来へと続く、大いなる過程になり得るだろう。今は帝京長岡の総監督という立場になった谷口が、以前語っていた夢が印象深い。「スペインのアスレティック・ビルバオみたいに、“純血”とは言わないまでも、長岡に縁かゆかりがある、新潟県に縁かゆかりがある選手たちで、そしてバックアップしてくださるサポーターの皆さまのもとで、FリーグやJリーグのチームが長岡に作れれば、気持ちよく息を引き取れるかなと(笑)」。
『長岡をサッカーの街に』。お互いを15歳から知る谷口哲朗と西田勝彦の紡いできた物語は、まだまだ多くのストーリーが書き込まれていく余地にあふれている。
<了>
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