
なぜ平野美宇はジュニア出澤杏佳にあっさり敗れたのか? 異彩放つ「異質ラバー」の秘密
1月に行われた全日本卓球選手権大会。高校生の出澤杏佳選手が格上・平野美宇選手を破る波乱があった。この大金星の要因の一つが「ラバー」である。出澤選手をはじめ「異質ラバー」を使いこなす選手たちに注目し、「豪速球とスローカーブ」ほどの違いがあるといわれる卓球のラバー選びの奥深さを紐解く。
(文=本島修司)
格上の平野をあっさりと負かした出澤の「ラバー」
2020年1月に行われた全日本卓球選手権大会で、大きな波乱があった。出澤杏佳選手(茨城・大成女子高校)が、東京五輪(開催延期が決定)の日本代表に決まっていた平野美宇選手を、5回戦で負かしたのだ。
格上選手をあっさりと負かした、大波乱といえるこの一戦。勝負を分けるポイントは何だったのか。ハリケーンと呼ばれる平野選手のスピード卓球に狂いを生じさせた、一番の要因。その答えは「ラバー」である。
例えば野球の場合、「金属バットと木製バット」「硬式ボールと軟式ボール」と聞くと、かなりの違いを感じる人が多いはずだ。しかし、卓球における「ラバーの違い」となると、競技経験者でない限り、それほどピンとくる人は少ないかもしれない。
ラバーというこの薄いゴムは、どれほどの違いを生むものなのか。
卓球におけるラバーとは、「金属バットと木製バット」「硬式ボールと軟式ボール」よりも違うと言えるくらい、球質に大きな差を生む用具だ。あえて野球に例えるなら、「豪速球とスローカーブ」。それくらいの違いがある。
卓球選手にとって「命の次に大事な物」
「(ラケット&ラバーが)命の次に大事って人もいる」
かつて、そんなことを言った選手がいた。2019年4月、世界卓球選手権での出来事だ。
卓球の世界選手権というのは、各メーカーの用具販売ブースなども設けられている。この年は、日本のテレビ番組「ワールドビジネスサテライト」が、世界選手権での用具販売の様子を取り上げていた。その中で「試し打ちブース」も紹介されていた。この放送の中で、ひょっこりと、平野選手が試し打ちに現れる場面が放送された。
そして試打を終えたあとに平野選手は、インタビューを受けて先の発言をしたのである。そう、「命の次に大事って人もいる」というのは、他ならぬ平野選手の言葉だ。
たかがゴム、されどゴム。決め手は「ゴムとその使い方」
平野選手がまさかの敗戦を喫したのは、それから9カ月後のことだった。
大金星を挙げたのが、格下の高校生、出澤選手だった。しかし、この出澤選手、ただの格下の選手というわけではない。彼女は2019年の全日本卓球選手権大会・女子ジュニアの部の優勝者である。波乱を起こせる下地が十分にある、実力者だった。
しかし、相手が平野となると、本来ならば、まだまだ大きな実力差があったはず。そこを、「1-4」という圧勝に近いセットカウントで勝利した最大の武器が、ラケット、いや、ラバーだった。
平野選手だけではなく、「厚さが1ミリ違っても、打ったらすぐにわかる」「いや、0.5ミリの差でも、打てばすぐにわかる」という言葉が飛び交うほど、卓球選手はラバーから伝わる感覚に繊細だ。フィット感を求める。当然、相手のラバーから放たれる球質には、さらに敏感になる。
たかがゴム、されどゴム。そして、そのゴムの使い方が勝敗を分ける。
多くの卓球選手が使っているラバーは「裏ソフトラバー」というものだ。例えば、日本卓球界初のシングルスでのオリンピックメダリストである水谷隼選手は、フォアが裏ラバー、バックも裏ラバー。若き日本のエース・張本智和選手も、フォアが裏ラバー、バックも裏ラバーだ。サーブで回転をかけ、破壊力のあるドライブを打っていく、卓球の王道スタイルをつくるラバーである。
では、「裏ラバーではないラバー」とは、何か。
これには、大きく2つのものがある。「表ソフトラバー」と「粒高ラバー」だ。
裏ソフトラバーというのは、ラバーの面が、平坦だ。自分で回転を選んでかけていく。自分でスピードを上げていくこともできる。一方、表ソフトラバーというのは、ラバーの表面に粒がある。この粒は硬い物が多い。粒の高さも低い。つまり、粒によって何か特有の回転をかけるわけではない。この硬い粒で、弾くように打つのが特徴で、回転量は少ない。裏ラバーから打つ、速い攻撃的なボールは、主に「ドライブ」となる。一方、表ラバーから打つ、速いボールは、主に「スマッシュ」や「ミート打ち」となる。
このように、ラバーとは、自分がやりたいプレーを実現させてくれる“相棒”となる。卓球選手は、皆、何度も試行錯誤しながらラバーを選び、練習を積み、自分の最高の相棒をラケットに貼って大会に出てくる。
では、出澤選手は、あの衝撃の試合で「何をした」のか。
卓球大国の中国も恐れるニッポンのスピードスター、平野選手を封じ込めたのは、「粒高ラバー」という、もう一種類のラバーによる効能だった。
粒高ラバーとは何か
裏ソフト、表ソフト以外に、いわば「第3のラバー」として、「粒高ラバー」というものがある。
見た目は、表ソフトラバーのように粒が立っている。しかしその粒が、表ソフトラバーよりも、「高くて、やわらかい」。見た目にもインパクトがある。そして最大の特徴は、「無回転」であること。ナックルボールのような、無回転のボールが出る。相手が回転をかけてきても、回転を消してしまい、無回転にできる。そして、自分から回転をかけていくことは、ほとんどできない。そのぶん、相手の回転を利用することができる。
相手が強い回転をかけてきた場合、それを反対の回転に変換するという性能を持つ。例えば、相手が打ってきた上回転系のドライブをショートすると、返球時には、真下に落ちる下回転のボールに変わっている。逆に、相手が下回転をかけてきた場合、これをまっすぐプッシュすると、無回転のまま弾道だけが変化する、不思議なナックルボールで返球することができる。攻撃力は低いが、やっかいなラバー。それが粒高だ。
出澤選手の場合、フォアが表ラバーで、バックが粒高ラバーというスタイル。
これは極めて珍しい。
シェークハンドの選手で粒高ラバーの使い手といえば、多くは「フォアは裏ラバー・バックが粒高ラバー」という組み合わせの選手が多い。やはり卓球の試合の中では、回転のかかったボールが必要だと考えるのが通常で、裏ラバーでサーブを思いきり切ったり、フォアは回転の強いドライブをかけたりしながら、バックの粒高ラバーで無回転のナックルボールも出して翻弄する、という形をとる。
しかし、出澤選手の場合、ほとんどすべてがナックル性のボールということになる。その中で、フォアはナックル性の高速ミートで攻め、バックは相手の回転を利用して真逆の回転でストップするようなボールを、前後左右に繰り出した。その、次から次へとやってくる多彩な変化球に、平野選手は敗れてしまった。
世界にもいる、注目の異質ラバー選手
では、出澤選手だけが特別なのかというと、そうではない。かつて、日本には海津富美代(旧姓・山下)選手という、バルセロナとアトランタのオリンピック日本代表選手がいた。彼女も粒高の選手だったが、中国代表選手と互角の試合を演じていた。
また、世界にも、たくさんの異質ラバー選手がいる。中国に、周昕彤(ジョウ・シントン)という選手がいる。ぜひ一度、動画などでその試合ぶりを見てほしい選手だ。今では少なくなってきたペンホルダーのラケットに、粒高ラバーを貼り、そのペンホルダーの裏面に、表ラバーを貼っている。超のつく変則型。粒高でのカットストップと、カットプッシュが絶品で、そのボールはもはや「変化」という言葉を超えて、“気持ち悪い弾道”に仕上がっている。
スウェーデンには、男子のトップ選手では珍しく粒高を操るファビアン・オーケストロムという選手がいる。シェークハンドのラケットに、フォアは裏ラバーを貼り、バックに粒高を貼っている。そのうえで、ラケットをクルクルと回しながらプレーし、ラリー中に、いきなりフォアが粒高ラバーに変わっていたりする。「見ている者を飽きさせない選手」として有名だ。
解説者の「ラバー解説」に注目を。
周昕彤にしても、オーケストロムにしても、異質ラバーを貼った戦型の選手は不思議な変化球を使い、見ている側からドッと歓声が沸くようなプレーを連発する。
現在のトップ選手は、裏・裏のシェークハンドを用いて、チキータなどの台上技術で攻めてくる。世界規模でのバックハンド技術の向上は目覚ましいものがある。そのため、攻め抜くことができないこの「前陣粒高」という戦型は、大きな大会で勝ち上がることが難しくなっている。
しかし、だからこそ、ジュニアで日本一にまで上り詰めた両面が異質ラバーの出澤選手の存在は異彩を放つ。そしてこの戦型は、負けた時の姿にも、何か個性を貫いた美学のようなものを感じる。
卓球中継を観戦の際には、解説者の「この選手のラバーは……」という用具説明に、ぜひ耳を傾けてほしい。その時に、「表ラバーで……」「粒高ラバーで……」という言葉が出た際には、異質な変化球を使う選手だという視点で見てもらいたい。野球を観戦している時に感じる、「この選手はスローカーブを投げるはずだぞ」という、あのワクワク感が芽生えるはず。
そしてその数分後に見られるスーパープレイや大番狂わせが、また一つ、違った意味のある光景として見えてくるだろう。
<了>
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