なぜ大東文化大テコンドー部は「埋もれた才能」を覚醒させるのか? 21年ぶりの快挙の秘密
オリンピック種目であるにもかかわらず、アスリートファーストではない過去を持ち、依然としてネガティブな話題の印象が強いテコンドー。現在、必死に生まれ変わろうとする状況のなかで、来年の東京五輪に挑む4選手はすでに内定している。そのうちの3人、鈴木セルヒオ、鈴木リカルド、山田美諭を育て上げたのが大東文化大学テコンドー部だ。自身が日本のテコンドーの歴史とともに歩んできたレジェンドでもある金井洋監督に話を聞いた。
(文・写真=布施鋼治)
連日テレビのワイドショーを賑わした競技
テコンドーは悲運の格闘技だ。
世界を見渡してみれば、発祥の国である韓国のみならず、中国、アメリカ、メキシコ、イギリス、イラン、スペイン、トルコなどの国々では根強い人気を誇る。
筆者はムエタイを国技とするタイの首都バンコクの繁華街でテコンドー道場を目撃した。イランの首都テヘランでは空手道場とともにテコンドー道場も多い。
イランのテコンドー女子57kg級のキミア・アリザデは同国スポーツ史上初めて女子で五輪メダリスト(銅)になっている。
東京五輪で日本代表となった鈴木セルヒオは母の母国ボリビアで現在研修医を務める兄ブルーノが空手をやるために足を運んだジムでテコンドーと出会ったことで人生が決まった。当時セルヒオはブルース・リーなどのアクション映画に感化されていたが、映画の中のアクションとテコンドーのそれが重なり合ったのだ。
テコンドーの特色の一つに目にも止まらぬほどスピーディーな蹴りの連打がある。
どうして、そんなに素早く足を動かせるのか。初めてテコンドーの大会を目の当たりにした時、筆者は驚きを覚えた。テコンドーが「足のボクシング」と呼ばれる所以である。そのスピードを生かした、テコンドー独特の蹴りに若き日のセルヒオは魅せられたのだろうか。
では日本はどうか。最近はネガティブな話題が多い。昨年は金原昇・前会長と選手と一部の理事が対立するという内紛劇が連日テレビのワイドショーを賑わした。その結果、理事は総退陣。新体制で東京五輪に突入することになった。
まだ65年の歴史しかない新しい格闘技
冒頭でなぜ悲運の格闘技と記したかといえば、高いポテンシャルを秘めたオリンピック種目であるにもかかわらず、少なくとも日本においては離合集散を繰り返し、選手をないがしろにしがちな忌まわしき過去があるからにほかならない。
そもそも、テコンドーは1955年に創始者・崔泓熙(チェ・ホンヒ)氏が、テッキョンなど朝鮮半島の古武術に陸続きで伝承された中国武術、さらに崔氏が日本で学んだ松涛館空手をベースとして独自の技術体系を確立させたものといわれている。つまり、まだ65年の歴史しかない新しい格闘技だ。
国際競技連盟はWT(ワールドテコンドー)とITF(国際テコンドー連盟)の2つがある。空手が伝統派空手とフルコンタクト(直接打撃制)空手に大別されていると同様、テコンドーにも2つの大きな流れがあるのだ。組織によってルールや形は違う。
すでにオリンピック競技になっているテコンドーは前者のWTが1973年にWTF(世界テコンドー連盟)として設立。2017年にWTと改称された。オリンピックでは1988年のソウル五輪で公開競技としてスタート。4年後のバルセロナ五輪でも同じ形で実施され、2000年のシドニー五輪から正式採用されている。
過去オリンピックでの日本のメダル獲得はシドニー五輪の女子67㎏級での岡本依子(銅)のみ。リオデジャネイロ五輪では、女子57㎏級の濱田真由しか出場していない。
寂しかったリオデジャネイロの時とは対照的に、東京五輪には男女合わせて4名の日本代表が出場する。2月9日、岐阜県羽島市においてテコンドーの『東京2020オリンピック日本代表選手・最終選考会』で、男子58kg級の鈴木セルヒオ(東京書籍) 、男子68kg級の鈴木リカルド(大東文化大)、女子49kg級の山田美諭(城北信用金庫)、そしてオリンピックには3大会連続出場となる女子57kg級の濱田真由(ミキハウス)が選出されたのだ。
その後、新型コロナウイルスの影響で東京五輪開催は2021年に延期されたが、全日本テコンドー協会は今回決まった4人をそのまま出場させる方針を打ち出す。オリンピックに日本のテコンドー男子代表が出場するのはシドニー五輪の男子 58kg級の樋口清輝以来21年ぶりの快挙だ。
大東文化大テコンドー部の流れをくむ選手
セルヒオとリカルドの鈴木兄弟と山田には、一つの共通点がある。リカルドは大東文化大学に在籍中。セルヒオと山田は同大の出身で、いまも母校で汗を流す。つまり皆、大東文化大テコンドー部の流れをくむ選手なのだ。
山田はリオデジャネイロ五輪出場が期待されていたが、最終選考会での試合中に右膝じん帯を損傷する大ケガを負い、涙を呑んだ。苦しいリハビリを経て今回ようやく出場切符を掴んだだけに、喜びはひとしおだろう。
振り返ってみれば、2012年のロンドン五輪に出場した女子49kg級の笠原江梨香も大東文化大の出身。2016年のリオの大陸予選代表選考を勝ち上がったのも、大東文化大の男子58㎏級の鈴木セルヒオと男子68㎏級の山田亮だった。なかでも鈴木はリオの舞台で金メダルを獲得する中国にサドンデスにもつれ込む接戦で敗れオリンピック出場を逃している。今回の最終選考会でも同大出身選手の活躍が目立っていた。いったいこの大学の練習には、どんな秘密が隠されているのだろうか。
指導の要である同大テコンドー部の金井洋監督を訪ねた。金井は現役時代、高校2年生でシニアの全日本選手権で優勝したことをきっかけに、のべ10回も同選手権を制している日本テコンドー界のレジェンド。格闘技との出会いは小学2年生まで遡る。
「父親が柔道をやっていたので、最初は自分も柔道をやりたいと思ったんですよ」
柔の道を志そうとした息子に父は諭した。「お前は体の線が細いから、空手のほうがいいんじゃないか」
その一言で自宅近くにあった空手道場に入門する。大きな流派には属していない、フルコンタクト空手系の道場だった。空手の稽古を重ねるうちに、「試合に出てみないか」と声をかけられた。小学5年生の時の話だ。何も疑うことなく出場した大会は全日本少年テコンドー選手権大会だった。金井の回想。
「だからテコンドーを始めたという認識はない。ただ、周囲の期待に応えないといけないと思っていました。期待に追いつくために頑張るしかなかったですね」
「もっと強くなりたい」という強い気持ちが環境を一新
時は1983年、テレビでは『おしん』が人気を呼び、千葉県浦安に東京ディズニーランドがオープンした年だった。テコンドーという名称を聞いた誰もが「何、それ?」と答えてもおかしくない時代だ。金井は「当時のテコンドーは中体連にも高体連にも属していなかった」と振り返る。
「そうした中、1986年にソウルで行われたアジア大会に私の道場の先輩・斎藤博勝が代表になったんですよ。その頃から『ソウル五輪から五輪種目になるらしい』ということで、テコンドーがメディアに出始めました」
結局、ソウル五輪にも出場したその先輩に憧れた金井はあとを追うように大東文化大学第一高校に進学した。
「高校2年の時に出場したワールドカップで勝ったんですよ。その時、『自分でも通用する』という自信が芽生えました」
ターゲットは、1992年のバルセロナ五輪だった。同高を卒業後は大東文化大に進学する。金井が同大に進学した時点でテコンドー部はなく、サークルという形で50人ほどの規模で活動していたという。
「でも、自分とは求めるものが違っていたんでしょうね。(やる気のない者に対して)『そんな姿勢だったら辞めろ』くらいのことは言ったかもしれない」
結局、やさしく楽しくテコンドーをやろうとする者は皆辞めた。競技としてのテコンドーを志す者しか残らなかった。幸いそんな金井を慕って大東文化大に進学してくれる後輩もいた。「もっと強くなりたい」という金井の強い気持ちは同大の環境を一新させた。
「僕が4年生の時に体育連合会(体育会)に申請して、ちょうど僕が卒業した時に部に昇格しましたね」
もう悲運の格闘技とは呼ばせない
選手としては、七転び八起き。1998年のアジア大会ではライト級(70㎏級)で銅メダルを獲得。2年後のシドニー五輪に大きな手応えを感じていた。しかし、世界予選に出場した金井に待ち受けていたのは初戦敗退という結果だった。金井は目の前に立ちはだかる海外の壁を感じた。
「壁といっても技術的な壁ではなく、勝つために、あるいはメダルを取るために必要なもの──執着心などが徹底的に欠けていたんでしょうね。そういったものがない選手は勝つわけがない」
現役引退後の2003年から大東文化大テコンドー部監督に就任した。金井は「軌道に乗ったのは2010年代になってから。気がついたら、有望な選手が集まってくるようになっていた」と思い返す。
「大半がスポーツ推薦による入学者になった。それまでは半々でしたからね。高校までにテコンドーをやったことがある選手たちはスタートレベルが高い。そうなると、やっぱりレベルが上がってくるようになりましたね」
とはいえ、熱心にスカウト活動をすることはなかった。金井は「高飛車に聞えるかもしれないけど」と前置きしたうえで、「大東文化大でやりたいという子しかとらない」という方針を打ち明けた。「だから相談があった時には、説明をするためにどこにでも飛んでいきました。メキシコにも行きましたよ」
大東文化大に来る選手は当初無名というタイプが多い。山田美諭の実兄で男子58kg級で全日本選手権4連覇の山田勇磨、昨年の全日本選手権の男子68㎏級優勝の本間政丞、そして鈴木セルヒオもそうだったという。金井は「みんな、それからとんでもなく強くなりましたけどね」と目を細めた。「僕はそういう選手のほうが好き。埋もれた才能を持っている選手が上がっていく。そういうプロセスがいいなと思いますね」
東京五輪で日本代表が活躍すれば、テコンドーにこびりついたネガティブなイメージを払拭することができる。もう悲運の格闘技とは呼ばせない。
<了>
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PROFILE
金井洋(かない・ひろし)
1973年5月24日生まれ、東京都出身。大東文化大学スポーツ指導職員/体育連合会テコンドー部監督。小学3年時からテコンドーを始め、16歳で日本代表入り。全日本テコンドー選手権大会10回優勝(1990~1993、1995、1997~2001年)。1998年のアジア競技大会・銅メダル他、数々の国際大会で入賞を果たした。
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