なぜドイツで「侮辱バナー」「試合放棄」事件が起きた? ファンとの亀裂招いた“2つの要因”

Opinion
2020.05.09

5月16日から無観客でのリーグ再開を決定したドイツ・ブンデスリーガ。しかし、新型コロナウイルス感染拡大による中断前の2月29日、ホッフェンハイムvsバイエルン戦で起きた大事件はいまだ未解決のままである。この試合で起きたバイエルンサポーターによる侮辱的バナーの掲出は、試合の一時中断、そして最終的に選手たちの試合放棄という異様な光景を招いた。この事件が起こった背景には、根深い“2つの要因”が存在している。6-0という快勝のゲームが没収されるリスクを背負ってまでバイエルンサポーターがバナーを掲出するに至った理由とは?

(文=清水英斗、写真=Getty Images)

ディートマー・ホップに対する侮辱的、暴力的なバナー

新型コロナウィルスの影響でサッカーから隔離されて2カ月。もう遠い昔のことのようだ。パンデミック前夜、ドイツサッカーを揺るがす大事件が起きたことを覚えているだろうか?

2月29日、ホッフェンハイムのホームで、バイエルン戦が行われた。試合は6-0でアウェーチームが完勝したが、人々の記憶に残っているのはスコアではない。後半、勝利が明らかになったバイエルンのゴール裏サポーターは、あるバナーを掲出した。ソフトウェア会社「SAP」の創業者であり、ホッフェンハイムの主たる出資者ディートマー・ホップを侮辱する危険性が高いバナーだ。

このような深刻な差別的事件に対し、FIFAが策定した『3ステップ・プラン』では、レフェリーに厳正な対処を行う権限を与えている。第1ステップで試合を停止、第2ステップで試合を中断して選手を一時ロッカールームへ待避、最後に第3ステップでは試合の放棄となる。

ホッフェンハイムvsバイエルンでは第2ステップまで実行されたが、再開後の終盤13分に選手自らプレーを放棄し、敵味方関係なくパス回しを行った。前代未聞の光景の後、試合は異様な雰囲気のまま終了した。

仮に第3ステップまで決断されれば、6-0の試合は没収されるか、ホッフェンハイムの勝利にひっくり返る可能性が高かった。ある意味ではバイエルンの選手や監督たちは、聡明な行動で危機を回避したともいえる。

それにしても、なぜバナーは掲出されたのか。バイエルンのサポーターにとっては勝ち点を失いかねない行為にもかかわらず、警告を無視しながら2度も続けた。その理由については、以下に示す2つの要因を知る必要があるだろう。

『50+1ルール』というドイツの価値観

1つはドイツサッカーが長年抱える歪みであり、1998年に制定されたドイツ特有の『50+1ルール』に端を発する。これはクラブが過半数以上の議決権を持つことが義務づけられたルールであり、単体のオーナーや企業等がクラブを牛耳ることがないように規制されている。スポーツクラブは公共物。みんなのものであり、誰かの所有物ではない。そのため、誰かの個人的な事情で経営が振り回される事態はあってはならない。

この50+1ルールは、クラブの歴史、公共性を重視するドイツサッカーの価値観そのものであり、現地アンケートによれば9割近くのサポーターに支持されている。過去にはビジネス急進派のハノーファー会長マルティン・キントが、「投資の魅力低下が国際的な競争力の低下につながる」と、50+1ルールの廃止を求めたが、圧倒的な反対多数で却下されている。

これがドイツの価値観。プレミアリーグやJリーグなど、単独オーナー(企業)による経営が認められている多くの国とは根本的に異なり、まずはこのドイツ独特の文化を理解する必要がある。海外のファンからすれば、富裕層のオーナーによってスター選手が集まるのは魅力でしかないが、現地ファンにとっては、そう簡単な話ではない。

この50+1ルールの価値観においては、ホッフェンハイムやライプツィヒなど、単独出資で強化されたクラブは好ましくない存在である。彼らは関係者や関係会社が株を分け合う手法により、“単独出資”を名目として避けた。つまり、ルールの抜け穴をくぐって経営権を握ってきたわけだ。

50+1ルールの抜け穴を通ったクラブ

その後、2015年にホッフェンハイムは、『レバークーゼン法』によって、その経営が晴れて公に認められることになった。レバークーゼン法とは、20年以上に渡ってクラブを支援した企業が、50+1ルールの適用外となる例外条項のこと。制度が定められた1998年時点で、すでに地域クラブを支援していたバイエル社のレバークーゼンを適用外とした条項であり、当時のヴォルフスブルク(フォルクスワーゲン社)もその対象となった。

そして、この条項における「1998年以前に」という条件が、カルテル法(独占禁止法)違反に相当するとして、前述のハノーファー会長キントが訴え、こちらは勝利。「1998年以前」という条件が消えたことで、ホッフェンハイムはレバークーゼン、ヴォルフスブルクに続き、第3の企業クラブとなった。つまり、灰色で20年やり過ごせば白を勝ち取れるわけで、ライプツィヒ(レッドブル社)も同様の道を歩んでいる。

ドイツでもファンやメディアの反応はさまざまだ。法の条文を通り抜けても、法の精神に背いた手法であれば、好ましくないと考える人は当然いる。それは特にドルトムントやケルンのファンに多く、またドルトムントやマインツのクラブ首脳も、単独資本で強化されたクラブを「プラスチックの人工的なフットボールクラブ」と表現するなど、批判的な立場を共有している。

一方、ホップにとって、ホッフェンハイムは少年時代にプレーした地元のクラブだった。自身も医療や貧困対策の分野で多額の出資をするなど、大きな社会貢献を果たした模範的人物でもある。ただ、そういった人物評価と、50+1ルールの抜け穴を通ったことを承認するか否かは、別の議論と言えるだろう。

ホッフェンハイムやライプツィヒは「好ましくないが……」

ただし、50+1ルールのすべてを肯定できるか、それが作り出す現状のすべてが優れているかといえば、そんなことはない。

事実、レバークーゼン法の例外条項に限らず、50+1ルール自体、カルテル法に抵触するという指摘がある。カルテル法の原則は、競争の阻害、制限、歪曲をもたらす協定や決議、行為を禁止することだ。この法に50+1ルールは違反している、と。もっとも、1998年に放映権のリーグ一括管理がカルテル法違反との判決が出た際、DFB(ドイツサッカー連盟)は連邦参議院とともにスポーツを例外とする条項を作成し、放映権の一括管理を守ったことがある。その経緯を考えれば、50+1ルールでも同様の例外処理は可能かもしれない。

しかし、そうした法の問題だけではない。実際に50+1ルールによって保護された古豪クラブが、昨今のブンデスリーガでどんな姿を見せているのか。いくつかのクラブでは伝統にあぐらをかいた人間がいつまでも中枢に居続け、成長や進化の道筋を見せないまま、長年の低迷を続ける体たらく。経営面でもクラブを危機に陥れる。50+1ルールが結果として、競争を阻害、制限してきたことのデメリットは、間違いなくある。

おそらく、この問題に対する真の答えは、現50+1ルールの全面肯定でも、ビジネス急進派が求める全面撤廃でも、どちらでもない。しかし、その中間に位置する現実的な答えは、往々にして矛盾をはらむ。好ましくないと感じつつも、ホッフェンハイムやライプツィヒの存在は重要だ。サッカーに限らず、社会はそんなものである。異なる正義と正義が、常に力のバランスを保ち、共存している。

だからこそ、大半の人間はその矛盾を受け入れる。50+1ルールを支持し、ホッフェンハイムやライプツィヒを「好ましくない」と思いながらも、過度な誹謗中傷はしない。清濁(せいだく)併せ呑み、危険極まりないバナーを掲出することもない。それが大半のファンの態度だ。

50+1ルールの歪みから派生した“2つ目の要因”

しかし実際、侮辱バナーは出てしまった。好ましくないという抑制的な態度にとどまらず、それが「敵意」「憎悪」にまでエスカレートした人間が、行動を起こすわけだ。その背景には、50+1ルールの歪みから派生した“2つ目の要因”が存在する。

元々、ホッフェンハイムが初めてブンデスリーガ1部に上がった2008-09シーズン、ホップの顔にライフルの照準を当てたバナーを掲出したのは、ドルトムントの一部サポーターが始まりだった。

彼らとホップの闘争は長年に渡る。ホップはホッフェンハイムのホーム戦で、サウンドマシーンを使い、ドルトムント側のチャントをかき消す行動に出た。この件が明るみに出るとホップは謝罪したが、同時にドルトムントのファンに苦言も呈したことで、怒りは互いにヒートアップ。2018年にホップはアウェーファンの前にマイクを設置して侮辱内容を記録し、それを元にケルンとドルトムントのサポーターを法廷に連れ出す。その後、何人かには罰金刑が科されることになった。

終わりなき闘争である。もっとも、それだけなら当事者同士の争いに過ぎず、今回のようにバイエルンを含む各クラブのサポーターが一斉蜂起する大騒動にはならない。最終的に火がつくきっかけは、“集団的懲罰”だった。

2017年に当時DFBの会長を務めたラインハルト・グリンデルが「集団的懲罰はとらない」とファンに公言したが、それにもかかわらず、2018年12月にDFBスポーツ裁判所はドルトムントの全ファンに対し、ホッフェンハイムで行われる試合の入場禁止処分を科した。それは2020年2月に正式決定され、実際にドルトムントのファンはホッフェンハイムのスタジアムから締め出されることになった。この集団的懲罰こそ、今回バイエルンのサポーターがホップの侮辱バナーを掲出するに至った直接的な理由である。

ドルトムントの中で侮辱バナーを出したのは一部のサポーターなのに、なぜファン全員がスタジアムから締め出されなければならないのか。

クラブはみんなのもの。50+1ルールが強く支持されているように、彼らドイツのサポーターは一人ひとりがクラブと関わり、意見できる会員であることを誇りに思っている。それなのに、ものをいう場所を奪われてしまう。それが一部の罪であっても、まるで見せしめのように全員に。

“集団的懲罰”への恐怖感、嫌悪感

連帯責任。日本では一般的に受け入れられる罰の一種だが、ドイツでは事情が違う。決して一般的ではない。

個人的なエピソードだが、連帯責任について思い出すことがある。それは15年ほど前、ドイツ国内を電車で移動中のことだった。遠く離れた街で事故が発生し、乗っていた電車が止まってしまった。そして突然、「この電車は次の駅が終点になります」とアナウンスされ、乗客はざわざわ。ドイツでは日常茶飯事である。その後、次の駅で降りると、1人の旅行客が駅員に詰め寄っているのが見えた。「どうしてくれるんだ!」と。

正直なところ、詰め寄った言葉はハッキリと聞き取れなかったが、おそらくそんなニュアンスだった。一方、それに対する駅員の答えは、鮮明に覚えている。

「知りませんよ。私が事故を起こしたわけではないので」

日本人の私にとっては衝撃的だった。もし、これが日本なら、開口一番、「すみません!」と謝るだろう。自分が事故を起こしたわけではないが、同じ組織の一員として、謝罪するはず。ところが、そのドイツの駅員は「ソーリー」の一言さえ発しなかった。

彼らは個人責任の考え方が強く、日本人のように連帯責任を負うことは、決して当たり前ではない。彼らにとっては“集団的懲罰”そのものが、異常かつ強すぎる罰であり、それはナチス時代にユダヤ人が集団的に迫害されたこと、逆にその罪を、戦後はドイツ人全員が集団的に背負わされることへの危機感など、歴史的な背景もある。“集団的懲罰”への恐怖感、嫌悪感は、彼らの中に強く存在するものだ。

だからこそ、無関係のファンにまで罪を背負わせるのは、正当なやり方ではない。集団的懲罰については、ケルンで主将を務めるヨナス・ヘクターも否定的な見解を語り、各クラブの関係者も同様の意見を述べている。

つまり、決定的だったのだ。DFBやDFL(ドイツサッカーリーグ機構)がドルトムントのサポーター全体に“集団的懲罰”を与えたのは。もはやドルトムントだけの問題にとどまらず、各クラブのサポーターも呼応した。この時期にホッフェンハイムとのアウェー戦を迎えたバイエルンのゴール裏だけでなく、元々ファンの気性が荒いケルン、本来ならばライバルにあたるボルシアMG、開幕戦でライプツィヒに対して15分間の無言抗議を行ったウニオン・ベルリン、さらに下部リーグのクラブも含め、一斉にアクションを起こした。“集団的懲罰”という手法に対し、勝ち点を失うリスクを負ってでも、戦うことにした。その意志を明らかにするため、わざわざドルトムントのサポーターが使うライフルの照準を合わせる絵を流用し、掲げたケースもあった。

問題の根が深い、正義Aと正義Bの闘争

以上がバナー掲出に至った経緯である。この一件、ベースには50+1ルールにまつわる文化の摩擦がある。そこから火がついたのは、過激派のサポーターと、自らの正当性を信じて揺るがないホッフェンハイムの投資家による、正義Aと正義Bの闘争である。そして、その闘争をDFBの集団的懲罰があおってしまった。これが“パス回し事件”に至る全体の背景だ。

正義=人の道にかなって正しいこと。あの侮辱バナーが人の道にかなうとは到底思えないが、当該サポーターは「あれ以外に方法がなかった」と語っている。

認められる行動ではない。とはいえ、集団的懲罰によって彼らを追い詰めたのはDFBとDFLの責任でもある。付け加えるなら、ホップの侮辱バナーには機敏に反応した3ステップ・プランが、バイエルンに移籍したマヌエル・ノイアーへのシャルケサポーターの侮辱、あるいはシミュレーションでPKを獲得したライプツィヒのティモ・ヴェルナーへの侮辱、さらにヘルタ・ベルリンのジョーダン・トルナリガへの許しがたい人種的差別チャントに対して行使されず、スルーされたことも、ファンのDFB不信につながった。

50+1ルールの抜け穴通過を許し、レバークーゼン法の例外条項は修正され、集団的懲罰まで用いて対応し、3ステップ・プランも素早く適用された。特別な計らいがある。資産家のホップにだけは。

こうした印象の積み重ねが、DFBやDFLへのファンの不信を育てた。そして本来ならば正義Aと正義Bの争いを収めるべき立場が機能せず、逆に闘争をあおる結果になってしまった。問題の根は深く、広い。

さて、この問題はどんな結末に向かうのか。ゴール裏から彼らを強制排除し、分断によって終わるのか。しかし、今回のクラブ間のサポーターの結束行動を見る限り、そうした手段が大きな禍根を残すのは間違いない。

あるいは絡まった糸を解き、新たな対話で共存の道を見出すことができるか。

今、新型コロナウィルスの影響で中断しているブンデスリーガは、5月中のリーグ再開を目指している。この2カ月強の空白が意味するものは何か。あの3月の温度のままでは、何が起きてもおかしくなかった。ある意味では、絶妙な冷却期間を生んだともいえる。再開後、夜明けのキックオフに注目したい。

<了>

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