森保ジャパンに欠けているピースとは? 広島時代の栄光と失速に見る、日本代表の前途
今年1月に行われたAFC U-23選手権でのグループリーグ敗退後、新型コロナウイルスの影響で長期間試合が行えず、A代表とオリンピック代表の「兼任問題」も浮上するなど、決して順風満帆とはいえない状況に置かれている森保一日本代表監督。彼がサンフレッチェ広島の監督に就任した2012年からそのチームづくりを追い続けてきた中野和也氏の目に現在の日本代表監督はどう映っているのだろう? 2012年から4年で3度のJ1優勝の栄冠を手にし、2016年以降に失速。常に「『個人』にアプローチしている」というその戦い方と結果を丁寧に振り返ることで、森保監督の手腕を改めて評価し、日本代表の今後を占う。
(文=中野和也、写真=Getty Images)
仲間のために爆発させた「怒り」
一度だけ、森保一に抱きしめられたことがある。
2012年、サンフレッチェ広島はJリーグで初優勝し、FIFAクラブワールドカップに出場することができた。あれはその2戦目、アルアハリ戦の前々日だったと思う。冒頭15分公開のトレーニングが終わり、森保のインタビューが終わって、他の記者たちがいなくなった瞬間、指揮官が「もう我慢できない」という調子で僕だけを呼んだ。明らかに憤(いきどお)っていた。
何か僕が書いた記事で、気に入らないところがあったか。事実が間違えていたか。いろんな考えが頭をよぎる。思い当たる節はないが、とにかく話を聞いてみよう。
怒気を含んだ声で、監督は言葉を発し始めた。
「Jリーグアウォーズでどうしてカズ(森﨑和幸)がベストイレブンに選出されないんですか。彼はMVPでも不思議ではないのに、絶対におかしい」
思わず「そこかいっ」と言いそうになったのは秘密である。そもそもJリーグアウォーズに記者の投票権はない。監督と選手たちの投票で決まるというのが建前である。その結果に対して、記者は責任を持ちえない。ただ、監督の怒りはよくわかる。12月3日、現場の横浜アリーナでリストを見た時、「考えられない」と思わず吐き捨てた。
MVPの佐藤寿人は当然。22得点という得点数、得点王を獲得したという実績だけでなく、キャプテンとしてチームをよく牽引したという意味も含めて。広島からベストイレブンに選出されたのは5人。西川周作・水本裕貴・青山敏弘・髙萩洋次郎・寿人。MF部門で最後に呼ばれたのは髙萩で、彼は名前を呼ばれた瞬間、喜びよりも戸惑いが先に立っていた。「カズさんが呼ばれると思っていた」と後にコメントしている。
もちろん、髙萩の選出も当然である。34試合フル出場で4得点12アシスト。中村憲剛の13アシストに次ぐ記録を残して優勝に大きく貢献した彼がベストイレブンに選出されなかったら、誰を選べばいいのか。
森保も僕も、誰が選出するに値しないかを論じているわけではない。ただ、誰が選ばれるべきかを優先して考えた時、真っ先に名前が挙がるはずの選手の名前がない、ということだ。ゴール数もアシストの数も突出しているわけではない。しかし、広島の優勝を振り返った時、寿人と同じくらいの情熱で広島担当記者はカズの名前を挙げた。
不世出といっていいほどのストーリーテラー(ゲームメーカーという呼び名では彼の役割は表現できない)であるカズは同時に理解されにくい選手としても屈指である。圧倒的な基礎技術の高さは誰でも理解できるが、広島で彼と一緒にやったことのある選手たちとそれ以外とでは、「カズはうまい」の意味合いが違っている。リズムを構築し、ゲーム全体のグランドデザインを構築してチームを動かす彼の能力は、あまりに自然すぎるのか、あまりに深すぎるのか、なかなか理解を得られないのは事実だ。
だが、それにしても、である。パス成功率は90%を超え、ミスなど数えるほどでしかなく、青山をして「カズさんとコンビを組んでうまくやれない選手はいない」と言うほど、周りの能力を徹底して生かしているカズが、どうして選出されないのか。そもそもJリーグアウォーズが選手・監督の投票で決まるのは、プロフェッショナルの視点で理解されづらいけれど活躍している選手たちを評価するためではないのか。
筆者は広島担当の記者たちと進めていた企画を、森保に告げた。
「彼の不選出はあまりに酷い。なので、僕たちは勝手ではありますが、広島メディア総意として『MIP』に彼を選出し、クラブワールドカップが終わったら彼を表彰させてください」
その瞬間、森保一は僕を抱きしめた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
何度も何度も、そう繰り返した。
ペトロヴィッチという指揮官が持つ不運
森保とは、こういう男なのである。最優秀監督賞に選ばれた自身のことよりも、選手のことを思い、慮(おもんぱか)る。そういう人間性だからこそ、選手は彼についていく。2014年の時のように、齟齬(そご)は多少なりにあったとしても、それはチームマネジメントとすればよくある出来事の一つだ。
ただ、人間性だけで部下をけん引できると思ったら、大間違い。企業の管理職でも同じことがいえるが、プロフェッショナルは結果を出さないと意味がない。どんなに優しくて、どんなに周りに気を配れても、結果として勝利につながらなければ部下は振り向きもしない。働く者たちは、結果の世界で生きている。もちろんプロセスは非常に重要ではあるが、そのプロセスも結果を伴わないと評価されないのが、プロフェッショナルの世界だ。
2007年、ミハイロ・ペトロヴィッチのもとで降格が決まった後も選手たちは彼についていったが、それは2006年、彼が途中就任して青山や柏木陽介といった若者を育成しながらJ1残留という結果を(しかも攻撃的な姿勢を貫いて)残したからこそ。もしあの時に残留を果たせなかったり、守備的なスタイルに方向転換してしまうような監督だったら、おそらく選手はついていかなかったしクラブも評価しなかった。
では、森保はどうして結果を残すことができたのか。
2012年、広島の戦力はチーム得点王の李忠成とチャンスメーカーのダビド・ムジリが抜け、服部公太や山崎雅人、髙柳一誠や盛田剛平といった実績組もチームを去った。何よりもペトロヴィッチとの契約を更新せず、監督経験のない森保を指揮官に迎えたことで、一部のジャーナリストからは「チームを弱体化する人事」と激しく批判された。ペトロヴィッチ監督との契約を更新しなかった最大の理由は、クラブが99%減資という財政上の大ナタを振るったことが大きな要因だったのだが、そういう事情はなかなか伝わらない。
ここで森保は、いくつかの戦略的な成功を果たし、いくつかの幸運にも恵まれる。
幸運とはなんといっても、カズと青山のコンディションだ。2008年、J2で開幕戦から最終節まで首位を守り通す完全優勝を果たした最大の要因は、カズと青山、2人のボランチコンビが最高の力を発揮したことにある。ところが2009年・2010年とカズは慢性疲労症候群と診断された病に苦しみ、ほとんどプレーできていなかった。青山も左膝半月板の負傷を繰り返し、フル回転の出場がかなわない。2011年には2人でプレーする機会は増えたが、カズはまだ病気の余韻があって本来のプレーが安定してできたとは言い難く、青山にしても同様だった。彼らがフルコンディションでプレーできていたら、2009年か2010年、どちらかの年にもしかしたら覇権を握れたかもしれない。そこは、ペトロヴィッチという指揮官が持つ不運である。
森保が就任した2012年は、2人ともコンディションをようやく持ち直してきた途上にあった。ここで森保は一つの戦略を駆使する。それは2人を、特にカズをボランチで固定し、徹底して使うことだった。
ペトロヴィッチは意外とカズを彼の最適なポジションであるボランチではなく、右ストッパーやリベロで起用することが目立っていた。2008年からリベロを務めていたイリアン・ストヤノフのプレーに対する指揮官の評価が2010年後半から下降し、2011年には彼が移籍したことで最終ラインの真ん中でプレーできる選手がいなくなってしまった。守備を統率し、対人の強さもあり、最後尾でゲームをつくれる人材など、そうはいない。当時のチームでそれが可能な選手はカズだけだった。
ペトロヴィッチの起用法には、彼がその能力を高く評価する人材を選び、後からポジションをはめていくという癖がある。一方、選手の特性としてスペシャリストとゼネラリストがいるわけで、一つのポジションに強烈なスペシャリティを発揮する、例えば寿人や水本、ミキッチのような選手は動かせない。必然的に、複数のポジションでも力が発揮できるカズは、最も力が発揮できる位置ではなく、違う位置を与えられることが多くなる。鮎を食べるのに最適なのは塩焼きではあるけれど、天ぷらにしてもおいしい。それと同じように、ボランチが彼の最適解であることはわかっているけれど、他の位置でもいいプレーができるから使う。特に2011年は、そういう状況が続いた。
選手側の意見も常に耳に入れようとするタイプ
2012シーズン、森保はまず、カズという稀代のボランチを固定させる戦略を打ち立てた。それは一方で青山の力を引き出すためでもある。当時のチームメートだった中島浩司が「まるでアニマル」と表現したボール奪取能力の高さを誇るカズは一方で、周りの選手たちのストロングを引き出すサポート能力も天才的。青山の力はなんといっても局面をガラリと変える一発のパスが象徴的であるが、一方で「エンジン」と称されるほどの運動量も大きな武器になる。だが、その武器を生かすためにはゲーム全体を把握し、バランスをとる仕事に長けた選手が必要だ。つまり、自分が何かをするというよりも、周りに何かをさせることができる選手が側にいれば、青山は自分のプレーに専念できる。
森保のチームづくりは、まずカズというマエストロを中軸に据えることからスタートした。その証拠に、指揮官はトレーニング後、カズを呼んで長時間にわたって話し合いを毎週、いや時には毎日のように繰り返していた。彼自身に対するコンディションチェックもあったが、それよりもはるかに多くの時間帯をチームの状況チェックに使った。時には次節の対戦相手に対する戦術的な打ち合せも綿密に行っていた。
もちろん、最終的には監督が決めること。しかし森保は選手側の意見も常に耳に入れようとするタイプで、カズの他にも青山や森﨑浩司、髙萩や寿人らの主力とマメに言葉を交わし、現場の選手たちが感じている情報を頭に叩き込む。コミュニケーション力を存分に生かした情報のアップデートが、森保のマネジメント法。そのインプット元として最も重要視したのが、ペトロヴィッチが「ドクトル」と尊敬の意を込めて称した男・森﨑和幸だったのだ。
彼が最もストレスなく力を発揮できるのはボランチだ。ほとんどボールロストせず、判断のブレもないカズを中盤の底に置くことで、ビルドアップは間違いなく安定する。ただ、そのためにはリベロにストヤノフのようなカズをサポートするだけでなく、守備においても安定を生み出すことができる選手の存在がどうしても必要だった。指揮官はアルビレックス新潟時代から高く評価していた千葉和彦の獲得を熱望した。4バックのセンターバックも新潟で経験したことのある千葉は守備の対人でも決して弱くはないし、ボランチも経験していただけにカバーリングもうまい。ただ、なんといってもその武器はポゼッション能力の高さと縦パスのうまさ。攻撃の能力が高く、パサーとして十分に働けるクオリティを持っていることだ。
2015年にはパス成功率90%超えを果たした千葉の存在がカズを楽にさせ、ビルドアップはさらにミスが減る。ボールを持つことは守備の安定にもつながるのは必然。しかし、2011年の広島は49失点、1試合平均1.44失点と決して「堅守」ではなかった。それはペトロヴィッチの持つ「習性」のようなもので、ボールを保持すること=攻撃に人数をかけることにつながり、リスク管理がどうしても薄くなってしまうのだ。攻撃にかけては天才といっていいアイデアを持ち、ウイングバックだけでなくストッパーも最前線に投入していく「ミシャ式」ではあるが、当然その反動として守備の枚数は足らなくなる。そのリスク管理も加味したコントローラーがミシャ式にはどうしても必要で、もしカズがずっとボランチでプレーできていたら(それが可能な体調でフルシーズンを働けていたら)、おそらくペトロヴィッチは広島でタイトルを獲得できていたはずである。
「ミシャ式」を受け継いだ森保監督のサッカーとは?
森保は、攻撃のやり方はミシャ式を踏襲しつつ、守備の修正を行うことを就任時から口にしていた。ただ実際のところでいえば攻撃の破壊力と守備の脆弱性はトレードオフの関係にあり、言葉ほど簡単にはいかない。
例えばストッパーの配置である。右に攻撃的な森脇良太、彼の移籍後は塩谷司やファン・ソッコのような、ボールを持ち上がって一気に前に出るタイプを配置し、一方で左には水本をほぼ固定する。彼はいうまでもなく守備のスペシャリティを持っているが、広島で徹底的にボールを動かすことをトレーニングし、クサビのパスやスルーパスに磨きをかけた。つまり、右は前線に絡み、左は起点となる。そういうタイプを配置することでリスク管理と攻撃性を両立させようとした。
さらに攻撃の形をよりシンプルにさせた。変化をもたらす存在として青山と髙萩がいるが、ベースはサイド攻撃。特にミキッチの単騎突破は打開のための特攻薬として有効活用させたのだが、それも結局はリスクをより軽減させる一手間でもあった。左サイドに清水航平が台頭し、2014年から柏好文が起用されたのも、要は単騎突破が可能な選手たちだったからだ。
サイドの深い位置でボールを失っても守備の立て直しは十分にできるし、カウンターも食らわない。サイドで押し込んで中央で仕留める。攻撃に人数をかけているように見えるが、実はそれほど無茶はしていない。とはいえ、行くべき時にはリアルに前に出て、強引に仕留める。そのあたりのかじ取りを担当していたのもカズだった。
ウイングバックのサイドアタックを基本としていたから、シャドーの2人には徹底して「1トップ(寿人)の近くにいること」を求めた。攻撃時にはサイドに流れるな。それはシャドーを務めるどんな選手にも要求した必須項目であった。かつて石原は「森保監督の要求は細かい」と語ったことがあるが、実際に求められる要素はシャドーには特に多かった。守備の時と攻撃の時のポジションどりの違い、ボールの受け方、コンビネーション。攻撃をつくり、フィニッシャーとなり、さらに守備の起点ともなる。森保のサッカーのキーポジションは間違いなくシャドーだった。
森保のサッカーを粗っぽくいえば、1トップに入った選手に得点をとらせるためにチームとして戦うことをコンセプトとしている。寿人という特別なストライカーが広島にいるわけで、彼にどうやって得点をとらせるか、そこから逆算するサッカーだった。サイドを起点とした攻撃も、寿人のクロスに対する強さを十分に生かすため。シャドーのポジションどりにしても、アイデアの発露も、寿人の特長を最大限に生かすための工夫。2010年・2011年は10得点・11得点と、彼としては停滞気味(それでも二桁得点をとっているのはさすがだとしかいいようがない)のゴール数だったのが、2012年は22得点、2013年も17得点と量産できたのも、彼個人の充実もさることながら、チームとしての狙いが明確だったことも挙げられる。
個人の能力をどれだけ発露させるかという視点
こうやって一つ一つを分解しながら考えていくと、森保の戦略は「個人」にアプローチしていることがわかる。カズと寿人、特別な才能を持つ2人を軸に、青山や髙萩、浩司やミキッチらの卓越した能力を織り交ぜる。ポジションごとに与えられる役割も、つまるところでいえば個人の能力をどれだけ発露させるかという視点から発想されたと考えれば、日本代表でなぜ3−4−2−1ではなく4−2−3−1になったのかも理解できる。
例えば2015年の広島は、Jリーグ史上でも最高部類の結果を残したチームだ。勝点74は34試合制になって以降は最多であり、平均得点2点以上と平均失点0点台を両立させた最初のチームでもある。しかし、このシーズンがスタートする前は髙萩と石原直樹、2人の主役がチームを去ったこともあり、広島に対する期待は決して高くなかった。さすがに降格候補という声はほとんどなかったが、それでも優勝争いに参加するという評価もほとんど聞こえてこなかった。2012年の初優勝メンバーから彼ら2人に加え、森脇や西川も移籍してしまったし、浩司もオーバートレーニング症候群の症状が繰り返し襲ってしまっている。戦力的にも厳しいというのが、大方の見方だった。
ところが、である。森保は大胆な施策で、チームを変えた。
第一はコンバートである。徳島ヴォルティスや京都サンガF.C.で期待されながらも爆発できなかったドウグラスをFWではなくシャドーに下げ、抜群のテクニックを持ちながらもカズ・青山につぐ3番手ボランチの地位にいた柴﨑晃誠をシャドーに上げたのだ。
柴﨑自身は「自分はシャドーに向いていない」と2014年の移籍当初は語っていたし、ドウグラスには繊細さが足りないともいわれていた。しかし、結果は文句なし。これまでJ1で1点もとれず、J2でも12得点が最高だったブラジリアンが21得点7アシストとMVP級の活躍。特にセカンドステージは16試合15得点で2度のハットトリックと手がつけられない爆発を見せた。一方の柴﨑も6得点7アシスト。前年の1得点0アシストという成績と比較しても十分な貢献で、シャドーとして大きく開花した。もともとボール扱いの巧みさやパスの精度については高く評価されていたが、この年に見せたシュートのうまさは特に際立っていて、さすがは全国高校サッカー選手権大会得点王。ドウグラスのパワーや柴﨑の攻撃性に期待をかけていた筆者としても、これほどの活躍は予想しえなかった。
佐藤寿人と浅野琢磨の方程式
第二に、方程式の成立である。森保は2005年の加入以来、絶対的なエースの座に君臨していた寿人を常に90分ではなく途中で交代させる戦略を徹底し、第6節からはその交代相手を浅野拓磨に据えた。
エースは苦しかったはずである。サッカー選手は90分のプレーで評価される。野球のように「クローザー」や「代打の切り札」は存在しない。すべて途中出場で8得点を稼いだ浅野にしても、先発でプレーしたいという欲望はまったく捨てていなかった。ましてこの年、J1・J2合計で200得点という前人未踏の記録を打ち立てた偉大なストライカーが、60〜70分でベンチに下がることを「良し」とできるはずがない。
しかし第6節のFC東京戦、1−1の状況で寿人と交代した浅野が決勝点をあげるなど結果を出し始めると、エースの気持ちも救われる。
「ベンチにいる選手たちも先発で出たいはずなのに、監督は自分をスタートから使ってくれる。だったら限られた時間でもやれることをやりきって、後に託そうと思えるようになった。いつも交代しているとか、シュートが少ないとか、どう思われてもいい。チームとしてどう結果が出せるかが大切で、その中に自分がしっかりと居られるかどうかが大切だなと思うようになったんです」
たとえチャンスが少なくても身体を張り、相手にプレッシャーを掛け続け、ゲームを落ち着かせる。守備の局面になればファーストディフェンダーになって相手を追い、そしてチャンスにはしっかりと決める。そんなエースの奮闘を受け継いだ切り札・浅野が試合を決めにいく。そんな方程式が成立したことで、試合のストーリーづけが明確になった。この2015シーズン、広島は19試合で先制し18勝1分という驚異的な勝率を誇ったが、一方で先制された12試合でも5勝1分6敗とかなりの確率で勝点を奪っている。森保のシンプル極まりない方程式の確立が、チームに形をもたらした。
こういう方程式はつまり、チームの競争意識が高まってレベルが向上していたからこそ、成立する。例えば野津田岳人は柴﨑が負傷離脱した夏場の厳しい時期、必死に走って戦ってテクニシャンの穴を埋めた。柏が負傷離脱すれば清水が2試合連続得点で勝利に大きく貢献。水本が眼窩底骨折で離脱すると佐々木翔が満を持してピッチに立ち、明治安田生命2015 Jリーグチャンピオンシップ第1戦では言葉通りの起死回生となる同点ヘッドを決めた。さらに清水にポジションを譲ってチャンピオンシップではベンチスタートとなった柏が奮い立ち、第1戦ではアディショナルタイムでの決勝弾を含む3得点すべてに絡み、第2戦では優勝を確実なものとする浅野の同点ゴールを見事にアシスト。「俺がここにいる」と力で示した。
2012年はペトロヴィッチの遺産を引き継いで優勝という果実を受けとり、2013年は徹底した堅守で栄冠を引き寄せた。しかし2015年は攻撃も守備も、森保の戦略が結実した上での強さであり、栄光だった。
2016年以降の“王者広島”失速の原因
ところが2016年、盤石の強さを誇った広島が失速し、そして2017年には降格の危機を迎えたところで森保は退任する。Jリーグ史上稀にみる劇的な展開となったチャンピオンシップを制し、強さを知らしめた広島の黄金時代がどうして潰えたか。
もともと広島は予算的にはJ1でも中位から下位グループに属し、4年で3度の優勝という栄冠そのものが「奇跡」だという評価から入らないと、森保に対しても、ベースを構築したペトロヴィッチに対しても失礼である。広島は伝統あるクラブではあるが、予算でいえば常勝クラブではなく、中位をしっかりと確保しつつ優勝を狙い、カップ戦などでタイトルを奪いにいく。ヨーロッパでいえばそういうタイプのクラブである。ただ、明確なコンセプトがクラブに存在し、育成型という方向性を維持しながらタレントを生み出し、プレーヤーズファーストを徹底して選手たちをプレーに専念させた。そういう努力が森保時代に実を結んだ。
2016年以降の失速は、単純に戦力的な問題である。2015年のチーム得点王であるドウグラスが中東に移籍。彼の穴はピーター・ウタカという強烈なタレントの補強で埋めようとしたし、実際にそうなった。だが、寿人の後継者として期待した浅野が夏にアーセナルへと移籍したのは、クラブとしては想定外。いや、夏の移籍そのものは「ありうるかも」と計算に入れてはいたが、戦力として期待していた1stステージでの負傷離脱は大きな痛手だった。さらに、AFCチャンピオンズリーグを戦う上で貴重な戦力としていた野津田もリオデジャネイロ五輪代表選出のために出場機会を求め、移籍してしまった。守備面でいえば、佐々木が第4節・大宮アルディージャ戦で前十字靱帯を断裂し、シーズン中の復帰は絶望。戦力的に非常に厳しい局面を迎えた。
それでも1stステージでは4位と健闘。それは鍛え上げた堅守と17試合13得点と大爆発したウタカの得点力が大きく貢献した。しかし、そのウタカが研究され、2ndステージ第9節以降は2得点と減速。広島の戦術的な支柱であるカズが慢性疲労症候群の兆候が出始めて不調に陥ると、チームのバランスがとれなくなる。そしてエース・寿人は出場機会が激減し、連続二桁得点はJ1で7年、J2も通算すると12年で終焉を迎えた。チームも2ndステージは10位。年間順位では6位も、クラブ史上MFでの最多得点を記録した「シャドーの申し子」である浩司の引退とシーズン後の寿人移籍が象徴するように、一つの時代が終わりつつあることを実感させた。
一つだけ残る、森保監督時代の「悔い」
その予感は2017年、17試合15得点と得点力が極端に激減したことで的中。第17節、旧師ペトロヴィッチが率いる対浦和レッズ戦、関根貴大のスーパーゴールで後半アディショナルタイムに逆転された試合を最後に、名将・森保一はクラブを去った。寿人、ドウグラス、浅野、ウタカに次ぐ得点源は、この年はついに現れなかった。
一つだけ、森保監督時代の「悔い」があるとすれば、2016年に3試合だけ試した(試合途中からという意味では4試合)3-1-4-2の形だろう。1stステージ第16節・浦和戦の61分、カズを下げて寿人を投入し、チャレンジしたこの形はチームを攻めダルマと化して圧巻の攻撃性を見せつけた。あっという間に3得点をゲットし、逆転。さらに続くヴァンフォーレ甲府戦・ジュビロ磐田戦と2試合連続して3−0と快勝。ウタカと寿人の2トップは相手にとっての恐怖であり、そしてその後から柴﨑と浅野が飛び込んでくる。続く鹿島戦も含めると、浦和戦の後半から見せた3-1-4-2のフォーメーションで戦った299分間で11得点。90分平均にすると3得点を超える爆発力が存在した。
ただ鹿島との戦いでは1ボランチの横をつかれ、カウンターも度々食らって4失点。そもそも守備のリスクをこの形に感じていた森保は、次の柏レイソル戦から元の1トップに戻した。その後も3試合連続複数得点をあげ、得点力が結果として落ちていたわけではない。しかし一方で、期待していたほどに堅守が戻ったわけでもない。3−4−2−1に戻った2試合で5失点。しかもどちらの試合でも、リードしながら追いつかれている。
果たして2トップ1ボランチを継続していたら、どういう状況になっていただろうか。2007年の降格時、ペトロヴィッチが主として使っていた形だっただけに、チームとしてはトラウマもある。守備にリスクがあるのは明白で、森保が形を戻した理由も論理的だ。
もしチャレンジを続けていたら、どうなっていただろうか。そこは想像の域は出ない。もしかしたら得点量産を生んだかもしれないし、失点の山を築いたかもしれない。ただ、翌年の厳しさを知っている「神様の視座」から見た時、新システムへのチャレンジを見たかったという気持ちはある。結果論として片づけられてもいい。見たかったという気持ちを抑えることができないほど、魅力的だったからだ。
「知る人ぞ知る」選手の潜在能力を発揮させる力
話を戻そう。サッカーの監督は、戦力以上のものは出せない。ジョゼップ・グアルディオラがアマチュアクラブを指揮してUEFAチャンピオンズリーグで優勝させることは難しいだろう。だからこそ、彼はまず「いい選手」を求める。彼が考える「いい選手」を集めて、彼が考える「いいサッカー」を表現する。いい監督と評価されるのは、いい選手たちを集めて、その力の最大級を発揮させることができる人のことだ。
昨年、横浜F・マリノスは素晴らしい優勝を果たしたが、もしマルコス・ジュニオールや仲川輝人、チアゴ・マルチンスや畠中慎之輔がいなかったら。16試合11得点という驚異的な成果を残したエジカル・ジュニオが負傷した後、12試合8ゴールを決めきるエリキが加入していなかったら、果たしてどうなっていたか。アンジェ・ポステコグルー監督の素晴らしさは、自分が考えるサッカーの思想を明確化し、それを表現できるタレントを集めて力を最大限に引き出し、考えたサッカーを実行して栄冠を勝ちとったことにある。
広島はクラブの宿命的なものもあり、優勝した後も主力がどんどん流出していった。それでも時代をつくることができたのは、例えば塩谷のように「知る人ぞ知る」選手を獲得して、その選手が持っている潜在的な力を発揮させることができたからだ。塩谷は水戸ホーリーホック時代からあれほど攻撃性を持ち合わせたタレントではなく、広島に移籍した後に驚異的な破壊力を示すようになった。柴﨑やドウグラスもシャドーで力を引き出され、柏は左サイドにコンバートされることで「シュート」という選択肢がより持てるようになった。ウタカの破壊力を存分に引き出したのも森保だったことは間違いない。
森保のメリットは、たくさんある。その中でも特に感じるのは、そろった選手たちの力を最大限に発揮し、チームとしての最大値を引き出すのに長けているということだ。その力があったからこそ、4年で3度の優勝を果たすことができた。ただ、「ピッチ上の監督」(森保)として絶対的な信頼を寄せていたカズが再び病に倒れたことで、指揮官の意図をプレーで表現できるタレントが不在になってしまった。重要な戦力を次々と引き抜かれてしまったことも大きいが、カズの離脱は結果として大きな痛手だった。選手の力を最大限に引き出すことが森保の特長だとすれば、それを現場で手助けしていたのがカズだったからだ。2017年、カズが不在のチームは9試合で1勝2分6敗。復帰後、彼はチームを立て直そうと奮戦したが、チーム状況を変えることはできなかった。
日本代表に欠けているワンピース
森保は日本代表監督として当初から4−2−3−1を採用し、爆発的な攻撃力を表現できている。堂安律・南野拓実・中島翔哉・冨安健洋。いずれも、彼が代表の中心選手として抜擢し、力を発揮させた選手たちだ。彼らの力を発揮したいから4−2−3−1を使っていたともいえる。一方で、オリンピック代表では3−4−2−1。これもまた、東京五輪世代の特長を研究し、このフォーメーションが結果を出しやすいという判断だったのだろう。森保はもともと「フォーメーションありきではない」と言っていた指揮官で、それは広島の歴代指導者がみんな語っていた言葉でもある。
森保が代表で思った通りのパフォーマンスを発揮できていないのは、フォーメーションどうこうではない。日本代表とオリンピック代表の強化日程がタイトに重なり、チームづくりの時間が足りなくなったことが要因として挙げられる。そういう意味では「オリンピック代表との兼務は難しいのではないか」という主張にも、一定の説得力が生まれるだろう。ただ、彼がオリンピック代表を兼務しているからこそ、冨安の抜擢もありえた。もちろん、今のようにセリエAで活躍している状況であれば抜擢も当然だが、彼の日本代表デビューはボローニャ移籍の1年前。オリンピック世代をマネジメントしているのが森保の懐刀である横内昭展コーチだったことが抜擢に大きく影響していると考えたほうがいい。兼務がいいか、専念がいいか。それは軽々に結論は出せない。もっとも東京五輪が延期されたことで、物理的に兼務は難しいかもしれない。
一ついえるのは、森保の意図を完璧に理解し、プレーで表現して周囲に影響を与えることができる森﨑和幸的な選手がいれば、とは思う。アルベルト・ザッケローニや西野朗といった指揮官には長谷部誠という存在がいた。ヴァヒド・ハリルホジッチがワールドカップ最終予選後に結果を出せなくなっていたのは、長谷部がケガがちだったことも要因だろう。
かつて西岡明彦アナウンサーは広島の新監督に森保が就任した時、「彼にはコミュニケーション能力と孤独に耐えられる性格、それらをひっくるめてのヒューマンパワーがある。何よりも勝ち運を持っている人。だから、成功するんじゃないかと勝手に思っているんです」と語っていた。その予言は、当たっていた。
その時、西岡アナは岡田武史元日本代表監督の例も引き合いに出し、「岡田さんはコーチしか経験がなかったのに、いきなり日本代表監督になって結果を出した。あの人も戦術どうこう以前に、勝ち運を持っている人だと思うんです」と指摘した。考えてみれば、岡田が率いた日本代表チームは、何度も苦境に立ちながらも、結果として本番には結果を出している。1997年の時の「本番」はワールドカップ最終予選で、2010年の時はワールドカップ本大会が「本番」の位置づけだった。
長谷部誠を代表のキャプテンに抜擢したのも2010年大会直前の岡田監督時代だった。現状では不在となっている「岡田監督やザッケローニ監督にとっての長谷部誠」や「広島時代の森﨑和幸」も、早晩に発見できるかもしれない。それが大きなフックとなれば、選手の力の最大限を引き出すことに長けている森保の日本代表は、パフォーマンスをV字回復させられるのではないか。多分にひいき目が入っているが、彼の監督としての歴史を知る者としては、そう考える。森保の苦境も勝利への一里塚。広島時代の優勝も、必ず大きな苦境が存在し、そこを乗り越えて勝ちとってきたのだから。
日本代表監督に就任してからも何度か森保一に取材し、長時間にわたって話を聞いたこともあるが、人間性は広島時代とまったく変わっていない。フランクで優しくて、自分よりもまず相手を慮る。何よりも正直だ。筆者が知っている森保一のまま、彼は重責についている。だからこそ、成功してほしい。心の底から、そう願う。
【前編はこちら】森保一は、現代の西郷隆盛!? 広島・黄金時代を築いた「名将の第一条件」とは?
<了>
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