
なぜ松本光平は「その目では無理」と言われても楽観的なのか? 失明危機も「今ならいくらでも恥を…」
松本光平は決して夢を諦めない。2012年よりオセアニアの強豪を渡り歩き、FIFAクラブワールドカップへの出場も果たす充実したキャリアを過ごす中、2020年5月にニュージーランドの自宅でのトレーニング中にチューブの留め金が外れて右目に命中。同時に左目もチューブでダメージを受け、両目を損傷。6月の手術後は壮絶なリハビリを続け、2020年12月にオークランド・シティFCに加入するに至る。それでもなお、コロナ禍が松本のサッカー人生に揺さぶりをかけ続ける──。
(インタビュー・文・撮影=宇都宮徹壱)
叶わなかった2月のクラブワールドカップ出場
「あ、宇都宮さん!」──そう声をかけられたのは、新大阪駅の新幹線改札駅を出て、待ち合わせの店を探していた時であった。振り返ると、白杖を持った金髪の男。私が「オセアニアのサムライ」と命名した、プロフットボーラーの松本光平である。正直、驚いた。彼の右目は失明に近い状態(光を感じることはできる)。左目もかすかに輪郭を認識できるくらいの視力だ。そんな状態なのに、よくぞ雑踏の中の私を認識できたものだ。「何となく、雰囲気でわかりました」とは当人の弁。この人には、いつも驚かされてばかりである。
松本は、大阪出身の31歳。2012年から活動の場をオセアニアに求め、2019年には期限付き移籍したヤンゲン・スポート(ニューカレドニア)の一員として、FIFAクラブワールドカップにも出場している。しかし昨年5月、不慮の事故で失明の危機に陥り、コロナ禍で世界中が揺れる中、日本に緊急帰国。6月8日に手術を行い、以後は懸命のリハビリを続けている。現在の所属は、ニュージーランドのオークランド・シティ。今年2月には、クラブワールドカップに出場予定だった。しかし1月15日、クラブは出場を辞退。
「その日の朝、エージェントからの連絡で知りました。ニュージーランド政府から、オークランド・シティに『出国禁止』のレターが届いたそうです。結果として辞退となりましたが、クラブとしては出場したかったのに、出国許可が下りなかったんですね。僕自身、来週には(開催国の)カタールでチームに合流するつもりだったので、ショックというよりも驚きのほうが大きかったです。もちろん、悔しかったです。けれどもそれ以上に、応援していただいた周りの人たちに、申し訳ない気持ちのほうが強かったですね」
思えば松本は、再びクラブワールドカップに出場することを目的に、必死でリハビリとトレーニングに取り組んできた。昨シーズンはコロナ禍でOCL(オセアニアチャンピオンズリーグ)が開催されなかったため、最多優勝を誇るオークランド・シティが「推薦」のような形で出場権を獲得。昨年12月には、5年ぶりに松本が同クラブに復帰することが発表された。それだけに、当人の落胆はいかばかりであったか。しかし、久々に再会した松本の表情は想像以上に明るく、発せられる言葉もすべてが前向きであった。
ひとりぼっちのトレーニングとJ-GREEN堺での合宿
松本は昨年10月に拠点を大阪に移し、関西Jクラブのユースや大学のサッカー部に練習参加している。次の目標は、12月に日本で開催予定のクラブワールドカップ。所属はオークランド・シティのままだが、ニュージーランドが厳格な入国規制を続けているため、チームに合流できないまま、ひとりでトレーニングを続けることを余儀なくされている。しかも、視力の限られた左目だけで、晴眼者と遜色なくプレーできることを目指している。ポジションはサイドバック。果たして、片目だけでのプレーは可能なのだろうか?
「この間、右サイドバックと左サイドバック、両方でプレーする機会がありました。右サイドはボールをもらってからが難しいし、左サイドはボールをもらうまでが難しい。それぞれにやりにくさがあるので、首の振り方や身体の向きに工夫が必要ですね。逆サイドのボールは、少しぼやけた感じですが、それでも認識はできます。あとは自分の右側にいる相手を、きちんと把握できる守り方を考える必要がありますね」
最近のトピックスとして松本が挙げたのが、元Jリーガーの選手たちとの合宿トレーニングに参加できたこと。昨年に現役を引退した増嶋竜也氏が発起人となり、所属先を探しているプレーヤーを集めて、J-GREEN堺で3週間のトレーニング合宿を開催した。増嶋氏によれば、この合宿は「未所属の元Jリーガーが、入団テストに向けてコンディションを高めること」が目的。一方、これまで高校生や大学生ばかりと練習をしてきた松本にとっては、久々に体感するプロのトレーニングとなった。
「参加者はトータルで17人から18人くらい。僕自身、自主トレでは気づかなかった発見が、いろいろありましたね。一例を挙げると、ボールのデザインによって見え方がぜんぜん違うこと。例えば白黒のボールだと他のボールに比べて見えづらかったりします。それでも3週間、去年までJリーグでプレーしていた人たちと合宿できたのは、自分にとって大きな自信になりました。体力テストでも、自分が一番数値は良かったですし」
12月に日本で開催されるクラブワールドカップを見据えて
松本はいつも、2つのサングラス(のようなもの)を持参している。ひとつは自分の見え方を説明するためのもの。右目は塞がれていて、左目はメッシュが入っているので、ぼんやりとしか見えない。これをかけた状態で、まともにボールを蹴るのは容易ではなさそうだ。もうひとつは競技用で、目の部分をガードしながら、開ききった右目の瞳孔を保護するためのもの。元オランダ代表、エドガー・ダーヴィッツも同じようなものを着用していたが、これを付けて練習参加した時に「ふざけている」と思われたこともあるそうだ。
「リハビリしている間は『その目では無理』とか、あるいは『サッカーをなめている』とか、しょっちゅう言われました。中学生の練習に参加した時も、トラップミスとか空振りとかして『何だ、こいつ』と思われたでしょうね(苦笑)。でも、僕の目標はあくまでクラブワールドカップですから、今のうちならいくらでも恥をかいていい。もっと大きな舞台で結果を出せばいい話なので、何を言われても平気ですね。いずれにせよ、半年でここまで(コンディションを)戻せたことは、自分的には上出来だと思っています」
「これから12月まで、どう過ごすかが課題」と、自分に言い聞かせるように松本は語る。J-GREEN堺での合宿には、一定以上の手応えを感じたものの、再び孤独なトレーニング。練習参加させてもらっている、Jクラブのユースや大学サッカー部にはもちろん感謝しているが、一方で物足りなさも感じているのだろう。また、今季のOCLは7月に延期されたものの、年内に開催されるかどうかは不明。何もかもが不透明な中、それでも松本はどこまでもポジティブで楽観的だ。焦りはないのかと問うと、こんな答えが返ってきた。
「今回はたまたま目ですが、今までにも大きなケガをしてチャンスを棒に振ってきたことは何度もあります。今は片目でもプレーできているので、まったく焦りはないですし、むしろサッカーができることに幸せを感じています。確かに2月にカタールに行けなかったのは残念でしたが、今は『12月までの間にしっかり準備しとけ』ということだったのかなって(笑)。それに、次のクラブワールドカップは日本開催ですからね。僕がこのままコロナで入国できなくても、今度は日本開催でチームメートがこっちに来てくれるので、その意味では気が楽ですよ」
コロナ禍で世界が一変し、見通しのない未来に不安や焦りを感じる日々は今も続く。そんな中、松本光平は、視野と視力が限られながらも未来を見据えている。これまで何度か取材をするたびに、彼のポジティブさには常に驚かされてきた。と同時に、常識にとらわれすぎて視野が狭くなっている自分に、たびたび気づかされたことを付記しておきたい。まずは、12月のクラブワールドカップが無事に開催されること。そして、その大舞台に「オセアニアのサムライ」が立っていることを、心から願いたい。
<了>
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PROFILE
松本光平(まつもと・こうへい)
1989年5月3日生まれ、大阪府大阪市出身。オークランド・シティFC(ニュージーランド)所属。ポジションはサイドバック・サイドハーフ。セレッソ大阪U-15、ガンバ大阪ユースを経て、高校卒業と同時にイングランドのユースチーム・チェルシーFCコミュニティに所属し海外経験を積むと、2012-13シーズンにオーストラリアのブリスベン・ロアーFCで海外でのプロキャリアをスタートさせる。その後、ニュージーランドの強豪オークランド・シティ、ホークスベイ・ユナイテッド、ワイタケレ・ユナイテッド、ハミルトン・ワンダラーズと渡り歩く。その間、OFCチャンピオンズリーグに出場するため2017年2月にはフィジーのレワFC、2019年1月にはバヌアツのマランパ・リバイバースと短期契約。2019年11月にはニューカレドニアのヤンゲン・スポートに期限付き移籍し、オセアニア代表としてFIFAクラブワールドカップに出場。2020年5月18日、トレーニング中の不慮の事故で失明の危機に際し、日本に緊急帰国。6月8日に手術を行い、以後懸命にリハビリを続け、2020年12月にオークランド・シティ加入が決定。
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