なぜ井川祐輔は“サッカー村”を離れ、ビジネス界に飛び込んだのか?「彼らに勝つのは…」
川崎フロンターレなどで主力センターバックとして活躍した井川祐輔は、2019年の現役引退後、現役最後にプレーした香港リーグのランズベリー(蘭斯貝利)の監督として指導者のキャリアを歩み始めていた。ところが、2021年、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって帰国した井川は、かねてより準備していたというビジネスパーソンとしての道を歩み始めた。井川が新たにジョンインしたのは、アスリートの持続可能な未来をつくる事業を行うその名もデュアルキャリア株式会社。井川はなぜビジネスの世界に飛び込んだのか? 同社の副社長でブランドプロデューサーの久々野智小哲津氏との対談をお届けする。
(構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、撮影=浦正弘)
大学に通いながらJリーガーに。でもその先は「全く考えていなかった」
香港の地で現役を終え、すぐ監督に就任した井川祐輔は、監督辞任、香港からの撤退を決意した。2019年から盛り上がりを見せていた民主化デモに加え、コロナ禍で大混乱に陥っていた現地の事情もあったが、現役時代から漠然と思い描き、香港でも準備してきたビジネスの世界への転身を実現するための前向きな撤退だった。
井川はなぜ、サッカー指導者というキャリアを捨て、ゼロからの出発となるビジネスの世界に飛び込んだのか? それをひもとくにはまず、井川のキャリアを振り返る必要がある。
久々野智:プロスポーツ選手、指導者というキャリアを終えて、ビジネスの世界に飛び込んだ井川さんですが、どういう考えがあってそういう道を選んだのかにとても興味があります。井川さんは名門のガンバ大阪ユース出身ですが、もうその頃から当然Jリーガーになる、その世界のことは後から考えるというマインドだったんですか?
井川:そこのところはちょっと違って、実は僕、プロになることも考えていなかったんです。そもそも自分のレベルでプロになれるとは考えていなくて、親からはずっと「大学に行け」と言われていたので、ユースのときは大学に行ってトレーナーの資格をとるとか、スポーツサイエンスを学ぼうかなと考えていました。
高校3年生の春に、いきなりガンバ大阪から、「お前、プロになれるぞ」と言われたんです。大学への思いがあったので、先輩の宮本恒靖さん、橋本英郎さんが同志社大学、大阪市立大学に通いながらプロ生活を送っていたのを見て、僕も大学に行きながらトップチームに進みたいと言ったらOKが出たので、関西大学に進学しつつJリーガーになるという道を選んだんです。結論からいうと、ユースの頃はプロは目指していませんでした(笑)。
久々野智:その時点で井川さんの中には、プロスポーツ選手とは別に大学進学、社会的なキャリアというか、次につながることをやらなきゃいけないというのがあった?
井川:そうですね。大学に行きながらプロサッカー選手になって、大学を卒業して。今思うと軽く考えていたかもしれませんが、親が高卒で苦労していて、「大学だけは行っておけよ」と言われていたので、大学は行かなくちゃいけないという刷り込みがあったのかもしれません。
久々野智:大学に通いながら練習に出てプロサッカー選手としてプレーするって結構忙しいと思うんですけど、周囲の同じ年の選手たちはサッカーだけに打ち込んでいるわけですよね? そういう環境に影響を受けたりしなかったんですか?
井川:クラブの1カ月分のスケジュールを先にもらって、それに合わせて授業を入れていくというスタイルで、たしかに結構忙しかったですね。練習が終わってすぐ午後の講義に行くので、昼食抜きという日も珍しくなかったです。
周囲の影響でいうと、サッカーだけやりたいとか、そっちの方の影響じゃなくて、これも何かのご縁だと思うんですけど、当時ガンバ大阪にいたデュアルキャリアの社長でもある嵜本(晋輔)が同い年で、彼も関西大学に通っていたんですよね。奇遇なんですけど、同期入団にそういう選手がいたことは何か感じるものはありましたね。
久々野智:競技にもよると思いますが、プロとして5年以上プレーするアスリートって結構少ないじゃないですか。相当難しいことだと思いますが、井川さんは、2001年から20年くらいプロサッカー選手としてプレーしていますよね。20代半ばで引退する選手も周囲にいたと思いますが、現役中は自分の先行きをどう考えていました?
井川:正直、全く考えていなかったですね。というのも、ありがたいことにU-18、U-23の日本代表に選出してもらっていて、自分のサッカー選手としての人生はここから輝くと思っていて(笑)。
久々野智:なるほど。サッカーの輝かしい未来しか見えていなかった(笑)。よく言えば上しか見ていない状態ということですよね。そのときはガンバ大阪ではなく?
井川:2003年には当時J2だったサンフレッチェ広島にレンタルで行って、そこで試合に出始めた頃ですね。広島での活躍を認めてもらって、2004年にこれもレンタルで名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)に移籍しました。名古屋から1シーズンで契約満了と言われたときに、その先が決まっていなくて、初めて、「あ、俺のサッカー人生ここで終わるかも」と思ったんです。それが24歳くらいのとき。そのときに何でもっとちゃんとやらなかったんだろうと反省したんです。
久々野智:その後に川崎フロンターレに移籍することに。
井川:そうです。フロンターレは2シーズン目から完全移籍で、遅いかもしれませんけど、このときから「自分のサッカー人生を後悔したくない」という思いでプレーし始めました。
若くして引退した同期、嵜本晋輔の成功に刺激を受けた
久々野智:フロンターレはクラブをあげて地域密着、選手も草の根の地道なファンサービス、さまざまな活動をしているイメージがありますよね。今はJリーグ屈指の強豪ですが、当時は「これから」という勢いと熱意のあるクラブに移ったことも井川さんに影響を与えたのかもしれませんね。フロンターレでやっているときは次のキャリアについては意識したりしましたか?
井川:20代半ばでしたけど、考えてなかったんですよね。僕は2006年にフロンターレに入っているんですけど、現在フロンターレの監督を務める鬼木達さんが現役最後の年だったんです。鬼木さんのラストイヤーと、引退の瞬間を目の当たりにして、「いつかは自分も引退するんだろうな」とは漠然と考えました。
でも、フロンターレに限らず、サッカー選手って引退したらそのクラブのコーチとかスタッフになってっていう流れが多いんですね。自分もフロンターレでずっと活躍できれば、コーチとかクラブに何らかの形で関わっていけるんだろうなというのは、頭の片隅にありました。
久々野智:結局、フロンターレにはレンタル時代も含めると12シーズン在籍することになるわけですが、ベテランになっていく過程でキャリアへの考え方に変化はありましたか?
井川:ありました。その理由の一つが、先ほども話に出た嵜本晋輔なんです。彼が若くして引退した後も連絡はとっていて、事業で成功をし始めていることは知っていたんです。
僕の家に遊びに来たことがあって、そのときに仕事の電話をいろいろな人としていて、よく知っている嵜本なんだけど、全然知らない嵜本でもあるみたいな不思議な感覚になって。会話の内容も、僕が全く分からないような言葉を使っていたりして「ちょっと違う世界に行ってしまったなぁ」とは感じました。でも、そのときすでに、彼みたいになりたいなと思った覚えはあるんですよね。どうすればなれるか全然分からないけど、あんな風に仕事をしてみたいと。すごく刺激を受けました。
久々野智:30歳を超えてくると、さすがに引退と引退後の生活みたいなことも頭をよぎったと思います。
井川:30代前半からは考え方が変わって、川崎フロンターレにお世話にならないでおこうと思っていたんです。嵜本の影響で、サッカーをやめたらビジネスの世界で一旗揚げたいと思うようになっていたこともあり、それまで漫然とフロンターレでコーチでもと思っていたのが180度変わった。
同期には海外クラブで活躍している選手もいる。国内クラブにいるけど、すごい年俸をもらっている選手もいる。ちょっとカッコ悪いですけど、現役時代の実績じゃもう勝てないだろうなというのがあって、すごく悔しかった。だから彼らに勝つのは引退後しかないと思っていたんです。“サッカー村”じゃないところで輝いて、あいつ今すげえなと言われることが唯一見返せる方法なのかなと思っていました。
久々野智:ビジネスでと思ったところで、何か始めたことってありましたか?
井川:ビジネス書を読み始めたり、経営者の方にお会いする機会を意識してつくるとかそういうことはしていました。具体的な道筋は全然見えていませんでしたが、いろいろな人に会ってお話を伺うというのはやっていました。
香港でのサッカーキャリアの終焉……ビジネスの世界へ
久々野智:キャリアの終盤、香港に行かれています。あれはどういう意図ですか?
井川:フロンターレでの12年は移籍組としては例がないくらいの長いキャリアだと思うんですけど、2017年の夏に契約満了の提示を受け、残留の話もあったんですけど、自分のサッカー人生を振り返ったときに唯一の心残りが海外でプレーしていないことだったんですね。本田圭佑や川島永嗣など名古屋で一緒にやっていた選手が、その頃から英語を勉強したり、努力や準備をしているのを見ていたので、すごいと思う反面、どこか悔しいという思いもあって。
海外でプレーすることありきでクラブを探し始めて、2017年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)で対戦していた香港リーグのイースタンSC(東方足球隊)に話を持っていったんです。年齢を考えても今からヨーロッパは無理。じゃ、アジアだなと。子どもたちもいるし、英語圏がいい。プライベートで何回か行っていて、街もちょっと知っていたので、香港しかないと思ってピンポイントで交渉しました。
久々野智:初めての海外、香港でのサッカーはどうでした?
井川:驚きの連続というか、やっぱりJリーグは恵まれているなと思いました。練習だと言われて連れていかれたところが公園の中の人工芝で、「クラブハウスはどこ?」と聞いたら、「ここだよ」と言われたのがすごい衝撃的でした。練習前の10分か5分前まで、おじいちゃんたちがサッカーしているんです。
久々野智:生活もだんだん慣れてきて香港ではスター選手として必要とされる選手になったんですよね。香港で現役引退、その後に監督になるわけですが、どういう意思決定がったのですか?
井川:選手として1年間プレーした後、契約は半年残っていたんですけど、家族を連れてきたこともあって、どうにかして香港で生きていきたいと思ったんです。僕も家族も香港が好きになってしまったので、香港で生活したいと思った中で、香港でビジネスをやって、なり上がりたいと思ったんです(笑)。香港に残ること前提でたまたま話があった監督をやってみようという感じでした。
久々野智:香港の生活では、現地の日本人ビジネスマンとの交流も多かったようですね。
井川:一人っ子だからなのか、周囲には結構かわいがってもらえる方なんです。香港にいる日本人の方は、駐在員かビジネスで成功している人が多いんです。自分がプロサッカー選手だということもあって、交流してくれる人も多かったので、僕はビジネスの勉強のつもりでご一緒させてもらっていました。でも、会話に全然ついていけなかった。ビジネス用語とか金融市場の話が全然分からなくて、「すみません、どういう話ですか?」と聞く自分ももどかしいし、なんてレベルが低いんだろうと思っていた。サッカーだけじゃなくて、ビジネスの知識も持っておかなくちゃいけないなというのはめちゃくちゃ思いました。
アスリートは現役のうちにSNSをやっておくべき!
久々野智:現在我々の会社、デュアルキャリアでは各スポーツ競技団体、クラブなどと接点を持って、ファンとの接点づくりなどを行っていますが、実際やってみてどうですか? オフィスに出勤し、お茶出しをし、資料をつくり、名刺を出して、いろいろなスポーツ団体の人と商談して、率直な感想は?
井川:結論としては、僕の選択は間違っていなかったと思っています。オフィスでも年長の方ですけど、お茶出しも苦じゃない。ビジネスのために必要なことだと思っていますから、仕事に関してはすべて「こういうことをしたかった」という充実感がありますね。
久々野智:デュアルキャリアでは、スポーツ界にオークションを通じたファンづくりなどで貢献する事業が始まっています。応援される側のアスリートだった井川さんに聞きたいのは、選手時代、その後のキャリアに向けてやっておけばよかったことってあります?
井川:SNSはやっておけばよかったなと思いましたね。Instagramはやっていたんですけど、勝敗がついて回る世界なので、負けているのにサッカーと関係ない情報をあげているとやっぱりネガティブなことを言われてしまう。
でも、アスリートがそのネームバリューを生かしてファンを獲得できるのってやっぱり現役が一番強いので、そんなことを気にせずInstagramもTwitterもやっておけばよかったなと思います。
久々野智:もう一つ、スポーツ界全体の話になりますが、ファンを増やしたり、もっと収益を上げることに対して、外から仕事として接してみて見えてきたことはありますか?
井川:選手がクラブの運営がどう行われているか、収益がどうなっているのか自分たちのサラリーがどうやって支払われているのかをもっと知るべきだと思います。スポンサーフィー、観客動員で得たチケットフィー、そのうちの何%が自分の年俸に回っているかなどお金をもらえている仕組みをもっと知った方がいいと思います。
自分もそうでしたけど、ピッチでがんばっているからお金が入ってきて、クラブが回っているくらいに考えている選手って意外に多いんですよね。実際は逆で、お金が入ってくる仕組みがあるからこそ、自分たちがプレーに専念できて、お金をもらえる。コロナ禍で試合ができない、観客が入れられない、スポンサーも大変なのに、「なんで年俸が下がるんだ」と思っているアスリートもいないわけじゃないと思うんです。
久々野智:最後に、井川さんのこの先の展望について教えてください。
井川:ちょっと言いづらいですけど、いつか僕の好きなクラブの社長とかオーナーになりたいと思っています。サッカークラブでなくてもよくて、スポーツ界全体を盛り上げたいという気持ちでいるので、ビジネスパーソンとして必要とされて、クラブから迎え入れられたい。そこを最終ゴールにしたいですね。
<了>
“アスリートとスポーツの可能性を最大化する”というビジョンを掲げるデュアルキャリア株式会社が運営する「HTTRICK(ハットトリック)」と、アスリートの“リアル”を伝えることを使命としたメディア「REAL SPORTS(リアルスポーツ)」との連動企画として、【REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション】を開催。
REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション公式ページは【こちら】
PROFILE
井川祐輔(いがわ・ゆうすけ)
1982年10月30日生まれ、大阪府出身。デュアルキャリア株式会社 ファンクリエイター。2001年から2019年までプロサッカー選手として活躍。ガンバ大阪ユースを経て、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレでプレー。2008年5月には岡田武史監督率いる日本代表にも初招集された。2018年から香港プレミアリーグのイースタンSC(東方足球隊)でプレーし、2019年11月プロサッカー選手としてのキャリアを終える。引退後、香港リーグ3部のランズベリー(蘭斯貝利)監督を経て、2021年にコロナ禍の影響で帰国。現在はアスリート・スポーツに関わる人の可能性を広げるデュアルキャリア株式会社のファンクリエイターとして活躍する。
PROFILE
久々野智小哲津(くくのち・こてつ)
デュアルキャリア株式会社 副社長。ブランドプロデューサー/事業家。個人向けの海外ブランドの日本進出から、IT関連の事業、エンターテイメント事業など、経営してきた会社は多岐に渡り、合計7社を経営。その後、今日に至るまで、海外ブランド・国内の人・もの・企業・番組・イベント・タレント・ テレビCM・広告などブランドのクリエイティブなど130のプロジェクトを担当する。現在も、多種多用な業界の15社前後の上場企業や、業界トップ企業のブランド顧問・ アドバイザー・プロデューサーなどを務めている。さらに、アスリートやスポーツを愛する人の様々な可能性を届けようと、デュアルキャリア株式会社を創業。
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