創業者・鬼塚喜八郎の貫かれた思い。なぜアシックスは大学生の海外挑戦を支援するのか?
2022年11月29日、立命館大学の学生アスリート3人が日本での研修を経てアメリカ・フロリダ州にあるIMGアカデミー、フロリダ州立大学へ短期留学するプロジェクトの発表があった。大学生の短期留学は珍しくないが、今回のプロジェクトには日本が世界に誇るグロバールスポーツ企業、アシックスジャパン株式会社が留学立ち寄り先、プログラムの選定にも全面協力。今後ますます存在感を増すといわれている「大学スポーツ」の大きな変化のはじまりともいえる試みだ。日本社会の課題でもあるグローバル人材の不足、内向き、安定志向の打破をアスリート、スポーツ界から担う試みにはアシックス創業者・鬼塚喜八郎の創業から現代にも通じる壮大なビジョンがあった。本プロジェクトのアシックス側のキーマンに話を聞いた。
(インタビュー・構成=大塚一樹、写真提供=アシックスジャパン株式会社)
アシックスが大学生アスリートの海外進出を支援?
1983年、他大学に先駆け総合スポーツ政策の策定を行い、スポーツを人間育成、学びの場として注力してきた関西の雄・立命館大学と長らく日本の“部活”を支えてきたアシックスは、2017年に包括的連携交流協定を締結し、人材育成・交流、社会貢献活動の促進、研究・開発の高度化に務めてきた。
その成果はさまざまな形になって現れているが、2022年、新たなプロジェクトが始動した。『Ritsumeikan-Global Athlete Program(以下、R-GAP)』と銘打たれたこのプロジェクトは、「日本のスポーツ界を背負って立つグローバルアスリートを育成する」というコンセプトの下、立命館大学体育会の重点強化クラブ7部から選抜された学生へ、英語学習とスポーツ先進国・アメリカへの短期留学の機会を提供するという試みだ。
株式会社アシックスのスポーツマーケティング統括部長を務め、今回のプロジェクトの全体統括に関わる野上宏志氏は、「大学スポーツのポテンシャル」に大きな期待を寄せていると話す。
「2019年3月に、日本大学スポーツの振興、活性化を目的とした大学スポーツ協会、UNIVASが誕生し、商業的にも大成功を収めているNCAA(全米大学体育協会)のような成長を期待する声もありました。文部科学省やスポーツ庁も大学スポーツに期待するところは大きいと思うのですが、こうした変化の中でアシックスとしても長くお付き合いのある大学スポーツと一緒に、そのポテンシャルを引き出すような動きができるのではないかというのが今回のプロジェクトに参画した理由の一つです」
日本のスポーツ界を変えるポテンシャルを生かす「産学連携」
アシックスの代名詞である各競技に特化したスポーツシューズを始め、各種ウェア、ギアは日本の学生スポーツを支え続けてきた。アシックスは、大学スポーツ界が大きな変革を遂げるタイミングで、顧客としてだけでなく、人材育成・交流、社会貢献活動の促進、研究・開発にも実効性のあるパートナーとしての関わりをすでに始めている。
「大学のスポーツが活性化して応援グッズが売れるとか、アシックスの商品を使っていただけるとか、使用を通じてブランドのファンになっていただくとか、マーケティング的な価値ももちろんありますが、大学スポーツのプレゼンスを上げていく、そこで学び、スポーツと向き合うアスリートの育成でもお手伝いできることがあるんじゃないか。R-GAPは立命館さん、アシックス双方の思いから生まれたプロジェクトです」(野上氏)
一方通行のやりとりではなく、双方向の産学連携。「現場」と「研究機能」を持つ大学と、商品開発のノウハウ、これまで培ったさまざまなデータを持つ企業の連携は、日本のスポーツ界やビジネス界を一歩前に進める大きなムーブメントになり得る。
実際に立命館大学のスポーツ健康科学部とアシックススポーツ工学研究所の共同研究で、体への負担が少なく健康増進の効果が高い『ファストウォーキング(速歩)』の効果・効能が示されるなど、包括的連携協定によって競技力の向上だけではない、健康を軸とした多様なスポーツと社会の接点も生まれ始めている。
海外を体感する若き挑戦者たち。支える側の存在も
今回、R-GAP第1期生としてプログラムに参加するのは、日本インカレ男子十種競技2連覇で、男子陸上競技部主将も務める川元莉々輝(食マネジメント学部3回生)、インカレ、日本選手権を制した4×100mメンバーで、女子陸上競技部の松尾季奈(スポーツ健康科学部4回生)、ラグビー部で学生ストレングス&コンディショニングコーチを務める岩田駿亮(スポーツ健康科学部3回生)の3人の学生。
面接官の一人として選考に携わった野上氏は、自身の競技力向上だけでなく、「日本のスポーツ界に貢献したい」「自分が見てきたものを還元したい」という志の高さに感銘を受けたという。
「陸上男女のトップアスリートのお二人も『経験や持ち帰ったものの還元』について熱く語ってくれたのですが、ラグビー部のストレングス&コンディショニングコーチを務めている岩田さんは、まさに支える側でトレーニング先進国アメリカを見たいと話していて、今回の視察が短い期間だったとしてもここから何かが始まる、変えてくれるんじゃないかという期待感があります」
世界的アスリートを育てるIMGアカデミーの誤解と神髄
プロジェクトの3rd termに当たる現地視察は、10日程度の短い期間だが、テニス界のスパースター、アンドレ・アガシ、ジム・クーリエ、セリーナ・ウィリアムス、マリア・シャラポワ、そして錦織圭などを輩出したIMGアカデミーの実際のプログラムが体験できるという魅力的なカリキュラムが用意されている。
スポーツ大国・アメリカでもトップアスリート養成、育成で名高いIMGアカデミートのコネクションはアシックスの持つグローバルネットワークを活用した、参加者からすると大きなチャンスだ。
どんなに素晴らしい研修場所であっても、お客さんとして外から見学するだけでは身にならない。今回のカリキュラムの内容は、IMGアカデミーが掲げる本来的な「スポーツを通じた教育」を体感できるものだという。このカリキュラムの充実については、前職でIMGアカデミーのアジア地区代表を務めていた田丸尚稔氏(現株式会社アシックススポーツ教育推進部部長)の存在が大きい。
田丸氏は、出版業界から日本のスポーツ界に対する危機感、問題意識を抱き、「アメリカに答えがあるのでは?」とフロリダ州立大学に留学を果たし、その後IMGアカデミーに加わったという異色の経歴の持ち主。
「IMGアカデミーというと、錦織選手の影響もあって、日本では世界のトップ選手を養成するエリートのためのスポーツアカデミーのイメージが強いと思います。でも、私から見てもテニスがそれほどうまくない子もいますし、100mの持ちタイムが13秒台なんて子もいるんです。
日本なら『それ向いてないよ』で諦めさせられちゃうところですが、IMGでは『じゃあ13秒切ることを目指そう』とその子なりの目標に向かってチャレンジすることを大切にしています。
スポーツエリート養成所ではなく、スポーツを中心としながらさまざまなことを学び、人間的に成長していける教育機関としての意味合いが強いんです」
IMGアカデミーでは、身体的発達だけでなく人格形成を促すメンタルトレーニング、栄養学、ケガ予防の知識、リーダーシップ、コミュニケーションスキルのトレーニングまで網羅したAthletic & Personal Development(APD)プログラムを採用している。NCAAのディビジョン1に進学することを目的とする生徒も多いが、それ以上にスポーツを核とした自らの成長、スポーツを続けて行くための土台づくりにフォーカスしていて、田丸氏はこれこそが「IMG アカデミーの最大の特徴」だと話す。
欧州とアメリカ、「先輩」が見たスポーツ文化と教育、地域、社会とのつながり
教育機関である立命館大学がグローバル人材の育成に注力するのは当然だが、アシックスにとってグローバル人材育成の必然性はどこにあるのか? ご存じの方もいるかもしれないが、日本で創業され、「体育」や「部活」のイメージが強いアシックスだが、売上高の約80%が海外での売り上げが占め、世界的にはグローバル企業として十分な認知を得ている。
実は、今回取材に応じてくださった野上氏、田丸氏はともに留学経験者、しかも日本で社会人経験を経てから海を渡った「先輩」でもある。
「日本生まれ、日本育ちで大学までパスポートを持ってなかったんです。英語が話せないことがコンプレックスだった」と語る野上氏は、そのコンプレックスを解消するため、前職の日本サッカー協会ですでに国際的な活躍をしていた34歳の時にイギリスの田舎町、バース大学のビジネススクールに留学した。
「語学のためだけに行ったわけじゃないんですけど、日本の教育課程ではプレゼンテーションのやり方、自己主張するためのスキルを学ぶ機会がなかった。サッカーが好きなんで、地元の3部、4部のクラブチームでも小さなスタジアムが満員になる。サッカーが文化になっているって言葉では知っていたけどこういうことだなと体感できたんです。スポーツ以前に、教育や文化の差や違いを肌で感じられたことが今も活きています」
大学スポーツ先進国・アメリカに渡った田丸氏も、留学先のフロリダ州立大で大学スポーツと教育、地域、文化、社会とのつながりを体感したという。
「アメリカでは“テールゲーティング”と呼ばれていますが、特にアメリカンフットボールの試合では、会場に車で来て、ハッチバックのドアを全開にして、食べ物を並べたり、音楽をかけたりしながら、地域の人々が交流して楽しんでいます。ゲームが始まるのは19時でもお昼からみんな集まってきてワイワイやっている。きっかけはカレッジスポーツの観戦なんですが、そこで作られているコミュニティーが実は地域のハブになっていたりします。試合が終わった後も、例えば5歳くらいの子どもが試合会場に入ることもできたりして、190㎝くらいあるバレーボールの選手に肩車されて喜んでいる。それはもうみんな応援したくなるし、子どもはその選手に憧れを抱いたり、スポーツそのものが好きになると思うんです」
ともに30代を過ぎて留学経験をした両氏は、短期間とはいえ20代で異国の、しかもスポーツの最先端の現場であり、スポーツ文化社会が行き交うアメリカに行けることを声をそろえて「うらやましい」と話す。同時に、この短期留学は単なるきっかけに過ぎず、1期生である3人の学生が、今後、立命館大学の後輩、日本の大学生、社会に何らかの影響を与えるような存在になってほしいと期待を込める。もちろん今回のプロジェクトは単発には終わらず、プロジェクトの発展的継続、拡充の準備も進んでいる。
なぜ、アシックスはグローバル人材を育成するのか?
最後に、今回取材させてもらった二人のアシックス社員以外からも頻繁に聞かれた、なぜアシックスが大学生アスリートの挑戦、グロバールアスリートの育成に力を注ぐのか? についての答えを紹介しよう。
アシックスを創業した鬼塚喜八郎は、志半ばで散っていった戦友たちのためにも「戦後の青少年たちの教育、健全な育成に生涯をささげる」と誓ったという。ある日、古代ローマの風刺作家、デキムス・ユニウス・ユウェナリスのものとされる「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」という言葉に出合い、スポーツこそが健全なる心身を育成していく最良の方法と思い定めた。
このユウェナリスの言葉のラテン語「Anima Sana In corpore Sano」の頭文字をとってASICSという企業は誕生した。
スポーツによって健全な肉体が養われ、肉体に健全な精神が宿るのなら、スポーツを通じた人間的な成長、世界で活躍する人材の育成もまた可能なはず――。
ミッションやパーパス、自らの社会的価値、存在意義を定義する企業は多いが、創業者である鬼塚喜八郎が戦後間もなく出合った言葉こそが、アシックスの行う事業、活動、すべてのプロジェクトの指針になっている。
<了>
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