スタジアムの観客から感染者は出ない? 東京五輪「無観客」決定のウラに残る感染判定の盲点
東京五輪で首都圏の会場での開催を無観客にすることが決まった。政府、東京都、大会組織委員会、国際オリンピック委員会、国際パラリンピック委員会の5者による協議の上での結論だという。この決定を受け、スタジアム・アリーナの専門家・上林功氏はどのように考えているのだろうか?
(文=上林功、写真=Getty Images)
「遅きに失した」。早期に方針さえ決定していれば…
7月8日の5者協議にて、東京・埼玉・千葉・神奈川の1都3県の会場はすべて無観客での開催との方針が示されました。宮城・福島・静岡会場では収容定員50%以内で最大1万人、茨城県は学校連携観戦のみ行われるとのことで2週間前に至り、やっと方針が決定したこととなります。一方で福島会場がその後無観客とする方針を打ち出すなど、直前においても混乱が見られます。
有観客にせよ無観客にせよ、方針さえ決定すれば対応できていたと考えるだけにまさに言葉通り「遅きに失してしまった」印象です。
国内スポーツでは有観客の場合でもオペレーションできるノウハウについてプロスポーツ興行などを通じて積み上げてきましたし、無観客の場合でも5Gなどを活用した配信などで新しい視聴技術が検討されてきました。これらも今となっては対応するだけの時間が残されていないのが実状かと思います。
いくつかの課題を抱えたまま行われ、無事大会が終わったとしても負のレガシーを残しかねない懸念があります。今回は無観客開催に伴うスタジアム・アリーナへの影響と今後の国内スポーツへの影響について考えてみたいと思います。
無観客でオリンピックの仕組みが試される? 放映と観戦者の関係とは
オリンピックが世界に中継されたのは1964年の東京五輪でした。衛星を利用した世界同時中継はその後の大会にレガシーとして引き継がれてきました。特に1984年のロサンゼルス五輪では多くの民間企業がパートナーにつくことで中継配信の広告効果や現在に至るスポンサードによる大会デザインが決定づけられました。
ロス五輪大会組織委員会のピーター・ユベロス会長は、「スタジアム規模よりも中継カメラの台数を重視すべき」と発言しましたが、その後もテレビ放映の重要性は増し、放映権は年々上昇。スポンサードと放映権は今やスポーツビジネスの収入における筆頭であり、実のところ来場者によるチケット収入はこれらに及ばないといわれます。
来場者収入に頼らずに無観客によるリモートマッチが行われたのが、昨年のプロ野球・Jリーグです。ところが、早期のうちにこの無観客試合は終わり、人数制限をしながらも有観客による試合が行われるようになりました。理由はさまざまあるかと思いますが、スポンサー離れが一因だったともいわれます。観客や応援によるにぎわいそのものがスポンサーにとっての魅力の対象であり、無観客試合に対して厳しい批判が寄せられたかたちです。
一方、東京五輪に話を戻せば、スポンサードや放映権収入によって成り立っているオリンピックにおいて、全面的な無観客での開催はこれが初めてとなります。まだ大会が開催されていませんから想像がつきにくいですが、例えば陸上の100m決勝が終わった後、選手が手を振る先に観客はおらず、称賛の声も響かない中、ウィニングランをするのです。
大会での熱戦が繰り広げられるのだから応援は二の次と考える人はいるかもしれませんが、映画館と違いスポーツでは応援や声援も重要な要素となります。昨年のプロ野球開幕に向けたCMでは無観客での開催であるにもかかわらず声援がバックに流れ、歓声で期待感を演出していました。無観客試合が罰則となるくらいスポーツにとって観客は必要不可欠なものであり、アスリートと観客が双方向でつくり上げるコンテンツといえるでしょう。応援はスポーツにおいて重要な要素であり、スタジアム・アリーナの必要条件なのです。
無観客開催によってこれまでの五輪の仕組みが試されます。観戦者のいない中、どこまで熱狂にあふれる大会にできるのかが課題です。もしこれが成功すれば、今後コンパクトな大会を目指す中で、極端な話、オリンピックを開催するスタジアムは放映だけに徹して観客席をほとんどなくす方向に動くかもしれません。また失敗すれば、無理をしてでもスタジアムに観客を入れなければと考えるようになるかもしれません。
スタジアムやアリーナのみならず、スポーツビジネスの在り方そのものが問われている大会といえます。
スタジアムの観客からは感染者が出ない? 感染判定の盲点とは
スタジアムやアリーナでの感染リスクについて、ことここに至るまでそのメカニズムがはっきりしていない点にも課題があります。もっといえば、そもそもスタジアムやアリーナでは、感染判定の仕組み上、実際の感染が起こっているかどうかすら分からない事情があります。
2020年から2021年の間に少しずつながら日本国内ではスポーツ興行が再開されてきました。プロ野球2020シーズンにおいても観客の感染者が2名に留まるなど極めて少ない数となっています。チーム内のロッカールーム利用などによる密閉空間を介したアスリートや一部の関係者による集団感染は報告されている一方、観客をはじめとした一般来場者による感染はごく一部に留まっているといえるでしょう。
国内では専門家の指導に基づく厳密なコロナ対策が取られていることは確かです。一方で、国内の感染拡大防止に関する聞き取りのプロセスを詳細に見てみると、スタジアムやアリーナが半ば自動的に市中感染と同様の扱いになってしまうことが分かります。
感染がどのように判定されているかについては、私自身も昨年11月に新型コロナ感染症を罹患(りかん)し隔離施設に入所した中で知りました。保健所からの聞き取り、PCR検査を経て陽性の判定、感染状況を特定するための保健所からの聞き取りが行われました。感染の判定においては「三密」の状況を重視しており、逆にいえば、「三密」でなかった状況は感染が起きた状況として除外しており、スタジアムやアリーナといった場所は判定の盲点として外れている可能性が極めて高いのです。各地域の保健所ごとに判断は異なっているかとは思いますが、私の調べた限りでは、どこもおおむね同様の聞き取りのようでした。
三密は「〈1〉換気の悪い密閉空間、〈2〉人が密集している、〈3〉近距離での会話や発声が行われる」の3条件が重なった場での行動抑制を指します。これらが重なった状況でなければ感染の判定が行われず、特定の濃厚接触者がいない場合、感染元不明として扱われます。例えば、人が密集しているスタジアムやアリーナにおいても、半屋外の開放的な観客席や大空間で換気の効いた環境、そして応援などを抑制し対策した場合、三密を満たさない状況となり、感染したか否かが判断できない状況です。せっかく対策を行っているにもかかわらず、実質的な効果が明らかにできなくなっているかもしれないのです。
さらに極めて重要な視点としては、これまでを俯瞰(ふかん)する限りスタジアムやアリーナでのコロナ対策は功を奏しているということです。感染者の増減はおおむね年末年始や長期休暇など国内の全体的な人口流動が主要因で、これまでのプロスポーツシーズンの開始終了のタイミングとの関係は確認されていません。
一方で、感染判定の盲点によるグレーな状況はスタジアムやアリーナにとっていいことが一つもありません。関係者の皆さんが一丸となって感染拡大防止に努めているにもかかわらず、判定不能というのはあまりにも酷ではないかと思います。
東京五輪後のスポーツの未来とスタジアム・アリーナ
無観客開催になったことで、スタジアムやアリーナが感染リスクについて誤解を受けることをもっとも恐れています。コロナ禍におけるスポーツ興行の実績はスポーツのみならずエンタメ分野にも共有できる貴重なノウハウです。
7月6日、スーパーコンピューター「富岳」による新国立競技場での感染リスクのシミュレーションが行われました。全員がマスクをつけて間隔を空けて座った場合、感染リスクは限りなくゼロに近いという結果が出ています。この結果は、理想的な状況を想定しての観客席のみの解析でしたが、スタジアム内での行動観察などと組み合わせることでより精細にスタジアム内での感染リスクは可視化できると考えられます。
コロナの感染拡大をゼロにするのではなく、どう頑張っても発生してしまうコロナに対して適切な対応を行うことに重きを置く考え方は、これまでの国内のガイドラインに沿うものです。正しく理解し、正しく恐れ、正しく対策することがスタジアムやアリーナの信頼をかえって回復させることにつながります。
なによりもスポーツの未来のために東京五輪が開催されることを、緊張感をもって見ています。大会の無事を祈るとともに、すべての関係者にとって素晴らしい大会となることを願います。
<了>
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PROFILE
上林功(うえばやし・いさお)
1978年11月生まれ、兵庫県神戸市出身。追手門学院大学社会学部スポーツ文化コース 准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所 代表。建築家の仙田満に師事し、主にスポーツ施設の設計・監理を担当。主な担当作品として「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)」など。2014年に株式会社スポーツファシリティ研究所設立。主な実績として西武プリンスドーム(当時)観客席改修計画基本構想(2016)、横浜DeNAベイスターズファーム施設基本構想(2017)、ZOZOマリンスタジアム観客席改修計画基本設計など。「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」など実践に活用できる研究と建築設計の両輪によるアプローチをおこなう。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー、日本政策投資銀行スマートベニュー研究会委員、スポーツ庁 スタジアム・アリーナ改革推進のための施設ガイドライン作成ワーキンググループメンバー、日本アイスホッケー連盟企画委員、一般社団法人超人スポーツ協会事務局次長。一般社団法人運動会協会理事、スポーツテック&ビジネスラボ コミティ委員など。
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