東京五輪・世界新は「競技場」と密接な関わり? 2050年を先取りした新国立競技場の可能性

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2021.08.20

スタジアムやアリーナにおいて、記録が出やすいスタジアムやアリーナはそれだけで注目を集める。東京オリンピック水球競技の会場となった東京辰巳国際水泳場は国内随一の記録の出やすいプールとして有名で、泳者を邪魔する波が生じない水深設定やプールタイルの貼り方に工夫があるともいわれる。では競技環境としての新国立競技場はどう評価するべきなのだろう? 競技記録とスポーツ環境との密接な関係について、スタジアム・アリーナの専門家・上林功氏が解説する。

(文=上林功、写真=GettyImages)

「競技環境としての新国立競技場」の意外な評価とは?   

東京オリンピックが閉幕し、パラリンピックへの準備が進められています。大会を通じて整備された各競技会場は東京オリ・パラ後の「あと利用」の観点でまだまだ課題が山積されるものの、世界トップクラスの競技環境としてその機能が発揮されました。都内に世界最高のスポーツ環境が誕生したことに関しては改めて喜びをかみしめています。

特に新国立競技場においては紆余曲折を経た中で完成した競技場ですが、無事オリンピックメイン会場としてお披露目され開閉会式のプロジェクションマッピングや照明・音響などスタジアムの滞りない演出効果が世界に配信されました。最大の懸念は「あと利用」ですが、コンコースやスタジアム内諸室を生かした検討を進めてほしいと思います。

今回取り上げたいのは、純粋な競技環境としての新国立競技場の評価、つまり陸上競技場として新国立競技場はどう評価できるかとの視点です。今大会トラック競技で世界記録が生まれているのですが、その記録に大会期間中から注目が集まっています。競技記録とスポーツ環境の関係について解説したいと思います。

2050年を先取りした新国立競技場

今大会を通じて新国立競技場では多くのフィールド競技、トラック競技が行われましたが、その中でも注目を集めたのが陸上400mハードルです。男子ではノルウェーのカルステン・ワーホルムが前人未踏の45秒台となる45秒94をたたき出し、自身が7月に出した世界記録46秒70からさらに大きく記録を塗り替えました。追走した2位、3位とも46秒台を記録しており史上まれにみる高速レースとなりました。また女子でも同様にアメリカのシドニー・マクラフリンが51秒46の世界新記録を出すとともに、2位も同51秒台を記録するなどやはり高速レースとなっています。世界選手権銅メダリストの為末大さんがTwitterで「2050年以降で出るはずの記録を今出してしまった感じ」と投稿したことでも話題になっており、これまでの記録の更新ペースからはありえない一足飛びとなる世界新記録が男女両種目で樹立されました。

興味深いのは、短距離走では目立った記録の伸びがなかったことです。陸上100mではイタリアのラモント マルセル・ジェイコブズが金メダルとなり9秒80とリオデジャネイロ大会のウサイン・ボルトの9秒81を上回る記録となりましたが、世界記録の9秒58には届きませんでした。単純な比較はできませんが、ストレートに絡むトラック競技では記録が伸びず、コーナーを介する種目であり得ないほどの記録の伸びがあったということです。

 海外メディアの「The Guardian」では、これらの記録にタータン(トラック床材)が関わったと報じています。新国立競技場ではイタリアのモンド社製のタータンが採用されています。これは従来のポリエステル素材と違ってゴム素材が採用されており、接地時の安定感と反発に優れた素材となっています。同社製品では評価の高い人工芝「モンドターフ」がありますがゴムチップ製品などで強みのある企業です。特に今大会で採用されたタータンは2層ゴムの底面が変形六角形のハニカム構造となっており、全方向からの踏み込みに対して均等に蹴りだしができる特殊構造となっていたことが影響したとされています。直線コースでは、通常の後方正面の蹴りだしについて従来と同様であったのに比べ、全方向に効果のあるハニカム構造によってコーナーでの外側の蹴りだしに十分な反発力を得られるようになったことや、ハードル走のような接地の際の安定感が得られたことにより、アスリートの実力を十二分に発揮できるトラックとなったとも考えられます。

世界でも珍しい「風を取り入れるスタジアム」の効果とは

ただ、すでにこのモンド社のトラックは世界的にもいくつかの会場で採用されていることを考えると、新国立競技場だけで大幅な記録更新が行われた理由の説明にはならないかもしれません。設計図面などを読み解く中で考えられることとしては、トラック上の気流の影響があるのではと予想します。新国立競技場は世界的にもまれな風を積極的に取り入れる構造をした競技場です。「風の大庇(おおびさし)」と呼ばれる最上階の軒天井の一部には風をスタジアム内に取り入れ、観客席に沿って流す風向調整装置がコンペ提案時から盛り込まれており暑さ対策として機能することが示されていました。季節ごとの特に強い風向「卓越風」も事前に調査されており、夏期において吹くやや南東よりの南風に合わせて風の取り入れ口が設定されています。

ここからは仮説となりますが、無観客の観客席スタンドに吹き降ろされる南風は、やや斜め方向から競技場に取り入れられることにより競技場全体に反時計回りの気流を生み出すきっかけになっていたのではないかと考えています。フィールドには強い日射が当たっていましたが、上昇気流が反時計回りになることも影響している可能性があります。もとより陸上トラック競技において追い風は風速2.0m未満とされており、ごく微風であることは当然ですがコーナーを巻くように吹いているのであれば中距離種目において有利に働くことも考えられます。

風をうまくコントロールできるスタジアムとなると世界屈指の競技環境といえるかもしれません。従来のスタジアムにおける風量調整機能といえばヨーロッパサッカーのスタジアムに見られる芝育成のための通風孔がスタンドに設けられていて定期的に開放するなどの工夫が凝らされることはありましたが、あくまで芝の育成に配慮した換気口の役割にすぎません。360度全体を多層の観客席が覆い、上空から得られる風をうまく取り入れたスタジアムはこれまでにも聞いたことがありません。

 ただ、もともとこの「風の大庇」は観戦環境対策を兼ねたものであったことを考えると、無観客となった今大会限りの効果かもしれないのが残念なところです。今後の新国立競技場での記録を見てみたいところですが、無観客と日本の夏の気候が生んだ1度限りの競技環境である可能性とも考えられます。「2050年を先取りした競技場」だったかどうか、引き続き注目したいところです。

アスリートのパフォーマンスを引き出すスポーツ環境

オリンピックに続いてパラリンピックが開幕します。パラ陸上T64(下腿義足)走り幅跳びのマルクス・レームはパラリンピックロンドン大会とリオ大会での跳躍競技金メダリストでブレード義足を使用するアスリートですが、その記録はオリンピック選手に肉薄するもので、東京大会でもパラリンピックではなくオリンピックへの参加を希望していました。

一方、以前からカーボン繊維によるブレード義足が跳躍競技に有利に働くためフェアではないのではとの意見があり、今大会でもオリンピック参加がかなわなかった経緯があります。こうした議論については、ブレード義足の弾性を気にする一方でランニングシューズのソールの弾性を気にしないのはナンセンスだと思うとともに、新国立競技場のタータンの新素材についても同様ではないかと考えています。

賛否はあるかと思いますが、古代オリンピックの時のように全裸で競技をしているわけではない以上、ウェアなどのアスリートギアやスポーツ環境が記録に関わることは明らかであると考えると、むしろそれらの道具を駆使して人類の限界をどこまで引き出せるかを考えたほうがスポーツ振興の観点からしてもよいのではと思います。

アスリートのパフォーマンスを100%引き出すスポーツ環境をつくり出すことはスタジアムやアリーナの設計者にとって至上命題といえるかもしれません。最高の環境を世界中のどこでも提供できるのが正解なのですが、スタジアム・アリーナの設計においては、いまだアスリートのパフォーマンスを十分に引き出すに至っていないのが現状ではないかと思います。

そんな中、新国立競技場で予想を超えた世界新記録が樹立されたことに新たな陸上競技場の可能性を見るとともに、更なる陸上競技の発展に思いを馳せたい気持ちです。

24日からのパラリンピック、ブレード義足と高速トラックの組み合わせによってどんな記録が出るのか今から楽しみにしています。

<了>

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PROFILE
上林功(うえばやし・いさお)
1978年11月生まれ、兵庫県神戸市出身。追手門学院大学社会学部スポーツ文化コース 准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所 代表。建築家の仙田満に師事し、主にスポーツ施設の設計・監理を担当。主な担当作品として「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)」など。2014年に株式会社スポーツファシリティ研究所設立。主な実績として西武プリンスドーム(当時)観客席改修計画基本構想(2016)、横浜DeNAベイスターズファーム施設基本構想(2017)、ZOZOマリンスタジアム観客席改修計画基本設計など。「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」など実践に活用できる研究と建築設計の両輪によるアプローチをおこなう。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー、日本政策投資銀行スマートベニュー研究会委員、スポーツ庁 スタジアム・アリーナ改革推進のための施設ガイドライン作成ワーキンググループメンバー、日本アイスホッケー連盟企画委員、一般社団法人超人スポーツ協会事務局次長。一般社団法人運動会協会理事、スポーツテック&ビジネスラボ コミティ委員など。

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