新国立から外された「開閉屋根」は本当に不要だった? 専門家に訊くハコモノにならない方法

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2019.11.26

新国立競技場で当初計画されていた「開閉屋根」。無駄なコストと批判され、その後の再コンペの条件から外されることになったが、本当に不要だったと言っていいのだろうか?

Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)など数々のスポーツ施設を手掛けてきた上林功氏に、新国立競技場が現在の案となる前、世界の名だたる建築家や建築設計事務所が提案したビックリするような別案についても触れていただきながら、将来にわたって有意義に活用されるスタジアム構想において重要なポイントは何か、ご執筆いただいた。

(文=上林功、写真=Getty Images)

新国立競技場、ザハ案は本当に無駄に高かったのか?

新国立競技場は現在の案に至る前に、別案があったことは皆さんの記憶にも新しいと思います。2012年に行われた「新国立競技場基本構想国際デザイン競技」では国内外から46の作品が集められ、イギリスの建築家ザハ・ハディッド女史による案が最優秀として選出されました。その後、ザハ案については紆余曲折のなかで白紙撤回された残念な経緯があります。撤回の主な理由としては総工費が膨らんだことや施設の大きなボリュームが神宮外苑の街並みにそぐわないといった意見が見られました。ザハ案に対する批判において、「キールアーチ」という言葉がよく出てきたことを覚えています。日本語で言うと「竜骨アーチ」と訳されますが、竜の背骨のように大きなアーチをつくって、そこから屋根を支持したり吊ったりする構造方法です。ザハ案のキールアーチは2本のアーチが架けられているので厳密なキールアーチとは異なりますが、橋のような大規模構造によって無駄なコストがかかっているのではと批判されました。

構造コストはスタジアムの総工費を決定するうえでとても重要な要素となります。そのうえでキールアーチのような大規模構造がコストを大きくした原因であることは否定できません。一方で、スタジアムを設計する立場からすると、「可動屋根」という条件がアーチ構造を選択した理由であるようにも思えます。開閉機構を乗せる土台は通常以上に安定していなければならず、アーチ状の屋根にするのが最も効率的であり、もっとも確実な構造であるためです。

2002 FIFAワールドカップ日韓大会でつくられた可動屋根のスタジアムであるノエビアスタジアム神戸、昭和電工ドーム大分のいずれもが大規模アーチ構造に可動屋根を乗せた構造になっています。開閉部分の屋根は通常の屋根と違い、動いた際にひずみなどが生じないよう、とても頑丈につくられます。例えるなら、平屋の建物をスタジアムの屋根の上に乗せるようなもので、かなりの重量となります。観客席から出された庇(ひさし)のような屋根先端に乗せるのは無理なことがわかります。

その後、コストがかさむ中で開閉機構は計画条件から外され、出直しコンペの条件からも外れましたが、最初から可動機構が構造条件として設定されてなければもっと柔軟な対応も可能だったんじゃないかと思います。ザハ案は無駄に高かったわけではなく、活用の方向性が定まらないまま開閉屋根をつけることが前提になることで、可動機構を搭載することを可能にする過大な構造を提案せざるを得なかったことに原因があるように思います。一方で、スタジアムの多目的利用において開閉機構は今後必須の課題であることも確かで、選手の身体的負担を減らす天然芝の育成や、雨天時のイベント中止リスクを減らし、より多様な利用を考えた場合、開閉機構を導入するか否かは重要な議論となっています。開閉機構については国内でも検討したことのある技術者そのものが少なく、また実際に施工できる業者も少ないのも課題となっています。

新国立競技場コンペにあった「屋根が空を飛ぶ案」

ここで改めてザハ案以外の案を見てみたいと思います。新国立競技場基本構想国際デザイン競技では46作品が応募されましたが、こうしたオープンな建築デザインコンペは近年では国際的にも珍しく、46の応募作について報告書を見ながら興奮したことを覚えています。当時は入選した11案以外、あまり注目されませんでしたが、世界の名だたる建築家や建築設計事務所からの力作が揃っており、中にはビックリするようなアイデアも見られます。カメラのシャッターのような開閉機構を持つ屋根や、屋根そのものが空中に浮くことで屋根が開閉する仕組みなど、一見して奇をてらったような提案です。こうした案が出た背景には敷地の狭さも原因として挙げられます。MLBシアトル・マリナーズの本拠地、T-モバイル・パークにあるような大きな屋根をスライドして覆う方法は世界的に見ても安価な可動屋根として知られますが、この場合、スタジアム屋根を開放した際の屋根スペースがスタジアム外に必要であり、今回の神宮外苑では採用できない方法でした。スタジアムの規模や敷地条件を考えると、先述のような、新たな開閉機構の発想が必要となり、一見して奇をてらったような案を出さざるを得ないのがスタジアムでの可動屋根の難しさと言えます。

ちなみに、先述の変わった開閉機構、これらは実現性が乏しいものではなく、シャッターのような開閉機構はプロテニス・ATPツアーの上海マスターズが行われている上海旗忠森林体育城テニスセンター(2005年開場)やNFLアトランタ・ファルコンズ、メジャーリーグサッカーのアトランタ・ユナイテッドFCの拠点であるメルセデス・ベンツ・スタジアム(2017年開場)などで実際に導入されています。

屋根が空を飛ぶというのも冗談のようですが、これらは実際のところ真剣に議論されている内容で、浮かせた気球で屋根をつくったサーペンタインギャラリー2006など仮設建築では実験的なものが既に実現しており、新国立コンペ46案の中には2案ほど「屋根を飛ばす案」が見られます。実際のスタジアムに導入される日は近いかもしれません。

新国立コンペ案46案は以下のサイトで確認できます。ちなみに「屋根を飛ばす案」は「Ⅱ:応募作品紹介46作品-1、2」の作品番号1、作品番号30の提案です。その他にも多くの素晴らしいアイデアが並びます。新国立競技場が完成間近の今だからこそ「こんな案になる可能性もあったのか」と興味深く見ることができるかもしれません。

「JAPAN SPORT COUNCIL 日本スポーツ振興センターHP内、新国立競技場基本構想国際デザイン競技報告書」

開閉屋根は万能な機構ではなく使い方に最適化した検討が必要

可動屋根のコストはいくらぐらいになるでしょうか。一概にいくらというのは難しく、陸上競技場を含む規模になりますと建設例も限られるため算定が難しいのですが、1点だけ紹介できるノウハウがあります。

ポイントは「重力に逆らわないように開く」ことです。可動屋根は建築時のイニシャルコストもさることながら、メンテナンス費用が数年に1回当たり2000〜3000万円とかかるケースが存在します。そのほとんどが、開閉方向が重力に逆らう方向に開け閉めしているケースであり、機構が重力に抗うため、メンテナンスを怠ることで重大な危険を生じさせます。エレベーターに定期メンテナンスが必要な理由と同じなのですが、開閉部分の上下方向の移動があるとこうした問題が発生します。基本的に開閉は水平移動で行われるのが理想的です。水平移動もできるだけメンテナンスコストが低い方法を選ぶことが重要となります。開閉する屋根そのものが自立し、車輪やレールを使用することで、一定の軌跡で開閉することでコストは格段に減らすことができると言われます。

国内実績だけを見ても、メンテナンスコストがかさんでしまう開閉機構は使われなくなるケースが多く見られます。当時国内最大規模の開閉機構を持っていた宮崎シーガイアのオーシャンドーム(1993年開場)は420億円かけてつくられた世界最大の室内ウォーターパークでしたが、2007年に閉鎖、2016年に解体されました。

可動屋根は単純に屋根を開けるだけでなく、その目的が重要だと考えます。天然芝の育成が必要であれば天然芝グラウンド整備にかかるコストとの比較や、イベント利用を考えるのであればイベント開催に関する雨天リスクにかかるコストとの比較が必要となります。柔軟な運用を考えることのできる可動屋根は魅力的な機能ですが、スタジアムの規模や構造的な制約を考えた場合、まずはスタジアムをどう使っていくか、将来にわたる利用計画を綿密に考えることが必要です。可動屋根は使い方によっては多目的利用を可能にする便利な設備ではあるのですが、その「多目的」は計画に裏付けられたものであり、万能な機構と言うよりそのスタジアムの使い方に最適化させたオンリーワンの一品モノと考えてもらったほうが良いでしょう。

可動屋根の開閉方法のような建築仕様は通常、設計段階以前に採用可否が決定されていなければ、計画そのものを進めることができません。つまり建設と運営が一体となった構想を進めるうえで、計画のさらに前段階の時点での検討が必須となります。以上から考えても、「つくってから運営方法を考える」といったこれまでのスタジアム・アリーナの構想・計画手順を抜本的に見直さなければ、スタジアム・アリーナが「ハコモノ」から脱却することはかなわないのです。

<了>

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PROFILE
上林功(うえばやし・いさお)

1978年11月生まれ、兵庫県神戸市出身。追手門学院大学社会学部スポーツ文化コース 准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所 代表。建築家の仙田満に師事し、主にスポーツ施設の設計・監理を担当。主な担当作品として「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)」など。2014年に株式会社スポーツファシリティ研究所設立。主な実績として西武プリンスドーム(当時)観客席改修計画基本構想(2016)、横浜DeNAベイスターズファーム施設基本構想(2017)、ZOZOマリンスタジアム観客席改修計画基本設計など。「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」など実践に活用できる研究と建築設計の両輪によるアプローチをおこなう。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー、日本政策投資銀行スマートベニュー研究会委員、スポーツ庁 スタジアム・アリーナ改革推進のための施設ガイドライン作成ワーキンググループメンバー、日本アイスホッケー連盟企画委員、一般社団法人超人スポーツ協会事務局次長。一般社団法人運動会協会理事、スポーツテック&ビジネスラボ コミティ委員など。

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