名古屋・丸山祐市、大怪我は「偶然ではなく必然」? さらなる成長見据えた2つの挑戦

Opinion
2021.08.17

大きなケガを負ったアスリートはどのような葛藤を抱え、復帰に向けていかにして気持ちを切り替えるのか。5月15日、試合中の負傷で全治約6~8カ月という大ケガを負ったサッカー元日本代表・丸山祐市の場合はどうだろう。キャプテンとして名古屋グランパスの堅守を支え、J1無失点時間記録を更新したのちに訪れた悲劇。ケガは「偶然ではなく必然」と語るその胸中とは。

(文=宇都宮徹壱、写真=GettyImages)

「Jリーグの日」に61試合で途切れた連続フル出場

Zoomの画面越しに、懐かしい顔が浮かび上がる。現役選手へのインタビューは久しぶりだが、当人は不運なケガのために現在は長期離脱中。ラフなTシャツ姿、そして少し疲れたように見える表情から「どう切り出そうか」という若干の不安がよぎる。しかし、当人の明朗な語り口に少し安堵した。

「手術から2カ月経って、もう少しでジョギングができるくらいまできています。今回のケガは、前十字と内側(ないそく)、あと半月板の3カ所なんですよね。前十字だけなら2カ月で走れるようになるんですけど、僕の場合はもう少し慎重にやったほうがいいと担当医からもアドバイスされています。ですから、あと1〜2週くらいですかね」

名古屋グランパスのキャプテンにして元日本代表、丸山祐市にオンラインで話を聞いたのは、負傷から75日後のことである。悲劇が起こったのは5月15日、清水エスパルスとのアウェー戦であった。柿谷曜一朗のゴールで折り返し、エンドを替えて8分後、ピッチにうずくまって痛みに耐える丸山の姿があった。

「ボールがイーブンな状況で、足が伸び切ったところで相手の膝が入ったんだと思います。前十字をやる時って『バキッ』みたいな音がするらしいんですけど、その時は音ではなく痛みを感じるくらいでした。プレーできるかなと思って、とりあえず立ってみたら不安定だったし、交代の木本(恭生)選手もスタンバイしていたので、そのまま歩いてベンチに下がったんです。試合後に病院でMRI検査をしてもらって、その日の夜には診断結果が出ていました」

5月24日のクラブによる公式発表は「右膝前十字靭帯部分損傷および内側側副靭帯損傷」。全治には6カ月から8カ月かかることも明らかにされた。「前十字は高校時代にもやっていますけど、プロになってこれほどの長期離脱は初めてでしたね」とは当人の弁。5月15日といえば、サッカーファンにとっては「Jリーグの日」だが、丸山とっては連続フル出場が61試合で途切れた日となってしまった。

9試合連続クリーンシートと823分の無失点時間記録

今季の名古屋の好調を支えていたのが、丸山を中心とする鉄壁の守備である。3月6日の北海道コンサドーレ札幌戦(1−0)から、4月14日のサンフレッチェ広島戦(1−0)まで9試合連続クリーンシート。無失点時間記録は823分にまで更新した。ゴールやアシストとは異なり、なかなか注目されにくいディフェンスの記録について、丸山はどう感じていたのだろうか。当人の答えは、意外なまでに淡々としたものであった。

「まずは守備から、というのがチームスタイルですし、攻撃の選手も前からプレスをかけてくれたおかげだと思っています。もちろん記録については、周りからいわれてうれしかった部分もありましたが、いつか必ず終わりはくるものだと思っていました。それでも毎試合(失点)ゼロで終えられれば、どんな内容でも最低でも勝ち点1は積み重ねられるわけですし、チーム状態が非常によかったからこその9試合連続ゼロだったと思っています」

丸山は1989年生まれの32歳で東京都出身。明治大学卒業後、2012年にFC東京に加入し、2014年には1シーズン、湘南ベルマーレに期限付き移籍してJ2も経験している。2018年途中に名古屋に完全移籍してからは、守備の要としての地位を確立。昨シーズンは、マッシモ・フィッカデンティ監督の下、センターバックでコンビを組む中谷進之介と共に全試合フル出場を果たしている。このシーズンの失点は28でリーグ最少。固い守備をベースに、9年ぶりとなるAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場権も獲得している。

「去年はコンディションも良かったし、今年のACLに懸ける思いもありました。それだけに、シーズン半分もいかないところで終わってしまったのは残念。キャプテンマークも託されていましたので、ピッチ上で貢献できないことへの悔しさもありました。ようやく気持ちの切り替えができたのは、オペの日が決まってからでしたね」

膝の手術が行われたのは5月28日。術後すぐは、患部を中心にパンパンに腫れて「自分の足とは思えなかった」そうだが、2日目からは松葉杖で動けるようになった。それでも、入院期間は3週間。新型コロナウイルス対策のため、家族も含めて見舞客が訪れることもなかった。大変でしたね、と水を向けると「チームメートもACLの間はずっとバブル(方式/選手・関係者の外部との接触を避ける新型コロナ対策)でしたから」。それでも自身の中では、さまざまな葛藤があったようだ。

「入院中の間、6割は仕方ないという思い、2割くらいは取り残されている感じ、残り2割が復帰への不安でしたね……」

気持ちを切り替えてスタートさせた2つのチャレンジ

一方で丸山は、今回のリタイアとリハビリについて「偶然ではなく必然だったと思っている」とも語っている。この言葉の背景には、高校時代に前十字を切る大ケガをした経験があったのだろう。気持ちを切り替えた丸山少年は、大学受験に集中して明治大学に進学。「そのプロセスがなかったら、プロとしてのキャリアもなかった」と言い切る。

丸山の長所を一つ挙げるなら、それは切り替えの早さであろう。失点したからといって、決して引きずらない。チームが不利な状況に陥ったら、まずは打開策を考え、すぐにチームメートと共有する。それができるからこそ、名古屋の守備をつかさどるだけでなく、キャプテンとしてチームを引っ張ることができた。プレーで貢献できないのであれば、リハビリに注力するだけでなく、人間的にもパワーアップした状態でチームに戻りたい。そう考えた丸山は、2つの新しいチャレンジを始めた。

「一つはメンタルトレーナーの資格を取るための勉強。現役選手で、この資格を持っている人はいないみたいですね。目的は2つあります。まず僕自身、キャプテンであり年齢も上のほうになってきたので、もっと自分をコントロールできるようにすること。そして自分だけでなく、チームに対してもいい影響を与えられるようになることです」

もう一つの挑戦は、いささか意外に思われるかもしれない。それは自身のオンラインコミュニティ。こちらは自身の誕生日である6月16日からスタートさせている。

「小規模でもいいから、ファンサービスの一環としてやってみたいという思いがずっとありました。去年はコロナもあって、ファンとの触れ合う機会も制限されていましたし。現時点での会員さんの半分くらいは名古屋のファン・サポーター、あとはFC東京や湘南のファン・サポーターといったところでしょうか。まだ始めたばかりなので、会員の皆さんとのフラットな関係づくりが課題です。今は選手とサポーターという縦の関係ですが、回数を重ねていければ『丸山選手』ではなく『丸山さん』と言ってくるんじゃないですかね(笑)」

実は私自身、オンラインコミュニティを主催しているので、僭越ながらアドバイスをさせていただいた。ここでは詳細を明かさないが、一つだけ断言しておきたい。現役選手のオンラインサロンは、やりようによってはメンタルトレーナーの学習と同じくらい、復帰後やセカンドキャリアに有効である。円滑なサロン運営の要諦は、会員とのよりよい関係性の構築であり、それは復帰後のチームビルディングにも十分に活用できるからだ。

来季、ピッチに戻ってきた丸山祐市がフットボーラーとして、そして人間として一回り大きくなっていることを期待したい。

<了>

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PROFILE
丸山祐市(まるやま・ゆういち)
1989年6月16日生まれ、東京都出身。FC東京U-15、国学院久我山高校を経て、明治大学へ入学。大学卒業後、2012年にFC東京へ加入。2014年に湘南ベルマーレへの期限付き移籍を経て、FC東京復帰後はレギュラーとして活躍。2015年には日本代表にも選出。2018年に名古屋グランパスへ完全移籍。2019年からはキャプテンに任命される。2020シーズンは全試合フル出場し、9年ぶりのACL出場権獲得に貢献。現在は二児の父として子育てにも奮闘中。2021年6月より自身のオンラインコミュニティ「OFF THE PITCH」をスタート。

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