
坂本花織の勝負強さ、ただ一つの理由。「急に金メダル候補と言われて…」重圧を乗り越えた新世界女王
会心の演技だった。力強く拳を振り下ろし、あふれ出てくる充足感をかみ締めた。オリンピックで燃え尽きた胸中、突如として降って湧いた“金メダル候補”という重圧。それでも坂本花織が世界選手権で念願の初優勝を成し遂げることができたのは、ただ一つ、信じられるものがあったからだ――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
調子が良くない感覚で迎えた世界選手権。“優勝候補”の重圧には…
「今シーズンは世界選手権もそうだし、NHK杯や全日本(選手権)でも、今まで以上に試合前から“優勝候補”というのがついてきた。それがすごく緊張(の原因)になったりはしていたんですけど、何回もそれを乗り越えてここまでやれてきたのは本当に自信にもなったし、こういう経験ができて幸せだなって思いました」
世界選手権でフリーを滑り終え、優勝を決めた坂本花織は、ミックスゾーンでそう振り返っている。
確かに、今季の坂本は数々の試合を優勝候補として迎えてきた。そしてその重圧を背負って戦ったNHK杯と全日本選手権、そしてシーズンを締めくくる世界選手権で、期待通り表彰台の一番高いところに立っている。
「自分自身メンタルが強いかといわれるとそうではなくて、別に強くも弱くもない、普通だと思っている」
この世界選手権のメダリスト会見に女王として臨んだ坂本は、銅メダルを獲得したオリンピックに続けて世界選手権で優勝した精神的な強さについて問われ、そう答えている。だが見る者には強いとしか思えない坂本のメンタルは、何に支えられているのか。
北京五輪で銅メダルを獲得した坂本は、約1カ月後の世界選手権に優勝候補として臨むことになった。
「今大会にロシアの選手が出られなくなり、急に“金メダル候補”といわれてこの大会に臨んで……最初は調子があまり良くなかったので、『頑張りたい』という気持ちと調子にあまりにも差があり過ぎて、すごく大変だった」
“困難から解放される喜び”を表現したショートで、驚愕の80点台
しかし実際に世界選手権のショートで見せた坂本の滑りは、圧巻だった。映画『グラディエーター』の曲『Now We Are Free』を使う坂本のショートは、大きなダブルアクセルから始まる。坂本のダブルアクセルは飛距離・高さともに抜群で、トップスピードのまま跳躍に入って美しく着氷し、そのまま止まることなく流れていく。世界選手権で跳んだダブルアクセルは、9人の審判のうち8人が出来栄え点で満点の“5”をつける完璧なジャンプだった。坂本がいつも気にしている3回転ルッツのエッジもエラー判定がつかず、後半に入って跳ぶ3回転フリップ+3回転トウループも美しく決まる。その後のステップでは、氷上を飛んでいるかのような勢いとスピードで、このプログラムのテーマである“困難から解放される喜び”を全身で表現した。
中野園子コーチと並んで座ったキスアンドクライで80.32というスコアを確認した坂本は、「80? 80?」と叫び、足をバタバタさせる大きなリアクションで驚きと喜びを表現している。
「まさか(80点台に)乗ると思ってなくて、すごくびっくりして、とっさに(リアクションが)出ました。驚き・喜び、驚き・喜びみたいな感じで、交替交替で脳内を駆け巡ってたみたいな感じです」
「めちゃくちゃうれしいです」と歓喜の表情を見せた坂本は、首位発進でフリーに臨むことになった。
最終滑走者として迎えたフリー。思い返す4年前の光景
坂本は、最終滑走者としてフリーに臨んだ。フリー後のメダリスト会見で、坂本は「一回経験したら『もう大丈夫』って思える」と経験の重要性を語っている。
「最終滑走はだいぶやり込んできたし、もう『最終滑走、嫌』とかにはならなくなって、『なんなら、別に最終滑走でもいいよ』ぐらいにはなってきて」
坂本の最終滑走といえば、鮮烈に思い出されるのが平昌五輪代表最終選考会だった2017年全日本選手権・フリーだ。平昌五輪シーズンにシニアデビューし、シーズン前半はダークホース的な存在だった坂本は、後半にかけて調子を上げてきた。そしてショート首位・最終滑走という、この上なくプレッシャーがかかる状況で迎えた全日本のフリーで見事な演技を見せ、平昌五輪代表に選ばれたのだ。
当時は、指導する中野コーチも「トリはきついので」「精神的にも、普通だったら多分つぶれてしまう」と坂本にかかっていた重圧を思いやっていた。そして、その強さは日頃の鍛錬から生まれていることを、中野コーチは誰よりも理解していた。
「(シーズン)後半、よく練習したと思います。シニアになって戦えるようにということで、頑張って練習していました」
そして2022年世界選手権のフリー、直前にルナ・ヘンドリックスが見せた素晴らしい滑りの余韻が残る中、坂本はリンクに入る。テーマ性の強いフリー『No More Fight Left In Me / Tris』の表現にシーズン序盤は苦しんだ坂本だが、突破口となったのは振り付けたブノワ・リショーからの「これはカオリのための物語だから、カオリが自由に滑ってくれ」というメッセージだったという。その言葉から「自分自身の滑りを見せたらいい」と気付いた坂本は、本来の伸びやかな滑りを取り戻した。シーズンを通して磨き上げてきた、フリーの完成形を見せる時だ。
「やっぱり緊張がすごくて、オリンピックとはまた別のすごい緊張に襲われて。頭とか心が大変な状態になっていたんですけど、でもやっぱり先生とか周りの方々に背中を押してもらえて最後出ることができたので、もう本当に『ここまできたらやるしかない』と思った。この世界選手権は枠取りが懸かっていたので『なんとしてでも3枠を死守しないといけない』という思いがあって、『もう死んでもいいからやろう』と思ってやりました」
前滑走者の素晴らしい演技の直後に、圧巻の滑りができた要因
最初のジャンプとなるダブルアクセルはフリーでも大きな跳躍となり、坂本の強さを示すプログラムの幕開けとなった。課題のトリプルルッツはエッジエラーがついてしまったものの、その後は完璧な滑りを見せる。落ち着きを取り戻したのは、4番目のジャンプとなる3回転サルコウからだった。
「途中のサルコウあたりで、リンクに物が落ちているのがすごく気になってしまって。そこからは集中が――『あれ、なんやろう』となってそこばっかり気になっちゃって。演技に集中し過ぎず、『いい感じの緊張感に戻ったな』って思いました」
「いつもの朝練の感じ」に戻ったという坂本は、観客のいない早朝のリンクでも滑っていたと想像される隙のない演技を、モンペリエのリンクで披露する。
後半に入り、3回転フリップ―3回転トウループを決めると、歓声が上がった。クライマックスとなるコレオシークエンスを、深いエッジワークと上半身の大きな動きを見せながら滑っていく。最後のジャンプとなる3回転ループを、坂本のトレードマークとなる回転しながらの入り方から決めると、さらに大きな歓声が上がる。
フィニッシュポーズの後、坂本はガッツポーズで固めたこぶしで氷をたたいた。観客席では『FREEDOM is KAORI SAKAMOTO』というメッセージが、日の丸の横で揺れている。あいさつを終えた坂本はジャッジ席の前まで滑っていき、手袋をとって落下物を確認した。
ショートに続きフリー(155.77)、合計(236.09)でも自己ベストを更新し、来季世界選手権の日本代表枠「3」も獲得する、圧巻の優勝だった。フリー後の記者会見で、坂本は銀メダリストとなったヘンドリックスの直後に圧倒的な滑りをすることができた要因をうかがわせる発言をしている。
「オリンピックでも、(前の滑走者のアレクサンドラ・トゥルソワが)4回転をたくさん跳んで高得点を出して、自分の番になっていた。それでもやっぱり今までの練習が力になって今まで通りの演技がどの大会でもできるようになってきていたので、それはすごく『成長だな』と感じる」
「五輪で本当にすごく頑張ったので、それで燃え尽きてしまった。でも…」
坂本は「世界選手権に向けての練習は、本当に今までで一番大変だった」と吐露している。
「オリンピックで本当にすごく頑張ったので、それで燃え尽きてしまった。でも世界選手権に出るメンバーはほとんどオリンピックからそのまま出る選手が多かったので、みんな状況は一緒だし、自分だけ『疲れた』というのは許されないな、と感じていたけど、どうしてもやっぱり調子が上がらなくて。『この世界選手権、本当どうなるんだろう』っていう不安がすごく大きかったのは正直あって」
そこで支えになったのは、積んできた練習だった。
「でも今回は、今までの練習がすごく背中を押してくれたな、と感じて。練習で必死こいて先生と一緒にやってきて、それが世界選手権までもってすごくよかったなと思った。自分自身、信じてここまでやってきてよかったなというのを、この結果を見てすごく感じました」
「いつも練習からノーミスというのは目標にはしているんですけど、なかなかそれができなかったりしたときに、どうしても自分に甘くなってしまうので。そういうときはやっぱり先生が活を入れてくださるので、先生に本当に感謝しています。だから今後ももっともっと、活を入れまくってほしいなと思っています」
オリンピックの銅メダリストとなった坂本が、日本の枠取りを懸け、優勝候補として臨んだ世界選手権。全てを出し切る滑りを支えたのは、中野コーチに叱咤(しった)激励されながら積んできた練習だった。
<了>
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