
1万人集客、スター獲得、1000万円プレーヤー誕生。WEリーグ初代王者に見る女子プロスポーツクラブの可能性
日本初の女子プロサッカーリーグとして2021年に発足したWEリーグ。「日本に女性プロスポーツを根付かせる」というビジョンの下、最低年俸の設定や秋春制を採用するなど、新たなチャレンジをし、2年目のシーズンも残すところ2カ月を切った。初代タイトルを獲得したINAC神戸レオネッサは、独自の集客策で話題を作り、女子プロスポーツチームの可能性を示してきた。そのアイデアの発信源となっている安本卓史社長が仕掛けてきた5年間の女子サッカー界での奮闘の軌跡と成果について話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=INAC神戸レオネッサ)
就任初年度にホーム戦5000人達成
――INAC神戸の社長に就任された2018年以来、Jリーグチームのスタジアムでの試合開催や、代表のスター選手獲得、国立競技場での1万人集客など、女子サッカー界でさまざまな話題を発信してこられました。改めて、どんなことが印象に残っていますか?
安本:持てる力は出し切ってきましたね。前職では、楽天でヴィッセル神戸のクラブ経営に携わっていたので、最初の1年は「Jリーグと同じようにはいかない」と学んだシーズンでした。それでも、1年目のホーム最終戦で4712人を集めて、2年目のホーム最終戦では5335人が来場し、平均3045人までお客さんを増やすことができました。その翌年からコロナ禍になってしまいましたが。
――集客の様々なアイデアは、どのようなところから着想を得たのですか?
安本:基本的には、それまでのヴィッセル神戸での集客策を踏襲しました。ヴィッセルは(ルーカス・)ポドルスキや(アンドレス・)イニエスタが来日する前からクラブとして集客に力を入れて地域密着型の集客をしていたので、その時と同じことをやりました。
――就任以降はスポンサー収入など、クラブの予算も大幅に上がりましたよね。
安本:そうですね。そこでも前職の人脈を生かして、スポンサーや企業への営業に力を入れてきました。収入が増えたことで、グッズや広告を充実させることができたのは大きいと思います。
――コロナ禍も落ち着いてスタジアム来場可能数の上限が100%に戻りましたが、現在の集客目標はどのぐらいが目安ですか?
安本:理想は、1試合平均5000人です。バレーボールやバスケットボールなどの室内競技で平均2000〜3000人、アメリカの女子プロサッカーリーグは平均7000人ぐらいです。競技人口はアメリカの方が圧倒的に多いですが、うちもコンスタントに5000人ぐらいのお客さんに来ていただけるようにしたいですね。
最初に変えたのは試合後の「間伸び」
――Jリーグクラブのチームも多い中で、女子単体クラブの可能性はどんなところに感じますか?
安本:女子単体クラブだからこそ、フットワークを軽くいろいろなことにチャレンジできている部分はあると思います。ただ、ヴィッセル時代にINACを見ていた時に「これだけ強いのに、もうちょっと運営をうまくやったらいいのにな」という思いがありました。
――どんな面でそう感じたのですか?
安本:「スタジアムの空気が緩い」と感じました。試合後にお客さんがファンサービスを待っている中で、川澄奈穂美選手がトークでお客さんを楽しませてくれたりしていました。運営としては、そこで「間延び」をさせたくないんですよね。お客さんもコンパクトに凝縮した時間を過ごせれば「また行きたい」と思うでしょうし。だから、最近のライブ(音楽のコンサート)はアンコールも早く出てきますよね。
その点は、2018年から大きく改善しました。試合後は段取り良くインタビューをして、スタンドに挨拶回りをしたあと、試合後のプレゼント企画を行っていて、そこまでの段取りをできるだけ効率よくしています。
――初めてのお客さんにリピーターになってもらうためにも、最初の「つかみ」が重要なのですね。そうした考えは、選手たちとも共有しているんですか?
安本:もちろんです。関西にはヴィッセル神戸や阪神タイガース、ユニバーサルスタジオジャパンなど、エンターテインメントの競合がいっぱいある中で、お客さんの一日の予定を押さえなければいけませんから。試合内容はコントロールできませんが、ピッチはコンサートで言えば演奏するステージなので、選手たちはピッチで輝いて、お客さんと向き合う中で、時には「演じる」ことも大切だと伝えています。ゴールパフォーマンスがかっこよかったら、それに憧れる子どもたちもいると思いますから。
試合後にスタンドの知り合いを探して手を振る選手がいますが、それは後でもできますよね。初めて見にきてくれたお客さんたちの心にもアプローチすることが大切だと思いますし、それを伝えてきた中で、選手たちも理解して行動してくれています。
――様々な興行が他にもある中で、サッカーをスタジアムで観戦する楽しさはどんなことだと思われますか?
安本:まず、45分ハーフの90分間で終わることですね。45分間は小学校の授業時間と同じなので、子どもたちもその間は集中できるし、競技の特性上「間」が空かないのも魅力だと思います。野球は、サッカーよりも試合時間は長いですよね。でも、9イニングあるので、その裏と表の間に18回のエンターテインメントのチャンスがあります。
サッカーはその「間」がないので、ハーフタイムの15分間はお客さんは楽しいイベントがあれば見たいでしょうし、トイレにも行きたいと思うので、ハーフタイムの使い方は模索しています。Jリーグで人気のあるクラブでも「この使い方がベスト」というのは、まだ見つかっていないと思います。
国立1万人集客へ
――2020年以降は、スター選手の獲得にも注力し、2021年9月のWEリーグ開幕戦では、オープニングマッチに力を入れていました。どんなイメージや仕掛けをされたのでしょうか?
安本:「Jリーグ開幕時の華々しさにどれだけ近づけるか」を大切にしていました。開幕が東京五輪の直後だったので、午前中に試合を見る習慣が日本人の中に根付いていると思い、開幕戦は朝10時に設定しました。リーグ第一号のゴールをINACの選手に取ってもらいたい思いがありました(INAC神戸の髙瀬愛実が第一号を記録した)し、その時間ならテレビの放送枠も取れましたから。Jリーグ開幕のアンセムを手がけた春畑道哉さんに、WEリーグアンセムの生演奏をしてもらうことにもこだわりました。
――アイデアが盛りだくさんですね。昨年5月には、国立競技場の試合でリーグ最多の1万2330人の集客を実現しました。平均観客数が1500人弱と苦戦する中で、かなりインパクトのある数字でした。
安本:5年間、いろいろなことを仕掛けて発信してきた中でたどり着いたキーワードが「共感」です。友達や家族で一緒に試合を見て、「楽しかったね」「次の試合はいつ?」と、自分で調べるようになってきてくれたら、集客は成功だと思います。だからこそ、そういう雰囲気を楽しめるエンターテインメントの場にしたいと思い、国立ではお子さんと親御さんが参加できるイベントに力を入れて、女子チームや医療従事者は招待しました。また「聖地」の雰囲気を楽しんでもらえるようにスタジアムツアーや特別シートを用意したり、澤穂希さんと宮間あやさんによるキックインセレモニーなども実施しました。
――高額なスタジアム使用料を短期間で集めたことも記事を賑わせました。協賛企業への営業で大切にされていたことを教えてください。
安本:国立競技場にはピッチのLEDビジョンやコンコースのスペースなど、他のスタジアムにはない広告枠がたくさんあるので、すべて生かしきって、投資に見合う価値があることをアピールしました。結果的にはWEリーグの関連企業やパートナー企業からも協賛していただき、結果的に10日間で3200万円が集まりました。
――入念な準備とすごい営業力ですね。いろいろなメディアに取り上げてもらうために、どのような働きかけをしたんですか?
安本:それは、楽天時代に元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキ選手の獲得に奔走した経験が生きました。彼のおかげで、当時は毎日メディアの方とやりとりしていたので、神戸空港の来日イベントなどを大々的に仕掛けることができたんです。その人脈が生きました。
2年目に年俸1000万円プレーヤーを輩出
――WEリーグは最低年俸が270万円と設定されていますが、INAC神戸は初代タイトルを獲得して、2年目にWEリーグ初の年俸1000万円プレーヤーを誕生させました。実現にはかなり高いハードルがあったのではないですか?
安本:ええ。最初はもうちょっと下の額で提示をしたのですが(笑)。交渉の中で、確かにそれだけの活躍をしてくれたと思いましたし、「その代わり来年も頑張ってくれよ」と伝えて、気持ちよく出しました。
――プロを目指す選手や子どもたちにとっても、一つの原動力になりますね。予算を確保する難しさもあると思いますが、INAC神戸は最低年俸ギリギリではなく、活躍や経験値によって傾斜をつけているんですか?
安本:そうです。経験値やチームへの影響力も考慮しますが、レギュラークラスには500万円以上は払いたいです。ただその分競争も厳しくなりますし、他のチームで活躍している若い選手が移籍してきてもそこまでいけるとは限らないですね。
――アメリカは所属選手全員の年俸の総額を決めるサラリーキャップ制を採用しています。WEリーグは1クラブ当たり15名以上とのプロ契約を義務付けていますが、アマチュア選手もいます。こうした規定についてはどう感じていますか?
安本:プロの基準を「270万円」と決めないでほしい、というのが本音です。うちの場合、今は若手選手の中にアマチュア契約が3人いるのですが、最低年俸をなくして月20万円、年俸240万円前後ならプロ契約が可能です。予算にも限りがあってその30万円が足りないので、アマチュア契約になっています。17、18歳でもプロで活躍できる選手はいますから。アメリカは大学スポーツが盛んなので、大学で活躍してからドラフトでプロになる、という流れが確立されているので、青田買いをする文化がなく、そこは日本とは違うところですね。
5000人規模のスタジアムを作って女の子がサッカーできる場所を
――今後のクラブの構想として、チャレンジしたいことはありますか?
安本:5年、10年のスパンで見ていくと、育成からの昇格選手も増えてほしいと思っています。また、FC今治が完成させた今治里山スタジアムのように、5000人ぐらいのコンパクトなスタジアムを作りたいですね。今はノエビアスタジアムをヴィッセル神戸と併用しているので、日程調整も大変ですから。5年前に40人だったスクール生が今では230人に増えたので、練習場の規模も大きくしたいと思っています。
――スタジアムを作れば、また新たな前例を作ることになりますね。予算を集めるのが大変そうですが……。
安本:INAC神戸の練習拠点でもある六甲アイランドで作りたいと考えています。住みやすい街ですし、神戸市とも連携しながら、資金をどうやって集めていくか考えています。
――女子サッカー界での挑戦はまだまだ続くのですね。
安本:はい。ポドルスキ選手を獲得するときに何度かヨーロッパに行かせてもらいましたが、サッカー文化がすごく根付いている国や地域で、サッカーが生活の一部になっていると実感しました。サッカーの仕事に携わるなら、目指すべきはそういうところだと思います。今、日本の女子サッカー界は「そんなのは無理だ」というような空気に負けてしまっている部分があると感じますし、そこに対してどのチームもチャレンジしていけるような空気をつくっていきたいですね。
<了>
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[PROFILE]
安本卓史(やすもと・たかし)
1973年2月13日生まれ、大阪府出身。小学生のころから野球に熱中し、近畿大学附属高校野球部で甲子園を目指す。近畿大学商経学部卒業後は広告会社を経て、楽天グループへ転職。楽天では、広告事業、ゴルフ事業、チケット事業に従事。2013年からはJ1ヴィッセル神戸で常務取締役などを務め、FWルーカス・ポドルスキの獲得にも尽力した。2018年10月にINACの社長に就任。Jリーグのビッグクラブの発展に寄与した経験を生かし、様々な集客策を発信。WEリーグ初代理事。
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