
「メンタルはスキル」。エディー・ジャパンを支えたスポーツ心理学者に聞く、世界と戦えるチームの作り方
「メンタルはスキルです」。スポーツ心理学における日本の第一人者で、さまざまなアスリートをコンサルテーションしてきた荒木香織氏は言う。2012年から2015年にかけて、エディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)率いるラグビー日本代表のメンタルコーチとしてチームに帯同。それまで勝った経験がほとんどなく、「“どうせ勝てない”と思っている選手が多い状況だった」チームは、2015年のラグビーワールドカップでは南アフリカを破る史上最大のアップセットを起こした。スポーツ心理学の研究から導き出された理論や幅広い知見をもとに、スポーツやビジネスの最前線を支えてきた荒木氏に、世界と戦うメンタルスキルついて話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)
スポーツ心理学を研究し、多様な競技をコンサルテーション
――まず、荒木さんの専門分野と普段のご活動内容について教えていただけますか。
荒木:スポーツとパフォーマンスの心理学(Sport and performance psychology)を専門としています。活動の柱は3つあって、1つはスポーツ心理学や心理学の研究をすることで、2つ目は授業や講演活動、セミナーなどを通じて知識を提供する教育活動です。3つ目は、研究で証明されてきた心理学の内容を、現場のアスリートやビジネスパーソンなどに提供していくコンサルテーション活動をしています。
――これまでラグビー日本代表やバレーボールの柳田将洋選手など、さまざまな競技のチームや個人をサポートされていますよね。
荒木:基盤が心理学なので、対象に限りはないんですよ。各競技の特徴や本質を捉えておく必要はありますが、個人もチームも、ビジネスパーソンも、性別、年齢、国籍も関係なくコンサルテーションしています。スポーツ科学という分野の学位を取っていて、スポーツ心理学だけでなくバイオメカニクスやスポーツ社会学、スポーツ栄養学など、あらゆることを学んだ上で、研究でエビデンスとして残されているものを基盤にして、ビジネスパーソンやアスリートのパフォーマンス向上のお手伝いをしています。
――ご著書の『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』では、メンタルを鍛えるスキルが豊富に載っていますが、スポーツ心理学において、そうしたスキルの種類はかなり多いのでしょうか?
荒木:ものすごく多いですよ。スキルだけを書いた分厚い研究書もあります。そういう本を、アスリートやコーチだけでなく、ビジネスパーソンの間でも読む方が増えています。
――ビジネスや日常生活にも通じるスキルなのですね。
荒木:そうです。ビジネスでは、パフォーマンスやメンタルヘルスの向上を目指して、売上や利益につながるように考えます。スポーツは勝敗があるので、勝たなければいけないですよね。ただ、日本のスポーツ界ではまだメンタルのトレーニングを軽視することが多く、偏見もあると感じますし、実際に世の中のメンタルに関する情報の中にはエビデンスに基づいていないものもあります。人の心に関わる仕事ですから適当な情報を流せないはずなのですが、目に見えないものだからこそ、倫理的に曖昧な関わり方をする人が増えていることは問題だと思っています。
ラグビー日本代表を変えた「自主性」
――荒木さんがコンサルテーションされていた2015年のラグビー日本代表チームは、ワールドカップで南アフリカを破った最後のトライに象徴されるように、選手たちが自主的に判断して戦えるチームでした。育成年代においても「自主性」は特に強調されるポイントだと思いますが、その本質はどんなところにあると思われますか?
荒木:「自主性」は最近よく聞く言葉ですが、理論的に理解している人はほとんどいないのではないかな? と思います。モチベーションを高める理論には3つの軸があって、1つが“自分はできる”という「有能感」です。2つ目は、自分のパフォーマンスや言動がどれだけ周囲に影響を及ぼし、どれだけチームに貢献できるかという「関連性」。もう一つが「自主性」で、自分自身で考えて判断して選択できる環境があれば、モチベーションの維持、向上ができると言われています。その3つの軸の中で「自主性」が一人歩きしている状態です。
ラグビー日本代表は、私がメンタルコーチとして関わるようになった当初は「どうせ勝てない」と思っている選手が多い状況だったので、自主性だけを育もうと思ったのではなく、いかにして誇りやモチベーションを育てながら4年間を過ごして戦い抜くか、という理論がベースにありました。
――本来は、その3つがセットになっている中で、自主性ばかりがフォーカスされるのは、指導者側が苦労している事情もあるのでしょうか。
荒木:自主性ばかりを強調する指導者は、ある意味、指導を放任していると思います。ラグビー日本代表も、最初はエディーさんにたくさんのことを教えてもらって、ミーティングを重ねて、4年目でやっと「自分たちでできることはこれだね」と選ぶことができました。そのように、まずは教えてあげて、できるようになってからどの選択肢がいいかを自分たちで判断できるようになる、という段階が必要です。最初から「自分たちで考えろ」というのは最悪の指導だと思いますし、「自分たちで議論させる」のも違うと思います。わからないことを質問に来た選手には、まずは答えをあげてほしいですね。
――書籍の中で、「チームワークは日本人の長所だとよく言われますが、研究では決してそうではない。どちらかといえば、個人でなんとかする、しなければいけないと考えるのが日本人」という話が印象的でした。日本人は協調性に長けて、まとまりやすいイメージがありました。
荒木:スポーツ心理学の研究では、日本人は個人主義的な人が多く、それほどチームワークが得意ではないことがわかっています。リーダーシップを持っている選手が少ないので、チームを作りにくい面もあると思います。自分から意見を発信することが少なく、「人に聞く」とか「助けてもらう」ことが苦手で、ピンチの場面では一人で打開できる場合が多いこともわかっています。エディーさんは、そういう選手は絶対に起用しなかったですけれどね。
ゼロから勝者のメンタリティを作るには?
――エディーHCのチームは、高校や大学で日本一になったことがない選手が多かったそうですが、そういう選手たちに、どのようにしてハングリーさや勝者のメンタリティを植え付けていったのでしょうか?
荒木:理論的には、先ほど挙げたモチベーションを高める理論の中の「有能感」がポイントです。先ほども言ったように、2012年ごろのチームは、誰も「世界で戦える」とは思っていなかったので、エディーさんが練習の中で少しずつチャレンジしなければいけないようなメニューを考え、それができるようになっていくと、選手は「自分たちにもできるんだ」という有能感を身につけていきました。
その中で、それぞれがどのようにチームに貢献しているかという「関連性」も考えるようになり、全体のモチベーションが上がって、パフォーマンスも向上しました。エディーさんもそのことをよく理解していたので、先ほどのモチベーションを高める3つの軸が理論的に完璧に当てはまったんです。
――モチベーションの向上に比例して、結果も出るようになっていったんですね。
荒木:そうです。最初はずっと負けていましたが、一つ勝てるようになると自信がつきます。日本で行われた試合でウェールズに勝ったことがあるのですが、たとえ相手が二軍でも、「ウェールズに勝った」ことに変わりはないですから。そうしたら、「もう少し挑戦してみよう」と次のステップに進む。指導者側がそういう環境を作って、段階的に挑戦できる試合や相手を設定してあげることが大切だと思います。
ただ、基本的に勝敗はコントロールできません。どれだけ準備をして最高のパフォーマンスをしても、相手の方がコンディションが良かったり、実力が上回っていれば負けます。それでも、自分たちが持っているものをどれだけ向上させて、発揮できるかに目を向けることが大切です。そのためには、勝ち負けにこだわらずに、人と競争したり比べたりしないで、自分やチームにフォーカスして取り組んでいけるかが大事だと思います。
勝つためにネガティブな感情はいらない
――「人と競争したり比べたりしない」とのことですが、選手間の競争は、チームにとってはプラスにはならないのですか?
荒木:チーム内でポジション争いをしても、基本的には心も体も健康的ではないです。日本代表なら一つのポジションを争うよりは、全員が切磋琢磨してそのポジションを「日本一のポジション」にして行くことでチームは強くなります。そのために、トレーニングで「チームで学んで成長しよう」というメンタリティを作れるかが勝ちにつながります。
――チーム内の競争を原動力にしない方がいいのですね。とはいえ、代表チームには各チームのエース級が集まりますし、代表ではサブになることもあります。そういう中で、嫉妬や悔しさなどのネガティブな感情をコントロールするためにはどうしたらいいんでしょうか?
荒木:勝つためには、「羨ましいな」という嫉妬や、ネガティブな感情は一切必要ないです。それは、チームスポーツでは特に強調しているポイントです。選手一人一人が体型も身長も、今まで教わってきたことも違うのに、スキルだけを他の人と比べてもチームのためにはなりません。そこは指導者の働きかけも必要で、「このポジションに期待することはこれですよ」という“基準”を明確にしておくことが不可欠です。たとえば一つのポジションにエース級が3人招集された時に、3人が切磋琢磨して、全員がその基準に早く辿り着いてくれれば、指導者はもう一つ基準を上げることができる。ラグビーなら「15」あるポジションの基準がすべて上がれば、代表チームは強くなります。
その上で「誰が出るか」は監督やコーチが決めることで、自分ではコントロールできませんが、そのプロセスは必ず生きてきます。メンタルコーチの仕事は、そういったメンタリティをどれだけ持てるようにするかということです。
――そのように考えることができれば、自分の良さを生かして基準をクリアすることに集中して、出られなくてもチームを支えようと思えますね。
荒木:エディーさんは状況によってフィットする選手を起用していましたが、控えの選手は「劣る」わけではなくて、違うエッセンスを持った選手たちでした。一つのポジションの中で、3人ともが基準に達している中で、相手によって選手を変えられることや、隣のポジションとの組み合わせによって選手を選ぶことができる充実感がチームを強くしていきました。そのように、チームに貢献できる特徴を全員が持ち合わせていれば、「私が出られれば勝てたのに」という嫉妬はなくなって、「今日は誰が出るかな?」と楽しめるし、出ない選手は、出る選手たちがいいパフォーマンスができるようにサポートできるようになります。
それが強いチームの本質だと思いますが、日本のスポーツではやはり「嫉妬」がすごく蔓延(はびこ)っているようにも感じます。それを作り出しているのは指導者か、私たちのようなメンタルの専門家がいい環境を作れていないことが課題だと思います。
【連載中編はこちら】3年越しで完成した五郎丸歩のルーティン。緊張や好不調の波をコントロールするメンタルスキルとは
【連載後編はこちら】スポーツ心理学の専門家に聞く、アスリートが「結果を出す」目標設定のコツとは?
<了>
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[PROFILE]
荒木香織(あらき・かおり)
順天堂大学スポーツ健康科学部 客員教授/株式会社CORAZONチーフコンサルタント、日本体育・スポーツ・健康学会理事/体育心理学領域代議員。スポーツ心理学を研究し、ノーザンアイオワ大学大学院で修士、ノースカロライナ大学大学院グリーンズボロ-校で博士課程を修了。エディ・ジョーンズヘッドコーチの下、2012年からラグビー日本代表のメンタルコーチを務め、2015年のラグビーワールドカップでは日本の快進撃を支えた。同大会で話題になった五郎丸歩のルーティンの誕生に深く携わり、バレーボール男子日本代表主将を務めた柳田将洋の欧州挑戦を後押しするなど、トップアスリートたちの活躍を支えた。陸上競技や野球、バレーボール、セーリング、ゴルフなど様々なスポーツのアスリートをはじめ、ビジネスパーソンや指導者、保護者や企業向けにもコンサルテーションやセミナー等を提供している。2022年10月よりオンラインサロンMiCORAZÓN(ミコラソン)を主宰。
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